ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 5月

2010.5/31(月)


7:30目を覚ます。
8:30から1h、ごそごそする。
起床は10:30。
アイルランドはいつでもOKとのこと。但し、陽子ちゃんのアパートは来客中で、ホテルに泊まれとのこと。もちろん、そうする。できたら6/11~13くらいに行きたい。
シルヴィーのバスティーユのアトリエを見に行く。その前に呂さんに会う予定だったが、それは夜にする。呂さんは旅はとりやめ、奥さんだけが発ったという。彼は、今日、夕方集会とのこと。
また、バスティーユでの展覧会6/15~6/27も決めてくれる。6/15が搬入であり、ヴェルニサージュでもある。
今日、3回目のtelカードを買う。電車もカード3回目(今回は1ヶ月分)。バスティーユにシルヴィー(絵の修復の仕事)のアトリエを訪ね、近くのアジア料理屋で2人で22ユーロの食事。帰りに5/6のヴェルニサージュであった千葉は成田の女性と奥さんがポーランド大使館で勤務するイタリア人の彫刻家に会い、ビールをごちそうになる。ぼくの前にグランエターナでグループ展をやったが、一点も売れなかったとボヤく。
ベルヴィルのアート祭に行く計画をとりやめ、グザヴィエの家に戻り、ナミちゃん、矢野さんへのメールを書く。
ルーブル付近の天理教パリ本部での6:30からのコリーヌ通訳の黛まどかの俳句についての講演に行く。天理教の支部長を紹介してもらったが、いまいち。ANAの支店長もいる。コリーヌはパリ大の東洋学の同級生たちと久しぶりに再会。コリーヌは、この後、南仏に行って6/10~15はパリという。
モナリゼ書店をめざすも閉まっていた。
そのあと、10:00、呂さんと落ち合う。11時すぎには、村澤氏も来て、近くのスペイン料理店。サッちゃんは少し食ってグザヴィエの家。パエリアなど、4人で66.5ユーロ割勘。沖縄状勢をきく。福島が連立内閣がおり、鳩山はなお、続投したといっているとか。主に、EU、アメリカの経済。反米勢力などについて喋る。今日、夕方に会う予定が、この時間になったのは、イスラエルが、公海上の船舶をそのなかにパレスチナ人が乗っていることを理由にして、空爆して9人以上の死者が出たことに対する1000人規模のデモがシャンゼリゼ付近のイスラエル大使館にむけてあり、それに参加していたからだという。その船には、他国の大使も乗船していたとも、そのデモにはノーム・チョムスキーも参加して、反米を訴えていたともいう。チョムスキーは弱いものが弱いものいじめをするようになるのがファシズムだといっていたが、それと同じことを最近読んだ米原万里の本にも同じようなことが書かれていたと、呂さん。ドイツがEUを離別するかもしれないなど、日本にいては、なかなか耳にすることの稀な話題でいっぱいだった。
デニス・ホッパーが死んだのは今日だったか、昨日だったか。

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2010.5/30(日)


今日は〈ほ〉の39周年記念日。
何時にヴォルテールに戻れるか。
西川氏よりメール。6/1は朝10:30にギャラリーに来いとのこと。戻って確認すると、ブリュッセルより、二階EU大使が写真展を見に来るとのこと。
朝メシをくって、樹齢400年のオークを15キロつづくフォーレストに見に行き、シャトー見学をし、ベルナールさんに写真を買ってもらって、あとは帰途につくのみと思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。
昼メシに鶏肉一羽むしやきがあり、ベルナールさんのファミリーがギラン邸にきて、宴会が始まった。
その前のフォーレストでもギランさんは自邸に古株を持ち帰ったりする一幕もあり。また、ワンダというポリシュ系の隣人の犬と散歩して、牛たちをコーフンさせもした。おかげで、牛のおもしろい写真が撮れた。撮り損なったのは、ワンダが自分の手をドアにかけ、開けようとする写真だった。ソラちゃんの動きが一瞬はやかった。それをみていたアキト君が犬に再現させようとするが、ムリだった。
食べた後、みんなで写真集をみて、ベルナールさんは傘投げの写真がほしいといい、「京都の子どもたち」を代わりに一冊あげる。
ベルナールさんはカーブのカタログをつくる計画があり、あとで金をとりにきて、相談にのってくれという。これはサッちゃんの仕事。
ソラちゃんのピンポンにつきあい、あっという間に6時になった。
それから、ソラちゃんを伴って500年以上前のシャトーに行く。昨日は連絡ついたが、雨でいかず、今日はシャトーの主人がつかまらず、内は見れなかったが、シャトーのリストにも全く出てないが、フランスで一番古く、大きなブドウ圧搾機というのが、カーブにあった。いまにもドラキュラでもでてきそうな所だった。敷地には山羊が一頭つながれていた。ギランさんの兄とはつきあいがあるとのことだった。
ジャン・ベルナールは、巨大なモニュメントをつくる現代作家(インスタレーション、彫刻)だった。55才。ル・マンの大学の純粋芸術学科出身。ものすごいラビリンスのカーブをもっているが、ワインを売っているわけではないそうだ。工事中のアトリエも立派なものだ。これまで、ロンドン、パリでも展覧会をやっており、日本でやりたいので、日本語のカタログを考えている。予算も何もかも未定。写真集「路地裏の京都」「Beautiful Women in Kyoto」を預ける。写真を欲しいという友人がいるから。
ギランの家を出たのは8:30。ほぼ2hでパリ着。
高速道路で140キロ、160キロを常時出していた。
グザヴィエの家に着いたのは、11:00前。
ファビアンヌ、グザヴィエは、食事を用意して待っていてくれた。
1943年製のジャン・マリーからもらったワインを4人で飲む。
亮太郎からグザヴィエにメールと画像が送られてきていた。今日は千馬木の結婚式だったと。
書店「明るい部屋」で写真集すべて売り切れ、もっと欲しいと。すごい!
ほんやら洞の開店記念日が千馬木結婚記念日。
グザヴィエが、レオナルド・ダ・ヴィンチもローヌにいたことがあるという。Le ManとAngers とToursの間だという。
正しく、我々が今日いた所あたりになる。
メシをくって、早速村澤氏にtel。
8日、京都行きに待ったがかかったという。
8日に会議があり、それを無視するのはヤバいというのは、杉村さんの判断でもあるようだ。
呂さんが、明日から旅に出るかもしれないので、早めにtelしろと。
村澤氏のアパートにはベッドもきたとのこと。
コリーヌからメールあり。明日シルヴィーはバスティーユとのこと。また、自分は天理教パリで、黛まどかの俳句論の通訳と。
疲れていて1時すぎに寝る。

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2010.5/29(土)


眠れなかった2hしか寝てない。しかも悪夢。
昨日は、他の連中が〈ほ〉ののっとりにくる夢で激して追っ払うというものだった。
今日は、若い少年にチンチンをしごかれるが、全くイカず空しくなるだけ、彼も自分にも同じことをしてくれというので、少しやってやるが、アホらしくなって眠ろうとしたら目が覚めた。
5時だった。
シャワーを浴びて、ギランさんの家付近を2hうろつく。沢山撮ったが暗かったかも。
10時すぎ、起きて、3人と2人に別れて、出かける。ギランさんは66年型の祖父の車。我々はサラダ用野菜および食品、花(ラベンダー)の仕入れ。
ドニ&イザベルには食料品店で偶然会う。
茶をして、また別れる。
帰りに、ギランさんのブドウ畑をみる。
もどって、外で食事。おわろうとする時に雨。午後の予定大幅に変更。
ピンポンを少し。裏庭のオークは樹齢400年。家の一階の梁は400年前のもの。
ギランさんは靴に履き替え(午前中は素足にビーチサンダル)ラベンダー11株を家の脇に植える。
午後、雨はずっと降ったり止んだり。
サッちゃんは家の内でスケッチ。
夕方、シャトーへ行く予定だったが、天気がすぐれず、明日に順延。
代わりにケーキやガソリン、タイヤなどの買い出しに行って、ついでに昨日のヒゲの男の甥のカーブに行く。Jean-Marie Renvoiseさん。1943年もののワインを出してくれる。その年は第2次世界大戦中で、女しかいず、女がつくったという。もう売ってないのに、その飲みさしをサッちゃんにくれる。この村には、日本人の女性料理人がいるという。
ジャン・マリーさんは、ベルナールさんの姉の息子という。
もどって、ひと休みして、ベルナールさんの家に行く。
食事の前にさんざんワインを試飲させてもらう。2003年、1976年、1985年、1969年、2001年、1991年、1903年、1893年、1834年もの。1834年ものに関しては、HATAOさんには内緒よ、と皆、口々に言う。
カーブの中で、いい写真が撮れるようにと、今日は何本もろうそくを配備してくれた。相当暗いけど、何枚か使える写真がありますようにと祈るのみ。
食事は、鳥のたいたものと、ライスと野菜。デザートは洋梨のケーキ、コーヒーも飲む。
カーブに行く前に、カーブでとれたジュラ紀前の化石をもらう。
12時前まで、ワイン三昧。
戻ってチザンヌを飲む。
明日、ケイコさんが、何か写真を一点買ってくれそう。
犬はカラスといって、とてもかわいい。
深夜、隣の犬もちん入する。
明日は3~400年ものの巨大なオークとシャトーを見に行くという。

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2010.5/28(金)


アイルランドのマルコム&ヨーコ、京都のナミちゃんにメール。ギランさんより、1時すぎ、モンパルナス付近の友人の家で食事をして、ロワールへ行こうとtel。西川氏に留守メッセージの内容をきく。カタログに一澤の写真が欲しかったと。
イザベルさんの家で食ってから5人乗りの車で出発。
ロワールまで、3hはゆうにかかる。途中、かっこいいシャトーもぎゅうぎゅう詰めの車の中からは撮りにくい。ライデンのモーターボート内でもそうだったが、サッちゃんの方がいいのが撮れている。
車へ西川氏よりtel。今日、フランスの貴族が2点買った。「歩君と出町小町」と「傘投げ」値下げしてもいいといったので600ユーロと800ユーロにしたよと。
この調子でいってほしい。
シャトーでの20人のアーチストの庭づくり展(1年間)をみて(中村ミキという日本人名もある。ひとつ笑わせてくれるものもあった)ギランさんの友人、アキト君、ソラちゃん、ケイコさんのいる家に行く。犬にトライ-Xのフィルムを持ち逃げし、噛まれて使えなくされるという歓迎の一幕もある。洞窟のカーブで1949年と1903年の白ワインの極上のものを賞味させてもらう。ソラちゃんもかわいい。似顔絵をかいてくれる。洞窟は壊れおちないかという質問に対してケイコさんが、こっちにきてといって、天井の三葉虫かなんかの化石をみせてくれる。それくらい古い時代のものだから大丈夫という。カーブは迷路になっていた。しきりに「HATAOさんがなぜ、いつも来るかわかるでしょう」という。
ここに来れるのなら、11月のフランスの展覧会自前だけど、やはり、こようかなと思う。
夕食は、夜中の12時ちかくになる。カーブの持ち主の家族も一緒。今日のワイン会は少しだけ。明日はエンエン飲もうとギランさん。
終えてから、ピンポンを少し。
ぼくは、コーチンのマンドビのホテルのような部屋で眠る。なかなか寝つけない。
こんな空しい気分の夜を何十年ぶりに味わったろうか。
この欠落感。なぜ、写真を撮りつづけ、なぜこんな所まできているのかわかってつらい。

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2010.5/27(木)


疲れているのか、サッちゃんの言動が粗暴。ディックに吉田喜重のカタログをもらう。
7時すぎの列車でパリに戻るまで、アムステルダムを散策。
サッちゃんはライデンの方がキレイという。でも、ダムは生きている。ゴッホ・ミュージアムとレンブラント・ミュージアムをみて、あとは飾り窓付近を散策。これといった収穫なし。
サッちゃんは趣味のエンブレムなどを買う。ぼくは、おみやげを買う金はなし。グザビエと村澤さんにチョリソーを買ったくらいのもの。
ヴォルテールに戻ると、ドイツの安井君からメール。ケルンの日本文化センターは持ち込みはムリと。まあ、学生風情の企画ではムリかとは思っていた。

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2010.5/26(水)


10:30、ライデン大行。カクバン上人の博士論文を書いたヘニーさんの研究室に行ったが不在。SieboldHuis(シーボルトハウス)にハンス・カイパース館長を尋ねる。途中で次期館長予定のディック・ラートビェーファさんを呼び出し、協議。2012年6月途中から8月途中までの2ヶ月の個展を確認。ディックが京都論を書き、マリコさんにもNRCのハンスにも書いてもらおうと。カタログに関しては2通りの案が出る。額(フレーム)はハウスに多くあった。
午後、ディックの運転でロッテルダムの写真ミュージアムに行く。インゲさんがナビをいじったせいだか、道路工事のせいだかで、目的地になかなか着かず、ディックはイライラする。
ちょうど、数年前に亡くなった、ヴァン・デル・エルスケンの「東京シンフォ」をやっていた。エルスケンの未完におわった東京ルポで、パチンコ屋のチリンチリン、ジャラジャラやら、築地の競市の声、神田の三社祭のかけ声などを録音したものを上手につかっていた。
かえりにインドネシア料理10品ほど買って帰る。やはり、選挙で忙しい議員のマリコさんからメールが入り、キャンペーンで忙しいので会えないという。仕方がない。
5人でメシを食う。インゲさんはサッカーかなんか実況中継の仕事でおそくなる。
夕食後、ライデンの街を3人で歩く。
こんな優雅な時間を過ごしてもいいんだろうか。こんなにも金がなく、京都の二つの店は火の車というのにという思いが、どうしても頭をかすめる。
今日はサッちゃんの誕生日。約束は果たしてないが、今後、2~3ヶ月の動きと、来年からの仕事、収入、旅をなお勘味して判断してもらうしかない。
この旅での労役からはやく解放してあげることが、何よりのプレゼントだろう。疲れきっているし、今日もアスピリンを買ったところ。
散歩の途中、マリコさんからtel。「今日、どうしても抜けられない。ほんとに、ほんとにカイさんに会いたい。オランダの日程を一日ずらすことはできないの?金曜ならゆっくり会えるのに!もう一度、パリからオランダに来るということは?いつまでパリにいるの?なんとかして会えるようにしましょう」
マリコさんは、デン・ハーグにいて、「緑の党」の外交部門の中心だ。
コリン小林さんが6/5夜、会食できないかというが、都合つかない。
日本から戻った矢野さんよりtel。アランと一緒にいつ会えるかということ。
今日も空しく眠る。

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2010.5/25(火)


9時起床。というか、前夜、暑すぎたり、オランダに行くということでコーフンしていたり、〈ほ〉のこと、ギャラリーのことをあれこれ考えて、ほとんど眠れなかった。
ギラン・ドゥ・ランクサンに28日は、いつ、どこで、待ち合わせかグザヴィエにtelしてもらう。
12:25、オランダ行の列車に乗るのに、グザビエ、北駅まで送りにきてくれる。
ロッテルダム16:01着予定が10分以上おくれ、そこからライデンまで鈍行。心配したインゲさんからtel。ディックが駅まで迎えにくる。
家まで5分。知人のなかで一番の豪邸だった。バート君、クン君、インゲさんにも歓待される。ビールを飲み、ひと休みしてから、バート君の舵取りで市内を流れるクリークをモーターボートで一周見学。これにはびっくり。変な動きをして、ボートを傾かせるのではないかと緊張して、思うように写真を撮れず。約30分後、戻って、夜は庭でバーベキュー。家の裏には広い庭がクリークの専用ボート乗り場まで続いており、クルミの木もあり、赤白黄色のさまざまな花も咲き誇っていた。先週、「新潮」の矢野優さん(バーツ君に「山菜・木の実」という文庫本をお土産にもってきたという)「帝国」の訳者の水嶋一憲さんがきて泊まっていたという。だいぶたってから、明日の夜おそくペータース・マリコさんと会えるようになったという。
インゲさんは町内の仲間とヨット漕ぎに出かける。30分後と1h後に庭先に勇姿をみせる。
バーベキュー、デザートの菓子はトルコ風。例によって、ぼくはたらふく食った。後で体重を量ったら92kgあった。
疲れて12:00頃、バタンキューになる。

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2010.5/24(月)


8:30起床。まだ脚がだるい。
2hゴロゴロ。
11:00、〈ほ〉の伊藤さんよりtel。ナミちゃんよりtel。木曜だけ開けるのでは食材がいかれるので、モーニングのアリちゃんに、やっぱり開けてもらわないとという。もちろん、OK、と答える(後で、収支の明細を見て、開けない方がいいと即断)。
12:00すぎ、1.5hの墓散歩。スーザン・ソンタグがあったのは村澤さんも知らなかった。ポアンカレー、サルトル&ボーヴォワール、デュラス、ゲンズブール、ブラッサイ、マン・レイ、コルタサール、トリスタン・ツァラ、ボールを撮る。ブラッサイとマン・レイの墓の上には、ポストカードとフィルムケースを置く。
帰り、鶏肉を丸ごと買おうとしたが、ダメで、スーパーによる。
サッちゃんもメシ食いにくる。村澤さんが焼き飯をつくってくれる。そのあと、ブルベス宅に荷物とりにいく。村澤氏の部屋にケータイを忘れ、telするも出ず。あとで、氏がNationの駅まで届けてくれる。その間、西川氏よりtel。8時までにtelするといって切って、Xの家に行く。そこに西川氏より再度、長tel。明日から3日間、オランダ、そのあと、ロワールの方へ3日間いくというと、5/28のワインパーティーにきてくれないのは困るといって、20分以上喋る。こっちもあれこれ困っていて、ワインパーティーに出てもラチがあかない旨を喋る。今回、写真が売れなければ絶対絶命なのだと。
まあ、ロワールから戻ったら、ギャラリーにつめるとか、こっちも大変なのだとか、実情を吐露。それにしても、まだ会わねばならぬ人、行かねばならぬ所は多くある。

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2010.5/23(日)


熟睡。午後、ブルベス宅にサッちゃんを訪ねる。近辺を散歩。ペタンクを撮る。
Sが〈日乗〉を打つ間、フランス語勉強。ポルト・ド・イタリーの中国人街をうろつきたかったが、日曜日なので、プラス・ド・イタリーにいく。フォーのおいしい店とやらを捜す。気がついたら7時をすぎていた。
あわてて、夜メシの食材を捜すも空し。今日は日曜。果物屋しか開いてない。10.50ユーロでメロン、アスパラを買って、村澤さんのアパートへ。
スパゲッティは少ししかなく、冷麺にした。
10:15、Sをブルベス宅に送る。
村澤さんは、今晩は、ステファン・ナドー氏のパーティーでもどるのは12:30になる。それから、3hダベる。
ナドー氏にもRéponses Photoをみせたら、これを買うといったらしい。ドアノーというよりも、ウォーカー・エバンスだねといったとか。
夕べ、西川氏、Sにtelして、ロワールだったら、ぼくの知り合いがいっぱいいるのに、と言ったとか。

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2010.5/22(土)


村澤さんの布団までぶん取って寝ていた。途中で、朝4:00頃、扉をガンガン蹴る奴がいた。
2:30に寝て、8:00起床。
京都の伊藤さんに返事を書く。京都に戻ると、いきなり大ピンチが待っている。はやく、JSBに印刷代を出してもらわねば。
〈八〉〈ほ〉の処置はいかにすべきか。
エマニュエルとの2人展、展示方法はどうするか。
本当は、その前に、エマニュエルと会っておきたいが、時間がなさそう。
グザビエは、6/10「波の木」という意の本屋でのフェアのことで走り回ってくれる。
来週から2つ遠出がある。撮影を少し控えて、月曜社の原稿と阿部定に手をつけよう。Sにこれ以上迷惑をかけないようにしなければ。
朝からモンパルナス墓地周辺を歩く。
村澤さんが早く起きれば、墓地で、マン・レイ、ブラッサイら彼が確認できているところに案内するとのことだったが、起きれず。
墓地のあと、サン・ジャック通をシテ島を通って歩く。ギャラリーに着いたら閉まっており、付近をブラブラしているところ、Sからのtelがあり、リゼット・モデル展を見に行く。モネの睡蓮も見る。
ブルベス宅に荷を運ぶために、グザビエのアパートに寄ると、2人が戻って来て、ここでメシを食ってからにしろといわれる。そうする。
兼先恵子さんから講演依頼があり、やることにする。呂さんからもtelがありロワールから戻ったら、泊めてもらうことにする。
ブルベス宅を12時前に出て、1時前、村澤宅に戻る。
焼き飯、バーベキュー、みそ汁を用意してくれている。
氏のビザ問題も解決の方向に向かっている。エアロフロートでパリ、関空往復6万円であるという。
バタンキューで眠る。

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2010.5/21(金)


11:30、ヴォルテールのグザビエの家。
タケボウからtel。タケボウ、6/6はパリ展応援ライブを〈八〉でやってくれるらしい。
伊藤さんからメールがあったという。伊藤さんは、〈ほ〉のバイト代をアップしていた。返信は2~3日後にするつもり。
ストラスブール・サン・ドニ駅付近のルフェーブル巴さん、清さんの家を訪ねる。巴さんの兄・ケンジさんもきてくれていた。立派なアパートで羨ましい。やはり、家賃は1150ユーロという。グザビエ、村澤さんも大体家賃は同じ。
まず、ご馳走を頂、付近のひとブロックごとのカルチェを案内してもらう。
中国人街、インド人街、アフリカ人街、トルコ人街と回って、エスパス・ジャポンまで行く。帰りは、ちがうコースを通り、黒海付近出身のマスターの経営する遊戯場に行く。何と呼ぶ門か知らないが、門のところにもどり、サン・ドニや、昔のレアの跡地あたりにも行く。夕方から豊胸手術を施した娼婦が目立つ。6時すぎに中国人の市場で焼豚、麺などを買う。豚の耳、鼻を買うのを忘れる。
7:45に、ギランとオデオンのカフェで待ち合わせ。
それから、メシを食いにいくものと誤解していた。アテがはずれ(?)Sには悪いことをした。28~30、ロワール河の方へ連れていってくれるときいた時点ですぐに帰ればよかった。
10:00にグザビエの所に戻り、ラーメンを作り、ぼくは酔いにまかせ、減らず口をたたき、Sをガッカリさせる。でも焼豚はおいしかった。
グザビエところに3日ぶりに泊まりたかったが、Sの仕事に差し障りあるので、深夜、12:00すぎ、村澤さんのアパートに戻る。
村澤さんは、今夜はチェチェンからきて、見事な生き方をしている日本人の26才の女性につい、カキをごちそうして、散財したという。
コーヒーを何杯も入れてくれ、メロンもむいてくれ、風呂に湯まではってくれる毎日で申し訳ない気持ちになる。
オレは、人に、こんなに迷惑ばかりかけて、いい仕事をせずに帰ったらバチがあたる、戻れば問題は山積み。
伊藤さんからのメール、まだちゃんと読んでない。
村澤さんは、ブレッソンの記念館をネットで調べてくれる。
2:00すぎ、Sの留守telにLisette Model展、ブレッソンのところにいこうと入れる。

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2010.5/20(木)


ゴマクボさんにtel。Endoにtel。telカード切れる。
1:00、ニューインさんと約束。メトロ3駅乗り違える。
1:10着、西川、Sun Young Minさんとメシを食いに行くのに、留守番をさせる。1.5hもどってきて、サッちゃんはギャラリーの留守番できないかという。できない。ヌーインさんとメシを食いに行くというと、ここにスパゲッティがある。作ってあげるからクエというだけで作らない。代わりにヌーインさんが作り、2人で食う。結局ヌーインさんは連れていきたいところがあると言っていたが、彼女と散歩できず。彼女は4:00に帰る。6/7~9くらいにナントに行くかもといって別れる。
HATAOにtelすると、ランクサンのところにはマジメな奴しか連れていかないでくれと真剣にいう。結構長々と。
ヌーインさんに会えたものの、朝から随分とムダな時間を費やす。
3:00くらいからSに何度もtelするもつかまらず。
5:00、バスティーユにいき、ひとりうろつく。
6:00、疲れて座っているところ、ギラン・ド・ランクサンからtel。明日、メシを一緒に食わないかと。ルフェーブルと先約があるというと、とにかく、明日、会おうとも。
バスティーユをうろうろしているつもりが、ヴォルテールに戻っていた。
イライラして、キスシーンなど、いいのを撮り損なう。反省、反省。
7:00、グザビエのアパートにフィルムをとりにいった時に折よく彼がもどり、助かる。その時、胸のポケットにコリーヌのtel番号を発見。telすると、今日、3時からずっとtelしていたと。Sにはメールも入れたのに応答がなかったと悪いことをした。こっちにしても本の買い手を失くして(?)痛手。来週コリーヌの家でパーティーをやりたい旨しゃべる。
8:00、サン・ジャック駅に着いた時にSよりtel。友人と会っている場所がtelの通じない所だったと。Sは今夜会うのはとりやめと。もどって、村澤さんのコクマルカレーを2杯もいただく。ワインも野菜サラダも。
その後、モンパルナスの繁華街を散策。そこで、ラメットさんに会い、先日の10ユーロを返す。
〈ほ〉の伊藤さんよりメールがあったと夜きく。
エマニュエルとの2人展のカタログ用写真をSは送り、ぼくの挨拶文をシルヴァンに訳してくれと送った。
村澤氏に対する大学(学科)側の仕打ち(?)をきくにつけびっくりする。彼は、飛行機チケットをふいにしそう。ほんとに気の毒。お子さんも奥さんも帰国を待ちわびていた。
村澤さんに、パリ第8大付近の様子をきく。元〈八〉バイトのエレーヌ・シクスの研究室にいた松田充代さんはどうしているのだろう。松葉先生は甲子園大とか。

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2010.5/19(水)


夜中に、サンケイの山口さんからメールが入った旨、Sより村澤さんにメール入る。山口さんは、西川氏抜きで会いたいと。マリオット・ホテル3:30と指定してくる。昨日はギャラリーといっていた。telすると、西川氏のワイン会の話や学生の音楽の話なんかきかされたくないとのこと。
昼頃、ダゲール通りを散歩し、モンパルナス墓地で、ブラッサイ、マンレイ、ボードレール、ゲンズブール、サルトル、デュラス、プルードン、サント・ブーブらの墓を捜すも捜し出せず。3:00凱旋門へと急ぐ。
門の前には、ツタンカーメンの格好をしてベンチに座り、無心する人間がいる。
ヒップ・ホップ・ダンスで人の輪をつくらせる集団もある。
山口さんは仏中央部の都市の芸術祭に出品しないかという話だった。3点で、作品も旅費も自費負担ということだけで、あとはパリ文化会館のゴマクボさんにきけとのこと。西川氏は口八丁手八丁風なのに、写真のアピールをしないのにびっくりしたと。
そのあと、ギャラリーに顔を出し、モンマルトルの丘を2hで往復する。
丘の中腹で、また、アラン・ルマットさんに会ったのにはびっくり。
6:30、S、ニュース・ダイジェストの人と喋り、グザビエの家へ。
帰りに、寿司、バゲット、ソーセージなどを買って帰る。
カタログ用の文、Sに打ってもらう。J.P.トゥーサンより原稿届く。
雑炊(まずかったらしいが)つくる。11:00村澤氏宅にむかう。
村澤氏、男の写真集(イケメンではなく)はゼッタイ売れる。自分が出たら10部は買うと言ってくれる。彼の目の瞳孔のあいた写真撮る。

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2010.5/18(火)


11:30にtelを入れるといっていた、アランさんから音沙汰なし。
エマニュエルにtelするも通じず。
近くのコダックのプロラボでフィルム(5ユーロより安いもの)を9本買う。
明日PXとTXを各50本入れてもらうことにした。
夕方、ポストカードに関心を示すジャン・クリストフに会う。
エマニュエルとのカタログをニュース・ダイジェストに頼むと西川氏。久田舜一郎氏がギャラリーに挨拶だけはかわす。
ナントからパリにきているニューインさんよりtel。20日p.m.1:00ギャラリーで会う。
7:00すぎ、偶然、アラン・ルマット氏もいっている個展を発見。
ケルンの安井さんよりメールあり。
明日、サンケイの山口昌子さんにやっと会える。
バスティーユのジャン・クリストフの家に向かいながら、エディット・ピアフのような老女がやるバーを撮ったり、大きな壁にじかに描かれた広告を撮ったり、緑がいっぱいの路地など1h撮り歩く。ピアフ嬢の店をグザビエは、パリの〈八〉という。路地に立っているいい感じの男を撮ったら、それが、アラン・ルマットと判明し、その対面にジャンの店があって、その偶然にびっくりした。ジャンは写真のバライタを持ってこいといっていたが、買わずじまい。店内には怪しげな古びたインド人の肖像がずらっと並び、Dylanのロゴの入ったTシャツなどがそこらじゅうにあった。
結局、きまったのは、いつか、一日、写真や本をテーブルに並べたフェアをやりたいということだけで、いささか、当方、ガッカリ。
歩いて、グザビエ宅に帰り、日本米と称する米を大量に炊いて失敗し、半分は冷蔵庫に残し、半分を炊きなおす。ノリを巻いて食って、ワインとビールを飲み、Sとグザビエに送られ、サン・ジャックの村澤真保呂氏宅に行く。今日、明日はここに泊めてもらう。
4人でギャラリーについて談笑。

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2010.5/17(月)


9:26の電車に乗るために、6:30起床。ちかくのパン屋にバケットを買うつもりで行ったが、ちがうのを2本買う。しめて1.9ユーロ。
サッちゃんは8:00、コリーヌが起きてきたのは、9:00前。彼女もここのところ多忙で疲れきっている様子。伊坂幸太郎の訳(文春文庫)をやっている途中。25日から南仏での翻訳者会議に出席。今度は村上龍の「半島を出よ」を頼まれているとか。
電車の中では熟睡する。
リヨン駅で軽く食事。
結局、フォンテーヌブローのシャトーもマラルメの書斎もミレーの「晩鐘」の舞台も見ないまま。
11:00ギャラリー。トイレ故障中。美容師が客をとっている。
ジュンク堂に行き、店(社)長のサミュエル・リシャルドさんに会う。6歳から高校まで弘前で過ごしたという。
「京都の子どもたち」「Beautiful Women in Kyoto」は置いているといい、他のものも仕入れるとのこと。ポスターを見た時から気になっていたが、まさか、自分の店に置いている本の著者とは思わなかったという。ピラミッド・フォトで高いフィルムを買う。
ギャラリーにtelすると、アラン・ルマットさんが待っていた。久しぶりのアランは、Le Voieも終刊し、2年前に離婚、パーキンソン病に苦しんでいた。TGVも40%offとか60%offとかで、パリを引き払って、TGVで2hかかる田舎でのんびり暮らしていた。自伝的な書物も英訳されているらしい。レ・ヴォアの終刊号は10万部出した。長女は東京でグラフィック・デザイナーをやり、次女はパリに残っている。去年はブルターニュを2ヶ月かけて800km歩いたという。時速2kmのペースで、日に10~12h歩いて、健康を回復したらしい。4:30、アランと入れ替わりに、西川長夫さん祐子さん夫妻が友人連れでやってきた。
一昨日、エレベーターの故障している友人を8Fの住居に訪ねてくたびれたという。
1968年ものを平凡社から出版予定もあり、また、その頃の写真集を出版したいので協力してくれというので、デザイナーのサッちゃんはどうかという。
夕方、ヨシイ画廊を覗く。日本もフランスでも日本人画家たちの絵のあり方は似たようなものだとわかる。
そのあと、ジェロームの母のアパートを訪ねる。
アパートの5Fということらしいが、実質15Fで、エレベーターは故障中で、40kgの荷を背中と手にもっていたので、こたえた。
1:00くらいまで、お邪魔して、さんざんごちそうになる。サッちゃんは、鍵を預かり、3~4週間、どうぞ泊まって下さいといわれる。(オランダから戻ってからにするらしい)
ボーイ・フレンドのミッシェルさんの作品も多く見せてもらう。
帰りは、車でチャイナタウンを回る。
グザビエのアパートに戻ったのは、2:00すぎ。

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2010.5/16(日)


7:30起床。西川氏も9:30から邦人グループ(寿司屋マツダのおっさんら)とソフトボール大会という。
11:35発(リヨン駅)のフォンテーヌブロー行きの電車に乗る。
12:21着。コリーヌの娘アマンダとBFのタイラーさんが車で迎えにきてくれる。
コリーヌは村祭り(蚤の市)のさなかに、食事を用意してくれていた。
隣人のアーチストと科学者カップルなどもくる。
そのあと、「蚤の市」を散策。栓抜き(5本2ユーロ)とエスカルゴつかみ&皿を8セット買う。サッちゃんは、レース、革カバン、ナプキン留め(?)、木靴の小物入れを買う。ぼくは10ユーロ、サッちゃん、すべてで5ユーロ。クレープも食う。今日、これははじめて、いまでも、お母がつくっていた火焼きとまったく同じものと気づく。
戻ると、コリーヌの女友達がいた。
コリーヌの猫は大変なついている。
セーヌのほとりに座って、このまま、ここに一週間もいることはできない、駅までの送迎も車ということで迷惑をかけるし、このままいたら、ギャラリーに行きたくなくなると思って、今晩かぎりにして、明日、もう一度、グザビエの所に戻り、明後日からはサッちゃんと別々に行動し、別々の所に泊まろうという話をする。しばらくは、サッちゃんはグザビエの家にお願いして、ぼくは村沢氏のアパート、ギャラリー、アランの家、フランソアの家、そして呂さんの家を転々としようと結論づける。
荷が重く、ワインを飲みすぎ、1:00すぎには眠くなる。

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2010.5/15(土)


8時起床。
2h、うとうとする。チケットをおさえ、ライデン行きを決める。
2人で往復35,000円。
西川にtelして1:30にギャラリーに行く。
ギャラリーには西川祐子さんからtelあり。フランスにいて、近日中にくると。
能登半島の男ひとりくる。
今日はモンマルトルに行く予定だったが、土田麦僊の孫、辻哲夫氏にtelして会いに行った。モンパルナスの名所を紹介してくれる。
リルケの「マルテの手記」の一頁目の描写シーンの場所、河盛好蔵の「藤村のパリ」に出てくるホテル、いまや高級ホテルになれ果てた永井荷風の通ったカフェ、佐伯祐三の描いた扉、ジャンセン派の修道院などへ案内され、白ビールもごちそうになり、その後、リュクサンブール公園を散歩。パリ・コンミューンでの銃殺地で弾痕をみる。卓球シーンなどをとる。
8:20、ギャラリーに戻る。
初日の清算をして、600ユーロもらう。あと21.75ユーロもらってない。
そのあとエマニュエル・ギベールとの2人展のカタログの話などをし、「マツダ」で西川氏に寿司をごちそうになる。「ツー・ショット」をあげる。Sun Young Minとサッちゃんも一緒。そこで、西川氏、日本との長電話。12:00すぎにラオス人のカラオケにいくいかないと一悶着あり。結局2時まで。戻ると、ディック(オランダ)よりメールが入り、25日OK。戻ったのは2時すぎで、寝たのは、4時前。

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2010.5/14(金)


夜中に戻ると、オランダのディックからメール。5/25〜28がベターという。
1:30に寝る。
7:30に起床。
10:30朝食。アランが送ってくれたヴェルニサージュの映像をみる。
11:30すぎヴェルビルに向かう。
ごった返した蚤の市を途中からよけながら歩く。
フィリップ・アダムの部屋は5Fにあった。Junちゃんを買ってくれたので、「夢の抜け口」(キャビネ)をプレゼント。
グザビエ、フィリップと4人で割り勘で食べた後、グザビエは帰り、あとは、フィリップがユダヤ人、中国人、アラブ人街などを案内してくれる。渋いいいカフェもあった。こういう時は、35mmレンズが欲しくなる。来る直前に35mmレンズがイカレタから仕方がない。ヴェルビルのアーチストの拠点のネットワークのマップをもらう。5/28から始まるようだがどれだけつき合えることか。子どもの遊具のある公園に行き、奥さんのジュリエッタと子どもと合流する。そのあと、アラブ人地区を子連れ5人で歩く。ユダヤ人の学生が殺された碑を数ヶ所で見る。
フランソアの家に忘れた写真をとりに行って、8時前戻る。途中、Reponses Photo 6月号に4頁記事がでているのを発見(4.9ユーロ×2)買う。
晩ご飯はグザビエの家からちょっと離れた所のカフェで。
戻ったが、グザビエは仲間のパーティーに呼ばれ、ファビアンヌの代わりにグザビエに2h付き合う。木屋町三条の「DubDub」みたいな雰囲気の中の踊りがその数倍の人間によって展開されていた。
帰りは、映画の美術の人に車で送ってもらう。戻ると、西川からの苦言のtelがあり、その内容をきく。
1:30帰宅。
2:00就寝。

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2010.5/13(木)


昨日もサッちゃんは言った。「どうしてカイさんは、皆からもてはやされるんだろう」怪訝な顔をしていた。(厳しい生活を長年つづけ、それでも、いい写真を残しているからだろうか?)
9:00起床。
日向太にtel。電子工学科、休学して、医学部受験のために勉強しているという。4、5月間で祖父母を亡くし、考える所があったのだろう。
HATAOにtelするも、通じず。
グザビエは、珍しく、昼前まで起きれず。昨日はイライラしたという。
一昨日の小糠雨ふる寒いパリから、今日まで寒い。一昨日は定期用写真を撮るだけで、そそくさとアパートに戻って、チマキにグザビエがtelするのに出たりしたが、その後の天候不順に閉口している。
フランソア、3:00メトロのJourdainで待ち合わせ。彼の家で日本茶をもらい、3hあまり周辺を散策。モンマルトルのサクレ・クール寺院が見える丘に立つ。付近は、フェイクな滝や吊り橋があった。下におりてからクリーク沿いに歩く。映画「Hotel du Nord」の舞台になったカフェにもよる。ベルビルの中国人、アラブ人、アフリカ人街も通りすぎる。フランス最古の病院St. Louise、フランス共産党本部の脇もあるく。
夜は、フランソアの料理、マッシュルームのサラダ、イクラのパスタ、イタリアの甘い酒なども出る。イチゴ、チョコレートケーキetc. バイヤちゃんは着物を着てみせる。猫グリグリともに可愛い。
夜は、バンソンからもらった車で、エッフェル塔、凱旋門等、案内。彼の家にプリントを忘れる。

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2010.5/12(水)


5:45起床。
ゲイ・カップルに襲われる夢をみていた。
ファビアンヌは8:00前に起きていたようだ。
ぼんやりした頭のまま、夢を反芻しながら9:00まで布団でゴロゴロする。
10:00グザビエとサッちゃんとで朝食。
今日は矢野さんに会い、エスパス・ジャポン、京子に行き、呂さんに会う。その後、ギャラリーである何かにちょっとだけつきあう、そんな予定は、かなり変更。
矢野さんに会うのに20分時間があったので、エッフェル塔の写真を撮りに行く。
矢野さんのオフィスは、ペンキ屋からアート・ディーラーに変更したフィリップのビルにあった。閑散としたオフィスは、いまここに詰めて仕事をしているわけではないのを物語っているようだった。水でも出しましょうかという発言はやや不安にさせたが、彼が楽しげにキャビネプリントをくっている姿を見ているうちに払拭された。フィリップは、両親がきているとかで、生来、留守。
矢野さんは近くの韓国料理店で、X、Sとともにごちそうしてくれた。
また、月末、アランと食事しようということで別れた。もしひとりならば、アランの広間で泊めてもらえるのではないかという。
その後、「京子」に行くつもりだったが、telしてきた西川氏にその旨を告げる。そこは高い、社長がいないときに行っても意味ない。それよりも、今から郊外の業務用の卸し店にいくので、同行しようという。そのつもりはなかったのに、いつの間にか、ピックアップされて、長時間、大きな冷蔵庫に閉じ込められることになった。おかげで、一軒、本屋を棒にふる。西川氏は、昨日から何度も今日の六本木合唱団の練習会のあとの懇親会にくるんやね、来んと困ると念を押していたが、今日も来るのかなと猜疑心をもっているようなので、間違いなく顔を出すと確言する。途中、ギャラリーにtelを入れたニコラより西川経由、ギャラリー付近到着の知らせあり。9時、ギャラリーで待ち合わせたというと、今日はプロの料理人が調理するので、ひとり会費2000円もらう。カイさんはいいけど、という。
今日、初めて、東京芸大卒のピアニストのガールフレンドを紹介する。京都とワルシャワ姉妹都市イベントのキー・パーソンだそうだ、彼女は。薬師丸ひろ子に似た幼いカンジのお嬢さん。
我々の買物は、コリーヌの家で寿司パーティーをやるための仕入れ、プラス、グザビエ宅の常備のワイン、スパゲッティなど、81.95ユーロ。
仕入れ先で時間をくい、一軒の本屋はフイにする。
もう一軒、サンジェルマンデプレの本屋「La Chambre Claire(明るい部屋)」では、「Streets of Kyoto」40ユーロは高すぎるといわれ、38ユーロに変更する。また、40%上乗せではなく、6掛だった。あとは「京都の子どもたち」2冊を入れれば、取引おわり、前金200ユーロをもらう。ナディア、グザヴィエに感謝。
店内にいるとき、西川からサッちゃんにtel。他の店で安く売ってもらっては困る。最低倍で売らないと、ウチやジュンク堂が困ると。
いい分はもうひとつあるようだ。グランエターナについた荷には税金がかかり、La Chambre Claireにもっていった数冊の本は、うちがすでに税金を払っており、うちの管轄下でその税金代をよこせというもの。
しかし、今回の個展は、ぼくの金欠病下のもので、そのことは再三言ってきたし、周囲もしっており、そのため、パリの仲間たちもなんとか打開しようと、パリ市内の本屋を走り回り、ぼくに現金収入ができるようにと手をつくしてくれている。あまつさえ、ギャラリーがやるべき、DMつくり、ポスターつくり、ギャラリーが重宝している紙袋つくりは、こっちがやり、このデザインに対しても、DM代等ともどもまだ一銭も支払っていない。Sへのデザイン代は未払いで、ことSに関しては、ぼくのパリにくる前の生活費をたてかえており、今月26日まで、必ず返済の約束だ。その金がなければ、彼女は、京都へぼくが帰ったあとのパリ生活は不安がいっぱいのものとなる。
全面的にギャラリーを通すということはせず、友人のところにギフトとして送る分は、taxはかからないよ、位のアドバイスがあってしかるべきだった。つまり、ギャラリーでなく、彼のアパートへ送ることも可能だったのでは。
何はともあれ、全く金のないぼくが個展にきて、パリで食っていけるようにと皆が八方走り回っているのに、棹さすのは、大人げないのでは。こんなぼくでもOK、来いといってくれ、ぼくは来たのだから。
「明るい部屋」を出て、付近のカフェで「入金の乾杯」をしてから、「エスパス・ジャポン」へ向かう。こっちは、年内のスケジュールはもうつまっていた。せめて、3ヶ月前に言ってくれていたら、来月は、ここでの個展(写真)がつまっており、その場でサイン会をやるわけにもいかないと。もっともな話だ。
来年、何かやりましょうということで引き揚げる。感じのいい場所だった。
ヤン君の兄、ダン・ベローさんともうひとり、担当の女性が対応した。
9時からの懇親会に出る前に、Voltaireまで戻る。
ギャラリーでは、ニコラ、小川一等参事官、順天堂の放射線科の鈴木准教授、平田吉男さん、Sun Young Minさんに会う。Minさんと改めて撮影することを約す。
今日は、皆、冷蔵庫入りで(?)疲れた。
1:50就寝。

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2010.5/11(火)


夕べは、うとうとしながら、原稿を書こうとしていた。
来週から、1週間、コリーヌの家に泊めてもらうことにした。
その後、サッちゃんは、ナディアの友人のところに行くことになり、ぼくは宿なしになり、ギャラリーに泊まってもいいし、知人の家を泊まり歩くのもいいかと思っていた。その意向をグザビエに言うと、グザビエは「そんなことをせずともいい。ここは、自分とファビアンヌの家であり、カイさんの家でもある。カイさんもサチコちゃんも、こっちに戻ってきたらいい」と言ってくれる。そんな甘えてもいいのだろうか。甘えて、いい仕事をして、お返しするか。ほんとに有難い話だ。
2:50就寝。7:40起床。
5/26がサッちゃんの誕生日。その日まで、サッちゃんからの借りをBKから借りてでも返済する約束であり、そのつもりだった。ギャラリーグランエターナが輸送費、紙袋代、彼女のデザイン料をくれたら、なんとかなる。書店の売上げ、ポスター、バッグの売上げ、プリントの売上げも合算しようと思っていたが、期日が迫っているのに厳しい展開となった。オープンの日に一点も売れてないのだからどうしようもない。
この日まで、返済できなければ、サッちゃんはぼくの元を離れる決心を固めている。ぼくもつらいが、納得せざるをえない。
自分の歳、今後のことを思うと、いつまでも売れない写真家の下にいても仕方がない。いや不安だ。もっともな話だ。親も心配しているだろう。
パリの一流の街に居を構えるギャラリーで個展をやるまではいい。しかし、このギャラリーの未成熟ゆえの、たくまざる不当な扱いに対して、ノンといえないでどうする!?というのだ。
それはともかく、金をほんとうに何とかしなければ、本の仕入れをして、それをこっちに送ってもらえれば、なんとかなるだろう。
そんなことをつらつら考えながらフトンにひっくり返っている。
サッちゃんは11:00起床。初めて、邪魔されず、ちゃんと寝れたはず。
すぐに西川氏からtel。今日はどうするのかということと、明日のパリ・ダイジェストに出るということ。
京大ルネの山下氏より、日本時間の明日、夕方、本類が届くと。どうしたものか。
夕べ、アラン・ラメットさんに、西川氏の要請とはいえ、10ユーロ出させたことをサッちゃんになじられる。ぼくもその非を認めて、アランさんに返すつもりだ。
本来ならば、ジャン・フィリップ・トゥーサン・ファミリーがぼくを食事に招待しにきたのを、西川氏はひきとめ、仲間たちを呼び寄せ、酒宴にしただけなのだから、彼が酒代も出さなければ、おかしいのに、皆から10ユーロあつめようとしたのだった。彼も酔っていただけだったのかも。
昨日、シルヴァンからナディアへ、サッちゃんのインタビューの翻訳がきて、ナディアはそれを読み、ぼくらを見直したという。それまでは、ぼくらに会っても「あっ!カイさん」とか「サチコさん!」だけだったが、もっと深い話をしたくなったと。それまではバカにしていたということか。
ナミちゃんにルネの件、話通じる。伊藤さんはつかまらず。
姉は、キッコーマンかどこかの懸賞エッセイ(30万円の賞金)に応募、今日したところだが、長いこと書いていないので、うまくいかなかったと。
呂さん、矢野さんにtel。
フランソワとは木曜日約束。
猛君の根本さんよりメール。パリにいる友人に個展のことをいうので、詳細を教えろ。西川氏より、ギャラリー個展予定のきれいな女性がくるので、写真を撮りにこないかとtel。
晩ごはんはスパゲッティ、そして、チーズ、バゲット。
今日の京都は28度らしい。こっちは10度以下。
朝がはやいので、夜中にはうとうとする。
1:50就寝。

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2010.5/10(月)


8時起床。
ギャラリーよりはやくこいとのtel入る。留守番は彼しかないという。ギャラリーも苦しい展開。
1時にパリ・ダイジェストの取材あり。
本、カードの整理。
ぼくも相当、あれこれひどいが、金はあるギャラリーなのに、何だかすべて変。
DM、ポスター、バッグなどの費用についての言及が全くない。ぼくはサッちゃんに借金してきているのに、いや、デザイン料も彼女に未払いなのに、それについての言及がないのはおかしい。
今日、サッちゃんの立てかえでメトロの定期を買う。17.20ユーロ。メトロで初めてチケットの検査員くる。写真をまだ貼ってなかった。
書店「明るい部屋」からの収入が入るまで、サッちゃんに迷惑をかけっぱなし。ギャラリーにちゃんと出せというべきなんだろう。
ギャラリーでは、全紙1500ユーロをつけているので、プリントはなかなか売れそうもない。本は、持ってきた分はたいてい売れた。
今日も本が届いたが、他の本屋にもっていくものとバッグのみ。
サッちゃんは、ギャラリーに着くなり、パナソニックに、スクリーン返却に行かされる。
ギャラリーでは、ボジョレーの醸造家がきて、試飲会。フジさんにもらったワインは、客がきて、グザビエにプレゼントとして持って帰れず。
6時に、ジョン君、ジャン・フィリップ・トゥーサン夫妻、ギャラリーにきてくれる。それにあわせて、ラメットさんなどをよぶ。ギャラリーも女の子たちや、フジさん、平田吉男さん、若い男たちをよぶ。
外食のはずが、行けず、ギャラリーで飲む。
ワインが足りなくなり、買い足した西川氏が、お門違いな要求をしてびっくりする。
ジャン・フィリップ・トゥーサンの奥さんには「路地裏の京都」「出町転々 八文字屋有情」「2007京都愛しの美女たち」を持って帰ってもらう。ベルギーの日本文化センターでの個展の交渉にあたってもらうためだ。
フィリップ・アダムには、金曜日に再会を約束する。
8日間パリにいた。ギャラリーには作品を買う固定客もなければ、特定の個人に売ろうという意欲もない。時間もスタッフもいないのだろう。
ぼくのピンチは深まったのを実感する。
西川氏は「路地裏の京都」「夢の抜け口」は、各100部位は売れるだろう?とぼくに相談をする。彼が動かなければ売れるわけないのに、こっちに下駄を預けようとする。彼は、これまでは、渡りに舟でやってこれただろうが、この世界はそんなに甘くないはずだ。ユダヤ財閥が支配している世界にどういう形で風穴を開けるというのか。ギャラリー経営者としてきちんと対応してほしい。呂さんは悲観的だった。「呂さんが助けて当然だ」という態度は筋違いだという。「オレはパリの日本人社会をどうこうしようというケチな考えはもってない。オレは中国人であり、フランス社会で活動しているのだ。西川氏は、パリの日本社会ばかりみている」と。
ぼくのパリの友人たちにとっては、グランエターナが、ぼくの写真につけている値段(全紙19万5000円)、オイソレと買えるはずがない。
多分、半値以下にする必要がある。本に関しては、すでに皆、買ってくれているのだ。
フランス人の友人たちは、フランス人向けの立派な書店で「甲斐扶佐義とその仲間」というブックフェアを実現するように動いてくれ、実現しそうだ。エマニュエル・ギベールとジャン・フィリップ・トゥーサン、フィリップ・アダムらの本のフェアをやり、彼らも一同に会し、ぼくの写真も展示して、ぼくの「Beautiful Women in Kyoto」「路地裏の京都」「京都の子どもたち」を売るという試みだ。それに対しても、西川氏はオレを通してもらわなければ困るというような口ぶりだ。彼には、彼のあせりもあるのだろう。

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2010.5/9(日)


8時起床。
午後、モントレイユの蚤の市に行く。これが二、三列でなかったら、おびただしい混沌世界だ。写真を撮れという少年もいるが、大旨、嫌がる人間たちでいっぱい。白人より有色人種のほうがはるかに多い。約1kmの出店の列。個々の店を見る時間は、コリーヌとの3:30の約束のためになし。慌てて、3:35にグザビエのアパートに戻る。コリーヌは蚤の市なら余分に時間をくうだろうと見込んで、娘のアマンダとゆっくりしていて、1h遅くくる。
30分、お喋りをして、近くの墓地までいく。途中まで、グザビエがついてきて、ここは1900年まで、ギロチンのあった所と「名所」を紹介する。
墓地まできて、グザビエは家に戻ったので、後は3人で墓地公園を散歩。
先日、哲学のアラン、作家のオスカー・ワイルド、ジミー・モリソンの墓など有名どころのものがあるのがわかったが、今日とて、それを捜すともなく散策し、しまいには、管理人から最後の墓参人と思われ、追い出されるまで、つまり、6時まで、うろうろする。火葬人は小さな引き出しのような箱の墓になっているのは、日本とあまり変わらない。コリーヌはちょっと高野山みたいねという。中国人かベトナム人かわからない人物の墓もあった。
町に出て、近くのカフェにいる。コリーヌは前夫がチベットの難民で、中国の籍を名乗らず、ネパールにいたりしたこと、お嬢さんのアマンダが日本語を勉強する気になっていることなど喋る。アルルの写真際の件、フランスで共著を出版する可能性などについて、検討しあう。
今回のパリでの写真販売戦略についてもアドバイスしてくれる。
結局、チーズ、ワインなどをごちそうしてくれた。
呂さんも家を見に来い、待っているといっていたが、2度目は連絡とらず。
9時にグザビエの家に戻り、ワインと鱈のムニエルなどをよばれる。ウィーンの北沢猛君&根本さんよりtel。
ベルリン自由大学の佐伯順子さんなどメール。

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2010.5/8(土)


朝早く起きるも、2日間で1点も写真が売れてないことで値段設定を間違ったかと悩む。
昼、ファビアンヌに連れられてマルシェに。買いたい魚などいっぱいあったが、手持ちが少ないと気を臆する。
のんびりしていると、何度もギャラリーからtel。出町の河原でカイさんに撮られたことのある人がいるとか、出かけるのに留守番する人がないとか、最終的には呂さんが家のことできているとのtelで、ギャラリーに行く。村沢君もいて、パトリックも新ガールフレンドといた。
少し喋り、シャンブル・クレール(明るい部屋)に少し写真集は注文の品に比べたら足りないが、いく。残念なことに、揃ってなく、即金にならず。期待していたのに。
7時に呂さんの待つギャラリーへ。
あれこれ喋り、バスティーユの元スクワットのコンミューン(?)に行って、トマトスープ、ワイン、チーズを呂さんにごちそうになる。呂さんの家は結局見ずじまい。
10:00すぎ、雨の中、歩いてヴォルテールまで戻る。昔のフランスの雨は、霧雨みたいで、濡れなかったと呂さんがいう。
疲れて、2時に寝る。

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2010.5/7(金)


朝は定番のコーヒー、バゲット、チーズ、ジャム。
昼から、アパートの前のアルジェリア人のたまり場で、グザビエとファビアンヌにクスクスをごちそうしてもらう。ポトフとテールスープを足したようなもので、この2パーツを片栗粉をバターで炒めたものの上にのせ、この粉をまめして食う。ぼくひとり、2人前食う。ここの客がサイコロのゲームを教えようとするが、言葉が通じず、わからない。サッちゃんも挑戦するが、言葉がわかってもルールを理解できない。この店は2回目だが、やたら、ハリウッド映画のポスター(?)の切り抜きが貼りめぐらされ、おもしろい内装になっている。
こういう家族的な店にくると、ほんやら洞でも八文字屋でも一店、全力で守り抜くことが、文化活動だよなと思い、内心、じくじたるものがないわけではないが、ぼくの場合、おまけに写真にまで手を出している。そして、そのすべてが危機の中にある。来し方に思いを巡らさざるを得ない。しかも、逆算を高速コンピューターでやらねば、パリにきて、パリのなかの日本人からだけ喝采をあび、やに下がっているわけにはいかない。西川も孤軍奮闘ガンバッテイル、また、非常にきびしいポジションにいるのだろうが、ぼくがパリにいて、心しなければいけない2、3のことはちゃんと肝に銘じて動くつもりだ。
まず、旅費、滞在費、作品、写真集などの輸送費はまだ、どこからも出ていない。しかも、今月中に、ポスター、DM、紙袋の印刷代、プラス、デザイン料しめて82万円支払わなければならないし、また、京都の二つの店の家賃+吉田の家賃、不足分130万円が必要だ。いまのところ、入る見込みの金は23万円のみ。
ひとつの店をやり、写真を撮り続けられるということは、こういうこともクリアした上でのことだ。多分(98%くらいの確率で)、6月京都に帰り、7月には〈八〉を閉店することになる。
こういう状況下でも、西川のギャラリーに誠実に対応するには、〈ほ〉から写真集「Streets of Kyoto」50部、京都の町で自分の写真集「京都の子どもたち」「Beautiful Women in Kyoto」「路地裏の京都」を買い占めて、自費でパリまで送る必要がある。SAL便で輸送費代だけでも数万、EMSだったら10万円以上かかる。
ぼくの滞在費は、多分、あと一週間くらいで底をつく。それでも、オランダ、スイス、アイルランドには行くつもりだ。
クスクスの後は、サン・ジェルマン・デプレで、ナディアと待ち合わせて、ドアノーやカルティエ・ブレッソンが出入りしていた瀟酒な本屋さんに向かう。
誰に似ているのか思い出せない。柔和な表情の店主が「夢の抜け口」「インドちょっと見ただけ」「Streets of Kyoto」「京都の子どもたち」「出町転々八文字屋有情」それぞれ欲しい部数をいい、キャッシュで買う。手元にも、ギャラリーにもない部数をいう。
キャッシュときいただけでうれしくなったが、各写真集がちゃんと近日中に手元に届くかどうかが心配になった。三月書房のおじさんに似ているかもしれない。いや、もっと似た人がいると思いながらもう一軒本屋にいき、市内観光をする。
ナディアが、あれこれ説明してくれているが、片耳がきこえず、チンプンカンプン。アレクサンドル3世の銅像がなぜあるのか、きき忘れる。
散歩中に西川さんからtel、フジさんがきていて、昨日こなかったので、その埋め合わせで、どこかで飲もうと誘ってくれるが、疲れているので断る。部屋に戻ってまたワイン。2000〜3000人のローラー部隊を撮ろうと追ったが、間に合わず。
〈ほ〉ナミちゃんにtelするが、通じず。ルパンにtel。金たまらんわァーという。姉にtelすると、毎日telがあったのに、急にtelがなくなったので、拍子抜けするわァ。ほんとうだったら、〈八〉か〈ほ〉に手伝いに行くべきだが、倒れたりして逆に迷惑をかけることになるかもしれないので、ご免と。

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2010.5/6(木)


ぼくらをアパートまで車で送った後も、西川氏は京都とコンタクトをとりつづけた。
朝、西川氏よりtel。華道の家元の池坊美佳さんと京都府知事、中信の布垣理事長からのメッセージをとりつけるのに成功した。とにかく、はやくきてくれ、と。西川氏のオープニング・パーティの枠づくりにかける執念は見事。
サッちゃんも疲れきっているが、ギャラリー・グランエターナに急行。
西川氏はパナソニックに行ったり、パーティのための買い出しに大わらわ。
本の値段、作品の値段を書いたリストづくりと作品に番号をふる作業でエリックは忙しい。彼は来週、奥さんの実家・高知まで結婚報告にいくという。
午後、アランが夕べ鉱造さんがもっていた額10点、マットを切ってきちんと額装して持参。鉛筆までもってきて、ここにタイトルとサインを入れろと指示までしてくれる。朝までかかったという。あとで、妹さん(八文字屋に一度来店)がやってきて、裏張りをきちんとやってくれる。彼女の息子もぼくの写真が好きだという。鉱造さんも彼の額にちゃんと入るように少しトリミングして持ってきて、1F部分の飾り付けの監督をやってくれる。
アランと鉱造さんのおかげで、やっと展覧会もみっともなくならずにやれることになった。ぼく自身も額に対する観念が少し変わったかな。
今日は、もうひとり助っ人に中国人のラファエルがきたが、これがとても可愛い愛敬のある少年だった。じーっと見つめていて、視線を彼の方にやるとにこっと笑った。ゲイでもないのかもしれないが、人に対する眼差しがよかった。
ヴェルニサージュ開始の6時にむかって、陸続とお客がやってきた。
グザビエもラメットさんも早めにやってきて、昨日の前半の作業を知っていたので、喜んでくれた。
杉村昌昭さんの知人の絵描きの萬代さんもはやかった。
オープン1h前には、1Fの会場は、人いきれでムンムンするほどになっていた。
前日から到着していた宝酒造の鏡割りの樽も地下におろした。1FのYouTubeやNHK Worldのニュースも流すも流すためにパナソニックから借りてきた、やや大きめのスクリーンも、立錐の余地がないくらいの人出になり、まったく機能しなくなった。
パリ公使や大使館の一等書記官、日銀の支店長、JALの支店長などが揃った段階でオープン。
ぼくは、おととい、「京都美術文化賞受賞海外巡回・パリ展」開催にあたってという一文をボードにはるために書いたが、収まりが悪く、また、その趣旨を喋るのも堅いので、喋り言葉に書き直していたが、長くなりすぎ、スピーチの草稿のどちらもこの会場の雰囲気になじまないと思って、スピーチ内容をごくごく簡略にした。ドアノーやブレッソン、ブラッサイに親しんできたが、この彼らが活躍したパリで個展を実現させることができてうれしい。これは、パリの市民たちが呼んでくれたのだと喋っているうちに感極まって、涙ぐんで、一旦、大使にスピーチを譲ってあとでそのつづきをやった。
お客は、ジェロームのお母さん、パトリック、コリーヌ、ナディア、大栗めぐみさん、ラメットの弟、デカジェローム、ギラン・ドゥ・ランクサン、カノウ姉妹など顔見知りはごく一部。それでも、ナディアやラメットさんの知人らも多く来てくれているのは、よくわかった。「Ovni」の君代さんも、オヴニを持って一度、エスパス・ジャポンにこいといいにくる。今度の土曜日は、山海塾のダレソレがくるともいう。
昨日、いきなり、留守番電話を入れたのは、ルフェーブル・ケンジさんだったが、きてくれたのは、キヨシさん、早苗さんで、自分らの住んでいる地区はおもしろいので週末にこいといってくれる。
西川氏は、コリーヌ・アトランの通訳で、電報をたくさん読み上げた。コリーヌがあきれるほど。京都府知事、市長、中信理事長、池坊美佳さんなど。徳永恂さん、小岸昭さんのメッセージも。
ぼくのスピーチの様子をアランがずっとムービーに収めていた。目前にグザビエが陣取り、いちいち拍手をする。一番後ろの明るいスポットのあった所には、やや肥ったフランソアがニコニコ笑っている。ナディアも前の方で囃し立てる。小川公使がぼくの写真をほめたたえる文言を口にすると、グザビエ、ナディアが「ブラボー!」と口にする。さらに、グザビエが「カイさん、すごい!サチコちゃんもすごい!」と快哉の声を上げる。一等書記官のピアノ演奏には、絵描きの萬代さんが、「ヨオー、宮本武蔵!」とやじりたおす。ギャラリーに換気扇はないのか、人いきれでムンムンして暑苦しい。予想以上に集まったのだろうか、ドリンクも食料もほとんど回ってこない。それは、300人になんなんとする人間に対応するのは、ほんの数人で、他の催し物のメンバーにも気をつかっているのだから。
ぼくが、ちゃんと喋ったのは誰だったか。ギラン・ドゥ・ランクサンは、暇になったらカントリーサイドの家に招待するという。アラン・ラメットさんの弟さんは、近々、ディナーをしようといいながら、多分、今日のパーティーでは一番ワインを呑んでいた。
近藤薫さんは30年以上前の知人というので、さがしたが、来ていたのに捜し出せず。
写真に対する賞賛の声は多くきいたが、商談は全く成立せず、空しい。
去年、バライタのプリントがほしいといっていた怪しい雰囲気の美術商もきて、同じことをいう。近々みせるという。杉村さんの知人の医師、呂さんに会う。もっとはやく言ってくれたら、アパートがあったのに、アパートさがしの女性にいまは貸しているとか。
11時すぎても酒宴は続いていたが、グザビエ、ファビエンヌとアパートに戻る。アパートでは、うとうとしながら、ワインを飲む。空腹を満たすためにバゲットとチーズをがっつく。

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2010.5/5(水)


ファビアンヌの誕生日。
エマニュエル・ギベールは6/3のヴェルニサージュには出席できないかもと。
「Ovni」に案内記事でる。パリのギャラリー案内のパンフにも。
夕べ、3:40就寝。
8:00起床。
昼前にグザビエ、ファビアンヌらとカフェへ。
アラン・ラメットさん、飾り付け手伝ってくれるが、ポリウレタンのボードの上にボードパネルを貼るというやり方は、手間のわりにはあまりにもチャチだという意見で一致した。折よく、イタリアから帰ってきたばかりの矢野鉱造さんからtelがあり、事情を喋る。数点分の額ならば、自分が持っているので、とにかく、見に行くといってとんできてくれる。
そこから、京都でも八文字屋でRIKIZOの襖絵がらみで2回会って、杉本秀太郎さんのアップ写真を十数枚、彼にプレゼントした記憶のあるアランにtelしてくれる。当初は、フィリップとアランを混同していた。アランが額装のマットを切るのを快諾してくれたとのことで、ホッとする。西川氏と矢野さんは初対面で、ギクシャクしていたが、とにかく、矢野さんに協力してもらうことにした。
昼、数時間かけてラメットさんのやった仕事をご破算にして、方針変換。ひとつの壁面にコラージュすることで、今日の仕事を終える。
展示作業と同時に、徳永恂さん、小岸昭さん、茂山童司などにtelし、ヴェルニサージュむけの挨拶文をもらうことにOKをとりつける。詩人のchoriにもtelしたが、つかまらず。磯崎新氏も同様。
グザビエのアパートに戻ったときは4:10。

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2010.5/4(火)


8:30起床。布団の中でゴロゴロする。
10:30、ファビアンヌに案内されて、ヴォルテールの駅付近を散歩。
アラン、オスカー・ワイルド、ジミー・モリソンなどの墓のある公園の存在も知る。ノキア用にプリペイド・カードを買う。プリペード25ユーロ。SIMカード15ユーロ(2人分)。
西川が迎えに来たのは12:30。
今日は、額を使わないかわりに、パネル貼りをするので、その買い出しという。
韓国の女性とフジさんと待ち合わせ。その前に、市中を車で案内してくれる。車の天井を開けて、そこから首を出して、随分撮る。
結局、ボード買いと定規、カッター買いに10万円近くかかる。
アランさん、グザヴィエ、ファビアンヌを呼び出して作業。
しかし、その前に腹をすかせて、まず、食って、飲み会。
昼、パン代9ユーロ未満。メトロ代10ユーロ(回数券)。
戻ってワインを飲んで寝る。
ジュネーブのサンドラよりメール。5/27-6/4の間か、6/10-14の間は、家のゲストルームがあいていると。6/10以降ならサンドラの映画をジュネーブでみれるとも。
ノキアの携帯のナンバー決まる。0033-(0)6-87-68-06-66。

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2010.5/3(月)


寝ないまま、チャリで〈ほ〉へ。外気は冷たい。
マーカーで手の平にパスポートとあり、まず、所定の場のポーチを捜すもない。Bkカードなどをナミちゃんに託したのでバッグごと持ち帰ったらしい。慌ててサッちゃんにtelしてナミちゃんにtelしてもらう。ナミちゃんの家わかるの?起きなかったらどうするつもりなの?と言われて「行かないだけよ」と嘨く。
幸い、ナミちゃんは起きてくれ、チャリをとばして、眠け眼できてくれる。
「何かあると思っていたが、やっぱりあった!」と笑う。2階片付け、手伝いましょうかといってくれるが、勿論戻ってもらう。
5:29、MKくる。パン、コーヒー食すヒマなし。オレンジかじるのみ。
5:55、大宮十条のMKのターミナル集合。
伊丹から成田へ。スカンジナビア航空11:40成田発。成田ではSushi470円とtelのみ。ユーロは128.53円。2人共2万円両替。
手荷物と預け荷物の分類もせず、カルトンバッグがガバッと開くのでは、という不安を抱えたまま、預ける。3日間、ほとんど眠ってないので、本を読む元気がないのを見越して、岸本佐和子の軽いエッセイ集の文庫をもつのみ。機内に原稿用紙もペンも持ち込まない。結果、フランス語を少し勉強するにとどまる。赤ワインを呑んで眠りこけるつもりが同行者に反対され、一滴も呑まず機内ではボーッとした頭を抱え、同行者の足の腹のマッサージに打ち興じるのみ。
コペンハーゲンには予定よりも30分はやく着く。
ハーゲンのターミナルはカラフルでお洒落。少しシャッターをきる。カメラを持っていると、じっと見つめる可愛い少女を撮る。ASA 100なのでどうか。
シャルル・ド・ゴール空港には、西川氏がベンツで迎えに来るとのメールあり。預けた荷物がなかなか出てこず。空港もあとで、ホテルまで届けますといった途端に出てきて、ホッとする。
全く歳をとってない西川氏、連日激務のようだが、京都市長からの電報の件、二階EU大使からのメールのこと、JALが、もう少し早ければCargo Freeにしたことなど喋る。
今晩、ワイン・パーティーに呼ばれているとも。
高速道路から、グザヴィエ、ラメットさん、フランソアにtel。
コンコルド広場など、木村伊兵衛が50年代撮った写真集「パリ」でみた懐かしい光景が、次々と目にとびこんでくる。
また、出直す機会があるかどうか。
グザヴィエ&ファビアンヌのアパートは5Fといっても、日本風にいえば、1Fを、パリでは0階という。そこを、40kg以上の荷を肩にかけて登ると息があがった。年をとった。
2人の部屋では、ナディアが待っていた。
西川も加わり、深夜の酒宴となった。
ナディアはレーズンをふんだんにまみしたスウィーツを持参していた。あとは、グザヴィエ家のチーズ、パンetcのふるまい。
寝る前にチザンヌをよばれる。

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2010.5/2(日)


出発前日なのに、ものが手につかず。
金がなさすぎる。〈八〉バイト全員のtelをひとつのノートに記すことすらままならず。まったくの新ボランティアのために氷代、付出代各500円とも書き残さず。辛うじてボトル代のみ。善意の客に頼るのみ。
とにかく、出発することに集中。いろいろ考えたら、残務にからめられる。金は全くないのだから。チケット(航空券)あるのみ。
全紙を入れるバッグを買いにいったら、残金18,000円。
新福菜館で、サッちゃんとラーメンを食って、ユーロ両替のチャンスがないのに気づき、シルヴァンの家に走る。
〈ほ〉は伊藤徹さん夫妻、ナミちゃんにまかせっぱなし。
カルドネル家には、エリック、マルタン、文春の曽我なみこさん、何度か会ったフランス人が集まって、シルヴァンの豚肉とジャガイモの料理をつつきながらの宴会がはじまろうとしており、〈ほ〉にいるサッちゃんも呼ぶ。
〈八〉到着と同時に動向を案じるアサリちゃん、温ちゃん来店。アサリちゃんにバイト代必要だけど、次のバイトの売上からよろしくという。
もう少し、客があったらと思うが、ままならず。アサリちゃんが、SOSのポスターにBKの口座を書く。脇にカイS(そうとう)お金(O)しんどい(S)と書く。チーちゃんが相当心配しており、助っ人に馳せ参じるとか。そのうち朴ちゃんのtelがありくる。桑原さんも夕方、〈ほ〉で会えなかったので、もう一度顔を見に来てくれる。
草津の和尚、慶応の同級生と同窓会がえりに顔を出す。
ここに、東海村原子力研究所に勤務当時、初任給をカンパしてくれたS氏来店。今日、〈八〉にいかねば会えないと鎌倉から餞別2万円と思って出たが、途中で半分呑んだとかいう。十数年ぶりの仲間の来訪。新栄圭ちゃんの母、ティルがきて、2:00閉店。
松屋でトマトカレー(290円)頬張り、吉田へ。
4時まで、少し片付けができただけで、持参予定のキャビネ出てこず。
カルトンバッグ相当大きい。

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2010.5/1(土)


昼開けるのがやっと。野菜カレーつくる。
片付け遅々として進まず。
いつもニコやかで元気な伊藤徹さん、奥さんとくる。2人でおそろいのチャリを借りていた。ぼくとサッちゃんのチャリがあって、ぼくらのチャリが、逆に邪魔になるカッコウ。
まだフィルムを買う余裕もサッちゃんにプリント代も出せない。
本を送る。宅急便で送ろうとしたら、34,000円というので、郵便局へ行くと18,000円で済んでホッとした。
夜、高松樹ちゃんが、構造のスペシャリストばかりつれてくる。旦那の古関さんも。

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