ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 1月

2014.1/30(木)


午前中、グロッキー。
戦線を縮小せねば。
ガンガン、Tel鳴るも出る元気なし。
佐枝ちゃんからKG+の関係で為すべき作業などの案内あるも動けず。昼は、無為に過ごす。
京大マリーン、6名しか顔を出さず。Camera Connection Kit入手後、iPadから画像をUPしようとするのだが、ボケで出来ない。だいぶ焼きが回っている。もう一度、教われば良いだけの話。
9:40八文字屋入り。呑海さんが、亀岡の飲めない写真家志望の原田さんを同伴。1時間30分ロケを見る。姉と九州のどうしようもないおバカさんたちの話を笑い飛ばす。そう言うも、少し気がひけるが、あまりにも、おバカがが多すぎる。この下地があるから、この国でアベちゃんが、のうのうと首相を務めうるのだろう。これも、辛い話だ。
あっと言う間に12:30。
1:00にチェコ人の文化人類学者(大阪大学関係?大林太良の弟子、カンボジアのゲイの王様とある大学で同級生)&連れ合いのユミさん、来店。
2:00誰もいないので、閉める。
姉の孤独、兄の孤独も分かる。僕ですら、こんなにも恵まれていても、孤独なんだから。
でも、兄の孤独、姉の孤独は悲惨だ。兄は嫁が居るから、まだしもだ。
二人とも、それでも、その状況のなかでなんとかやって行っているのは、驚異と云うしかない。
冨樫待てども、姿現さず。
2:20に引き揚げ、ほんやら洞に向かう。4:15までほんやら洞。
玄関のライト、部屋のストーブは、つきっぱなしだった。

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2014.1/29(水)


向の原の底鶴か中村の母の種違いの叔母やその子ども、母、父の亡霊が出て来て、母の土地をボーリングして、温泉にするのに、喧々諤々の議論をしてる夢を見る。ぼくは、この田舎の人たちとどのような言葉で喋るべきか迷う。どうしょうもないチンピラのようない(?ゴメン!)従兄弟のケンジに凄まれたりもする。もう一つ、場所は、中国かどこかだのに、黒人の奴隷が数十人、輪に成ってセッションをしていて、順々に小時間演奏し、一巡して、もう一巡し始めた。一回目は、僕は誤魔化し、二巡目は、ネタがない。僕は、他所にいかねばならない時でもあり、Telが入って……。
10:00起床。
2時間で秦恒平さんの「湖(うみ)の本」118をやっと読了。感銘深し。姉に、この本を送ると言っていたが、放しがたい。姉も感動するのは、請け合い。
読売の木須井麻子さん来店。カラーのポストカードを買ってくれる。八文字屋バイトは、24歳の時で、16年前と言う。15,6年なんてあっと言う間だ。
中国の湖南省から一時帰国の(日本語教師)桐田君が顔を出す。2月15日まで休み。10日間高島屋の配達のバイト中という彼から「鶴見さんの『永遠の感覚』のyoutube見た?鶴見さん、生きているの?」ときかれる。
その場で見せてもらうと「もうろくの春」発売記念?でつくったと思しきもので、黒川が聞き手だった。
youtubeとは関係ないが、黒川の創造的な活動も秦恒平さんの風圧がかなり良い具合に作用しているのだろう。
利賀山房のキャメロンさんの紹介でScotのメンバー7名来店。コーヒーを引っ掛けて直ぐ出る。スケジュールがギッチリとの事。
パリから戻って10日目なのに、疲れ癒ず。
八文字屋に、杉村昌昭さんが9:00来店というので、合わせて出勤。杉村さん、TOKOでの西川氏の立場、あのロケーションに懸念。「場はグラン・エターナの方がいい。あれは、カルチュエ・ラタンと言っても、裏側だ」と。「人的ネットワークも…」と否定的な口吻だった。半分は、彼の言い分、分かる。「キーヤン(木村英輝)のでも、ドカーンとやりでもしなければ」と杉村さんの計画を述べる。
奈良井さん、早稲田の先生の黒澤さん、川㟢さんが既にカウンターに並んでいた。
杉村さん、村沢真保呂さん、永澄さん、京都新聞の芦田恭彦さん、江夏順平さんのご一行様は、めなみ帰り。
僕は、カウンター客にも気になるけど、杉村さんは、一週間前からの予告来店。カウンターは、浅利ちゃんに任せる。
カウンターには、オイタさん、山形拓史さん、アイウエオ、知人2人を同伴の龍大の鈴木さん。オイタさん登場の行灯写真展の画像には、麻美ちゃんのおばさんも一緒に写っているのを麻美ちゃんから聞く。そんな風に成っているとは、初耳。「オイタはできないな~」は、オイタ弁!?
松野泉さんが、明日のロケの確認にくる。後は、段ちゃん来店「今月は乗り越える事はできるのか?今月も、来月も応援出来ない。3月末は、少し応援できる。それまで潰れないで、頑張って欲しい」と激励してくれる。段ちゃんで終わり。3時閉店。そのまま寝る。

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2014.1/28(火)


完全ダウン。
9:30に、ほんやら洞に入るつもりが、出来ず。
昼まで、寝る。悪夢の連続。清水哲男さんのご母堂の「日々の歌」相変わらず、読ませる。
小生、詩歌管弦・歌舞音曲は言うにおよばず、ラジオ、テレビ、Net、八文字屋のライブの場にすら親しむことなく、徒ら、路上、店内を小徘徊するのみの卑小なる人生。
仕方なし。今日は久方ぶりに風呂に入り、体調を整える。
本来ならば、この段階で部屋の掃除に勤しみ、プリントすべきネガ・チェックするのが、望ましい。
現実は、これから、ほど遠い。俺は、ただの夢想家。
4:00まで家で、ボーとしている。
キーマカレーも夜までに間に合わせれば、いいか!で終わるのみ。
Kitの使用法、Sに学ぶ。暇なので、焼きそば作り。
7:00過ぎにナッチャン来店。京都での仕事帰り。今年、職場でトップになるかもと。「甲斐さん、収入源はどうなっているの?」と聞かれる。
八文字屋、9:30入り。
ジャーマン、北川さんがいただけ。北川さんに同志社の李先生のTelを聞く。あと、奈良井さんが来て、石塀小路の竹ちゃんで終わり。12:20。
大阪の四条畷田原台の叔父のアドレス、Telを姉に聴く。
30分、Netで夕べの続き。切ちゃんと。
帰宅、3:15。

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2014.1/27(月)


また、〈八〉泊。
帰国、一週間というのに、店も、体調も書く方もまだ冴えず。
韓国、ジョージア州から客あり。来店の近くで働く「広沢池あたりに住む」金本真由子さん(27歳)撮影。FB友達になる。
プレゼントされたCamera Connection Kitが届くも、使用法未習得のため、にわかには、活用できず。
ほんやら洞も三倍以上の客入りがなければ(もちろん、昨日もそんなにはない)日割り家賃もでない、そんな一日。
八文字屋に至っては、それ以下。処置なし。
アイウエオから、予約Telがあり、糠喜びをしたが、やはり、糠だった。2度、3度telののちに、1:00頃来る。からかわれているだけ。その前に、調さん、オイタさんがきたが、帰る。調さんは「ルパンは、本当にハルカちゃんの子供を嬉しそうに抱いているわ」と言う。「いつも月曜は咲希が来るので……」オイタさんを待たせるが、彼女、今日に限って来ず。皆が帰ったらあと、1:00過ぎに瀧津孝さん来店。3:00すぎまで、10年前の客の消息を聴かれる。彼は、ライトノベルのライターとして活躍中。「マイさんによく叱られたなあ……日沖さんは、どうしている?」等2時間。
帰宅、4:30。今日は、Netで出町、百万遍の喫茶の記憶の吐露で、時間をつぶす。鈴木マサホの事も、少し書く。彼、関学の図書館長もやっている文化人類学者の奧野卓司&息子、門川市長との会食の画像をアップ。奧野は、mojowestで、木村英輝と一緒だったとか。木村、門川、奧野は、堀川高校で、一緒らしい。ぼくと奧野の出会いは、1969年5月の川端署での脱走兵ポールの移送阻止の座り込み闘争時の彼のドサクサ紛れの被検挙事件であった。その後、深作光貞氏が面倒を見ているとか、何とか、噂を聴くだけの関係が長かった。マサホは「俺は京都ベ平連、市長は、ベ平連のデモに参加していた。俺がここでは先輩」と誇らしげ。
何度も心待ちしていてメールを入れると「今日、1万円入金します」「明日になります」と言ってくれる方、その都度、コッチもアテしてガクッとくる。今日も、Fbに書き込みしてくれたので、喜び勇んで、ホイホイとBkにいく。これも、糠と判明。今や「今から店に伺います!」「入金します!」は挨拶言葉と受け流す余裕を持たねばならない。取らぬ狸の皮算用ばかりの悍ましい店、さもしい人生、にならぬよう、心しよう。ま、それ位追い込まれているのも、確かだが。

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2014.1/26(日)


12時ほんやら洞オープン。
トップ客3人、断る。
NPO「都草」の松本孝志理事長、来店。
youtube「海鳴りのなかから--詩人・金時鐘の60年」を7割見る。
書評特集で気になった本。
西田龍雄「西夏王国の言語と文化」(岩波)
伊藤悠「シュトヘル」(小学館)まんが
都築響一「独居老人スタイル」(筑摩)
フランシス・フクヤマ「政治の起源 上・下」(講談社)
ポール・ヴァレリー「レオナルド・ダ・ヴィンチ論 全三篇」(平凡社)
井出孫六「いばら路を知りてささげし」(岩波)
小笠原豊樹「マヤコフスキー事件」(河出)
沈従文「辺境から訪れる愛の物語」(勉誠出版)
立木康介「露出せよ、と現代文明は言う」(河出)
さあ、このうちのどれだけを読む時間があるだろうか?
夕方から、雪。
八文字屋も、10時になっても客なく、下品なツイッター、FBを発する。
11時前に、「今日初めて出た」と言う鹿さん「何や!?誰もいないやん!」と来る。
その後、コセキ君とイッチャン、25歳の京田辺の現場の工務店の責任者同伴。イッチャンとは、23年の付き合い。20年前のBT(旧『美術手帖』)での「美大生白書」特集に「美女日記」なるものを出したのだが、そこでも、登場願ったのに、ご本人、高松樹さんは、記憶にないと、仰る。御宅には、僕の最初のパリ展のロージ写真のプリントした紙袋、まだ、飾ってくれているそうだ。カザフスタンの今用さんは、飛島から黒川事務所に行ったらしく、2月には、上洛とのこと。彼女、鹿さんを少し弄る。
2:00閉店。
まだ、粘るも、虚し。

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2014.1/25(土)


疲れ、癒えず。家でノンビリする。佐枝ちゃんにKG+の件でメール。
2:30ゆっくり、ほんやら洞オープン。40年前の客や尾崎幹男さんの同僚、尾上玲円奈さんら来店。
パリからの帰国歓迎会には、奈良井さん、アーニャ、和義君、さっちゃん、麻美ちゃん、浅井さん、稲盛さん来店。麻美ちゃんが家から土鍋等を車で運び、美味しい鍋2種、あら炊き等、花も添えてくれる。
9:15八文字屋オープン。やや荒れているティル、相変わらず観の強い海坊主&連れ、尾上玲円奈さんカップル等がくる。「めなみ」「たこ入道」常連で兪正根さんの元同僚のせっかちな東大の数学の中川雄二先生はひさしぶりだが、東大の先生というのが嬉しくてたまらない様子だった。3月23日の結婚式の案内持参の篤太郎は小山さんの推薦で日本ペンクラブ入会の知らせ(僕が会費を払えず除名になった会)をもたらす。僕は、秦恒平さん、鶴見俊輔さんの推薦で入会したものの一度も総会等に出席せず年間2万円の会費を2,3年納入出来ず除名になったのだが、これ、どういう病い?今回は金が一銭もないのに、ヨーロッパくんだりまで借金で行った。やはり、この10年はどうしようもなく孤立していたし、やんでいたと思い返す。
トクちゃんに結婚式には、やはり、スーツで行かんならんのやろうか?と聞いたら、やや戸惑いの表情を見せる。
「『報道』の腕章を着ける?」とマジ顔で返事が返ってきた。
恩人が戸惑うようなことはしませんと告げる。渋っているサッちゃんにも出席させたいようで、「カイさん、助手いるやろう!?」と言う。出来たら、日向太、海人彦にも出席させたいようだ。
新谷ユリちゃんも、バイオリン演奏者の関係で、出席して貰うとのこと。小山さん、森まゆみさんも出席。
北白川小倉町のEXILE・ギャラリーの西澤君は、1972年同志社入学で、ほんやら洞の最初から知っていると、梶田さんに喋りかけ、長話になる。グリーン商店街の西村さんは京都新聞に行灯展の記事が出たのを知らなかった。いつも粋な写真ストックをFBで披露する梶田さんはいつものペース。後は、最近は土曜日精勤の山根さん、NHK富山の山田カズタカ君のみ。山田君の父親は、60歳で再婚。相手は平野さん。2:20に3人連れがあったが、僕がしんどそうにしていたのか?帰る。
3:30誰も居ないが、もう少し開けていて、寝崩れる。酒が弱くなった。

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2014.1/24(金)


ルパンの見舞い。画像UP。
先斗町撮影。今日届いたのは、ドナルド・キーン登場の「日本再発見」だった。ブログ、1月17日までUP。
八文字屋、少し賑わう。慌てて「毎日」に送った後、八文字屋入りは9:30過ぎ。
アドちゃん、ドイツのチビ・リキュール・セットのお土産持参。友人も2人。小栗栖さん以下、解放教育に関わる小学教師&真実さん、ジャーマン、奈良井さん、あさひちゃん&京都新聞の記者、永澄さん&松岡佳世さんの恩師?上倉教授&朝日放送記者、おそがけの増田さん&國吉さん。終わったのは4:30?
5時帰宅。

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2014.1/23(木)


10:30起床。
家で、5時までゴロゴロ。
12月に戴き、雑事に感けて、ほったらかしのままだった秦恒平さんの「湖(うみ)の本」シリーズ118も読みすすめるが、これがまた、大変な本である。「歴史・人・日常 龍雲吐月 (1)」である。
秦恒平さんの本を読むたびに、これは、九州の姉が、接するだけで、喜ぶだろうと思い、送って揚げたいと思うのだが、毎巻最後まで、読み進められなく、手元から離すのが、勿体無く思えるのだ。
今度、失くさないでよ、と言って送って揚げたいと思うのに、送料に事欠いたりする。
毎日、明日の、昼まで「先斗町の夕暮れ」画像をくれという。もう、夕暮れは、過ぎているというのに。鈴木さんは、細川番のトップかも。浅井さんから、HUBの事務局の件でメールあり。
京大マリーン、ごく少人数。
ミス続きで、八文字屋に入るのは、10:15。
〈八〉は、完全にマニアの店に成り下がったかな?かつては、ほんやら洞の客が、八文字屋に流れるコース、ケースがかなりあったが、今は皆無とはいわないが、そのコースがかなり閉ざされている感じが強い。
八文字屋経営の初心は、こうではなかった。もっと構造的認識のもとにあれこれ手だてを考え、こういう状況に対しては、「これ」という具合にちゃんと、しかるべき手をうつ用意は整っていたはず。
今晩は琢ちゃん一人で終る。八太君もしっかりし、これからは、バリバリ仕事をするという。
パリから京都に戻り、連日、ほんやら洞も八文字屋もこんなに暇な日が続くと、さすがの僕もめげる。バイト代はもちろん、普通の経費も払えない。ましてや、借金!をや。うーん!支払いが延び延びになっているのは、なんとも心苦しいものだ。会えば、攻める?責める?人も、当然ながらいる。「生きていて、申し訳ありません!」とは言わないが、その感覚に近づくのを恐れる。

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2014.1/22(水)


8時起きるも、午前中は、八文字屋でゴロゴロする。
FBの友達は、888人という縁起のいい数字になっていた。直ぐに891になる。黒テントの古い知人を多く発見。伊川東吾の名も。中村真夕ちゃんも。
海人彦、日向太と続けてパリからのお土産を取りにくる。二人とも元気。
水道代の支払い。日向太が、アメリカ西海岸の知人を、また、紹介しろというので、神田さんにも、メール。
PC紛失騒動あり。暫し、狼狽える。
〈八〉8:30入りと思っていたが、9:15になる。奈良井さん、川㟢さん、鹿さん、純二 (焼き鳥持参)、朴ちゃんを相手にしたのは、浅利ちゃん。浅利ちゃんに留守の間の話を聴く。2:00には誰もいなくなり、1時間そのまま、眠る。3:50に2週間ぶりに吉田の家に帰宅。

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2014.1/21(火)


10時ほんやら洞入り。電気代払い。賀茂川沿いの凧揚げを撮る。
Nが「最近、Aの事を耳にしないがどうして居る?」とメール。2,3回応酬。奴さん、100くらい、何とかしてくれたら、いいのに、と云う。
午後、海人彦、日向太ともに来ると連絡あるも、こず。コーヒー豆代、食材代払い。ゴミ回収代、電話料金、両店ともに払えず。中尾ハジメさんの教え子の鯖江の青年来店。「中尾ハジメさん、元気でしょうか?歯が痛いと言っていたので、心配です」という。4月勉強会を呼びかけているよ、というと、自分も参加したい、という。ペーパームーンの高知出身のバーテンダー来店。同志社の留学生も少し。
八文字屋、低調。
オイタさん、鹿さん、千佳ちゃん、咲希ちゃん、山形拓史さん、冨樫で、3時過ぎに閉店、即沈没。千佳ちゃん、咲希ちゃんに留守の間の話をきく。

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2014.1/20(月)


9:30関空着。気温3度。
パリ、ライデン、マルセイユよりはるかに寒い。
12時過ぎに、ほんやら洞入り。早速、毎日新聞の鈴木さんよりメール。知恵を絞って、あと2月の連載を頼む。自分は都知事選の「殿、ご乱心を!」の連載企画で忙しいという。
浅井さんから、2月のマロニエの準備をやろうとか、iCloudをやろうとのメールもある。知人が細川の奥さんと会食したとも。また、麻美ちゃん企画の歓迎会にも出たいと。
僕は、KG+に際しても、さっちゃんを早めに推薦する必要がある。申芳礼さんから、15日にメールがあったのに、気づく。ここで、全て、熟考せねば。
一時前に、洗濯したタオルとお金を麻美ちゃん持参。八文字屋に行くも、金の置き場分からず。ジュンク堂に行って、黒川の新潮を買う。牧野真平が、「ペドロ・バラモ」みたいとずっと言い続けている、
いとうせいこう著「想像ラジオ」も。黒川創の新作「吉田泉殿町の蓮池」読了。出来の如何に関係なしに、僕には面白かった。平野啓一郎、坂口恭平も、その内に。
パリ行きの前日、岩本俊朗さんが「黒川創さんの新作『吉田泉殿町の蓮池』は読みましたか?と来る。
そして、こっちは、読んでないのが面白くないのか?独り言を言い始めた。「あれ、小説と言えるのかな~、ルポなんじゃないのかなあ。本当に蓮池があったのかな?」「甲斐さんも、70年前後のほんやら洞の暴露ものをかいたら、あの辺り、ちょっと盛り上がるのでは?甲斐さん、黒川さんの新作読みましょうよ」というので、彼の手から、ちょっと取り上げてめくった。
彼に言われずとも、黒川の小説は、ずっと追っかけているのだが、パリ行きのためにかつかつの生活で、出ているのも、チェックできないでいた。帰国後、真っ先に新潮を入手。一気に読んだ。確かに岩本氏の感想、批評の真意が分かるような気がした。藤原定家の「明月記」、「百錬抄」、朝田善之助「差別と闘い続けて」の挿入なんかは、黒川得意のポリフォニーの手法かも知れないが、不自然というよりも、例えば、朝田の使い方は、もっと今度の作品の取材に絡めて内在的に処理できたのに、惜しいなあ、と僕は思った。
これは、フィックションと云うことだが、明らかに、自分の両親と黒川の幼い時代いわば「少年の王国」をあつかったもので、1968年から1971年くらいの京都の中の出来事だ。鈴木マサホとおぼしき人物も登場する。前作「世界の何処かで いつも」?のなかのライヒ信奉者の青年が登場する作品の連作と読める。大学紛争、森永ヒ素ミルク事件、サリドマイド禍も背景に配置して時代を規定している。
で、そこで、である。実は、朝田善之助とのモデルの父親との距離、サリドマイド禍と朝田家との関わりを父親を通して描けたのに、それが出来てないのが、勿体無いと思う。せっかく「田中地区」を扱うのに、黒川が敬愛したヤンミンギさんとの田中の関わりが書けてないし、テロリスト群像への関心があるのに、その周辺の人物として父をこのストーリーのなかに包摂できるのに、してないのは、いかにも勿体無いと思う。実は、黒川自身は、どの程度覚えているかどうか知らないが、僕と中尾ハジメが大工仕事で駆り出されていた崇仁地区(河原町塩小路のN靴屋さんの奥さんは、朝田善之助の妹で、息子は、サリドマイドで苦しんでいたのだったし、オイル・ショックの頃、父親は、上司と刺し違えようか、と僕と中尾ハジメの前で、そのシミュレーションを語りさえしていたのだった。そういう北沢さんの勇ましさには、僕は、内心、怖気で震えてた。「もし、人々の記憶に残るのならば、肉体の死をものを恐れない」と綱領に書いてあったのだ。それは、いつも、中尾ハジメと3人打ち合わせで、北沢さんが朗々と読み上げたものだ。その場合は、T三郎さんの元官舎の一室であった。ついでに言えば、ぼくは、ここの養子で入ることを請われてもいたのだった。)で、父親は、人事権力とどう戦うか、から飛躍して「労働者解放団」を作り、いざと云う時は、朝田のうしろ立てを得て、プラス、創造的チームを合作しょうと千吉の西村大治郎さんまで引っ張り出したセミナーにNさんの奥さんをさんかしてもらったり、処女作「方法としての現場」の出版記念パーティにも、Nさんの奥さんに出席してもらつたりして、産業会館の2F(つまり、職場付近)で、それを開いたのだった。その前日が、戸村一作さんを連れての「民兵劇」の実演だったのだ。68年の国際会議場での国際反戦集会があり、健一と母は、見物に行くシーンがあるが、あれは、現実の話で桑原武夫さんが、高山義三市長に直談判して、かりたのだが、当時の助役は、黒川の祖父(母の父親)だった。
だいぶ余談に入り込んだが、ここの所、ずっと披露していた黒川の作品の手練れ感が、なぜか、ぶっとんで、恐る恐る書いている風で可笑しく、逆に、好感がもてもしたのだが。
黒川にしても、まだファミリーロマンスをこういう手つきでしか書けないのだな、とわかった。虚実皮膜のデンで両親の問題、両親の恋愛、別離をそれなりに爽やかに書く方法がこうだったのだと、わかるにはわかる。まだ、母親は、健在だし、作品のなかでは、「健一」少年の母を殺しているが、黒川の母親が悲しむようなことは、書けないということかも知れないが、それでは、物書きとして、少し、物足りなさを感じる。この頃、父親は、中尾の家の離れに住んだり「重婚論」を発表したりで、母親は、連れ合い、つまり、黒川の父は「中尾の『性と文化の革命』にいかれてしまったのだ」と思い、地団駄踏んでいたのだった。
ハッキリ言って、恐々と書き過ぎ。
生きているお母さんを殺しているし、父親の職場も市役所なのに、電電公社に変えているし、フィクションは、フィクション。
両親を突き放して書いているいるが、自分の2回の結婚(恋愛?)の失敗も重ねて書いたら、もっと良かったと思う。
しかし、両親の蜜月の書き方には、好感をもった。
「蓮池で溺れ死んだ」小学生、久保田俊男君の死は、じつは、父、北沢恒彦は、少年時代に十全に生きなかった(つまり、死んでいた)と暗示しているようで、その辺は、少し味わい深いものを感じた。
つまり、高校時分、火炎瓶闘争で、一緒に捕まった故秋野亥左牟は「なんだ!?北沢は、ただのとっちゃん坊やじゃないか」と黒川の父の高校時分の相貌について語ることも、ちょいちょいあったが、多分、その感想を黒川も耳にしていただろう。トッチャン坊やとしての父、トッチャン坊やとしての久保田君をかさねたのではないだろうか?その歳以降の父は、この地では、生きづらいものを感じていたという想像と、さらに、その歳で、この地、吉田泉殿町を離れた自分の土地への哀惜感を重ねたのでは?てな変な読み方を僕はした。
で、自分の同級生と父を重ねて、ここで殺している感もある。多分、黒川の母親は、黒川をトッチャン坊やとして育てていたんだと思う。そこで、久保田君を殺し、吉田から離れてから、度々、父から呼び出され、デモにでたり、中尾ハジメの家で酒を飲んで酔っ払って、ひっくり返ったり、父の友人を頼りにしながら、東北を旅したわけであろう。
というわけで、もっと面白く書けたはずと思う。
母の、他の恋愛の可能性も、ちらっと出てくるのも面白いし、父親の恋愛にも、子どもこそなしてはないが、恋人がいたと触れている。亡くなって14年経過してやっと、この程度かけたわけだ。僕は徳子さんの父親の葬儀での弔辞の内容を知らないのと、存在は、つとに知っているものの、読んでない69年あたりの「重婚論」で暗示していることは日頃の会話から察しは、つくが、黒川は、これを書くに際してよんだのだろうか?少し興味が有るところだ。
が、ラスト、エンディングは、両親と黒川と思しき「健一」が、他所の火事現場を見に行く所で終わる辺りは、母への鎮魂歌に終わっている。
母は、癌で死んだことになっているからな~。
母の父親は、特高のボスで、戦犯と書くまでには、やはり行けないのだな~。酔うと、「政略結婚」と吐露することもある父親については、書けないか。
秦恒平さんは、どう読んだかな。
いずれ、これについてもう少し書くつもりだ。
麻美ちゃんが歓迎会を会費制でやろうとメールくれる。
8時過ぎに、八文字屋に行くまで、ほんやら洞でゴロゴロする。
八文字屋は、段ちゃん、奈良井さん、咲希ちゃんのみ。段ちゃんに電話を借りて、姉にTel。和尚は、牡蠣を食って中ったのを「しゃっくりが止まらない」と表現しているとのこと。
八文字屋に沈没。留守の間のノートを見て、低調なのを知る。

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2014.1/19(日)


あっという間の10日間。
いざ、帰国。北駅まで、グザヴィエが送ってくれる。
さて、今度、いつ、パリに来れるやら?京都はどうなっているやら。
スキポール経由、関空。

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2014.1/18(土)


ブラッサイ展をオテル・ド・ヴィルに見に行く。
西川氏を待つ間、正面前のスケートリンクで遊ぶ人々を撮る。
その後、アポも何も取ってないGili館長に会いに行こう、居れば、挨拶しておこうと“JEU DE PAUME“の館長への面会を目指して、駅の売店でサンドイッチを頬張りつつ急行。西川氏が「ここで個展出来たら、超一流やで!やりましょう」と嘯く。さて、さて、西川構想が功を奏すや否や。ちゃんとブッキングしてくれないことには意味なし。「この一週間モレさんがめちゃくちゃ忙しいので」と言い訳するが、こっちは、日本からやって来ているのだから、その位の段取りを付けて貰わないと。仕方なく、企画展、Erwin Blumenfeld(1897~1969)の素晴らしい写真展を見る。結局、受付で文化庁の叙勲局のパスカル・モレさんの名を出して、招待券をせしめ、見てから、館長に置き手紙を残して、TOKOへタクシーで3:00ギリギリに戻る。
やがてWu Haoが来て猫写真。9月はじめに上洛予定を再確認、「北京にも来てよ」と言われる。ichigoichieのジュリアンはプリントを買いたそうだったが、少し高かったかな?呂さんもやって来てパリの美術界でのマイノリティー排除の動きやユダヤ人画商についても薀蓄をヒトクサリ披露。Gili館長は筋金入りの傑物というのには、呂さんも同意。
4時過ぎには、辞してヴォルテールに戻り、グザヴィエの案内で中国雑貨へいき、昨晩、中華料理店のオヤジにみせられ、お土産にしようと思い定めた猪口を買いに行く。
帰りにチョコレート、チーズをお土産に買う。京都はかなりの雪模様との事。
8時過ぎに、ナディアがきて、プリントをプレゼント。ファビエンヌが、2日かけて煮込んだ牛の頬肉の料理を堪能。ギランに貰った年代物の白ワインを供す。サッちゃんは、寝不足か、珍しくうつらうつらしつつも、いちいち僕がiPadを出すのに、睨みをきかす。
2時過ぎに、散会。

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2014.1/17(金)


昼、皆集まって食事をしようという提案も昨夜西川氏からあったが、そんなことをしていたんでは、何も出来ないので、それも断って、バンソン、グザヴィエ、サッちゃんとモンマルトルの墓地へフランソワ、バイヤちゃんの墓参りを優先。
墓所では、猫の出迎えがある。墓地は花で埋め尽くされていた。花と同じくらい多くのコップがシートの上に並べられていた。これは、娘のバイヤちゃんの墓に子供達が水を掛けるためだ。
慌てて作ったのだろう。フランソワの方のChristope方のhが抜けていた。
その後、ブラッサイ展に行きたかったが、呂さん、ギラン、ジェロームのお母さんが、来るような事を言っていたので、ギャラリーへ急ぐ。が、ギャラリーは閉まっており、開くまで、オデオン界隈をバンソン、サッちゃんと3人で散歩。前に聴いていたが、忘れたカトリーヌ・ドヌーブのマンションの場所やら、フランスで一番大きなパイプオルガンのある教会の内部やらをバンソンに案内してもらう。イザベル・シャリエも一二度脚をむけたが、留守だったらしく、4時過ぎに顔を出すというので、ともかく、僕は、ギャラリーにい続けて、イザベルを待つ。そこへ、昨日のプリントのお礼でもないが、と辻哲夫さんが山田稔さんの「マビヨン通りの店」をもって来て、プレゼントしてくる。僕も実は、旅の最中(さっちゃんには、iPadに淫していると誤解され続けているが、深夜おきて、秦恒平さんの本と)山田稔さんの「特別な一日」を読んでいるのだ、とこの本を見せると、「また、友達に送って貰おう、山田稔さん良いですよね」とメモる。辻さんをイザベルに紹介。
イザベルが来て、デカ・ジェローム夫妻が来る。サッちゃんに会いに来たが、バンソンと近辺を散策中の彼女に会えず、映画館へいった。イザベルには、シーボルトハウスでの個展に向けてのヨーロッパの出版社からの写真集が出るとなったら、解説を頼むと言う。イザベル「あの男、カイさんの友達?」と前の個展で紹介した男のことを聞く。慌てて「いや、お客、お客」と言葉を濁す。結局、ジェロームの母、呂さんは姿をみせず。
Wu Haoも来て、プリントを欲しそうな表情を見せて「じゃあ、今度9月、京都でね」と言ってそそくさと帰って行った。
僕も早く帰るつもりだったが、ギャラリーに残ったイザベル、バンソンとの1時間散歩から戻ったサッちゃん、光井さん共々、信じられないくらい安い中華料理の店がカルテュエ・ラタンにあるという西川氏に引っ張られて、その店に行く。実際にそうだった。フカヒレ、燕の巣のポタージュが4ユーロ。5人が散々食い、ワイン、ビールも飲んだのに、66.5ユーロだった。夕べの店とは、雲泥の差だ。途中、ジグムント・フロイトが1885〜1886年に住んだという家を見る。戻って、Wu Haoの最後の表情が気になったので、彼にメールをして寝る。「明日、3時に、ギャラリーで」との即応信。

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2014.1/16(木)


ヴェルニサージュ。慌てふためいてギャラリーに出向いても詮方無き事は、十分にわかったので、ノンビリ構える事にした。
コロンボに発つ前のコリーヌにメールをして、フランソワの墓参心得は如何なものかを訊ねる。
白藤さんより、手回しのいいメール。早く、筆者候補、資金援助してくれそうな人物、企業を紹介しろ、と。僕自身としては企画自体が短兵急にならぬように心せねばならない。
ヴェルニサージュというものは、これが普通といわれれば、そうか、と思うが、ワインは沢山有ったが、食いものは、ミカンだけという、ここまで簡素なオープニングパーティは初めてのこと。少々、勘が狂った。西川氏の本意とは、思われない。それでも、100人のうち大半が2〜3時間居残って楽しい時間をすごした。まず、光井さんが、ろーじ写真に赤ピンをつけてくれた。600ユーロ。エマニュエルは、10時過ぎに来てくれ、皆のサイン要求にこたえていた。僕には、CD(ジャケット・デザインは、彼の手になる)3枚と小さな画集をくれる。Philippe MouratoglouのExercises D'evasion(Vision Fugitive)、Jean-Marc FoltzのViracochas(Vision Fugitive)、Bill CarrothersのSunday Morning(Vision Fugitive)と画集だ。
草間さんご夫妻は、ホテルでの出火により、焼け出され?ての「着の身着のまま来ました」という博江奥さんの説明もある。北駅の近くのホテルから駆けつけてくれたのだ。草間さんなんかに出すちょっとしたオードブルがないのは、辛い。何もなくとも草間さんなら分かってくれるだろうが、若者には、撮影した画像をUPしてね、とすら、これでは、言えない。
辻哲夫さん(土田麦僊の孫)も来てくれたので、僕との3年前のツー・ショットのプリントをあげる。永江くん、加藤幸博の甥も早々と来場。申芳礼さんの紹介の女性は「辻占遊び」を買ってくれる。ギラン、ジェロームのお母さん&ミッシェル、元グラン・エターナのエリック、谷川渥さんの教え子で、パリ第八大学の学生も、レオ、サンヨン、グザヴィエ&ファビアンヌ、カザフスタンのアスカーの連れのバイオリニスト、生物物理学者のフィリップ・マルク、パリ洋舞協会の会長、なんとかボンドというKGの中西ヨウスケさんの知人夫妻、ロシア人のカメラマン兼ピアニスト、誰も名を知らない声楽家、尾崎全記さん、9月に下働きをした女性、名を伏せてくれという書家など約100名、その人たちが、全然動かず、11時位までいた。投資家のフランソワ夫妻は、3点物色、予約?ピエールや何人かから食事や他所の店への招待があったが、全て断る。戻って原稿書きと思ったが、2人展のピエールと全く付き合わないのも失礼だと思って、遅くからの近くでの食事会に付き合う事、1時間30分。電車もなくなった。一人20ユーロ。辛い。帰りのタクシー代、西川氏が20ユーロ出してくれたが、タクシー代なんか払う余裕なし。7〜8キロを歩いて戻る。
セーヌ川越しのノートルダム教会のコウモリが飛び、ドラキュラでも出てきそうな雰囲気の中のサッちゃん写真(自画自賛だが、名作)を撮る。

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2014.1/15(水)


搬入日。これがまた、TOKOリズム?イズム?
朝からスタンバイするも、5:00になっても肝心の西川氏から連絡なし。8:00になってもない。最悪の事態をあれこれ想像する。結局、一日、棒に振る。これは、痛い。10日の旅で、往復の飛行機およびその疲労で2日潰れ、もう一日潰れるのは、なんともつらい。気にいった写真は1点撮れたかな?という程度。まあ、お陰で、永らく怠っていた作業に少し着手できたけど、しかしそれも捗るのは少しだけ。
メガネ屋に行き、何度も落ちるレンズを少し矯正。
この空いている時とばかりに、ウィーンにメール。北沢猛君からは、ルリィーさん、病状の報あり、やや心配になる。黒川創が「吉田の家周辺での自分の幼い頃の事をまた、書いているよ」と猛君にも告げる。両親との楽しかりし日々そしてその亀裂を扱っているとまでは言わず。猛君は「お母さんを愛して已まない」とルリィーさんに聴いていたので。
また、ディックがヨーロッパ11ヶ所に酒をおろしているのだが、パリでは11区の酒屋に置いているとメールあり、ヴォルテールの酒屋(CRUS)をグザヴィエが探し出してくれ、赴き、覗く。チョットした4合瓶の純米酒が、4800円(後に、ベルヴィルの中国食料品店で、メキシコ産の『大関』2合4ユーロもビックリ)これでは手も足も出ない。TOKOにTelしたが、パーティは、質素にやるとの事。自分の展示会の紹介されているギャラリー・ガイド(ロンドンなどを含む広域版)を買う。スカイプで、浅利ちゃん、中村さん、九州の姉と喋る。
結局、クザヴィエのアパートで、一日スタンバイ。グザヴィエに、ブルターニュといえば、アルフォンス・アレーの「悪戯の愉しみ」はよんだ?と聞いたが、ぼくのフニャフニャ弁では、何を言っているか分からず、彼「アラン!?お父さんさんの愛読書、これ!」とアランの芸術論考を引っ張り出すついでに古書を見せる。その本の説明から彼は「美味礼讃」のブリア・サヴァランの末孫と知り、ビックリ仰天。サヴァランの本を持つグザヴィエを撮影。帰って来たファビエンヌへのブルターニュの母からの贈り物を身に纏ったのを撮影したりする。日本風な編み方で仕立てたセーターだそうで、それを着ているのをグザヴィエが撮影中のを撮影。遅く西川氏から連絡があり、生きていたのでホッとする。光井さん、西川氏は、2:00まで、飾り付けに苦心した模様。
山田稔さん「特別な一日」読了。大変な著作だ。「母の遺したもの」など歯がたたない章も、二三あり。オーウェルについては深く同感。エミール・ゾラの「ナナ」は、河出のグリーンの文学全集は、山田稔訳と知り、感動。出た直後、理解出来たかどうか、分からないが、この鼻垂れ小僧が陸上の県大会の宿の夜でも、僕は、これを結構、拝?愛?続?したのを思い出す。あれが山田さんとの最初の出会いだったのか。もちろん、山田さんの良さ、面白さ、要するに、魅力など全く発見できてなかった。その直後に宮本常一、鶴見俊輔に出会うのだが。

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2014.1/14(火)


5:00起床。3時間、NET。
京都の事が、ずっと気がかり。
店の命運、帰国後、どう斬り込んで行くか、方針、定まらず。
あれこれ考えあぐね、iPadに、ずっと関わっているのを、同行のSは、嫌悪すらしている。
この作業が、僕の欠落させて来た10年、20年に及ぶ社会、世界のパイプの一つを回復する術の一つと僕が認識しているのを、どうしても理解して貰えない。これを武器にしようという目論見は馬鹿げていると思っているのだろう。僕の欠乏感なんかには、関心ないのだから、仕方ない。何をもってカイはカイたりうるのか、というのは、根本の問題なのだが。僕くらいのネットワークがあれば、何かなしうると、どうして考えてくれないのか。僕の事を子どもを躾ける小学教師のようにあしらう。そのことによって実務的に僕を善導してるとあまりにも確信し過ぎていると、やや、僕は反抗している?(笑)のだが。もちろん、その道について、僕もわからないでもないし、教育的効果は僕にもあるのも理解する。
俺は、仕事の相方との齟齬を来たしつつ、こんな事をしていて、良いんだろうか?こんなにも自分のそれなりの美質(なんて思っているのは自分だけ?)が理解されずに居ていいものか?と思わないでもない。
「デルフトに行く?」
「どんなとこ?」
「ライデンより、少し小さいとこ」
これは、これで、しねっと済ませよう。僕は、今日、明日、どう動くべきか?(いや、1年,2年,3年を含めて、我が身が悲惨であろうとも)という実務、実働こそが、もちろん大切としよう。僕の根拠がまっとうに理解されず(分かりにくいか?)精神的な張り合いを失って久しいが、僕自身は、絶えず、そこにも戻って、動き、考えるということを忘れずに、神経の磨滅も、出来るだけ避けねば。
山田稔の本で、僕も好きなG・オーウェルの「なぜ書くか」をおもいおこす。オーウェルの4項目か、5項目自体がすばらしいのだが(ここでは、省略)。
山田さんはそのエッセイの中からオーウェルの次のくだりをひいて、興味深い。
「作家とは、誰もみな虚栄心があり、利己的で、怠けるものなので、あって、その上、ものを書く動機の一番根底には、ある得体の知れないものが、潜んでいるのだ。一冊の本を書くというのは長期にわたる業病(painful illness)との戦いのようなもので、じつにひどい、くたくたになるようになる仕事なのである。どうにも抵抗のしようがない、自分でも正体がわからない悪魔にでもとりつかれないかぎり、こんな仕事に手を出そうとする人間はいないだろう。その悪魔とは、おそらく人の注意を惹こうとして赤ん坊が泣くのと同じ本能にすぎないかもしれない」。「とは言え、たえず自分の影を消すために悪戦苦闘しないかぎり、読むに耐えるものなど書けないことも事実である。すぐれた散文は窓ガラスのようなものだ」
僕も45年前にこの事(自身の内部で抱え込んでいるものと正面から向き合う事)を肝に銘じて行こうと思っていたのに、いつしか、この肝が腐ってしまっていたようだ。そしてある意味で、バブル期を自堕落(支離滅裂)にやりすごした。これから、10年あるか無きかの写真家人生を、書く事と両輪の道行きに出来るのか?他人は、「両(?)輪って!?、何を言ってんのよぉ~、写真しかないでしょ」と言うに決まっている。
頼るのは、自分のみ、「ふけているのに、青い!」と思われるだろうが、のたうち廻って行くしかない。若い女の子の甘言に騙されずに行かなければ、ひどい事になる。今も、その兆候あり。クワバラ、クワバラ。
細川護熙さん、本当に立つようだ。NHKなんか、無視するだろうな。
杉村さんからは「帰ったら、新年宴会をやろう、永澄と」とのメール。
江口久美さんも16日のパーティ情報を拡散してくれている。感謝。世の中、感謝を忘れたら、おしまいだ。
雨に濡れそぼれ、脚を引き摺り、引き摺り、濡れ大ネズミのように、デルフトの街を、教会周辺を、一時間うろつく。電車内では、窓外と、膝元の本へと、視線の移動を黙って、交互に繰り返すだけ。
2:37パリ、北駅入り。今回は、身軽に動く。
少し、買い物をして、グザヴィエのアパートへ直行。気持ちは塞いだ?まま。
雑務2〜3時間。
9:00前に、グザヴィエ、Sとともに、リヨン駅まで筒をレオがマルセイユから運び到着するのに、合わせて受けとりに行く。当然「アラブ人街行った?」とレオに聴かれる。僕は、マルセイユではアラブ街以外には興味がなかったのだが、現実が許さない。が、そんな事は口にしない。レオとは、16日再会を約して別れ、グザヴィエのトランクルームへと三人で直行。グザヴィエが自分の家財道具と一緒に預けてくれている僕の写真集本の回収に行く。
僕は、本すべてをもって行って、売り尽くしたい気持ちは山々だが、ギャラリーの現状を想像するに、どうせ、ギャラリーにはスタッフはいず、開いている時間も限られることは想像に難くない。パーティ当日でも売れるかどうか微妙だ、ギャラリー自体が、そういう態勢ではなかったら、ギャラリーに迷惑になるか、目星しい知人にタダで配られて終わるのが関の山のはずで、たとえ残って、それを回収してくれるグザヴィエも大変だ。はやる気持ちを控えて、移送分を少な目にする。
グザヴィエのアパートに戻って四人でワインを少し飲み、この段階でやっと100人程のFB友達に案内を送り、寝る。Sは、Sで手回しよく、すでにキーパーソンには粗方、送ってくれているはず。

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2014.1/13(月)


5:00起床。
11:00シーボルトハウスに、プロンプター?の白藤華子さん、さっちゃんとで訪問。
もう一人のディックさん、館長のクリス・スヒールメイヤーさん、企画係の沼田邦子さんと打ち合わせ。国芳展も見せてもらう。話は、無論、順当にいく。ただ、企業とかの援助などは見込めないので、カタログ代わりの写真集を出すにせよ、スポンサー的存在はなく、自力でやって欲しいと言われる事は、ハナから承知の上の華子さん登場なので、華子さんの面通しの日ともなる。日本の企業でも、オランダは、規模が小さく、メセナ的要素は低いのもよくわかる。近くのレストランで昼ご飯をご馳走になる。特別な変更も発見もネック事項も大禍もなく終了。儀礼的会見で過剰な期待も発生する余地なし。キャビネ100点位をコラージュしたいという意見が新しいアイデアぐらいなもの。館長は「カラーもいいね」と呟く。結局、約200点を展示する事になりそうだ。1月末日までにディックがセレクト。ディックは、甲斐論、京都論も書くことを確認。キャビネ100点というのは、僕の写真を全くといっていい程見てない担当のアイデア。もっとも、NETは、少し覗いているらしいが、ディックの綜合的な企みには及ばないだろうし、いずれディックのセレクションからの派生企画に呑み込まれるだろうとの予測を確認させてくれたと言えば失礼か。でも、確かにポリフォニーは大切な要件。有難いことに、もう一人のディック、クリス館長とシーボルトハウス上げての企画になる。こんな些細なことを確認のために、貧乏人の貴重な時間を費やしていいのだろうかなんて言ったり、思ったりするのは、貧乏人根性の為せる悪態か?皆さんの善意は有難い。僕のハングリーな野望は行き場を失い、少しも解消せず、そのまま、糞詰まりになったり、燻るのは致し方なし。華子さんの出版に関するの楽観性は、ラジカリズムに走り、思い通りに行かない場合に、へこまないかと、少し気になる。オランダでの企画で、京都に居る僕の人脈を当てにされるのは、ちょっと辛い。僕が一番シンドイ時でもあるので、如何がなものかと思うが、出来るだけの事はする。何処の国でも、出版は厳しいのは白藤さん先刻、承知だと思うが、特に僕らの写真の世界では。その意識的刷り込みをやめよと言うのかな。いや、常識は、押さえて失望に終わらぬ事を祈る。ここで、ヘニーには20年ぶりに会ったのが良かった。
その後、三人で、アムステルダム・ライでのドレスコード付きとの招待状を持ってワイン市に参加。ディックは、入口に陣取っていた。ディックの〈Yoigokochi〉ビジネスパートナーは、予想外の女性、知人だった。Froukje Bettenさん。22年前に、八文字屋バイトのヘニーの当時のガール・フレンド、アンネ・ミックさんの友達。ヘニーの教え子でもあり、ほんやら洞の餅つき大会にもミックと一緒に来て、写真も残っていると、やがて思い出す女性だった。京都にもよく来ているらしくヨラムに通っているとの事。「今度、《オランダ北部の》家に招待する」といってくれたが、僕の老けぶりにビックリするその表情は、僕の落胆をいや増しに増幅。6時半まで、ワイン市。白藤さんのリードでのブース荒し?で飲み歩く。彼女は全く物怖じせず、面白い。チェコ・ブースで、TONO STANOと云うチェコの写真家の名を聴く収穫もある。僕は、試飲、試食のために、オランダくんだりまできたのではないのだが。マリコに会うまでの時間潰し。写真集出版@オランダも、多くは期待せず。粛々と自分の歩くべきを歩かねば、酷い目に合うのは、目に見えているとの自覚を強める一方。8:50にマリコ、姿を現す。相変わらず、表情は豊かで、存在感あり、魅力的。「政治家になるなんて、八文字屋時代、少しも考えてなかった。フクシマ、何とかせねば、未来はない。フクシマ行ってますか?日向太君の時代ですね、彼、どうしていますか?」等々。彼女との会話は改めて記することにしよう。週3日政治活動をして、4日仕事という。5歳の子どもと、幼い双子が居て、今、トイレット・トレーニング中だという。今度来た時は、うちに来て、子どもを撮って欲しいと言う。連れあいは、フランス人との事。
11:00までレストラン。一人30ユーロ。超金欠なので、ビビってほとんど何も食わず。ディックですら、この貧乏旅行の体たらくを理解していないのだろうな、思うと先行き、少し不安。レストランに行く前に「カイ、今日の予算は?」と聞くので、いくらでもいいが、余り使いたくないと言うと「フランスでも、レストランへ行って、予算があるだろう」と言っていた。ま、普通は、そう思うか。
帰って、機器を充電しながら、直ぐに眠る。

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2014.1/12(日)


4:00に目を覚ます。
疲れて、作業すすまず。ロサンゼルス帰りの浅井さんに長いメール。クロード・エステーブ(彼、似合わないと思うが、ヌード写真をFBにUP)等にメール。ほか、かなり多くのキー・パーソンにサッちゃんが、夕べ、案内を送ってくれて助かっているが、忘れている友達をチェックする必要あり、そうする。
8:00ホテルの朝食を済ませて、駅へ急行。荷物が肩に食い込む。サッちゃんには、キツそうな荷物、気になるが、9:37発TGVへ向けて急ぐ。日曜日のマーケットが、始まりそうだった。プラットフォームを端から端まで歩く。20両の最前列。車窓の眺めは、深い霧一色。レオから、Tel。月曜日でなく、火曜日の9:40になった。
窓外は、時間近く深い霧に閉ざされたまま、列車は進む。結構、ロマンチック?
疲れ切っているさっちゃんは、そんなことにお構いなし。しんどそう。よほど疲れているのだろう。もっとも、悲しいかな、いまの僕の境遇は、ロマンティシズムを醸成する状況の欠片とも無縁。そんな事を言っている場合ではない。今年は、成り振り構わず、写真家人生を突っ走るのみ。さっちゃんは、広々とした席を取っていたが、途中で止まる駅から乗り込む人の席かも知れないと思い、隣の席に戻っている間に、ほかの無関係な客に席を取られ、ガッカリしたようでやや不貞腐れ、眠り続ける。時折、目を覚ましては、次のような言葉を吐いては不甲斐な気な僕の事をチェックする。「グザヴィエも、フランソワの、墓参りに一緒したいと言っているので、土曜日にしよう。その後、ナディアと食事」タイムキーパーだ。
「チョっと見せて、千佳ちゃんからのメールには、濱崎さんが来たとあるわよ」と京を忘れる勿れと事務的チェック終始するだけでなく、細々とした更なる指令の発令だ。本当にぼくが自堕落に見えるのだろう。「iPadを放して!ほんとに!依存症やわ」といっては、睨みつける。
僕は「これが、なんで、僕の仕事だとわかってくれないのや!?ねえ」などとぼやき節で言い返しても無駄、信用して貰えない。ならば、仕方なし。僕も眠り続けるのであった。実際、今の僕からiPadを取り上げたら、何も残らない、とかブツブツ。そう考えつつ、僕は日乗への書き込みが、今の今に追いつくための僕なりの必死の努力であり、ぼくを取り囲む状況を確認する手段であり、もっと効率化したいが、今暫く処置なしとの現段階での確認におわるも、飛躍するしかない。その程度には、役に立つのだ。どれ程惨めな生活をしようとも、書き物と写真をセットにした道を行くしかない。多くは、傍目には、無駄に見えようとも、僕はこの半年、自信を回復しつつあるのだ。これ以上追及しないので、ほっといて欲しいなんて事は、言わない。
iPadを置き、山田稔さんの読みさしの「特別な一日」を取り出し、続きを読む。実際、僕の身体も、がたがたで、本を読むどころではないのだが。パリに着くまで、霧は晴れず。
リヨン駅から北駅へ、移動。そこからまた、ウロウロ。乗り継ぎの距離たるや半端でない。肩に食い込む35キロか40キロの荷抱えて、連日何キロ歩いたことになるのだろう。
僕も原稿を書かねばならないのだけど、こんなにつかれていたのでは、ちょっとキツイ。神経を集中出来ない。
2:37発のロッテルダム行きの列車に無事に乗る。
その前に、西川氏にTeL。ニュープリントを頼むというと、言葉を濁す。まだ、見てないようだ。光井さんとの関係が微妙に齟齬をきたしているのでは?と想像をめぐらし、心配になる。彼も、必死にやってくれているのだ。金の問題だという。もしプリントしないのならば、僕の京都出発前の血眼になった3日間のネガ探しは、一体、何だったのだ!?と言いたくなるが、口はつぐむ。彼も苦しい中でようやっているのだから、愚痴はいうまい。でも最初から、彼の心づもり、取り巻く状況を腹蔵なく伝えて欲しかった。それなり、僕の必死な動きを分かってもらわないと辛い。何の文句もないのだが。パスカル・モレさん、JEU・DE・PAUMEのGili館長とは連絡取っても、上手くいかないのか、言及なし。僕の今回の個展は、それ絡みな事位、彼も分かっているはず。彼も、この複雑な人物だ。そうもいかない現実を抱えているに違いない。
今晩の浅利Dayはどうだったのかな?気がかりだが、Telストップで、連絡しようがない。
ライデンの駅まではあっという間だった。車窓からのベルギーの眺め、撮り損なう。ライデンには、バート君、クン君が迎えに来てくれて、一番重い荷物を二人が、交代交代に担いでくれた。
Dickも直ぐに帰って来る。Marikoの窮地についても聴く。受難で一応、国会議員をやめたとの事。外交部門では、緑の党の顔だったのだが。この状況では、会えないかな?
2〜3の応酬の後、白藤さんとも、話がつく。インゲさんは、遅く帰宅。鶴見太郎さんから貰った、シックな器でごはんを食べさせてもらう。鶴見和子さんのライデン訪問の面倒を見る予定のオジャン記念?の詫びで貰ったという。ディックにカラー・ポストカードを200〜300枚あげる(後で、パリでの販売用がなくなったのに、気付く。)
Dickは、素晴らしい生活をおくっている。夕ご飯は、インドネシア料理、約10品。日本酒も最高。
久美浜で「玉川」を作っているHarperさんの消息も聞く。先ず、ディックに「乾杯!」と言って、キョトンとした顔をされたので「歯抜けで、何を言っているのか分からないのやろう。来年、入れ歯を入れなければね」というと、ディックに「カイさん、歯が無くてふにゃふにゃいうのが、トレードマークなんやから、良いんにゃ」と言われてしまう。これ、結構、ショックだったが、逆に居直り、自信が持てそうな気分になるのだから、僕も大概だ。しかし、老け込んだ事には、変わりはない。

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2014.1/11(土)


5:00起床。夕べ、寝ながら、次のフランス写真集は、京都、フランスを舞台にした親友たちの心温まる交流写真、交流譚で行こうと決意。これなら類書がないのでは?スポンサーはいないものか?などつらつら思いつつ寝入ったようだ。
東京都知事選、細川護熙氏、出馬を報じるFBの書き込み目立つ。小泉支持、鳩山邦夫氏がスポンサー。宇都宮氏は、どうなるか!?今度こそ、反原発、脱原発側が勝たねば、未来はない。
5:20西川氏よりメール、今、帰宅。8:30に起こせと。日向太、先日、自分のPCにとりこんだ分、CD-Rに焼いて持っていくと。毎日の鈴木さん、えべっさんの画像を明日中に送ってくれというが、3日間ちょうど無理。もっと早く言ってほしかった。
1時間作業。7:45には、グザヴィエ、朝食の準備をおえスタンバイ。感謝。シャワーも浴びる。
毎日に送るのは、やはり、無理。時間なし。
9:10に出て、ナシオンの電話屋で、さっちゃん、滞在中に使用可能なケータイを買いにいくも、オープンは10:00。カフェで、時間を潰す。
ナシオンの、今は、アパートになっいる300年前は、パリの内外を区分けるボーダーの入り口にある門の存在を教えられる。三輪車の可愛い子供をとる。ケータイは15ユーロ分、機器をとりかえ料金込みで25ユーロ。
10:55になっても、西川氏からの連絡なし。パン、ジュースを買い、マルセイユ行きのTGVに乗り込む。
電車出発直前の11:00に、西川氏から「Telの電源が切れていた。ゴメン、ゴメン!」とtelはいる。時既に、遅し。グザヴィエに、渡すべき物は、また、持ち帰ってもらった。「駅の誰かに預けてくれれば、いい」なんて、宣う。
11:07発TGVは3時間足らずで、マルセイユ到着。TGVの窓ガラスは、とても汚れていて車窓の眺めをカメラに収めるどころではない。駅前にレオが到着を待っていてくれた。
懐かしい街並みを3人で、ぶらつく。土曜日のせいか、人出でごった返していた。いい所にこれた!と嬉しくなる。応援してくれたサッちゃんに、まず、改めて、感謝。
HOTEL「Vertigo」にまず、荷を降ろす。宿代は2人で50ユーロ。レオの紹介でさっちゃんが予約してくれていた。次にレオ宅にどれだけの荷物が有るかを確認にお母さんと二人で住むVieux Port近くのシックでdecentなアパートに見定めに行く。お土産「生前遺作集」を渡し、早速、お母さんが、喜んで見てくれてよかった。美味しいドリンクとNew Year用のお菓子を戴く。お母さんは、レオとそっくりの顔をしていた。前にも聴いていたが、4月からレオは、精華大学の研究生として来るとの事。
ライデンまで運ぶ荷物は、優に50キロあった。2人とも、リュック等もあり、電車で移動するには2人の手には負えないと判明。二人で写真類40キロが限界で、持てる物は手にするとしても、残り10キロは、どうするか?郵送か?と迷ったが、リヨン駅までだったら、レオが、13日の月曜日19:41リヨン駅着の電車で、パリに出るというので、そこまでは西川氏に取りにきて貰う事にした。(結局、14日21:40に変更で、西川氏でなく僕らが取りに行く)彼、本当に来るか不安は残る。西川氏、パリの公式のギャラリーガイドブック“L'Offiiciel Galeries &Musées”1月号のトッブに、僕の猫写真が出ているとのTelして来る。「えっ、大きいのがあるのか!?」喜んでくれる。ピエールが、9月に会ったさいに「今度は、小さいサイズでやろう」と言っていたので、大きいプリントのことはテンデ頭になかったが、西川氏としては、サイズに関しては何のイメージもなかったようだ。
レオは、1月号の「文藝春秋」誌上につげ義春のインタビューが掲載されているのを、さすがに目敏く押さえていた。
レオの家で別れ、荷物は、宿に持っていく。その後、無料のフェリーに乗り、対岸の旧市街に渡る。2年前も歩いた辺りを7:00近くまで散策。旧市街には、ゆかしい路地や迷路風な坂には、小さなアトリエ、ギャラリーが比櫛しており、所によっては、廃墟と化し、それでも溢れているとも言え、アーティスト好みの街のようだ。さっちゃん、少し歩き過ぎで、疲れ過ぎか?はたまた、空腹でか機嫌が悪くなる。
夕食を一緒にしようと言っていたレオも、友達との用事が終わらず、戻って来れず、彼の推薦する「Chez Vincent」というイタリア料理屋にする。僕としたらこの街ではW・ベンヤミンの「都市の肖像」収録のナポリと何故か勝手にダブル・イメージさせていたせいか?アラブ人街を覗きたかったが、さっちゃんの深謀遠慮を顧慮の上いかなかった。ホテルのフロントも安全を保証出来ないとも言っていた。さっちゃんの説では、フランスの夕食はだいたい8:00らしく、料理屋も8:00オープンなので宿で時間を潰す。
毎日新聞の画像を送れの要求には、画像を送るにも、宿のWiFiが不調で諦める。イタリアレストラン、Vincentはなかなかの味で、リーズナブル。
異国の安い、良い店に入るたびに、何時も僕は、半端な店の店主として複雑な感慨に耽ることになる。店の経営者としても、写真家としても、ましてや、物書きとしてはなおさら、全て中途半端な自分は、今後、どう展開すべきなのか、と。こういう店をやり続けているうちに朽ち果てる道はなかったのか、有ったのか、何処の時点でこの道を選ぶことになったのか、といつもの事だが、反省。強烈なモチベーションの有無が問題だ。僕は、結局、この中途半端な生を生きるしかないという結論になるのだが、それにしてももう少し何とかしなければ。それは、何時もの皆の励ましを受ける素。マルセイユくんだり迄来てそのように頭を巡らすのだった。司修さんの小説では、マルセイユの街をどのように具体的に描いていたかと思いを馳せるが、思い出さず。
食後、港にある大観覧車とミラー・ゾーンをウロつく。影絵みたいな写真は撮れたかどうか、現像してみなければ、イマイチ分からない。
そうやって歩きつつも、本当に、“Vincent”の90歳過ぎのマダムは、エプロンを付けて、応対していたのはすごい、参った、とまだ我が身と照らすのだった。
ワイン1杯も、4ユーロだが、2杯分はあった。家庭料理屋みたいなもの。見事なイタリア料理屋だった。いい店を長年維持するには、誰しも獅子奮迅の働きをする時期があるにちがいない。
宿で、シャワーを浴び、バタン・キュー。

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2014.1/10(金)


「いざ、鎌倉!!」と勇んでも、佩刀すべきもの(旅銭)なし。
これから10日間Sとパリ、マルセイユ、オランダの珍道中になるのだが、終始、グズの僕は出来の悪い小学生のように(iPadきらいの彼女から僕のそれの使用を揶揄されつつ)叱られつつも多少、剥れることはあっても、ベシメの面構さえも見せず「ハイ、ハイ」と従い、旅をするに若くはないと腹は括っている。まあ、内心穏やかではなく、ひょっとしたら、衝突、軋轢の記述をつい残すことになるかも知れないが、ま、しつこくはないはず、飛ばして読んで貰って一向に構わない。僕は、事実を淡々と記するでしょう。今、Sとの喧嘩が発生すれば、僕の秋も、来年も無くなるのは、見え見えで、決定的対立は、ありえず、愚痴にもならず、感興そそらないはずだ。その辺は、飛ばし読みして下さい。
ただ、今回の旅の日々を、一日、2点でも、僕の画像を、僕に代わって、UPしてくれるのを願うのみだ。僕には、現金9000円しかない。あとは、必要とあらば、全て、彼女に立て替えて貰い、戻ってから、僕が、稼ぎ、返す旅だ。
そういう作業は、きっと実り大きなものになるはずだが、さて、実現するや否や?それには、相当な覚悟がいるはず。軽く「いいよ」と言ってくれた。さあ、ここから、全てが始まる。
7:56ほんやら洞を発つ。TelStopで、姉にも連絡できず。タバコ4パックで、10200円。さっちゃんの立て替え。ファビエンヌが買ってくれたパリ・マルセイユ&マルセイユ・ロッテルダム間のチケット代と相殺。(2人分)
12:25関空発。11時間50分のフライト。機内映画「少年H」を観る。アテンダントに「カイさん」と声を掛けられてびっくり。去年、ピアニストのピエール・ラニョーさん、東光の副社長、西川氏ともども9月オデオンのバーで深夜一緒に飲んだ、ナディアの友達の田部ミサコさんだった。「また、個展?」と。正面は、機を逸し、横からワン・カット。早く気づいていれば、サービスしたのにといわれる。飛行機はやや早く着いたが、暫く機内にとどまる。
シャルル・ドゴールでも、知人に声を掛けられる。麻谷宏さんの教え子、中野ユカコさんだった。16日からベルギーとの事。WiFiは、パリの飛行場では、30分と限定されていた。
飛行場からパリまでRERで2人分19.50ユーロ(S立て替え)。鈍行で10駅目が、北駅。北駅は、いつになく怪しい雰囲気が、充満。もちろん、痛い脚を庇いつつ速足ですりぬける。駅から、西川氏にメール入れるも出ず。ネガをいつ、どこで渡すか、決める必要あるのにラチがあかず、まあ、幸先は、良くないほうがいいか?と自分に言い聞かせる。明朝10:00までになんとかなりそうもない。とりあえず、電車を乗り継ぎ、ヴォルテールのグザヴィエ宅へ7:20に直行。アパートのパスワード変更で直ぐにはいれず、向いのカフェでTelを掛けてもらってグザヴィエに降りて来てもらう。グザヴィエ&ファビエンヌのモノクロのツー・ショット(後で蛤御門の性の暴走族3少年の3点のプリントも)プレゼント。ファビエンヌは1時間後に帰宅。9:00過ぎに、パスタと肉の和え物、サラダ、チーズをアテにワインをたくさんご馳走になる。サッちゃんのPCに保存のフランソワ・クリストフの死を伝える第一報(その時は、40代のフランス人男性としか報じず)や3分間の彼が勤めていた「ラジオフランス」での追悼ラジオ放送を一緒に聴く。彼らは、フランソワ・クリストフの死を知らなかった。フランソワ・クリストフは、ヴィラ九条山では、グザヴィエのいわば、後釜で、部屋も直後に引き継いだのに、なぜかフランソワが「京都では八文字屋は外さず行くように」とアドバイスしていたという宿縁があった。
10:45西川氏にTel。今日は、コンサートを二つ企画進行中。今からでも、来ないか!?というが、もちろん、行かず、彼を明日8:00にTelで起こすことで落着。遅くまでグザヴィエとは積もる話をする。行灯展の事、ジェローム・ブルベスの九州産大での職獲得の事等々。彼もRyotaroの飼っていた猫「ニコ」は、グザヴィエが京都でタクシーのドライバーが、彼の脚を挟んで逃げ去った後も、グザヴィエは、ずっと脚痛に苦しみながら、Ryotaroの下宿に泊まっている時に、グザヴィエの痛む脚の側に、ずっと寄り添っていてくれたそうだ。このニコの死後、Ryotaroがパリのさる所でニコの骨を散骨した話や、Ryotaro、千馬木、Take-bowの間の確執が拗れた結果から発するチョットしたトラブル話にも言及。グザヴィエに預けている本は、倉庫にあり、16日に一緒に取りに行くようにした。また、明後日に到着するプリントがもし重すぎて移動が大変なら、一部をグザヴィエが保管して、3月にファビエンヌの兄がアムステルダムの近くに住んでいて、会いに行く用事があるので、そのときに置いていたら運んであげる、とのファビエンヌの有難い申し出もある。なんとも一々有難い話ばかり。Ryotaroの土産で持っていたドーナッツ版の松方弘樹のレコード「関東流れ者」を聴いたりしながら、四方山話で、あっという間に楽しいひと時がおわる。18日には、グザヴィエ宅にナディアも呼び、送別会?をやってくれる段取りになっているとも、何とも嬉しい。
気が付けば、12時をすぎていた。
西川氏とは、結局、明朝、リヨン駅のプラットフォームで10:00に待ち合わせ。12:30就寝。48時間起きていた計算。
僕は、ビーチの小ちゃな口で空気を入れたような、ゴツゴツしたボンボンベッドまがいのビニールの上に手足をはみ出させ、寝る。これだけでも、大感謝。

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2014.1/9(木)


9:00起床。1hネットを弄り、チャリンコ屋へ。キー取り替えに735円。
サッちゃんも、家にチャリのキーを忘れて、ほぼ同時間におっちゃんに鍵を切って貰い、営輪で、おニューを付けてもらって、かろうじてセーフ出勤と後できく。捏ねた鍵の付いたチャリで、同じコースを北上していたことになる。
10:30、ほんやら洞には、もう麻美ちゃんはいた。ネガのチェックと旅の準備(と言っても、安もんのお土産を詰めたり、予備プリント探しだけ)で、あっという間に4時になり、ほんやら洞の大家に15000円だけ入れ(今月分残20万)、宵えびすへ行く。電話がどこからもないと思っていたら、止まっていたのだ。
八文字屋もほんやら洞と同時STOPと後で判明。
三脇さんから本代、振り込むと、再度メール入り、幸運を喜び、Bkに急行するも無念。タイトロープ。三たび三脇さんから「○○円入金します」のメール(結局、1月21日になっても確認できず)。えべっさん、空いていて、まずまず。神田稔さんから「4月21〜23日の昭和な感じのする合宿に、自分も参加しても良いか?」とのメール。神田さんのような方こそが、中心になるべきと思っているので「大歓迎!」との返信す。
毎日の連載原稿3本、昨日、送ったつもりが、2本しか届いてない、しかも、1本は、先方さんのドジで再度の要求の徳正寺、ヤバイんじゃないかと思いつつ、応ずるも、案の定、取り消し。
鳥肉、冷蔵庫に多し、ハ文字屋の客見込めないので、料理せず。9:30八文字屋入り。岩本敏朗、ジャーマン。
岩本さんは1年ぶり。前回は、氏の親友、吉田中阿達町の佐藤さんの家が火事に会った直後。組合の会合の帰り。編集部からの組合委員が消滅したこと、管理職の同期入社のMちゃんも顔をだしていたこと、引き篭もりの自分もボチボチFBを始めざろうを得ない状況にあること、5月転勤の可能性の有無、支局長の給料の多寡、吉田中阿達町の隣町で育った北沢恒彦の息子の黒川創の最近の精力的な創作と新潮社の支持による矢継ぎ早な新作(60年代から70年代にかけての百万遍周辺の細民?を炙りだす?「吉田泉殿町の蓮池」の発表の面白さと異論(ドキュメンタリーというか、ルポ?と小説性ミックスの文体でのシノギ小説の感ありとの評価並びに好悪の程度と『蓮池』の存在の創作の可能性の有無と事実性、文芸誌の中での「新潮」の好もしさについてのオマージュ等)について言及。12:20まで。「黒川創さんが、百万遍辺りについての作品続々と発表する中、北沢さんの周辺人たる甲斐さん、少しスキャンダラスな甲斐さんの手になる「ほんやら洞草創期」の読み物がでたら、ほんやら洞も勢いづくのでは!?とか、なかなか出なかった月曜社本「ホンマですか、ホンマなら、誰かに書いてもらわねばね~」という彼に李先生から頂いたバイジュウを供す。永澄氏の来年以降の去就、決意についても、含みのある眼差しを開陳。永澄版「楡家の人々」に取り組む時期であるやも知れんと、察する。吉田中阿達町では、一時「吉田センター」付近の家に山田稔さんも住んでいたはず。「ペスタロッチ幼稚園」あたりには、かつて「野川」という川が流れていたのは、山田さんも書いていたとおりだろう。氏の同級生の父、恒藤恭という滝川事件の法学者の住んだ町も大堰町だし、水と関わる地名であり、関田町、泉殿町も川、水に縁がある。蓮池くらい有っただろう。黒川創も最近、この辺を舞台にあれこれ書いているが、山田稔さんが描く60年前とは、随分、様相が違って面白い。黒川は、伝説の中の蓮池だ。
ジャーマンも久しぶり。鹿児島への帰郷とネパール行きでの心構え?、6年越しのティルとの共訳書、1920年代のドイツのマージナル・アートと精神病関係の本、が陽の目を見そうだ、編集の堀川君からの読みやすいとの合格点を貰った。で、今日、朴ちゃん、ティル、堀川くんとの飲み会。次の仕事、「フランシス・ベーコン論」の翻訳に取り掛かったこと、ユカちゃんが八文字屋の臭いを敬遠していることと彼女の再婚への道のりに付いても触れる。リュシアン・フロイト展をウィーンで見た旨、喋る。
もっとお客がなければ、本当に辛い。なんとしてでも、切り抜けねば。3:00まで粘るも虚し。ルール地方からアドリーヌ上洛のメール。ライデンのディックから火曜日の午前中にシーボルトハウスのディレクターに会えるか?とのいささか機会外しの打診メール。彼もライデンでの「Yoigokochiの会」のワイン祭り参加のことで、忙殺されていたとのこと。オランダの出版社からのシーボルト展のカタログ代わりの写真集を出す可能性を追求してくれている白藤華子さんには、悪い事をした。
4:00朝風呂後、ほんやら洞でネガ捜し。自らのネガの豊饒さに自画自賛ながら「残りの全人生を費やそうとも、終えぬ」といよいよ覚悟を迫られ、眩暈とともに、暫し陶然とす。故郷からのかくも長き遠出は、他人事かと思ゆ。ただ一睡も出来ず、ただの神経麻痺やも知れずと思うが、わが脹脛のかくも硬直しし日々、風呂での発見、気に掛かる。

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2014.1/8(水)


切れそうなタイトロープ。せめて、2日間、暗室入りを果たしたかった。
印画紙、現像液を買う金がないのでは、仕方ない。パリ行きにフィルをもてず、どうする!?パリ展以降を見据えて、どうするか、大問題。
これから、どう展開すべきか。
月曜社の神林さんから、メール。それだけで嬉しくなる。単純なもの。
毎日の連載原稿3本送る。
家、ほんやら洞、八文字屋の掃除、ほとんど何も出来ないままで、出発となる。麻美ちゃんに迷惑三昧。八文字屋も、ひと頃の活力を欠いている。元気なのは、段ちゃんのみ。家賃問題に頬かぶりしてのパリ行き。
八文字屋には、久しぶりに、浅利ちゃんが入る。パリ行きの荷造りおわらず。朴ちゃん、奈良井さん、海坊主、カゲロヲ、竹ちゃん、片山さん、山形君。朝日放送の藤田貴久さんは初対面の学習院から京大に来た美女、才野英里子さん(8月25日生)を店を紹介すると言って案内してくれた。撮影。
2時、お客切れたが、6時までいる。NETチェック1時間。

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2014.1/7(火)


昼までダウン。
京大のキャンパスで、明日、修論を出すという、吉田寮のダニエル(オーストラリアから)に遭遇。
関田町で、サントロペの大東さんに会う。サントロペは、「毎日」にいいかもと思う。
HUB KYOTOの撮影、京都タワー周辺のうろつき、山田稔さんの「特別な一日」を少し読む。
ほんやら洞には、九州産業大学に就職の決まったジェローム・ブルベスさんが来店。
ワッキーからは斎木温子さんのUPはどこか?と云う問い合わせある。名が間違っていたようだ。もっと目立たせて欲しかったとも言う。
OプロのKさんが、日乗から誤解の可能性のある部分、営業に抵触しそうな箇所を払拭しろとのメール。そう、NET社会は怖いのをついつい忘却す。巻き添えは避けねば。
別の話しだが、僕が金がないと言いすぎで、下品と思っている人たち(人種と言ってもいい)がいるようだ。確かに、身内が貧乏と言っていたんじゃ、ウチまで、貧乏と思われたらたまらん!お方もいるだろう。実際、僕は、貧乏で、「貧乏、貧乏」と、鳴いているだけ。色んなクレームってありよ、ね。
また「他人の悪口に類似することを日々書き連ねているんでしょ、それはルール違反ですよ、NETなんか、弄る資格がないですよ」との懇切な助言も辛い。そう直接、口を酸っぱくして言う友人も近くにいるんですよ。皆が行儀悪くなくなったら、オモロウないと思わないのかなあ!?
僕のFbの記述のせいで客の脚が遠退くという節には僕は与しない。単純に、美人客がへったからだ。ほんやら洞は綺麗にして、常時オープンできたらいい。もちろん、僕のFBの記述がお客の仕事で差し支える場合もあるのは、重々承知。八文字屋に何でも書かれる事を望む人もいて、それはそれで喜んで頂いたらいい。これ、かなり、コアな層だと、毎日、観察して、そう思う。それよりも、大きな動きを作り出せてない。それが問題。景気のせいにしたくない。Fbは、僕のためにあるような物、何とかしなければ。
僕は少数派か。八文字屋は、いや、そんなに流行ってない店ではないですよ、と心配してくれる皆さんに言って置きたい。棲み分け理論を知らない方が、そう思っているだけです。
僕は、この期に及んで、攻撃的に出ない手はない。今、まさにその時節の到来だ。そんな店、こんなアホもなければ、人生、面白くも何にもない!逆に、こんなに恵まれているのに、ここから何も出来ないなんておかしい。何が、欠落しているというのか!ソーシャル・ネットワークを、もっと有効に活用しよう、もっと、もっと。
N氏は、N氏で「何を細かいところに拘っているのだ!?JEU DE PAUMEをみろ!ライデンなんか比べ物にならないぜ、今しかないぞ!」と仰る。なんでもいいから、とっとといいプリントを、パリの俺の前に集めろ!と言う。それも分かる。が、先立つもの、微妙な人手も必要。僕の現状は、今も今、かつかつの今こそが問題なんだ。潰えそうでしか、ないのをご存知ないようだ。僕は、お尻ON FIREのただの上げ底の底抜けのジャジャ漏れ野郎なんだ。今、まさに切れんとするタイトロープ。
ただ、残りの人生を、写真を活用して、権威主義的でない道を歩くコースを設定せねばならない。ぼくは、そう信じている。無数にあるネガと誰がどうやって付き合うというのだ!有能な人々と組むことを渇望しつつ、果たせずに終わることは、避けたい。
八文字屋には、咲希ちゃんがはいってくれ、風邪で不調のオイタさん、アイウエオ、奈良井さんのみで12時。
皆引けた後の2時、山中コウジさんが、デザイナーさんと来店。4:00閉店。帰宅は歩いて、6:00。

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2014.1/6(月)


パリ行き前の仕事のいろんな事を省略せねばならない。
13:00まで、寝てしまい、さらに、その感つよし。毎日新聞には今日、原稿を1本送り、さらに、画像&コメントを木曜日までに2本送れ!と言って来る。つらい、つらい。今日、1本送り、後もう1本か。京都タワー?HUB KYOTO?
スカパー!26ch「ほんやら洞の甲斐さん」オン・エアは、3月8日21:00〜21:30と決定。
八文字屋オープン8:30。お客さんはオイタさんのみ。スカパーの件、「喧伝」と記したのに加藤さんが「えっ!」と食いつく。そりゃ、そうだ。誤解されかねない僕の書き方だ。加藤さんには感謝しているし、傑作ができたと確信もしている。チャリのキーを壊そうとするも、失敗。徒歩で2:10に帰宅。チャリなしのため、パリ行きを控え、足腰の鍛錬になる。「捨てる神あらば、拾うかみあり」か?代わりに、重い荷のせいでやや脱肛気味。パリ展用ネガ探し。やはり、面白い(自画自賛)。インド、リスボン、パリ写真を考えていたが、やはり、京都にしようと思い直す。ヒルゲート展のタイトルも変えるべきかも。
ネガをチェックしていると、次の、人たちが次々とでてくる。
水上勉&千本健一郎、鶴見俊輔&「帰って来た脱走兵」のテリー・ホイットモア&大木晴子&「クジラ」こと、遠藤洋一(福生市会議員)、ニコラ・ガイガーと悉皆屋の高橋のおっちゃん、武市さん&知花昌一、74年の駱駝館でのムサイ不精髭にエプロンかけで料理する鈴木マサホ、1980年1月31日のほんやら洞での(来年、子供のペータース・ユンクが広島に呼ばれて来るらしいが)ロベルト・ユンク&アイリーン・スミス&里深文彦さん&ニコラ&古川豪、1974年の片桐さむ&西尾志真子&kai、1980年夏のほんやら洞での映画会に来た出町の子供たち、子猫&同志社女子中生、1978年ほんやら洞の餅つき大会、1983年の市会議員選挙でマサホの応援講演をする同志社神学部の名誉教授の和田洋一さん、若かりし日の国際禅学研究所副所長のウルス・アップさん、ゲイ・カップルのボケット&ウドム、初期ほんやら洞では写真指南役の佐野正明さん&若かりし日の日本歯科技工士連盟副会長の桑原敏勝&中尾ハジメ、1974年12月5日の室謙二vs中尾ハジメのボクシング、1980年の出町ふれあい広場(祭り)の準備の出町青年部、の面々、北沢恒彦&片桐ユズル&中尾ハジメ、1979年4月の出町国際交流せんの呼びかけぶん、大沢基さん、藤田一良さん&三橋一夫さん&中尾ハジメ、出町界隈あなたも写ってませんか青空写真展に群がる同志社女子中生たち、古川豪の娘二人(1977年)、京極小学校の110周年記念のタイムカプセル委員会、1984年の星野高志郎&サバサバ・フェスティバル、1984年の部落解放センターでのマダン劇、1974年11月11日の中尾ハジメ&北沢恒彦の水晶谷探索行、1979年の原田君の会(三里塚闘争で逮捕の市職員不当解雇撤回を求める会、楽友会館)、額縁と日向太、1984年11月11日の生野民族文化祭(ヤンミンギさんに連れられて大阪へ)、1989年角理羽子&福原吉久の結婚式、1994年の西陣での都はるみ(アサヒグラフ建都1200年特集取材)、ちんどん通信社の面々&日向太、徐勝先生&教え子、松木染色工場、イザベル・シャリエさんファミリー、鈴木貞美さん&銭鷗さん、日渓美佐子さん、鈴木はるかさん、井上章一&杉本秀太郎、冬木順子ベスト、中川祐子さん&朝日さん、書肆山田の鈴木一民さん、1998年の中山容さん追悼会、詩人の園田恵子&森詠さん、針生一郎夫妻、ルパンの嫁&娘、花園の荒物屋さん、1995年のアンフェール(恵文社)での個展、赤々舎社長、1998年雪の木屋町の大林マキ、1995年由布院まで来た美女、西村卓嗣&従兄妹の二至菁さん、清水正夫さんファミリー、椎名たか子さん&水上ふきさん、1995年の黒川創と朴和子さん、今江祥智さん&池田知隆さん、京都市長選立候補から20年後の幡新守也さん、2001年三条大橋のホームレス、親鸞賞受賞インタビューを渋る水上勉&牧野茜、2002年の浜田佐智子出版記念パーティ、裏寺の静の少女、初めて会ったオイタさん、去年までオランダの下院議員の祇園のペータース・マリコ(元八文字屋バイト)、外人記者クラブ会長のオランダのNRCのジャーナリストのハンス、などのネガがでてくる。
僕は、こういう写真を全面的に押し出すべきときに来ているのだと痛感。このネガの入った合財袋ならぬ合財箱には、3年前に姉が送って来た関節痛・筋肉痛の塗り薬や1976年の出町国際交流センターを作るときの最初の素案まで入っていた。10年以上前から、たとえ海外展、店の経営破綻後でも、これさえあれば、10年は生きて行けると、漠然と考えてきたのだったが、その10年も過ぎ、さらに、問題が煮詰まっている2014年の正月だ。
16日からのパリのTOKO展では、猫のキャビネを16点ワンプレートに挟むというのもありかとも考えもしたが、これは、余りに、安易か?N氏には、僕を押したてる意欲と、その余裕はあるか?写真集「遠い視線」には、元八文字屋バイトのオランダ下院議員のペータース・マリコ、伊方原発訴訟団団長で中川五郎わいせつ裁判弁護団団長でもあった藤田一良弁護士も、熊野勝之弁護士、室謙二、北沢恒彦、中尾ハジメ、五郎本人、慈子らと共に出ているのを再発見。
ヒルゲートでの5月の個展では、小沢信夫さんの本のタイトルを拝借して「私の上を通り過ぎた人々」でもいいかも知れない等々、あれこれ考える。サブタイトルは「わが師わが友」?キザだな。
7:10まで、作業。

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2014.1/5(日)


家でノンビリする。
残り少ない人生を見通して、今年の正月ほど、気分的に追い詰められた感じ、ピンチと感じたことは、これまでの7〜8年の中では、かつてなかった。金銭的な追い込まれ方で、もっとヒドイ時期は有ったが、これまでと比べて、表面上は今年は、さしたるダメージはない。しかし、肉体的な衰えは、歳いる波には勝てず、著しく、このままでは、大怪我をしかねないほどのひどい、タダのお爺ちゃんになっており、大きな転換を迫られているのには間違いない。今こそ決断しなければ、ずるずる行き、応援してくれている近親者たちも、もう危機の淵に近づき、失うだろう。僕がこれまでただただひたすら把持し続けたものは何だったのか。周辺に理解されるようには、表現出来ないで来た。パリの支援者も、かつてなく究竟の中にありながら、冴え続けて、スマートなアイデアを繰り出し展開してくれているが、彼自身も日本のアパレル業界が、パリで築こうとする橋頭堡に載っかっており、これまで以上に、いわば、アクロバティックな動きを強いられてており、彼に甘える訳にはいかない。彼も苦戦。一人で立ち回っている観は拭えない。その彼の意図を汲み取り、その下で動き、画策している人脈を忖度し、創造的動きで呼応するのは、楽しいのは、分かる。が、それに付いて行くには、それ相応の足腰が要求されるが、それが、僕にはもうない。応援してくれる素晴らしいメディア、ジャーナリズム、クリエイターにも恵まれているにもかかわらず、僕は周りを見渡し、ただ笑って立ち続けているだけだ。これは、1点のカリカチュアに過ぎない。ボケだ。きちっとした事さえすれば、波動的な支持が得られ、その輪がひろがるという、その寸前まで来ている。だから、これを逆風とも言うのだ。ワンポイントの欠落、これが、決定的だ。この糞翼賛政治的状況下においてでも、支持者は確保出来るだろう。が、手が、足りないのだ。圧倒的に。一手が打てない。いや、単に僕の思慮不足なのか?
ああでもない、こうでもないと考えつつ、ゆっくりチャリを漕ぎ、ほんやら洞に急ぐ。すると、ここには、とんでもない訃報が待っていた。
フランソワ・クリストフの死である。冥福を祈るなんて、言えない。ショックだ。自分の間近な死の意識までが、一挙にせり上がってきた。
去年、パリのオデオンのギャラリーTOKOでの個展のオープニング・パーティにも、忙しい中、彼は駆けつけてくれた。
「まだ、八文字屋は、大丈夫!? Kai」と言って、これまでも、述べてきたアイデア、「八文字屋をキー・ステーションにして、フランスのラジオ番組を波状的に組み立てて行く計画には変わりはない。スポンサーの問題だけだ。来年実現しそうだ。」これさえ動きだせば、八文字屋も、KAIも、徐々に、笑えるくらいの評判を取れると思うのだ。オンエアすればね。金以外は、すべて順調。固まっている。コリーヌも、OKだ。日本の各界の名士を八文字屋に呼び集め、KAIを絡めて、ここでの対話という線を一本とおし、日本の今の状況を炙りだすのだ。まだ、諦めてない」そう続けた。「それにKAIのドキュメンタリー映画も、もう少し撮影を付け加えれば、完成だ」と言ってくれていた。話が旨すぎると思って、笑って聞き流した。俺が、毎日新聞で今やっている事のフランスラジオ版という訳だ。
このシリーズの計画には、コリーヌ・アトランが翻訳した作家たちも、当然の如く、ちゃっかり計算に組み込まれていて、笑わせてくれた。コリーヌの参加も得て、随時、インタビュー出来るだろう、と。「村上春樹は無理にしても、伊坂幸太郎、平野啓一郎、山本周五郎、辻仁成、黛まどかなどがいるが、(僕自身がもっと面白い人物を引っ張って来る事が要求されているというのだ)まあ、可能だろう。各方面からの支援も確かだ。その事によって、八文字屋も再生させよう。コリーヌ・アトランには、すでに言っている。彼女の協力も欠かせない」と終始和やかに語り、ギャラリーでは、隣にいるコリーヌにその話への相槌をもとめたりもした。
それが、彼との最後の会話となってしまう、とは。なんということだ。
来る1月16日、やはり、TOKOでのギタリストのピエール・ラニョーと僕との2人展のヴェルニサージュで当然、会えるものと思っていた。それが、1月8日が葬式だなんて。彼は、まだ、42,3歳のはずだ。
彼がヴィラ九条山のアーチスト・イン・レジデンスで来日滞在して以来の付き合いで、必ずしも決して長い付き合いでもないが、FB上での付き合いは、ルーマニアにいるアラン・ラメットさん、ピアニストのラシム&ヌーインさん同様、エスプリの利いた画像を絶えず届けてくれるという形で続いていた。私事に矮小化すると、笑われるかもしれないが、何よりも、僕を撮り続けてくれ、それなりに商業ベースに乗る記録映画を作り上げる可く努力し、それがもう直に纏まる矢先とは、僕にとって皮肉な無念の出来事という他はない。カナリア諸島での事故死であった。八文字屋の元バイトの華春さん、島袋千秋ちゃんのことをも気遣ってくれ連絡して来る度に消息を尋ねて来たものだった。Take-Bowのギターも然り。彼の多少エキセントリックな面も含めて、グザヴィエ同様、彼を可愛いがっていた。
僕を撮り始めたのは、僕的には、ちょうど、ほんやら洞の大家とのバトルの時期だった。僕は必要以上に(どうしてか、時としてそういう性向があるようだが、)落ち込み、小心者だから、怯えているともいえる、そのさなかだった。随分励ましてくれたものだ。猪熊兼勝先生の企画による京都橘大学での僕の支離滅裂な90分の講演にもTVカメラを持ち込み付き合ってくれた。ほとんど、言葉が分からないにもかかわらず「これも使える、活かすのだ」との励ましも、チョっと勘違いの感想も僕の笑いを誘った。
あの汚い昼間の八文字屋に錚々たるメンツを呼び寄せるなんて、想像だに笑えるではないか。八文字屋キー・ステーションのフランス放送は、今、僕が毎日新聞(首都圏版、水曜、夕刊)で連載中の「日本再発見」の海外での動画版ないしはラジオ版ともいえ、少し想像を絶する痛快な企画だ、何度、思い出しても笑える。
前代未聞のいかにもフランス的ヒューマニズムの発露というやつだ。
ほんやら洞、八文字屋への強力な援軍になりえた。もっと八文字屋臭さを充満させるという、茶目っ気のある文学的な、実現すれば、壮挙だった。八文字屋城(?)の内堀、外堀が、一挙に完成したに違いない。そのアイデア(「八文字屋との対話」)だけで十分だ。その構想は、形を変えて規模こそ、やや小さいが、大阪のプロダクションのKさんとFさんが既に実現してくれており、まさしく今、その映像が、陽の目を見ようとしている所だ。この3月8日にスカパー!で第一回の放映がそれである。
フランソワの話にもどせば、この企画に関しては、去年も3年前も、
「きっと、上手く行く」
と笑っていたのが、まるで昨日の事のように思い出される。あの笑顔が甦えってくる。
パリの彼の家に、コリーヌ・アトラン、サッちゃんと共に招待してくれ、バイヤちゃんも、僕がプレゼントした寸詰まりの着物を着て、ニッコリと笑って魅せた。(この時の写真、ソフトフォーカスで、僕的には、結構、気にいっているのだが、肝心のフランソワは、画面の中では、背を向け、バイヤちゃんは、ここには、写ってない)
あの日だったか、違う日だか、いまでは、一体になっているが、彼が長時間案内してくれた散歩が、懐かしい。彼の日常の散歩コースのピレネーあたりの取ってつけたような公園を揶揄しつつも案内しながら、僕がヤンチャそうなローティーンがたむろしているのに、気を停めて居るのをみるや、フランスでは「ああいうチンピラにかかずらわったり、撮ったりしたら、アカン」と予想外な諭し方をしたり、運河沿いを歩いては、フランスの名作映画のロケ地を特定し、説明したり、その場に立たせたりもした。遥か前方の落書きいっぱいの壁の下を、彼とさっちゃんが、先にスタスタ歩いて行っているのをロングで、背後から収めたショットの大判のプリントが、今、手元にある。
夜は夜で、オンボロ車でルーブル周辺を回ってくれたりもした。さっちゃんに取っても、彼は少し特別だったに違いない。
ルーアンからのサッちゃんの留学の帰りのトランジットでも、快く家族と歓迎してくれ(これは、僕が彼に頼みこんだのだが)何日も泊めてくれもした。僕はまだ見てない、そして、もうみることもないかも知れない彼のアフリカの映像を彼女は見せて貰ったり、していた。彼女のフランスの夢を育んだであろう。
2014年の1月の、この一週間後のパリで彼と落ち合い旧交を暖める予定だった。
昨日、一昨日までに至るまで局面次第では、泊めてもらおうかと虫のいいことすら、考えては、勝手にひとりニンマリとしていたのだった。現実は厳しかった。去る12月26日にもうすでに彼はこの世の人でなくなっていたのだ。
娘さんへのお土産を何にしよう?明日、考えよう、金欠時だからな、と野暮な事まで、厚かましくも考えていた。
あの端正な美男子の「悪だくらみ?」は各方面で、皆を随分と楽しませていたに違いない。モテモテ男だった。多くの女性が泣くのを草場の陰できいているのだろう。
シリアからやって来たという奥さんのシルビアだったっけ?(失礼!)の鷹揚な応対も忘れ難い。彼女の悲痛な嘆きは察するに余りある。あの、とても可愛らしい愛娘、バイヤちゃんまで失ってしまったのだから。8日の葬儀には間に合わない。モンマルトルの墓地でしかもう彼には対面出来ない。サルトル、スーザン・ソンタグ、ボードレールも眠るあの墓地だ。(これは早とちり。サルトルらは、モンパルナス)
僕の「パリ写真集」も、やはり振り出しかな。彼と歩いたパリの道も取り込みたい。ネガも見直しだ。交流という観点をいれて、京都の彼も含める手もある。他の外国人とのやり取りもそうした方が、いいかな?僕は、いつも、ネガに接するのは、こういう形だ。
彼のパリ案内ももう叶わぬことになった。大学で同窓の数学者のバンソンから貰ったという立派な車での遠出も遥か夢の果て。もっとも、休日の度に家族との遠出をさて置いてというのは、困難だったはずだ。「今度は、フランス北部の農家までこのオンボロ車で買い出しに行こうぜ」なんて珍しい申し出は何だったのか。この郊外への買い付け行きに誘いの声が、倍音に成って、脳裏に蘇り、木霊する。
ここまで記して、俺は、なんてオーバーな、しかも、勝手な嘆き節を綴っているのだ、と身勝手な自分が、滑稽におもえてくる。
そんなぼくをも、彼は許した。彼との来るべき計画も、何もかも消えてしまった。あのバイヤちゃんも一緒とは、、、とは、なんと惨い!まだ10歳かそこらだった。
慌ててFBに、悲報をUPしてしまったので、少しリライトした。
彼の事で感傷に浸っているわけにはいかない。いつ、どこで、僕にももっと酷い死が、忍び、待っているかも知れないのだ。
サッちゃんも、同じく茫然としているのだろう。「忙しいので、画像送りなどには、行けない」というので、今日は、日向太を呼び出して、夕食後、毎日新聞へ画像を送信してもらう。
ついでに、村田マナちゃんと本庄(?)温子さんを酔人(詩人)の方に、アッブする。(あとで斎木さんと判明)
八文字屋到着は、9:30になる。袖さんが、9:00前から待っていたと言いに来る。先斗町に甥を待たせている。12時ころ、また出直す、と。
袖さんと入れちがいざま直ぐに、冨樫が、スイス、フランス、カナダの飲めない4人を連れて来る。ポストカード2点売れる。片山さんは「永遠のゼロ」よかったわと言ってやっているのと同時にK-Keiも来る。K-Keiは、1,2日とルパンを見舞う。浅利ちゃんにTelするも、応信なし。フランソワの件、彼にTake-Bowへの伝言託す。袖さんは、弟の長男の小学館(少年マガジン担当)の編集者を同伴。甥、叔父で原発を巡り、激しい論争を見せる一幕もある。意外と、叔父の方が、過激だった。1:00には、酔いつぶれたK-Keiのみになり、そこからが長くなった。
起こして帰ろうか、放って帰ろうか、と迷っていると、3:00にはナッちゃんのお兄ちゃんがヘアー・スタイリスト同伴で3:45まで。このアベックは、行灯展に行ってくれ、疲れていただけに、ホッとする。
4:20になっても、K-Keiは起きないので、放って帰途に就く。チャリのキー紛失で徒歩帰宅は、5:35。
パリまで、時間がない。30分原稿。

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2014.1/4(土)


「毎日」から、出動指令。新年に相応しい、明るい画像をじゃんじゃん送れ!言われてもな~、敢えて、下鴨神社の蹴鞠には、行かず。伏見稲荷、祇園を歩く。不発。
杵築高校の同窓生の名張在住の阿部清一から、同窓会に顔を出せ!という賀状あり。高校時分は、ほとんど口をきいてなかったが、TEL。
八文字屋、7:45オープン。
ミルトン、岸さん、岸さんの後輩が持込みで来る。奈良井さんも直ぐに。
次に「なんや!暇と言っていたお客さんあるじゃないですか!」と東義久さん来店。
「山城国一揆」「アイ・ラブ・フレンズ」という二つの著書を頂戴。他にもミネルヴァ書房から出している「B級音楽空間についての一考察」というような書き物もある。いずれ、読ませて頂く。東さん「カイさんに、僕が、もう少し元気なときに会いたかった」という。同じ歳だ。かれは「第二回宇治市民文学賞・紫式部賞」を受賞している。
帰った後に「アイ・ラブ・フレンズ」捲って、これの映画ヴァージョンでは、僕のプリントが使われたのを思い出す。ろう者の女性カメラマン(女優、藤田朋子)が撮って個展を開いていて展示した写真25点?は、すべて、僕の作品。
海坊主がチャライ女のコ連れ。
後は、「5時間掛けて来たのよ」という信州大学の教員に明日、決まるとも言う元京大シネ研のパーリ語の村田マナちゃん(一度、八文字屋の美女たちにでたい)といい撮影、歓談中に「ヴォガ」で和見に言うべき事を言ってきたという亮太郎、そして、僕が先制的に一喝を入れるべき、と思い、そうさせて貰ったアートカウンシルの新年会帰りの咲希ちゃんなんかの「ホシーノ・コシ(が?女のコは)ノー(の)先生」、これですべて。
コシーノ先生、予想通り(蛞蝓のように這わせる)指先の動きを展開。塩を掛けられ、直ぐ縮んでいた。九州の姉「猪飼野の戦後史」を一度みたような気がする、こんなに長くなかったが、と言う。見てくれたのだ。姉、相当ひどいようだが、兄夫婦、ほとんど関知しないようだ。一度、顔を出さないといけないのだが、姉は、それよりも悔いのない写真家活動でもなんでもして欲しい、と言う。
5:30帰宅。

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2014.1/3(金)


午前中、家でゴロゴロ。
月曜社本、ダラダラ書いている場合でないのも、ハッキリした。
今日から反攻作戦を熟考して、攻勢にでねば、自滅あるのみ。
ネットワークの活性化を図り、大攻勢をかける!座して自滅せず。

去年は、ネット(FB)に嵌り、毎日新聞連載では試行錯誤を繰り返し、9〜10月のほんやら洞の営業を怠り、パリ、ウィーンへ行を敢行、今、まさに、ほんやら洞2ヶ月分の家賃相当の八文字屋の家賃滞納のまま存亡危機の淵で喘いでいる。
この体たらくにも拘らず、まず、1月10日からパリ展とライデンはシーボルトハウス展の準備の旅発ちである。さらに、今年は、多くの個展、写真集&書下ろしの出版を目指す。
去年、ネットに拘泥したのは、文字通り「失われた20年」を体現し、70年代、80年代の常連との紐帯、絆を失ってしまったほんやら洞の状況を鑑み、まず、せめてネット上での関係回復を図り、反攻に出る算段をするためだった。周辺の友人に笑われたが、これは事実であり、一定程度の回復は叶った。が、修復した先方もこちら同様、皆、十分に老い草臥れているのも、相互確認出来た。が、同時に、新たな繋がりも発見するという歩留まりもあった。
毎日新聞連載にも色々な思いはあるが、衰えていた脚力の回復に功を奏したのが、最大の成果だった。
まだ、「カイ的名所図会」も時期尚早と確認出来た。反面、毎週の撮影行で、ほんやら洞の営業を怠った欠落も大であった。
9月のパリ展は、この2〜3年粘り強く甲斐写真のパリでの流布に尽力しながらもシュバリエを受賞した西川浩樹さんのカルチェラタンでの新ギャラリーの展開開始へのオマージュ展でもあった。10月のウィーン行は、北沢猛、ルリィーさんの僕に対する有難い慰労計画への甘えでもあった。
それぞれ、プラスに転嫁し得る要素もあるマイナスのオペレーションだらけで、これをこのまま放ったらかしにしていたら、まず、1月末に、八文字屋閉店の憂き目に会うという剣が峰に立っている。
周辺を見渡せば、僅か20%しか支持者のない政党が我が物顔で翼賛態勢作りを加速化させている。ネット社会も相似形にあり、デマゴギーが罷り通っている。
この中で、僕、ほんやら洞が生き延びるには、ほんやら洞での老若交えた我が陣営の相互啓発的な創造的活動の恒常化しかない。(連日イベントもあり)
2月以降も、八文字屋、ほんやら洞が延命できたならば、ほんやら洞を一日、1万円、2万円で貸し出すという、愉快なプロジェクトを実行させます。
9月,10月,11月とオランダ展もあり、さらに、カザフスタンからの「甲斐扶佐義を今年こそ敢行しよう」というオファーがあり、これに応じるには、まず、4ヶ月のカザフスタン、シルクロード行きという形で応じる事になる。これは、この4年の懸案でもあり、何としてでも決行したい。
それにつき、皆々さんのあらゆる形のご協力を仰ぎたいと、新年早々、虫のいい事をおもっている。

日向太来店。3月15日から3月28日まで、シリコンバレーでのスタンフォード大学、UCSFのNPOの企画で、アジア系のアメリカ人の医学生の交流プログラムに、京大から5人、日本女子医大、日本大学医学部からも各5人参加との事。
日向太に、麻ちゃんから頂いた阿波牛のハンバーグをくわせて、8:00に八文字屋入り。
トップ客さんは、青幻舎の編集者らときたことのあるチャーミングな滋賀の女性「月一くらいなら、八文字屋で働きたい」と言う。去年、ほんやら洞で個展をやっていた祇園祭の宵山時、手伝ってくれたというバイトで、訓練校で絵付けをやっている「佐々木香奈ちゃんに会いたい」と言う天川哲也さん、小・中学校、伏見稲荷で同級の、夕べの森下光泰さんのことも話題になるも、香奈さんの名が、ぽっと出てこず、この日乗を読み返し判明し、喜ぶので、直ぐにメールをしてあげる。彼は、プリペイド・チケットを買ってくれる。感謝。次は、久々にハッチャケのヨッシーが友人同伴。すぐに出て、また戻ってきては、次々に絡む。ワッキー、避けて、カウンターに近寄らず。おうちの嫁さんが「あんた、カイさんの代わりに入ってあげたら!?」と言ったとかで「カイさん、で、どうなん!?」としきりに言う。返答?を待っているようだが「あんたはんに、入って貰ってもねえ、気持ちは嬉しいが、、、」とも口にすべきだが、こんなに絡む男に、この場で言うのも、実際に店を託すのも、顰蹙もの。ティルさんが、大阪大学の研究者二人同伴。直ぐに二人は出て、ティルさんが残り、ヨッシーの餌食になるも、反論し、彼に背を向け、最後まで残り、「さっきのドイツ人は……」と言ってから「何も日本のことを知らないのに、何を聞かれても、〈日本は、集団主義でしょ〉の一本槍、めちゃめちゃな日本論しか展開しないのに、フクイチのことをどう思うか?というTVのインタビューなどを受けて、いつも、尤もらしい風を装って、メチャを言う、何にも日本の事を理解してない奴」と腐すのに、鹿さんが「それはどういうこと?」と聞かずもがなの質問を結構して、やや眠くなる。武市さんも、ティルを捕まえて、自説開智「京大の研究者には、碌な奴は居ない、いや、研究者には。デモ、集会に顔を出さない奴は、信用出来ん」といい、「沖縄を見ようとしないジャポノロジストはだめ!沖縄に行こう」と話し込む。嫁の父親が、同志社ブンドで、精華短大設立に深く関わったことが自慢で、議論の担保にでもなるとで思っている節を垣間見せ、マジに言いがかりをつけ、武市さんへの空中戦を挑もうとするも「誰に向かって物をいってんだ!」と武市さんに一喝され、シャットアウト。この辺りからヨッシー、酔い崩れる。武市さんは「カイさんの周辺で信用出来るのは、中川五郎だけだ!」と言って帰って行く。
片山茂樹さんは、息子が洛星の教師である事、自分の予備校仲間に洛星出身の有名人がいる事を、いつものように、ネタにして、ヨッシーを慰労、懐柔しょうと息子に、実際にTELしてヨッシーとしゃべらせたり、彼の肩を揉んだり、相変わらずの、訳のわからぬ、目眩まし作戦。先日、シミチュウさんと来店の(「8時20分眉毛」とは、本人弁の)女性も博多の友人夫妻同伴するも、カウンターが取り込んでいて、喋る間なし。ワッキーとも同様。「さっきまで、トクちゃんといた、茜ちゃんのミス着物仲間が東京で開店した店で働く女性」と言って、この寒空にパンストは履いているもののジーンズをお洒落として乱雑にカットしたファショナブルな老人悩殺超ホットパンツの可愛い女の子(本庄温子)を紹介してくれワンカットのみ撮る。性格は良さげ。
段ちゃんも一杯だけでも協力しようと顔をだし、「留守中の13日だったら、僕、入るよ」と言ってくれる。「Twitterで、暇、大変とあり、心配してきたけど、お客さんいるじゃん!タマにはブログに僕の事を紹介して」が開口一番の御幸町綾小路辺りのうどん屋「ヤマノヤ」の主人も来る。このご主人「リアルちゃんに飲んでもらって!」と言ってボトルをいれて行く。ポストカードも1000円分頂戴と言ってくれる。鹿さんは「鹿さんとはあなた?」とヨッシーに言われた後は、「パチンコ台作りなんて!?」と人並みに絡まれる。鹿さん「朴ちゃんもパチンコというと、一歩引いた。ヨッシーにも、最近のパチンコ屋は、前のと違うといっても相手にされない」とぼやく。そう!、ヨッシーは、敢えて、八文字屋に、からみに(本人としては、店に喝をいれるつもりで)来店したのだった。
2:00過ぎに、横になり、東義久さんと映画監督の故高林陽一さんのコラボ「夜が明けたら」(澪標)を捲っていたら、眠る。気がついたら、40分後、京都岡崎出身の建築家、吉原健一さんが2:45に入口に立っていた。
4:00閉店。

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2014.1/2(木)


10時まで、今日も、八文字屋の床に寝崩れていた。
ほんやら洞に行っても寒いし、電気代も掛かるので、出来るだけ、八文字屋で書き物をする。
昼、天神さんに行こうとしたら、40年前のお客夫妻来店。1時間遅らせる。ツマミはないかと言ってくれるが、撮影を取りやめる訳はいかず、断わる。
天神さんも大変な賑わい。この人間の海から、ほんやら洞へ客を引っ張る体制、回路を作れてない不甲斐なさを痛感。店も、公的政治も反攻の余地ありだ。10%か20%の独裁者、情報で支配されている翼賛体制の打破を念じて、書初めだけ撮り、戻る。この数年間でのドラスティックな社会変化、右傾化という言葉を全く使わずにきたが、ならば、違う豊潤な社会をイメージ出来る言葉を産み出す必要がある。客が来ないと、座して寝言を言っている場合ではない。
日向太、明日来ると、メール。スタンフォード、UCSFへの研修との事。
八文字屋、8:00オープン。パギやんの釜ヶ崎元旦ライブ、youtubeで見る。柄が悪くて良かった。
片山茂樹さんより、Tel。ルパン、ステンレスを入れたと聞いたと言って来店。錦林小→岡崎中→鴨沂高校?コースを辿ったリアルさん来店、11時まで二人でルパンを救済せねば、という話題。ルパンは、大腿骨の骨折。リアルさんの父母の事、母の店、ヅカ?の事、パリで待つガイとの事、その後の展望も話題。その後、プリペイド・チケット客のNHKの森下光泰さんが来て、濃い話題の連続。稲荷山を親戚の子どもと登って降りた所で、天川哲也さん、黒川有加さん(彼女の家は、元来、稲荷信仰周辺の小信仰集団の教祖)にあったという。彼と喋っていると、あさひちゃん、岸千尋さん来店。
森下光泰さんには、江戸時代の、京都の三大祭りの一つ「稲荷祭り」は、乞食祭りと言われていたときく。氏子は、五条以南。神輿に賽銭を投げつけ、それを乞食が拾いながら、巡行は進んだのだ、と。明治維新で、稲荷信仰は、大きく、性格を変えたという。伏見稲荷大社の周辺には、今でも、群小信仰集団が蟠踞しているのだそうだ。彼の家は、藤森神社の氏子。
僕も、以前から、興味津々のポイントだ。「曙」100年以上の歴史も聴く。森下さんの母も昭和12年生まれの鴨沂高校出身、高校生活をエンジョイしたと聞いているとのこと。気が付けば、5:00。閉店。森下光泰さんらの編著「原発メルトダウンへの道」(NHKETV取材班ー原子力政策研究会100時間の証言ーー)新潮社2013年11月刊を貰う。1月4日AM2:00〜3:30の「猪飼野の戦後史」(NHKETV)も担当との事。12月13日大阪スカンポで「藤田一良さんを偲ぶ会」があったと言うと、森下光泰さんも出席したかったが、声が掛からなかったと残念がる。「原発メルトダウンへの道」には、荻野晃也さんも登場している。藤田一良さんを十全に活用出来なかったという。
増山さん「勇者たちへの伝言」を細かいところまで、よく読んだ、と増山さん喜んでくれ「近々、もっと感想を聴かせろ、八文字屋に行くから」とメール。
カザフスタンの今用さんよりメールで「カザフスタン展、今年やろう」と来る。さあ、褌を締め直してかかろう。

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2014.1/1(水)


大晦日、暇過ぎてやや酔ったまま増山実さんの「勇者たちへの伝言」読了。
いろいろ、感慨深い好著。
昼前、八坂神社に行くも、冴えず。
ほんやら洞にて、飯を炊き、開店の準備をしてから糺の森へ。
ここでも、人出は、驚くばかり。神社も、商魂逞しく成る一方。ウンザリして戻る。脚の衰えは実感。
ほんやら洞、暇。うどん、餅、その他、いろいろくった。
八文字屋は、7:50オープン。
ほぼ同時に、JPSの前田欣一さんが、兄連れで来〈八〉。4時間余り歓談。前田さんは、松岡正剛のところに居たとか、沢渡朔との縁など喋る。兄が、カイ写真ファンなので、連れてきたと。
後は、段ちゃんが来ただけの寂しい元旦。
仕方なし。

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