ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
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書 評 1.

絵葉書のような写真とはまったく違う”媚びない京都”  

 

井上章一(国際日本文化研究センター教授)

 
 
   京都をうつした写真集は、たくさんある。ガイドブックめいたものもあれば、大型の豪華本もすくなくない。名の知れた写真家がてがけたものも、見かけることがある。絵になる街だ。
 しかし、それらの京都像には、しばしばよそいきの気配がただよう。絵葉書のにおいがする。観光客をよろこばせるために、街がつくりわらいをしめす。そんなところばかりに、焦点をあてているような気がする。
 失礼をかえりみずに、あえて書く。私は、天才を自称する某写真家の作品にさえ、それを感じたことがある。
 まあ、きれいな絵としてながめるぶんには、それでもかまわないだろう。しかし、自分がくらしている街の記憶をもとめる身としては、不満をおぼえる。そうそう、こんな街なんやここは。こういう風情を、たしかに見かけるなあ、あそこでは。と、そんなふうに気持ちをわかちあえる写真が、ほしくなる。
 甲斐扶佐義の写真集は、こちらのそんなかわきをうるおしてくれる一冊である。写真はうまい。スナップをおさえる技も、たしかである。しかし、そんなことより、媚びのない京都がうつっていることを、よろこびたい。
 なかには、先斗町あたりの芸妓をとったものもある。街の坊主をおさめた写真もなくはない。観光京都の必須アイテムも、ちゃんとはいっている。にもかかわらず、芸妓らは絵葉書風のお愛想をしていない。街の、生活の一風景として、うつされている。
 甲斐は、京都でほんやら洞と八文字屋を経営している。喫茶店のマスターであり、飲み屋の大将でもある。私もときおりそこへは、客としておとずれる。今回は、なじみのあるそんなマスターの写真集を、紹介した。一種の仲間ぼめであることは、みとめよう。
 しかし、媚びない京都も、私はぜひ見てほしいと思う。首都の雑誌が麗々しくうつす奥座敷風のところなんかではあじわえない。そういうのとはちがう、べつの京都もたのしんでもらいたいものだ。
 鶴見俊輔の肖像が、いくつかはいっているのも御愛敬。写真家のこころざしがほんやら洞や鶴見、つまり一時代の情熱とともにあることも、うかがえる。観光京都へあゆみよらなかった背景には、それもあったろうか。
 この写真集は、しかし、本の体裁をとっていない。一枚一枚の写真がバラバラにされ、カード状にひとつの箱へおさめられている。皮肉なことに、それぞれのカードは、絵葉書としてもつかいうる。絵葉書的なものを否定した写真に、絵葉書という形をとらせた皮肉も、気がきいている。
 
 

(「週刊ポスト2007.11.30」より)

 

書 評 2.

風景をつくり出す写真家   

鈴木隆之(作家)

 
   京都という町は、甲斐扶佐義がつくったのかもしれない。
 もちろん、甲斐は権力者でもなければ為政者でもなく、都市計画学者や建築家でもない。むしろ、そうした人種から最も遠いところにいるのが写真家というものだろう。写真家は町をつくるのではなく、すでにある町の風景を切り取る。しかし、本当にそうだと言い切れるだろうか?
 たとえば東京という都市を、多くの写真家が写した。森山大道や荒木経惟や篠山紀信らが、それぞれの視点から、その風景を切り取った。写真家の数だけ、東京の風景はある。だがそれは、東京の姿が無数にあるということを意味しない。逆だ。それだけしかないということなのだ。僕たちは写真を見るようにしか、都市を見ていない。映画や広告写真のようなものまで含めて、映像が都市のイメージを決定し、それがひとの視覚を御する。
 甲斐の写真を見ていて、「そうそう、これが京都なんだ」と僕は何度もうなずいた。僕もまた京都に住んで以来、ずいぶんと長い時間をこの町で過ごした。老人と若者が同じ道を歩き、学生とガキが同じ公園にたむろし、天皇の居所と左翼運動のアジトが同時に存在する町。過去と現在が別々の未来を夢見、現在と未来が別々の過去を思い出す場所。すべてのものが懐かしい風景。甲斐はその風景を、白黒の写真のなかに定着させる。「そうそう、これが僕の知っている京都だ」と僕は思う。だが、実は違う。僕はこの写真によって初めて京都を知ったのだ。
 同著にある著者年譜によれば、甲斐が京都に出て来たのは1968年。僕よりも10年ほど早い。僕の知らない10年がここに映っているはずだが、僕はまるでそれを自分が見た風景のように感じる。甲斐の写真は不思議で、2007年の京都が1970年に撮影されたような感じで写っている。キャプションを見ずに、その写真がいつ撮られたのか言い当てるのは、京都をよく知る者でも難しい。いや、知っていればなおさらだ。
 甲斐は写真を撮る傍ら、「ほんやら洞」という喫茶店と「八文字屋」という飲み屋の店主も務めてきた。この写真集にも、両店で撮られたと思われるものが多数ある。カメラを手に町を歩き回る一方、自らのふたつの店で、京都という町の定点観測も続けてきたわけだ。猫もガキもおっさんも妙齢の女性も、同じように店の中で語らい、同じように通りから店の中を覗き込んでいる。その同じような様子がおかしく、懐かしく、そして切ない。この「同じような」というのが甲斐の写真を表すキーワードなのかもしれないと僕は思う。何しろこの写真集のなかでは、ふざけてお尻を丸出しにするガキどもの姿も、高名な哲学者である鶴見俊輔も、まったく同じ視線から撮られている。芥川賞作家の川上弘美も、名も知れぬ美女も、同じように微笑んでいる。それはしかし、均質な同一性の中にすべてを収めているということではない。すべての写真のなかに必ず写っている人物…時には猫…たちは、皆別々のことを考えている。自分の時間を勝手に生きている。しかし皆、たまたま同じ場所で生きたのだ。
 僕自身、京都を舞台とした小説を書いてデビューしたことを思い出した。その小説は僕の過去をめぐるものだった。京都には記憶を掘り起こす力がある。この町の風景は様々な記憶と時間とを不意につなげてしまう。甲斐はその風景を写し撮ったのではない。その風景を、つくり出したのだ。ひょっとしたら、僕が1987年に出した小説は、2007年に出版された甲斐のこの写真集を見ながら書かれたものなのかもしれない。
 
 

(「週刊読書人」より)
 

書 評 3.

 きちんと調べたわけではないが、ここ数年、何らかの形で死をテーマにした本が出版されるケースが増えているのではないだろうか。
 生まれてくる赤ん坊より死にゆく人の方が圧倒的に多い日本の現実、しかもいい悪いは別にして、数の力でこれまで社会に多々の影響を与えてきた団塊の世代が、自らの問題として死を意識し出す今後、こうした傾向に拍車がかかることは間違いあるまい。
 死をテーマにしたあまたの出版物の中から最近、評者が手にしたのはフォトライター、野寺夕子の『遺影、撮ります。76人のふだん着の死と生』(圓津喜屋)であり、写真家、甲斐扶佐義の『生前遺作集』(コトコト)であった。
 野寺は京都(丹波地方)を拠点に地に着いた仕事を続ける。甲斐は、美女たちのスナップや京の街のさまざまな表情を切り取った白黒写真で、名前を知る人も多かろう。同時に、喫茶店やスナックなどといった言葉では言い表せない、語らいの、議論の、それこそ人と出会い、交わる場であり、1970年代以降の京都の文化シーンを語る上で欠かすことのできない空間だった「ほんやら洞」、そして「八文字屋」を取り仕切ってきたその人でもある。
 写真を主にしたこの二冊、タイトルだけを見ると、似たような内容では、と思われるかもしれないが、中身はかなり違う。
 『遺影、撮ります。』は、2005年9月から07年3月まで朝日新聞(大坂本社)夕刊に連載された「プロジェクト遺影」がもとになっている。「差し込む自然光だけ」(「あとがき」)で撮ったセピア仕上げのポートレートと「相手の体調が許せば数時間話し込み」(同)、書き留めたインタビューから成り、「遺影」と銘打っているにもかかわらず、否、「遺影」であるがゆえに、インタビューを受けた76人の生へのこだわりが強く感じられる。
 『生前遺作集』は、「気がつけば、歯は抜け放題、髪の毛は真っ白、ボケも進行し、高血圧に悩まされている」(「まえがき」)と自嘲する60歳手前の甲斐が、編集者からの提案で2007年夏、「すぐに着手された」(同)企画である。
 撮り続け、残してきた膨大な数のネガの中から1973年から2007年までの「リリカル・シードのある」(同)京都の白黒写真366枚をポストカードの形にした。被写体となった人物へのインタビューはなく、「ぼくの身を、日頃から案じてくれている友人客人たちの励ましのメッセージを各頁の脇にそえて花とし」(同)ている。もちろん366枚は一年の日数(2月を29日として)に合わせている。
 『生前遺作集』に一貫したコンセプトは感じられない。それこそ、甲斐の作品の真骨頂である、京の街中で「行き当たりばったり」に出会い、シャッターを押し続け、フィルムに定着させた人や猫、風景の羅列だ。しかし、考えてみれば登場している多くの老人たち、ことに70年代の写真に納まった老人たちのほとんどは鬼籍に入っている。甲斐の「遺作集」は市井の人たちの「遺影」でもある。
 同時に、5月20日のポスカードの「風呂敷マントに身をまといドスをきかせる少年」(1978年)、11月1日のポストカードの「鋳掛け屋さん」(1976年)などは、今は姿を消した街の表情を記録する。瞬間、瞬間を写真で切り取っても、時間は不可逆的に過ぎ去っていく。「遺作集」は街の「遺影」とも重なる。
 評者は、366枚の写真、一枚一枚に臭いを感じた。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の世界のように、コンピューター・グラフィックスがつくり出す無味無臭の虚構ではなく、街のさまざまな臭いが漂い、体臭をぷんぷんさせた人たちがうごめく。そこに死の臭いが混じっていてもおかしくない。
 『生前遺作集』のポストカードを実際にはがきとして利用する際、宛名などを書く写真の裏面には、366枚、それぞれの日付の日に生まれた人、死んだ人、そして過去の出来事を簡潔に記したメモが付く。この欄がなかなか面白い。例えば1月1日。生まれた人としてサリンジャー、高田渡、埴谷雄高ら、亡くなった人として森恒夫らの名が挙がり、メモには「新潟弥彦神社の餅まきの群集124名圧死(1956)とある。
 甲斐は「この作業で、特別に役立ったのは、鶴見俊輔監『現代人物事典』と小田実・鶴見俊輔・吉川勇一編『市民の暦』(ともに朝日新聞社)の二冊だ。両書とも、ベトナム反戦市民運動のネットワークの賜物で、抜群に面白い。数十人の知人執筆者の顔を思い浮かべながらの楽しいひと時だった」(「あとがき」)と振り返っている。68年に京都に来てからかかわったベ平連などのムーブメントが、20代前半の彼の思想形成に与えた影響が読み取れて興味深かった。甲斐の幅広い活動の原点の一つは、間違いなくここにある。
 

(「図書新聞」より)
 

 
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甲斐扶佐義 生前遺作集  
 
写真/甲斐扶佐義
出版/コトコト
定価/4,760円(税別)
発行/2007年10月
ポストカード形式、写真366点
366人の友人・知人からの手書きメッセージ付
 
解説:木村聖哉、吉見重則、中川六平、甲斐哲義、岡村明美
箱イラスト:Emmanuel Guibert

*中身のサンプルです。 

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