ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 6月

2010.6/30(水)


もう月末だ。
サッちゃんは、明日から10日間、イギリス。
バッグ代未入金なのでA氏にtel。手続きは済んでいるので、早急に入金させると。夏木マリがA氏と仲がいいといっていたのを確認。

For GAZA vol.3
7/24@木屋町UrBANGUILD
Adv. & Student 1,500円 / Door 1,800円 includes 1Drink
Open 18:30 / Start 19:00

というチャリティーコンサートがあって、Ryotaro & 黒子沙菜恵もパフォーマー。の、フライヤーくる。
ミルトン小倉から「しばらく〈八〉に行けてないので」といって、カンパが届く。ありがたい。ほんとに助かる。
こういう人たちが一定程度あつまれば、〈ほ〉は、こういう人たちにまかせてしまってもいい、と最近は思っている。
日本ペンクラブから督促状くる。この会には一度も出席していない。金ができたら、会費を入れるつもり。
カリフォルニアからベジタリアン・カップルがくる。野菜カレーしかないといったら帰る。
夏は、こういう客のために、ざるソバとかトコロテンを用意していてもいいかも。
土・日の朝からのバイト、金・土の夜、おそくまでのバイト募集のポスター出す。
ま、ルパンが祇園祭おわってから、〈ほ〉で深夜営業をやろうかとは言ってくれているが。

武市さんに鴨川で声をかけられたという7/16に東山青少年センターでパフォーマンスをやるという岡山出身の女性来店。カレー、おいしいという。
「セイカノート」(005)くる。
月末なので、あっちこっちからtel。

パリでは駆け足で、ほとんどかまえずに撮りまくって戻って、オレは京都で何を撮ろうとしてきたのか、とフト考える。パリはもっとテイネイに撮ればよかったとも。
エマニュエルの『パリの舗道』を一頁々々めくりながら、それぞれに対応、キッコウする写真をオレは撮れているか、とも。

夕方、ヨ氏とタカちゃん来〈ほ〉。久しぶり歓談。赤ん坊が異常(!?)に大きいとのこと。
〈八〉もいまいち。〈八〉が〈ほ〉を支えきれなかったら、〈ほ〉をやはり閉じるしかない。
おんちゃん、たけぼう、オイタ、シカさん、黒沢さん、福田さんのみ。たけぼうはショパンと同じ誕生日という。
〈八〉のtelは止まったまま。もう2日telなしで、しんぼう。

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2010.6/29(火)


元気でず。
12月までに後継者が出てこなければ、〈ほ〉やはり閉じよう。
片付けが大変だけど、これじゃ、写真ととりくめない。
午前中にカレーをつくり、納得する味。糺の森散歩。ボール&チェーンに1年半ぶりによる。
土曜だったか、日曜だったか、マフィアのマキちゃんに会ったのは・・・と思っているとボスからtel。清水寺OKとのこと。
JSBにtelしようと思ったが、ノートを〈八)に忘れ、昨日、ミマキさんが名刺くれなかったのに気づく。
ドリンク客5人あり。
中信の美術館から7/6~8/7の日本画・洋画展示会の案内あり。
夕方、ガケ書房で、ジョニー・ミッチェルのインタビュー集『ブルー』(2,200円)めくる。大分にはあるはずの司馬の『オランダ紀行』(700円)また買う。
恵文社では四方田の『女神の移護(作品社)』たちよみ。大半はよんでいるが、欲しい本。
金なし。
〈ハリーナ〉によろうとしたが、閉まっていた。下鴨貴船町の国男さんの家を捜すも発見できず。近所の人にたずね相当執拗に捜したのだが。
〈八〉夜、予想通り、サッカーで暇。オイタさん、ルパン、江藤加奈ちゃんのみ。
前半がおわったところで帰宅。
サッちゃんよりtel。「ラ・コミューン」での個展の写真をグラン・エターナに持ってきて、8月、これをグラン・エターナに掛けてほしいとの西川氏の意向だが、そうしていいかと。その代わり、他のプリントをグラン・エターナから早急に返却してもらうと。さらに、「シャンブル・クレール(明るい部屋)」で本の代金即金で入ったのをどうしよう?これは、サッちゃんに使ってと。
西川氏からもtel。夏木マリがショパン祭に出たいと。
グザヴィエからもtel。
この6日間、ほとんど入ってくる金がないので、どっと疲れる。
原稿にとりくむ意欲減退。

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2010.6/28(月)


朝はやく、〈ほ〉入りしてカレーを作ろうと思うが、身体、いうことをきかず。
〈八〉〈ほ〉、吉田の家賃どうしたものか。
教育委員会からもパリからも金入らず。

真剣に、〈ほ〉を引き継ぎたいという人物を捜さねば。秋からの写真展・集のためにだけでも、スタッフがもう3人必要なのに。
7月中に出てこなければ、閉じるしかない。

昼、〈ほ〉客、数人あるが、JSBに行かねばならないので、断る。

三日月書房を覗く。
〈八〉には、8:30入ると同時に、岡西さんと桑垣さん来店。桑垣さんが植物譜のようなものを書き、岡西さんが写真をとっているのを、あれば、どこかの雑誌を紹介するといっていたようだ。
いずれにせよ、その展覧会を8月〈ほ〉でやらないかという話をする。
鹿さんもくる。
12:00すぎに、誰もいなくなり、カゲロヲの店を覗いて帰る。
帰宅、3:00。

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2010.6/27(日)


早く目覚めるも動けず。
今日は、何人も客を逃がした。カレーもなかった。
留守中に手伝ってもらった直子さん、バッハ論の橋本氏同伴。〈Seeds Net 29〉をおいていく。〈八〉で橋本さんに会ったと書いているというので、そのくだりを読む。
〈薄汚い酒場で彼と出会い、彼はバッハについてしきりに語っていた〉と出ていて、なんじゃこれ!と思って、その場に冊子をおき、2人が帰ったあと、その頁をいくらさがしても、発見できず。
百万遍の吉岡で仏和と和仏辞典物色。8月の下鴨の古本市まで待つべきか。

この4日間の、この売上では、また月末、いきなりピンチ。
〈ほ〉後継者なければ、やはり、10月には閉じなければ、ひどい借金を背負うことになる。やはり、店をやっている時間はない。本気で2、3年やったろうという人はいませんか。
一昨日は、〈八〉に、今日は〈ほ〉にサッちゃんからtel。画商の取り分、50%で契約をしていいかと。「明るい部屋」とジョン・バチストの店にどの本を入れたか。ぼくがパリから離れ、メインの個展が終わったので、今回は書店も多く引き受けてくれなかった。
九州の姉兄にお土産の本(エマニュエルの『パリの舗石』)を送る。
サッちゃんによる〈カイ・インタヴュー〉30部コピーする。
昨日、両ジュンク堂の『夢の抜け口』在庫チェック。BALは13部、四条6部だった。

以前の姉だったら、telしたら、だらだらいくらでも喋っていたが、最近は、何か用?という、そんなカンジ。もしや体力が衰えているかも。
今日までは蓑虫のように動いていたけど、明日からは、殻をつけてカタツムリみたいに歩かねばという。

三条ミンミンでジンギスカン、ライス、焼きソバ、しめて1350円。
夜中、朴ちゃんよりtel「夜2時telしないでね。7/4の試験が終わるまで」という。
今夜は、坊主かと思っていたら、深夜、松ちゃんが顔を出し、さらにぎおんの女将が客を連れてくる。3時閉店。

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2010.6/26(土)


ギャラリー・ヒルゲート、ナニワ、ギャラリー・ぎおん小西、ジャファロ、BAL、四条のジュンクと回る。
加藤典洋の「文学界」の『1Q84 Book3』徹底分析特集の「約束は果たされた」を読む。
ぼくはハルキのいい読者ではないが、この一文は得心いく。
〈八〉襟ちゃんバイト。
開店以来、土曜としては最低の売上。
パリの西川氏に手紙書く。メールだが、明日中に読み、ちゃんと動いてくれればいいが。
客、棟梁&吉水の彼、奈良井さん、琢ちゃんのみ。
3時まで。雨の中、松屋で山かけをくって帰る。
ウルグアイvs USAのサッカー、TVで。

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2010.6/25(金)


JSBのミマキさんにtelするも、つかまらず、マフィアの岩田さんにtel。火曜ならつかまると。清水寺でのショパン生誕200年祭の可能性の打診の件。
昨日あたりから、右脇腹が痛い。パリに行く前もそうだったが、パリではなんともなかったのに。心配。
東京展で、脚力が異常に弱っているのに気づく。パリでは、脚をいじめ抜くくらい、毎日20キロの荷を背負って歩き回った。少し回復の兆しはあるが、もう年だ。
昨日、清水正夫さんから、入れ歯にしないと健康にわるいよといわれる。
パリから戻って、髪がまっ白なのにびっくり。
〈八〉にはやく行くつもりが、トガシがきて、1h足止め。彼、変わらず。
〈八〉バイト嬢、吉田中大路36に引っ越したという。
客、ボチボチ。田中聡の部下だった女性、旦那とくる。〈月の出〉客らしく、『道草の景色』の表紙写真、いいですねという。俳句をつくっており、奈良の友人が石川夏生さんの写真集を出版しているという。
ジュンク堂の椿さん、大槻さんら来店。東京の博報堂の同大出身の青年は美女写真集を買ってくれる。徳さんも。深夜、五郎さん抜きで、永澄氏きて、新里ちゃんを呼び出す。千秋ちゃんはおみやげをとりにきて、最近、胃を摘出した樽家さん&彼の娘の旦那の弟に合コンを約束させられる。樽家さん、小山幸容さんのグラン・エターナ展の件も喋る。彼女に〈八〉に行けといったと。RSTの天野さん、烏丸高辻の新・彌光庵で7/1~7/31、ネコの写真展をやってくれという。当方にどんなメリットがあるのか審らかにせず。鈴木マサホと一緒のただの利用主義じゃないのか。ぼくは、そういうことに付き合っている余裕がないのは理解されているのだろうか。
夜中、高山先生、ダンス帰りに来店。「ショパン200年祭」の話をすると、これくらい京都ができないとしたら京都の恥だと喝破。ミキハウス客の章ちゃん、立誠校出身の大西さんをつれて、和服ママくる。
章ちゃん、チャンマキにも会いたいという。「ショパン生誕200年祭」(二条城予定?)でピアノを弾かないか、杉本秀太郎さんには断られたけど・・・」と誘うと「ヨッシャ、杉本さんが断ったのを、井上がひき受けたというストーリーでいこうか。毒食わば、皿までだ」といって喜ぶ。
閉店、4時。

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2010.6/24(木)


1:00すぎ、やっと起床。
快晴。戻る前の一週間は、暑かったり、雨だったりで不快だったが、今日は晴れ上がる。
はやく起きて、ランチと野菜カレーと思ったが、不覚、JSB、中信にもtelできず。
留守中に恵送されていた本。
・木村聖哉『我は何の木』(私家版)
・天野元『ゴールドラッシュの恋人たち―西部開拓年代誌I』(編集工房ノア)
・秦恒平『湖(うみ)の本―私―随筆で書いた私小説-』(通刊103号)
・『海鳴り(22)』(編集工房ノア)
・『はなかみ通信―其の二十九通』
他に、共同通信の清水正夫さんより掲載紙。

人文研アカデミー(連続セミナー)で今日、久保昭博さんの「あなたはどこ?私はだれ?―歌謡曲のフィクション論に向けて」があるが、生憎、行けない。
HATAO、清水正夫、中村勝さんにtel。杉本さん、民輪さんは、磯崎さんとともにソウルという。
グラフィックの日野さん、パリ展用のDM、バッグ、ポスター代の請求書を持ってくる。
〈ほ〉の方向(経営)転換および写真の現像・プリント体制(メンバー増強)づくりについては少しずつ書くつもりだ。
11月中旬に、もう一度、アヴィニヨン付近の市の写真展にもう一度かける予定だったり、パリ周辺で撮影したフィルム200本の現像も9月初めに終わりたい。
現像をちゃんとできる経験者、プリントのボランティアを捜すのは急務だし、〈ほ〉を夜の店にするか、料理の店にするか、それもこれから加入するメンバー次第。料理の店にするにせよ、酒の店にするにせよ、平均一日5万円以上の売り上げを可能にする(5、6年前までは、平均7~8万円の売り上げだった)助っ人、ないしは将来はこの店の経営者になる人物は1年くらいかけて発掘する予定。ぼく自身は、来年のポンピドゥー展、再来年のシーボルトハウス展を軸にして、ヨーロッパの出版社で写真集などを出すために動くつもりだ。
姉にtel。姉はtelを止められており、もう一人の姉から持たされているケータイで喋る。毎日、畑仕事に明け暮れ、果物のジュースをつくったりしている。パリ展のオープニング・パーティのYOUTUBE、姉は見ていず、見た娘と弟の感想を教えてくれる。娘(ミニちゃん)は、あれは、よくない。おじちゃんらしくない。着ている服もそれらしい服を着せられていてスカン。あれはサッちゃんの感覚やろ(実は、この服イッセイ・ミヤケ。14年前の『笑う鴨川』の出版記念パーティ用にAが買ってくれたもの)。それよりももうひとつのYOUTUBEの方がおっちゃんらしいとパリ展パーティの動画を一刀両断。透視力がある(?)のも困りもの。兄は、「例によって、フサヨシのは、よくわからん」といった。多分、嫉妬からやろと姉は笑う。
tel中に杉本秀太郎さん来店。糖尿でドクターストップがかかっているとかで一杯でのむ。パリ展のことを心配してくれる。パリの日本文化会館、高階さんが力をもっているのなら、高階さんに頼んだらいいといってくれる。磯崎さんと韓国にいくはずも、磯崎さんの体調不良で、氏はとりやめになった由。
小澤明子さん、フミ君がきて『夢の抜け口』を買ってくれる。2人でサイン。
そこへ、最近、クロネコヤマトで働き始めたタケボーくる。河原町丸太町の「国田」の上に住んでいる。
杉本さんが、珍しくはやく、近々、民輪さんとくると思うわといって帰って、入れ代わりに、シルヴァンが京大のエリック先生、先日、(パリ出発前夜、シルヴァンの家で)会った文春の編集者同伴だった高野山がらみのやはり、フランス美男を連れてくる。シルヴァンには、この間、お世話になりっぱなしだったので、連れを含めて、ごちそうする。
やがて、高取さんがきて、守秘義務の話をし、そこへ、錦麩屋の「晴」でのライブ帰りの中川五郎が、EMER、元アバンギルドの厨房(?)の男、父がタカラブネで有馬敲の配下だったという女性、「晴」のママとともにくる。EMERは京芸大時代から〈八〉にきたかったという、オランダ在住のアーティスト、渡辺睦子さんの親友。7/8は、アバンギルドに出演。中川五郎は、明日、拾得での藤村さん追悼ライブの帰りにまた寄るという。7/17か18には、ハリーナという。タケボーは帰ろうとしていたのに、元アバンギルドの彼がきたので、しばらく居座る。高取さんと喋っていて、何気なく、シルヴァンを紹介したところ、前にシルヴァンから高取さんにアプローチしたが、会えないままになっていたときく。「家畜人ヤプー」の舞台がらみの話だった。〈迦陵頻〉の片山氏よりtel。辻さんよりtel受けた旨。
皆が帰った後、〈ろくでなし〉、そこには高取さんがいて、荒川洋治が死んだときかされていたが、それは荒川修作のまちがいだったと教えられる。高取さんは6/1から禁煙になった(厚労省の通達とかで)といわれ、もうフランソアには行かないという。店にもそういったらしい。
昨日、今年の3~4月滋賀近代美術館で回顧展をやったガリヴァー・修三・安土が久しぶりに来たのを思い出す。『夢の抜け口』を買ってくれる。
かえり、松屋でカレーを食ってかえり、朝まで、デンマーク vs JAPANをみてしまう。

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2010.6/23(水)


飛行機では一睡もできず。
9:10成田着。10:10のリムジンで品川プリンスホテル前まで3000円。民輪さんにtelするも出ず、京都に戻る。2:30着。タクシーで遠回りされかかる。不景気な人だ。
50日ぶりの〈ほ〉、ルパンとナミちゃんが店番してくれていた。
杉本さん、兄、姉、日向太、岩本氏、森氏にtel。チャリのチェーンが外れており、800円。家に戻らず、BKに行き、一品つくり〈八〉へ。
久しぶりの〈八〉一瞬くさかったが、すぐなれる。大扇風機が壊れていた。バイトは浅利ちゃん。チーちゃん、オンちゃんがいず、淋しかった。
カウンターには、太マジックで「大好き ティル」と落書ある。
在田氏にtel。ショパン生誕200年祭の件、喋る。会場として二条城はどうかと言ってくれる。堀川高のホールもいいのができたので、付随イベントで使ってほしいと。
やがて、読売TVの彼、ルパン、おイタさん、西村さん、おっちゃん、チョン君、亮太郎がくる。3時前に亮太郎が帰ったので京楽にいく。値段が高くなっている。1200円。
戻ると、Mさん、ミキちゃんがいて、4時すぎまで、大豊ラーメンを食って帰る。
吉田の家の階段の電気はつきっぱなしで、居間の電球は切れていた。
ぼくが出る前よりキレイになっていた。
久しぶりにぐっすり眠る。

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2010.6/22(火)


グザヴィエが見送りにくるというまでは、シャトルバスで、シャルル・ド・ゴール空港に行くつもりだ。でないと、どんな危険が待ち受けているかもしれない地域を通過する―――あまり報道されてないが、よく、女の子が衆人を環視のなかで強姦されたり、顔を十数ヶ所刺されて死んだりする事件が起こっており、自分の彼女には電車では絶対いかせない―――と西川が強調するし、帰りは少なくともサッちゃんには、シャトルバスで戻ってもらうつもりだった。
グザヴィエが、お土産にといって、今朝の1面から4面まで文字もすべてKarl Lagerfeld特集(そのあとのページも全て彼のイラスト入り)を手渡しながら、言った。今朝のラジオで交通事故があり、シャトルバスは全線通行止だったよ。おとといまでは、バスの予定だったので、そのままだったら、今日は飛行機に乗れず、さらに飛行機のチケット代が必要で、危なかった。
空港には、北駅7:50に待ち合わせて、十分な余裕を持って到着。
サッちゃんには、グラン・エターナに対する姿勢のみを喋り、エスパソ・ジャポンの予約は念を押し忘れた。
それにしてもというか、いくら、社内的にパリ・ギャラリーの立場が危ないからといって、他人を巻き込み、他人の金とエネルギーのかかった仕事にパリ店で一銭も金を支払わないのは、非道すぎる。
今回の最大の収穫は、実にいい人たち、それも信じられないほど多くの人達に支えられたという事実だ。金銭的には大幅に足を出したが、今後につながる足の出し方だった。グラン・エターナですら、今後につながるといえる。
コペンハーゲンでオーレとクロワッサン、オレンジジュースを買い、おつりはデンマーク・マネーになるといわれ、びっくり。ここはEU圏でなかったのだ。
支えてくれた面々のそれぞれの顔を思い出して、いい写真は撮れたか、彼らを文字で表現するには彼らの何についてを知らないかなど、つらつら考えながら、機内で居眠りを続ける。

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2010.6/21(月)


朝からやることが多いのに、遅々として仕事ははかどらず。
コリッシモを発送。
12:20、グランエターナに着く。
2:00、ショパン生誕200年祭の記念イベントの打ち合わせ会議がある。少しだけ参加。西川はこれの役員になれという。
1:00すぎ、ギランから、気をつけてかえれとtelあり。
昨日のアラン、エマニュエル、イザベルとの話題。
九条山人脈がおもしろいで、そろって、共同展はどうだとラメットさんにいうと、今年、九条山の人選をする、アソシエーションのトップがかわるので、その人物に提言できるかもしれないと彼の返答。
エマニュエルが、カイの写真はやがて、400万コマになる。これは富士山の3774をこえる富士山写真だ。
カイの富士山写真に乾杯といいはじめる。これは俗っぽいが、ひょっとしたら、おもしろいネーミングかもしれない。
3:00、矢野さんに額かえし、マリーへのプロも託す。
8:45に佐枝、ユズ、フェリックス、ルーちゃん、ナディア、ファビエンヌ&グザヴィエと食事(イタリアン)、パリの「八文字屋」にナディアと行き、街角の音楽祭のシーンも少し撮る。
昨日、ファビエンヌがパリ11区の写真集をくれたが、その中に登場のヒゲのヴァイオリン作りのおじいちゃんが、あの、ジャポネの写真家はもう帰ったのか、今度来たら、オレのヴァイオリン作りの工程を撮らせてやるといったという。

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2010.6/20(日)


搬出日。パリも残すは今日、明日のみ。
9時ギャラリーに行くも、30分待つ。
片付けに、数時間かかる。
搬出後、運送費もギャラリー(JSBパリ)は出さないので、京都の本社にかけあうしかない。DM、ポスター、バッグ、旅費も一切アウト。
にもかかわらず、今回の個展を可能としたのには、ヴィラ九条山人脈の力が関って大であった。
2時すぎにグザヴィエのアパートに行き、クリストフのブティック・ギャラリー(?)に行く。
グザヴィエは、クリストフには小さいプリントのプレゼントでOKとなったというが、結局そうならず。
Kumi Soloさんとやらは、6時にくる。決して上手いとはいえなかった。CDをくれる。
6時までは、どうなることやらと思っていたが、あっという間に、ヴィラ九条山関係の面々が集合した。
途中、辻さんから今日、ウチに食事に来ないかといってくれたが、今日は、7時以降もナディアのお母さんが食事に招くということになり、先約の呂さんはだいぶおそい時間になる。
呉昊さんもtelをくれ、明日からドイツなので、今回はもうパリでは会えないのだという。
コリーヌも3日間だけパリに戻って来て、今日なら行けるという。エマニュエルもくることになっているというと、喜ぶ。やがて、ヴァレリー、レティシア、ジェロームの母&BF、アラン、フランソア&お嬢さん、エマニュエルもきて、会場の賑わいはピークに達する。写真的には碌なものは撮れず。
おわったあと、クリストフが、やはり、大きいプリントをくれといって、結局あげる。
8時すぎにおわり、ファビエンヌ&グザヴィエ、ナディアとともにドメニルの隣の町のナディアのお母さんのアパートに行く。17才のネコがいて、びっくり。
呂さんの家に着いたのは、10時すぎ。辻俊子さんがいて、呂さんの奥さんは旅に出ていた。
12時半までごちそうになる。港千尋さんの奥さんと呂さんの奥さんは名が同じという話から、港大尋さんの話も出る。

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2010.6/19(土)


搬出日。
エマニュエルと4時にギャラリーで待ち合わせたが、道に迷い40分遅れる。遺産でくっているというデカ・ジェロームの奥さん、ナオコさんもかけこみできてくれる。エマニュエルも写真集を数冊買ってくれる。
そのあとエマニュエルのモンパルナスの秘密の場所へと案内してくれる。彼の友人で大変有能なグラフィック・デザイナーで最近は音楽家関係の仕事に転じたというフィリップのアトリエでは、彼がジャケットを手がけたJean-Marc Foltzの"To the Moon" をくれる。フィリップはさらに、もう2枚くれる。近辺の子どもを撮る。
Stephan OliverのChosts of Bernard Herrmann, とMatt TurnerのCello "The voices that aregone (Reg & Bill carrothers 歌とピアノ)
エマニュエルが財布を落としているとtelが入り、近美でKITANOをみる前に帰る。
時間があいたので辻哲夫さんにtelするが、つかまらず。帰りにぼくが物言いを巡って、サッちゃんと口論になりかける。

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2010.6/18(金)


ギャラリーに行き、西川氏、エリック、サッちゃんとでコルシカ料理を食べ、近くの高級ホテルのTeaを西川氏ごちそうしてくれる。
JSBの現状をとくとくときかされる。
精華大の院をうけるリュシーというリヨンの女の子がきているということで戻る。
夕方、フナック、モナリゼ書店などを覗く。2冊買う。プレヴェール、ローリー・アンダーソン。
8時、呉昊君のアパートにいきごちそうになる。カルロス以外は皆中国の女性。彼は北京展の企画をくみましょうとのこと。カードを4点くれる。

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2010.6/17(木)


12時前にグランエターナに行ったが閉まっており、仕方なくラ・コミューンに行ったら、ここも閉まっていた。
ちょうどマルシェが開かれており、30分うろつく。カメルーンの男が売る仮面はおもしろかった。
1h後に、ラ・コミューンはひらいたが、何も注文できなかった。ワインもだ。
仕方なし、レピュブリックまでいき、中華の総菜を買い、ボルテールまでいく。
脚が異常に疲れており、しばらく、グザヴィエの部屋でひっくり返る。
シネマ祭出品のグザヴィエの出品作品「しばり--ななちゃん」はアッケラカンとして笑ってしまった。でも、どこか、日本の若い女の子の生態の一端をすくいあげてもなかった。もうひとりの監督の「AKAANA」はシリアスでヘビーで形而上学的ですらあり、よくぞここまで撮ったと思う。グザヴィエの作品がおわったら帰るご婦人方の姿も2、3見受けられた。
昨日、フランソアーズ・ボッテロが、アシスタント?それだけ?という皮肉っぽい物言いが耳をついた。
今日、偶然、メトロであった女性がきて、その女性は京都の見知らぬ人から行けといってきたという。メトロのなかでじろじろみていた女性。

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2010.6/16(水)


今日はアイルランドではブルームの日。
午前中、ドメニルを散歩。ドメニルの立派な本屋発見。
KITANO(たけし)の本を一冊見つける。
その後、グランエターナに行くも開いてなかった。
仕方なく、バスティーユに向かう。
ちょうど市が開かれていた。コミューンのカトリーヌに出会す。
ガーナ人の気前のいい青年の骨董を撮る。おおむね、皆、撮影をきらう。傑作写真なし。
ひと通りみてから、ラ・コミューンにいくも、開いていず、1h待つ。
待っている間に市はおわる。カトリーヌが戻って何か食えるのかと思ったが、何も食えず。ワインも出せないといわれる。
ストラスブールで食材を買って、グザヴィエのアパートへ向かう。
千秋ちゃんがエマニュエル・ギベールのジャポネがほしいと入金したのを確認。
今晩はサイン会。写真集入荷時にグザヴィエが石鹸水で「Streets of Kyoto」の汚れをぬぐいとってくれる。本当に今回のパリではヴィラ九条山人脈が信じられないくらい献身的に動いてくれた。
サッちゃんの脚がパンパンに腫れている。
島井佐枝ちゃんから、子ども3人つれて6/21パリ入りして、ヴォルテールにホテルをとるので、その近くで、グザヴィエ、ナディアとともに食事をしようとメール入る。
レピュブリックの書店「L'Arbre à Lettre」にブックフェア&サイン会開始15分前に到着。エマニュエルはもうきていた。
エリックはエマニュエルの子どもの忘れた服をもってきて、グランエターナ用の「Japonais」にサインをたのむ。
アラン・ルマットもナディアに会うのと、エマニュエル・ギベールの顔を見るのにくる。呂さんもきて、「路地裏の京都」を買ってくれる。
ぼくは、まず、九州の兄と姉用にエマニュエルの「Le Pavé de Paris」2冊と千秋ちゃん用に「ジャポネ」を買い、さっそくサインしてもらう。サッちゃんもジャポネとナディアの「Tatami Pop」を買う。
その後の一服中に、エマニュエルが「メールは見てくれたか?土か日にぼくのSecret placeに案内したい」それから「16c豊後のゴールドラッシュ」の構想はどこまでできているのか。いつ自分が着手できるようになるのかと問いただしてくれる。1年でラフはあげるつもりと(英文か仏文)とこたえる。
彼は、カイに関わることならすべてに興味があるので、もちろん、コラボしたい。どの程度の長さか。写真は用いるのかetc.質問してくる。
彼が乗ってくれるのなら、実現する。彼のこの言質をとった(!?)ことは来年のポンピドゥーでのコラボと並んで今回の旅の最大の収穫のひとつだ。ちょっと言い方は変かな。
本屋は日本酒まで用意してくれた。
客は、そんなに多くなかったが、粒揃いだった。
びっくりしたのは、37年ぶりのゲタンさんの登場であり、フランソアーズ・ボッテロさんや猫ファンのマダムの登場だ。ギランもきてくれた。
ゲタンは、ボケットがほんやら洞につれてきたときは、「ヨオー、ゲイタウン!」なんてからかっていた。その頃は、ボケットがゲイであることをカミングアウトしていることを興味深く思っており、その彼がつれてきた男がゲタンという紛らわしい名なので、そうよんでいた。またANAのパイロットというふれこみだったが、実際はちがった。ただのドライバーといった。彼は、ニコラの娘にアキコ・カンダの所でダンスをやっていたベネッサの母がいたが、そのベネッサのおばさんと恋に落ちて、一緒にその後インドで暮らしていたが、別れて、神戸で美術商を長いことやっていた。彼は貴族の出で、先祖には仏英の戦いだったトラファルガーの戦いの将軍がいるということだった。ボケットもそうだが、ハンサム・ガイがすっかり老け込んでいた。今度きたら連絡してくれ、食事をごちそうしたいと連れあいとともにいってくれる。
フランソアーズは、呉昊さんがつれてきた。これもびっくりだった。
呉昊さんが、彼女にカタログをみせると、「この人、知っている」「ホラ、シルヴァンでしょ」といったのには呉昊さんもびっくりしたという。彼もシルヴァンに小学生時分会っており、知っていた。でも、いま会っても分からないだろうなという。彼女は、それともう二言発したという。「この人のバーはカギがかかってないの」ということと「この人が撮らせてといって写真を断ったのは私だけなの」とも言ったと。
ボッテロさんは、いま「説文解字」の英訳をしている。
そういえば、4年前にナオトと夜中にきたとき、その出現にもびっくりした。当時、オスロ大で教えており、その後、北京大に行ったが、パリでやるときは、連絡をくれといっていた。その時もパリでやるといっており、それから4年たったわけだ。呉さんは金曜日(18日)ぼくの部屋にきてくれ、ぼく、結構料理が得意ですよ、といって、応じることにした。
少女のようなマダムは、ここの本屋でネコの本を買ってプレゼントしてくれる。後できいたところでは、サッちゃんに「カイさんは、本当にネコが好きなのか」と確認していたという。
イザベルとフランソアははやくきて、イザベルがインタビューも2冊の写真集もよかったといってくれる。とくにインタビューで幼い頃の境遇には共感した。私も似たようなところがあったと。
ギランは遅くきて、ウロウロしていたが、サイン会がメインなので、彼とあえて喋らず。用がすんでから、約束のプリントを一点プレゼントする。HATAOによろしく言ってくれと言い残して去った。
アラン・ラメットさんもきてくれるかなと思ったが、きてくれなかったのは残念だった。フィリップ・アダムの友人も一人きて買っていた。
ジョン・バチストはふるまい酒をお客にも出してくれる。「地図のない京都」を買ってくれ、また奥さんのためには、ポスターを買ってくれた。
ポスター、ポストカードに関しては書店としては一銭もマージンをとらなかった。
サイン会を終えてから、ファビエンヌ&グザヴィエ、ナディア、エスパス・ジャポンの男、もうひとり知らない男らとムール貝を食べにいった。ここでもエマニュエルはサッちゃんとぼくの分を払ってくれた。
それに対して、エマニュエルに、三角州の坊さんのプリント(1/3)をプレゼントした。これについては、サッちゃんから、カイさんは気軽にプリントをあげすぎだと批判した。それについてはぼくも少し反省しているが、エマニュエルは別格だ。これから一緒に仕事をしていく同志だし、ぼくの人生を変えることになるはずの男だから、全く悔いはない。パリでは簡単にあげすぎた面もあるので反省はしている。とくに、クリストフにはトリッキーな手にひっかかったというか、雲助商法にひっかかったという苦い思いは残る。この苦さは、ぼくの浮き足立つ行動への戒めとして忘れないでおこう。ぼくは、クリストフに関して、とっさに判断して引き返してもよかった。多分。でも、それまで、いわばぼくは蚊帳の外にいる状況を自分で招き、グザヴィエにまかせっきりで、その間のグザヴィエの動きを無効にするにしのびなかったから、そのままいった。仕方ない。その代わり、クリフトフにあげるプリントにはサインはしないつもりだ。
それはそうだ。5時間動いて12万円とるのだから。
これまで、ぼくは個展ですら一銭の金も払ったことがなかったのだから。クリストフには12万円以上売ってもらわなければ、精神のバランスがとれない。
サイン会には呂さんまできて「路地裏の京都」を買ってくれたのはうれしかった。

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2010.6/15(火)


バタンキューになったのは12:00?
3時、5時、7時と目を覚ます。
2〜3日前、〈ほ〉が「ネコ穴」になっているといった類いの悪夢みる。
朝からメールを数人にかく。
トロカデロ、パッシーあたり12時までうろつく。
1:30、グザヴィエのアパートへ。
コリーヌからtel。ルーブルで働いている、先日会った友だちが、写真をほしいといっているが、最低いくらからかと。
昔風にいったら、6.15。樺美智子さんが1960年に反安保の運動のなかで殺された日。それから50年。当時は、小学生ながら血湧き肉踊っていた。
メール、チェックすると、土肥俊子さん、五十嵐さん、在田さんがカンパしてくれており、他にも西沢さんなど顔が思い浮かばない方がカンパしてくれていて、感慨ひとしお。
昼、いきなり、RCSの天野さんからtel。戻ったら、新彌光庵で猫の写真展をやってくれと。
4:00、グザヴィエの案内で、バスティーユのラ・コミューンで呂さんとの約束があるので重い荷をかついで急ぐ。
6時すぎまで呂さん来ず。搬入にエリックも手伝いにきてくれ、1hで終わる。サンケイの山口昌子さんも顔を出してくれる。
ヴェルニサージュは8時から。グザヴィエは忙しいさなか顔を出してくれる。
呂さんに西川の件を喋り、西川にtelするも西川出ず。
根っからのパリジャン以外は、Jean Guidoniというフランスの美輪明宏の話をしても通じず。
エリックから、エマニュエル・ギベールは、日本でいったら、アンパンマンの作者のやなせたかしやドラえもんの作者ぐらい有名だときく。
Maori Murotaさんという料理人に会う。どういう営業形態をとっているのだろう?
10時すぎまでいてひきあげる。辻俊子さんという呂さんの盟友(?)にも会う。
帰りは一緒。

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2010.6/14(月)


今日こそ、トロカデロにいこうと思ったが、身体が思うようにまかせない。
1ヶ月分の疲れが出たかな。
戻ったら京都が大変だ---そういう風に意識を切り換えつつある。ポスター、バッグの金をなんとしてもJSBに払ってもらわねば。
12:00、グザビエのアパートへ。
ナミちゃんからの本。Streets of Kyoto/16冊、地図のない京都/7冊、出町転々/2冊、路地裏の京都/1冊、が届く。On reading、ツーショットの方がありがたかったが仕方ない。こっちに指示する意識がなかった。
手持ちの路地裏の京都(1)と出町転々(1)をグザビエに渡す。
呂さんからtelがあり、明日、16:00バスティーユで会おうと。
グザビエに、レバノン料理を昼メシでごちそうになる。
出発の段に雷雨襲来。
30分以上足踏み。
ジャン・バチストの店のショーウィンドーには、写真がキレイにレイアウトされていた。グザビエの仕事。感激。あっちこっちから写真を撮る。光のガラスへの反射時間を考えて撮る必要がある。ここでは、ポスト・カード、ポスターの売上はすべて、ぼくにくれるという。ポスターは10ユーロ×20、カードは2ユーロ。
「夢の抜け口」が展示されてないのが勿体ない。
そういえば、先日の民輪さんからのメールでは、共同通信の清水正夫さんの記事と思える岩手日報などでの紹介配信記事が添付されていた。
杉本秀太郎さんにも一度telしようと思うのだけど、いつも気がつけば変な時間だ。絵ハガキも出せばいいのだが、いつも行列を目にして怖気づく。
雨の間、エマニュエル・ギベールからの3〜4日前のメールを再読し、エマニュエルとの出会いのキッカケなどを想起し、やはり、ここではほんやら洞の存在が大きかったのだと確認させられる。
ジャン・バチストの店の後は、レピュブリックのフィルム店にむかう。予想より安かった。1本3.20ユーロと日本より安い。
これまでは、日本のものの3倍すると思いこんでいた。これなら、フランスにくるときにフィルムを買ってこなくて済む。パリ第8大の呉昊君の教示のおかげだ。あと50本以上、期限切れのASA100のフィルムがあるが、それに対する不安もあるし、夜はやはりASA400がほしいので、20本買う。
その後、クリストフの店に写真をもっていく。
6/20にkumiさんという女性のライブとセットで写真フェアをやり、そこでは、クリストフは売上から一銭もとらず、その代わり、写真を一点くれという。それは質屋のおばさん、阿原さんのおばあさんの写真だった。サッちゃんは、いくら以上売れた場合はという条件をつけろと言ったが、OKする。まず、好意には相応の感謝を表明すべきだからだ。
6:30にグランエターナで、ジェローム・ブルベスさんと待ち合わせ。8:00にプラス・ド・イタリーで幼なじみのベトナム人と食事の約束をしているがいかないかと誘われて、いくことにした。
メトロの駅を勘違いして、2キロ余り歩くことになった。
約束より15分おくれたが、友人が待っていた。
この周辺は日曜日に店があいていて、月曜日に休みの店が多いという。
Phoはやはり、ベルヴィルの方がおいしかった。皆で64ユーロ、ジェロームのおごり。ぼくは、「宇治金時」のような小豆+ミルク+氷の飲み物も、皆から奇怪なカオされながら飲む。
ここのおじさんは、10時前から、店を閉めたくて仕方ないようすだった。

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2010.6/13(日)


変な夢。人間の肉をくわせる店につれていかれるが、くえない。何才位の肉かとか、顔は知っているのか、顔の肉もくうのか。こんな習慣はどこにあるのか、鳥葬の肉をぶんどったのかとか質問しながら、中国の奥地を想像する。と、いや、それは海南の方で、昔、首狩り族っていただろうという。詳しくきくと、ベトナムのとなりだった。
もうひとつは、サッカーで何度もシュートを失敗し、最後に決定的なスローイングしそうな所で目が覚めた。
はやくおきて、トロカデロのバルザックの舞台へいこうと思ったが、身体がしんどくて行けず。
パリももう残り10日もない。
やり残しはいっぱいだが、ひとつひとつ丁寧に写真を撮ろうと決心。というときに限って、2年も期限のすぎたフィルムとはつらい。
12:00にまた、同じ店で食うべく、ベルヴィルでサッちゃんと待ち合わせ。
1:00スタリングラッドのとなりのラ・シャペルでグザビエと待ち合わせ。
鉄橋があって、また、きたいところだと思ってシャッターを切ると、そのフレームのなかに、フィリップ・アダムの姿が浮かびあがってきた。
今日は、彼の舞台---詩の朗読をみにきたのだ。共演するのが、フランスの美輪明宏。りっぱな映画「天井桟敷の人々」に出てくるようなイタリア式円形劇場---舞台より観客が目立つという---だ。ここでも、35ミリレンズを持ってこなかったこと、フィルムがASA100ということを悔やむ。それでも、というか、だから沢山撮った。あとでナディアと美輪明宏ことジャン・ギドニ氏のマネージャーにワインをごちそうになり、それだけで酔う。
風邪気味のサッちゃんはひと足先に帰る。ぼくも風邪気味だ。
かえりに、パン、ミルク、ジュース、ソーセージなどを買ってかえる。
いつの間にか寝ていた。

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2010.6/12(土)


9:30朝食。
11:00チェックアウト。荷を預けて、バスストップさがしにウロウロしながら、コノリー駅をみてから、スウィフトも大司教もつとめたカテドラルをめざす。創立1835年のテンプルバー、オリバー・セイント・ジョンゴガーティで昼食。3:00まで荷をとりにいくために足ばやになる。
サッちゃんは途中、サンダルを買い、足にまで日焼けどめ液を塗る。
ダブリンは、サッちゃんに退屈なようだった。
パリに比べて、明るく見えたのはなぜか。
乞食もちらほらいるが、あまり悲愴そうではない。
陽子ちゃんに会えず、ギャラリーも決まらなかったので、ダブリン行きは失敗だったといえるが、まあ、町をみただけでもよかった。チョコレートなどは安かった。次くるときは、北アイルランドだ。1hちょっとでパリに着いた。
9:30すぎだったので、パリー、フォーの旨い店のあるベルヴィルにむかう。たしかに旨かった。フォー2人前+ワイン1/4で18ユーロと安い。ジュルダンまで、サッちゃんを送り、アパートに戻ったのは1時前。
TVで新スター誕生みたいな番組をみてしまう。

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2010.6/11(金)


タウンハウスの朝食はいい。サッちゃんはクロワッサンがないねといっていたが、ぼくには十分だ。
民輪さんからのメールを確認。EMSで「夢の抜け口」10部を送ってくれたようだ。2日で着く。
ギランからtel。ダブリンというと、グッドという。月曜日にまたtelすると。
秋野陽子ちゃんよりtel。マルコムに子どもを預けて会いに行こうと思っていたが、マルコムは仕事で行けないという。去年、2人目の子どもができた。カイさんの個展の申請に対する返事はまだないが、なんなら、直接、テンプル・バーという赤レンガ建物の密集地のフォトグラフ・ギャラリーに行ったらどうか。Tarnya Kiangさんが担当なので、私の名を出しても意味ないよ。いいギャラリーだからと。その近くの、ちょっと入り組んだところに、グラフィック・スタジオ・ギャラリーというのがあって、そこに私の作品も一点出しているので、みてもらえたら、うれしい。今日は本当にご免。今度はもっとゆっくりきて、今度はウチに泊まってもらうし、北アイルランドを撮って下さいね。私の家の近くだから。
京都の裏寺町の称名寺の岡見弘道さんの父上、正雄さんの碑が、アイルランドにあるといっていたので、わかれば写真を撮って帰ろうと思って調べたが、不明。これも出直し。ウィリアム・モリスがらみのものもと思ったが、近くになし。ブロンテ姉妹は、アイルランドかなと思ったが、ちがった。
Gallery of Photographyは立派な所で、ターニャさんはとてもキレイな女性だったが、写真は撮り損なった。とても忙しそうにしていて、7分だけねとか、あなたはラッキーだとばかり言うので、そんな風には気がむかなかった。ここは、年300〜400のアプリケーションがあるという。イギリスにくらべてアイルランドはギャラリーを維持するのも大変だと。少々、愚痴っぽかったので、写真集、ポスター、カタログ、DMをあげて、何かあったらメールを下さいとだけいって出た。まあ、いま程度の名声ではここはムリだろう。昨日の美術書店にアラーキーの本(Phaidon)が一冊あった。それに日本の写真史の本も一冊。
そこに行く前に、アイルランド・キャッスルを少しだけ覗く。シティ・ホールでは市民の結婚式が終わったところだった。
グザビエへの土産品を捜しに、ショッピング・モールを回るが、めぼしいものはない。アイルランドの地図を買おうかどうか迷う。また来るのなら買っておくべきだろう。5年前に「Streets of Kyoto」を買った夫婦のアドレスを確かめるためにも。今度くるときは、富岡多恵子、田辺聖子、司馬遼太郎の紀行を読み込んでおこう。
チョコレートを買って、夜、ちょっとパブにのみに出るかと7時頃、一旦、宿に戻る。
そのまま、5:30まで寝込んでしまった。
一ヶ月の旅の疲れが一挙に出たカンジ。

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2010.6/10(木)


夕べは12時すぎに寝たが、6時に起床せねば、アイルランド行きの飛行機に間に合わないと思って、緊張して、2:30頃から30分おきに目を覚ます。グザビエは飛行機まで、クスリのせいで汗が出るのに心配して見送ってくれる。
飛行機の出発は1h以上おくれる。約1.5h。アイルランドとは時差が1hあるようだ。
まず、飛行場で朝食。
ダブリンは到着時はパリより数度分、寒いようだ。
宿のタウンハウスは陽子さんが予約をしてくれていたが、小泉八雲ゆかりの家だった。
ジョイス記念館、美術館にちょっと行って、昼飯もレストランでとってから、マルコム推薦のパブに行く。
9:00にスミルノフと他のウォッカ、スパゲッティ、ベーコン他買って、タウンハウスに戻る。
早く寝たのに、寝つきが悪い。10日足らずのうちに京都だ。どう苦境を切り抜けるか考えると目がさえる。サッちゃんに迷惑をかける。

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2010.6/9(水)


今日は田島征彦さんらが今年の京都美術文化賞をもらう日。
朝、雨が降る。
アパートの火(コンロ)をつけたまま出て、呂さんに叱られる。
火事にならなくてよかった。マイアミのギャラリーの女性、Kai展をやりたいと言う。
民輪さんのメッセンジャーは小林建一さんだった。民輪さんはカンパしてくれる。民輪さんは「何もいわず、とにかく10部送れ」と高梨さんに言ったようだ。
小林さんに会い損なう。呂さんもバスティーユに行って、カトリーヌと打ち合わせをしてくれといってきたが、いくヒマがなかった。
初めて、浅利ちゃんの日tel。チーちゃんも出る。
夜は、アパートで自炊。
ヴェロニクのアパートにサッちゃんの荷をとりに行き、ナシオンまで初めてバスに乗る。

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2010.6/8(火)


変な夢をみた。岸本佐知子の「△△山の思い出」のなかのロープウェイ風呂が関係あるかもしれない。
とにかく、ぼくはパリから京都に戻っている。〈八〉も〈ほ〉もつぶれている。叡電もつぶれている。で、よっしゃ、叡電を引きつごうとハネル・ルカスとサッちゃんと話す。ぼくは、2、3日電車にのればいいだろう。あとは写真だと。電車の再生計画は電車をラーメン屋にすることで、ラーメンを食いながら、鞍馬温泉にいけるというもので、計画が始まると、何十人もの列ができて、始発からラーメンを食わせるのか、電車を動かしていいのか迷う。どうやら、ラーメンをつくっているのは、ぼくの母で、それを手伝っているのが九州の姉だ。ぼくは、サッちゃんにねぎくらい切ったらという。
電車のなかは客席とカウンターに別れている。電車はパリの電車みたいにガタガタゆれる。ラーメンがこぼれるなァと思っているカウンター内のぼくはフルチンで、このぼくに客のひとりが写真を撮って下さいという。そうか。一枚一万円でこれを売れば、サイドビジネスとして完璧だと思いながら、バスタオルでフルチンのチンを隠す。ルカスもみれば、電車のなかでハダカで湯につかっている。電車は動いているようで動いてなくて、ターミナルの山戸原(山香町又井の奥)について客の入口をみると入口にラーメン一杯500円、二杯600円と書いている。電車では前からラーメンを売っていたのがわかる。気がついたら、だれからもまだ、ラーメン代をもらってなかった。じゃあ、ウチは600円にしようと思う。また、電車は始発駅とターミナルしかなく、各駅にとまらない。一乗寺、修学院、三宅八幡の人らはもっと便利なものに乗って、叡電自体がバイパスされているが、この路線は、またなつかしい、子ども時代に木イチゴをとりにいった山に沿って走っているのがあらためてわかる。高級車で、トンネル道を伴走する西川はバウンディングで車の屋根に傷がいったとかいってイヤがるが、ぼくは、大丈夫、傷はないと説得する。
シーンがかわって、店の端っこで若い女の子にぼくが事業の概要を喋っていると、障子むこうの母がぼくが喋っているのをじっと睨んでいる。ぼくは辻褄のあわないことはなにも言っていないよなァと思う。
もう一度、母の方をみると、母はサッちゃんだった。概要をきかせている若い女の子はサッちゃんだったはずなのに。
9時起床。
パン、ネスカフェ、残りのみそ汁。
サッちゃんに、民輪さんにメールを送ってもらう。
矢野さんからは7:00、トロカデロで会おうと連絡入る。
齋藤しおりさんからは、ベルヴィル12:30を1時にしてくれといってきたが、結局1:30になる。30分、ベルヴィルの交差点で撮る。多分、マジにやったら、このクロスロードだけで、とんでもない写真集ができるだろう。言葉が3〜4カ国語できる写真家ならばなお、深い本ができるはずだ。
3人でフォーの店に行く。
3:15にはギャラリーに入る。ジュンク堂の店員さんくる。
西川氏と久しぶりにゆっくり喋る。
氏も氏なりに、ギャラリーの存亡をかけた闘いをしているのはわかる。社にとって、パリのギャラリーはオデキのようなもので、はやくなくしたいと思っているむきもあるが、会長が意地で(?)続けているようだ。
それにしても、印刷代などをぼくに支払ってくれないのは困ったものだ。にもかかわらず、来年もやってほしいようなことをいう。やはり、ぼくを取り巻く状況を全く理解していないと言わざるを得ない。
今回のぼくのパリでの目的は大別すれば二つ。
一日友と大いに楽しみ、その周辺を徹底的に撮ること。もうひとつは、ぼくのプリントを買ってくれる人やコレクター、画商と出会うこと。この二つだった。グラン・エターナ周辺はそういう人種がうごめく一帯だが、ギャラリーのアンテナをそういうものとしてはっていない。ビック・ネームや役人がくるようにと腐心するので精一杯だ。
民輪さんに久しぶりにtel。明日、友人がいくので、届け物をするという。
7時、トロカデロで矢野さんと待ち合わせ。エッフェル塔が正面から一番よく見えるところ。フィリップの息がかかったアーチストが沢山出品しているらしい「建築とイラストの100年展(のようなもの。正式にはちがう)」には、フィリップがお世辞でカイが今度個展をやるべきところはここだという。谷口ジローのマンガなどもあったが、エマニュエルのも3点ある。
その後、フィリップの車でアランの家に行き、アランの友人ともどもディナーをごちそうになる。資生堂の熊谷さんもいる。ディナーの前に、アランがRIKIZOなどとともに日本にきたムービー(約1h〈八〉も登場)を見せられる。
ディナーが始まったのが10時すぎ。あとでこの間、いろいろお世話になったので、アランに一枚、妹2人に各一枚、矢野さんにプリントを各一枚、あげる。サービスしすぎかな?矢野さんは期限切れ(2年前)のフィルム100本をくれる。もどったのは、アランの友人の車でだが、2時頃。
売るプリントはやはり、5点しかプリントしない旨、今後からサインをする。

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2010.6/7(月)


9時起床。
風呂のお湯でない。夕べ、テーブルの上に直接熱いものを置いたので、痕跡のこる。
ディックは、今日、顔を出すだろうか。
矢野さんにtel。留守。
辻さんにtel。夜こいというので、行こうかと思ったが、彼にとって夜とは、5時6時とのこと。
ルパンにtel。〈八〉の大家がtelでどなり込んできた由。いよいよピンチ。
ナミちゃんにtel。吉田の家賃はOKだった。
姉には兄が手づくり市に何か出したときく。
杉村さんにtel。京都、日本のことは忘れて、パアーっとやってきたらいいよと。
6/5はギャラリーに顔を出さなかったので、今日、久しぶりにエリックに会う。
アランがDVD(ブルーレイ/7.5分)をもってきてくれたが、会えず。
ブルーレイというのは普通のDVDではみれないらしい。
7時前にギャラリーを切り上げ、マドレーヌからベルシーまでの急行メトロに乗り、アパートへ。アパートへ着くとサッちゃんの「ピンポン」がなったのにびっくり。
ホワイトソースのスパゲッティを作ったあと、アイルランドの陽子ちゃんからのメールをめぐって、テンションは一時ヒート・アップ。
陽子ちゃんの親とダブルブッキングで、B&Bをとらなければならないようになり、計算外の160ユーロの捻出が発端。
ウィーンの北沢猛&根本さんにも会いたいし、ヌーインさんともナント行きを約束していただけに、余分の出費は思慮不足によるものではないか、ともいうわけだ。
でも、アイルランド行きは、積年の希望だし、今回は出発前に会いそこなったが、エグザイル・ギャラリーの西沢豊氏がアイルランドに行くのなら、ストックの1000ユーロをカンパしてもいいと言っていたので、アイルランドのいい写真を撮りさえすれば氏が買ってくれるということもありうる。それに、ジョイスの「ダブリナーズ」の町で、荒川洋治同様、ぼくは1949年4月18日のアイルランド独立記念日の誕生日ということからも前々からきたかった。本来なら、ユリシーズの日、6/16にきたかったが、それは、ブックフェアがすでにブッキングされていたので、仕方ない。そうそう、ぼくは生前遺作集に、ボケて6/16はジョイスの誕生日で死亡日だなんて間違ったことを書いたことを白状しておこう。ずっと思いこんでいた。
メシを食ってから、ジューダンのヴェロニクさんのアパートまで、サッちゃんを送る。Nationからバスときめこんだが、タッチの差で日没(こちらの今では10時頃)前のバスに乗り遅れ、少しガッカリ。戻ったのは12時前。
戻って、飲みかけのビールを飲みながら、TVのスウィッチをひねる。気がついたら、久しぶりにTVの前のゴロ寝だった。メサイヤ、メサイヤという声でおきた。

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2010.6/6(日)


戻って、洗濯をして、12:30眠る。
3:30に目を覚ます。
9時に雨がジャージャー降りになる。これで涼をえる。
寝ながら、そうだ、アルメイダの話を読みやすく、80〜100枚に書き下ろし、シルヴァンか誰かに訳してもらい、これをエマニュエルにマンガ化してもらう手がある---そう、一年以上も前に考えていたのを思い出し、今日はこの件をエマニュエルにメールしておこうと思う。
まず、夜、グザビエ&ファビエンヌ、村澤氏、本人の都合次第でハネル・ルカスさんをよび、食事会をもつための買い出しのついでにプラス・ド・イタリーと余裕があればサンドニでもいくかと思って外出。サッちゃんは、これから洗濯があるというのでサンドニ行きはとりやめ。まだ疲れをおぼえ、アパートに戻る。といってもペンをもつ元気がなく、夜の食事といっても、カレーははやく作ってねかしていた方がおいしいし、それに、ここの包丁は全く切れないので、玉葱を切るにしても時間がかかるので、早々と夜の支度にとりかかる。
3時半にサッちゃんがくる。彼女がきてからは、彼女に叱られながら、掃除などする。
ファビエンヌ&グザビエは7:15、ハネル・ルカス君は7:30、村澤氏は8:40にくる。
楽しい食事会になる。グザビエらは12時前に帰り、村澤、ルカスが出たのは12:30すぎていた。
今日はいささか酔う。
ナミちゃんよりメールあり。

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2010.6/5(土)


西川氏のやり方は露骨だ。正直でいいともいえる。やはり、いくら考えてもエマニュエルには失礼だった。
サン・ジャックの村澤氏のアパートに忘れ物をとりに行き、そのことを喋ると、彼も同様な意見だった。ヴェルニサージュと人をたくさん呼び寄せて、カルピス、ジュース、ワイン、パンだけというのはないよねと。
村澤氏に今晩の持ち寄りパーティーのために水玉団子をつくってもらい、明日用のカレー粉などをもらう。
2時にグザヴィエの家でおちあって、L'Arbre à Lettreに行く。19日に清算とのこと。近くのカフェで時間をつぶして、5時にグザヴィエルのフィルムを3種類販売している店に行く。若松孝二のUnited Red Armyのポスターがベタベタ貼られていた。主人はアメリカ人で奥さんはベトナム人だった。
そこの周辺で、小さな蚤の市があり、行き帰り、少しひやかす。
その後、ベルヴィルにいき、55.50ユーロ分の買物。電車で眠りこける老人を撮る。
アパートに戻って焼きそばを作り、8:40にレティシアさんのアパートに行く。駅をおりると、アランさんが前を歩いていた。到着すると、ジェロームが来ていた。10分後、エマニュエル夫婦とバルバラさんがくる。
エマニュエルは雄弁だった。また、何本も仕事をかかえながら、今日、皆にくばったマンガをひとつ仕上げるのに8ヶ月かかったという。
ぼくには、Guibert-Lefèvre-LemercierというDidier Lefèvreという50才で亡くなった写真家のインタビュー集をくれる。このルフェーブルが亡くなったあと、エマニュエルは日本にきたという。
サッちゃんが、この機会に、エマニュエルに言っておきたいこと、頼みたいことがあったら、喋っていたらどう? というが、ぼくとしては、ベストの写真をもってきていたら、フランスの出版社を紹介しろの、どうのこうのいえるが、まだ、その時期ではないと思い、その旨、サッちゃんにいう。いいと思ったら、エマニュエルの方から持ちかけてくるだろうとも。そして、アパートを借りるのは難しいのかという質問でお茶を濁す。ジェロームが7万円のアパートを借りるのに月に40万円の収入証明がいるといい、アランが、そんなのは、ごまかせばいいという。

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2010.6/4(金)


アイルランドの陽子ちゃんは10日までは両親がいて家には泊められないとのこと。仕方がない。10日はダブリンの安宿を捜そう。
こっちにきて、1ヶ月があっという間にすぎた。
何もやれてない。もう3週間もしないうちに、京都の現実に直面せねばならない。
大分の姉と喋る。話にならないアホな話を多くきかされる。宇宙飛行士の帰還シーンに姉は感動したという話も。1200度のまっくろこげのフライパンのなかに入ったまま、着陸して、車椅子にのせられ、林檎ジュースを飲んで平然としている、そんな人生もあるんだなァと思ったという。69才になってそんなことを思うかァ?
7:30起床。1hごとに洗濯物をチェック。
持参した岸本佐和子「ねにもつタイプ」をやっとめくる。面白い。
昼すぎ、辻哲夫さんにパーティー案内のtel。奥さんが出る。
矢野さんからtelがあったという。
ハネル・ルカスは、観光資源の開発が仕事。しかも日本担当で、社は京都に興味をもっているという。〈ほ〉でも〈八〉でも、大家の問題はあるが、「ラ・パス・グループ」と組んで、Kai写真ミュージアム+サロンという形で店を継続できないか。妄想。今度、ハネル・ルカスに会ったら真剣に話をしてみるか。
いや、すぐにでもtelして、彼を呼び出すべきか。
アイルランドの陽子さんよりメール。6/10どんなところに泊まりたいか教えろ、予約しておきますよ、と。
昼は、呂さんのアパートでスパゲッティ。
呂さんアパート検分。
ギャラリーに行ってもやることはないので、5時すぎに行く。
今日もちょっとびっくりした。昨日のパーティーは軽く押さえて、今日はギャラリーにとっても大宣伝になるエマニュエルがくるので、ちょっと豪華にやるのかなと予想していたが、これも見事にくつがえされた。少し、エマニュエルに対して失礼がすぎたようだ。
原画まで、こっちで見せられるというPRの実をとるだけとって、売るためのエマニュエルの作品集を一冊も用意していないという体たらくだ。せめて、ジュンク堂に行って見本を一冊買って用意しておくとか、出版社に借りるとかできるはずだ。パンとジュース(はエマニュエルが持参)とカルピス、ワインしかないというヴェルニサージュはきいたことがない。皆、食い物が出るものと思っていた。当然のことだ。
それにしても、すばらしい人たちが多く来てくれた。バンソンも顔を出した。辻さんもきて、ヨメさんが会いたがっているので、いつでも来いといってくれた。ルカスと2年住んでいたという男もよかった。ギャラリーの美術顧問とかいう、わけのわからないオッサンは今日もいた。ポスターを見て来た修学院小出身(天津)の呉昊(Wu Hao)さんにも会えた。呂さんは日程表を持って来た。呂さんは食い物がないのにびっくりした。エマニュエルの両親まできてくれた。
最後に、エマニュエルがごちそうしてくれた。
戻って、あれこれ考えていて、吐き気がして、3時に目を覚まして吐く。
そのあと、〈ほ〉の夢を見た。天井に水(ウミ)がたまり、屋根から崩れ落ちるのを目のあたりにした。

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2010.6/3(木)


7h、ゆっくり眠る。呂さんグループのコミューンでの展覧会とジャン・バチスト店での写真集フェア用の写真仕分け。サッちゃん、ヴェロニクさん宅から矢野氏にメールを送ってくれる。
アイルランド行きは6/10~12と決める。
昼前、西川氏よりメール。シャワーを浴びに行くので、2:00すぎにギャラリーオープンと。氏は、仕事が山積みで、これで2人展オープンできるのかという不安を通り越して、いつものことだが、仕事をこっちに丸投げしたいようだ。こっちとしては、それを引き受け、いらないものはいらないと仕分けするしかない。
バスに乗ったり、高速電車に乗ったり(一駅分、逆向きに乗ったが)して、4時に到着。
西川氏は10時から待っていたというが、我々が到着するや否や準備にとりかかれるような下ごしらえはまだだった。
5時すぎに、エマニュエル・ギベールの作品を展示できる状況ができて、1hでおわった。もう数点出したいが、スペースがない。ぼくの写真は数点、下においたまま。
今日は、ヴェルニサージュといっても、乾き物、ワイン、カルピスしか用意しなかった。それでも、氏の読み以上に、ポスターを見てきた人、ぼくの友人やその家族とその友人などがきてくれた。ギラン、ドニ&イザベル、ジェロームの母&BF、グザヴィエ&ファビアンヌ、ユムちゃん&ファブリス(ユムちゃんには写真集に出ていることを告げ忘れた)、先日、ヴォルテールあたりで声をかけてくれた女性はおでんの差し入れをしてくれた。
アヴィニョン付近での展覧会担当の齋藤しおりさん(岡山出身)にも「ラ・パス・グループ」の企画開発部長(日本担当)のハネル・ルカスにも会えて、11時近くまで歓談。写真集も少し売れたかな。
写真はキャンセルもあったが、新たに売れたものもあるようだ。
11:50、アパートに戻り、ジーンズ上下の洗濯などをして、すぐに眠る。やはり疲れている。

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2010.6/2(水)


グザヴィエ、作り直したジャン・バチストの店でのフェアのチケットをみせてくれる。
サッちゃんの荷を、グザヴィエとともに、ペレネーのヴェロニクさんの家に運ぶ。そのあと、グザヴィエと3時すぎにギャラリーで会うことを約束して別れ、呂さんのアパートへ。
付近で買物をしてスパゲッティをサッちゃんが作り、食う。
ギャラリーにはバスにのったりして、到着するのがややおくれる。
ギャラリーには、おじさん、おばさんが数人たむろしていた。
売れたはずの写真、一点キャンセルされた由。手付金をもらわなかったのがミスだったかな。
大野一雄(享年103才)が死に、鳩山由紀夫が辞意を表明したとか。
エマニュエル・ギベールの作品を西川氏がトラックから出して、展示を開始する器具不足で7時で打ち切り。カタログも2点同じ作品を2回出しているのに気づく。やっつけ仕事で、文字は読めたものではない。エマニュエルには申し訳ない。エマニュエルの原稿の版をもらい2~3ヶ月後にちゃんとしたものを50部でもつくりたい。西川氏は、ユキちゃんのピアノ演奏のことでも、多忙そう。
グザヴィエに数点写真を託し、残りの写真、キャビネと展示作品を除いて、すべてをグランエターナから引きあげる。
京都にtel。ナミちゃんが脚のじん帯を切って、明日大分へ。在田氏にもtel。
ぼく自身も大チョンボ、195ユーロ紛失。

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2010.6/1(火)


荒川洋治の訃報を耳にしたのは10日前。全く生年月日が同じで、そのうち、坪内祐三さんに紹介してもらう予定の詩人の死はショック。
二階EU大使の奥さんがくるから10:30に来いと西川氏。
篠原さんの友人が写真展を見に来てくれるというので、パンクチュアルに出かける。
数時間ギャラリーにいる。山内さんという友人も。
二階さんは、両親とも京都の出身で、粟田口に愛着があるそうだ。山中美術店さんとの付き合いがあるらしく、二階の名は、長州が出生。篠原さんとのなれそめ、お墓を隣り合わせにするほどという。中村医師とも交友あり。
西川氏は歓待し、ケンちゃんはご両人のカットまでして、各35ユーロゲット。おいしい中華もいっぱいとりよせ、シャンパン、スパークリング・ワインまで開ける。パリの二等書記官の女性までよびよせ、レフ・トルストイの孫ヨメまで、来合わせるように心を砕く。ただそれだけのことだが。
2人がブリュッセルに戻るのに、車で送って行ったが、コートの忘れ物があったりで、結局電車に乗り遅れる。
それでも、これが、西川氏の今日の仕事であり、収穫であり、二階大使夫人来場の快哉の声を岡会長に告げることができるのであろう。
Milkymeeのエイミー・ヴァレリーさんもきて、CDをくれる。
やや早めにグザヴィエ邸に行き、晩ご飯をごちそうになる。
呂さんのアパートに戻る予定も、いささか飲みすぎで、グザヴィエ宅で沈没。

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