ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 3月

2014.3/31(月)


疲れる。
11:00までぐったり。
ルネ、D2に行ってから、オープン。
20年ぶりの客あるも、対応できず。KG+サテライトの二人展のDM、さっちゃん入稿。ヒルゲート用に相応しいプリント、なかなか出てこない。苦しい。
日向太、ムロケンとコンタクトとれ、今日、会食。
清水千鶴さんの「日々訥々」を早く読みたいと記したら、梶田さんから「一冊ダブついたのを、夜、持って行く」との嬉しいメール。(結局、来店せず。)
ほんやら洞バイト希望者来るも、任せ切れそうもない。まず、バイト代はいくらですか?の質問。あまり好もしくもないかも?気はききそうだが。
八文字屋は、暗室の準備のあとの、9:00オープン。梅林克さん(高松樹さん、鈴木隆之さんに、八文字屋にいるんだ!とTel)に出たので、克さんにかわり、樹ちゃんとカザフスタンの今用さんのことで喋る。段原克ちゃん(助けてくれる。)相変わらずオカルティック噺の建松さんで12:00、閉めて帰ろうという段に咲希ちゃんが帰りかけの段ちゃんを戻らせて来場。先日のろくでなしでの田中&あさひとの出会い、覚えてないとのこと。「馬淵幽明を偲ぶ会」出席したかったが、無理だった。加藤博之でも八頭から出て来ていれば、来るかと期待したが、登場なし。八文字屋は、1:00に出たかったが、2:50発吉田3:20着になる。辛い。
西川からのご追従でもあるまいに伝言を頼まれて、「パリ情勢」について平野啓一郎さんにお節介メール。西川「誰もまだ、上村淳史の作品の写真を送って来ない。超ハードな日々」とのこと。
暗室。1時間30分のみ。5:00で一応、終え、寝る。

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2014.3/30(日)


9:00起床。
小降りになるまで、待つ。
オープンは、12:00。
Darcy Mooreさんの友人がオランダから来店。
午後も、雨がふったり、やんだり。これが、比良八荒荒れじまい崩れの天気か?
福岡アジア美術館の学芸課長の黒ダライ児さん来店。1969年6月の京大でのゼロ次元のハップニング写真に写っている人物は、誰か分かるか、と聞かれる。僕は、ダニエル・D・デニスの逮捕事件以降ベ平連の活動家として突き進み、京大の方への目配りが出来てなかったという。
三条「橋の下大学」があり、同志社「自由大学」があり、身の寄場を求めて、ヨチヨチ歩きの彷徨を開始し、情報不足のママ、終焉後の新宿西口地下広場を訪れ、1967年には、帰省して居た兄が、千葉県検見川に身をおいて居るのを訪ね、そこと新宿往復を7週間繰り返し、赤軍に封鎖されて、跡形も無くなった同志社バリケードキャンパスに戻り、「大村収容所」を書いた朴正功こと任錫均のボディガードを務めた。
京大のゼロ次元でなく、九十九里浜でのゼロ次元の「因幡の白兎」の加藤好弘さんと兄とともに海遊びしたことを雷児さんに喋り、記憶を掘りおこしながら、もっと京都のアーティストの事を喋ろうとしたが、郭徳俊さんからTelが入ったとかで、宙づり。立誠校のやなぎみわ展の後、八文字屋によるかもというので、続きは、その時と思い、暗室入りを急遽取り止めヤナギミワ展帰りの黒ダライ児さんを八文字屋で待つことにした。黒ダライ児さん「秋野不矩さんの孫で僕の先生がいる」と真以ちゃんとの交流も窺わせる事にも言及。徐勝さん、郭さん、藪ちゃんが登場の「出町転々ー」を買う。真以ちゃんが八文字屋で、一番長かったバイトと教える。哲義と扶佐義の親とは、どんな親だ?とボソッと言ったが聞き流す。
清水哲男さんも奥さんも、いざ来店か!?とも思い、このチャンスを逃すことはない?と判断で暗室を中断したのだった。また、「日々訥々」を早く手にしたくもあったから。
八文字屋は、結局、
不発、終始暇。
宇治の「花屋敷」での元中居仲間のチョー美人ビッチさんの名古屋での結婚式帰りの「イボ痔、痛風病み、蓄膿」の27歳美女さんが、ドーナツをトロ箱?(オーバーかな?)一杯、小袋だが、300円と格安イベリコ豚の生ハムも持参して、独り怪気炎をあげて、ノーブラよ!と上着を脱ぎ、挑発しつつ盛り上げてくれたのみ。おっさんどもには、次々とドーナツを食わせて楽しむ。終始、彼女のペース。2ヶ月ぶり来店の西村さんも彼女が八文字屋バイトに入るのなら、来ようかなと。ドーナツ3個食べたオトコは何名?ただし、彼女、今晩のことは、覚えてないだろう、と観測筋、浅利ちゃんは語る。
鴨川で、コッテ牛(?失礼!)のあさひちゃんにエチオピアン牛耕鋤使いの田中君の擬似カップルを前にして奈良井さんが「ラ・マンチャの男」を踊ったらいいとか、あさひちゃん・田中君カップルはお似合いなどとの与太話で酒は進む。奈良井さんは奈良井さんで、自分にも、女性が挑んできていたのに、これまでは、対応出来なかったが、今は、ハッスル中とか。オイタさん、アラビア語読みの新劇団員の男連れのカゲロヲも呼び出される。鹿さんは断念、残念。日本酒潰れの中村君と祇園徘徊の末に到着の西村さんは、心残りながら、帰って行く。
山科の寺帰りの片山さんが、6月17日に佐渡ヶ島の世阿弥のイベントに行かないか、正法寺の世阿弥使用の能面も見れる云々、言うかと思えば定期的に?少しズレる読書感想、今日は「瀬戸内寂聴は、凄い!」を連発。線香をくれる。「痛風」嬢、しめじ、玉葱、パスタを置き去る。
2:00には、皆、消え、カリフォルニアの日向太とメールやりとり。帰宅、4:00。

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2014.3/29(土)


7:00起床。10:00まで、八文字屋でウダウダする。
キヨさんから意味不明のメール。伊勢神宮にガイドの仕事で行って居るとのこと。
11:00にオープン間もなく、清水哲男さん来店。
9月末に鹿児島の天文館で個展をやってくれないか、と言われ、OKする。清水さんが仕事上協力しているらしき、下鴨の本町に実家がある電通クリエイティブ局のエライさん(高橋基晶さん)を呼び出す。「情熱大陸」でのディレクターだった浮田哲(現羽衣大)の少し後輩なのに、彼らのことを知らない。ほんやら洞に出入りしてなかった真面目高校生だったようだ。当時の洛北高校生、文化祭の打ち上げで教師を交えて、数十人がビールを飲んでいた。(後で、高橋さんは東京芸大に進学と聞き、さもありなん、と思う。失礼!)写真集「辻占あそび」「Streets of Kyoto」を欲しがるも、売りもんなし。辻占は汚いのが残部として八文字屋に1部有ったので、売ってもよかった。
タコライスを出そうとしたら、ない。麻美ちゃんは、冷凍庫に入れているのを、チェックなしに捨てたのだろうか?チャイも?と思い連絡すると、チェックしたとのこと。いずれにしても、数時間おきに、ほんやら洞の冷蔵庫のONとOFFをチェックしなければならないシーズンがやって来た。
5月30日のほんやら洞40周年記念写真集を作ろうと思い、Fbに次のような書き込みをする。

5月30日でほんやら洞は、開店満40周年を迎えます。
同時期に、ギャラリー・ヒルゲート2Fで、小品写真展「ヨーロッパ漫遊紀」を開催します。
と同時に、ほんやら洞では、5月30日~6月2日まで、記念感謝セールとして、ドリンクを半額で提供します。
また、この記念日に照準を合わせて、書下ろし「ほんやら洞の青春」(仮題、月曜社)出版を予定してましたが、間に合いません。
そこで、秘蔵写真数十点で綴る私家版写真集「ほんやら洞草創期」を出版することにしました。
書下ろしは、1969年頃から、1972年の「ほんやら洞」へと糾合するほんやら洞の僕を含め、最初期のアーチスト、シンガーがいかにして出会い、愛し合い、別れたりしてきたかを1974,5年までに限定してかなり赤裸々に記述したものです。書きものとしては、3部作をスタンバイさせてますが、1部の売れ行き次第で、1部のみの出版でストップです。(それとは、別に、来年は、八文字屋が開店満30周年で、記念誌?を予定中)
ここ、数年、僕は毎年“SOS”を発し続け、友人諸兄には大変迷惑を掛けて来ました。そのおかげで生き永らえてきました。が、ここにきて、そういうネガティブな手法に頼ることなくポジティブに活動を展開しつつ生き延びるべく決意し、攻勢に出ることにしました。
ほんやら洞の姉妹店の八文字屋のカウンターには、この1年間、SOSに応えて半年5万円先払い(その間、何時、いくら飲んでも1000円)客でうまり、店は、やや自閉し、動脈硬化を来たしているというのが、実情です。
この状況をなんとしてでも突破し、もっとほんやら洞、八文字屋内外を活気つけたいとおもいます。その一環として、5月、8月と2連発で写真集を出すことにしました。
皆さんにも、もっと楽しんで貰えるようにつとめますので、よろしくお願いします。写真集の定価は、リーズナブルになるとおもいます。しかし、これで生きて行くつもりです。また、アシスタントの浜田が、不意打ちで(最初の契約に反し)某大学での仕事を失職し、窮地に陥っており、優秀なデザイン技術を活用しつつ、彼女にも、生き延びてもらうためにも、この写真集のデザインをやってもらいます。(なお、彼女の写真集“Behind a tender wind”1500円の残部僅少なので、よろしく!)
8月の写真集は、イケメン写真集、美女写真集、はたまた、新基軸?と思案中(5月まで決断)です。
この企画を思いついたのは、畏友、清水哲男さんのご母堂、清水千鶴著「日々訥々」(風媒社、2000円+消費税)を少し拝読してのことでした。

やはり、家でちゃんと眠らないと、疲労が回復しない。八文字屋に寝ていたんでは、ほんやら洞の冷蔵庫チェックができない。
不調のまま、夕方を迎える。
八文字屋オープンは、8:00。
滋賀県職員の藤木さんと府大の松本さん来店。藤木さんは写真を撮り、しかもフォークギターを弾くそうで、公務員を止めてライブハウスをやりたくて、「ウーララ」のマスターに身の上相談をしたことがある等々打ち明ける。近々、山科に越してくるので、もっと来店すると口外。ツィッターのフォロワーというので、Fb友達になる。松本さんに、はたらかないか?と言う。そして、清水哲男さん、ジャーマンと続く。清水さんがジャーマンを撮ったりする。明日は、清水さんの奥さんも、上洛。ジャーマンは、8,9月は、ドイツ旅行をすると言う。朴ちゃんは、まだ、土日はドライバーを続けているとのこと。ピーター・マッキントッシュと飲んだ帰りにダグラス来店。夕べも、ピーターと3:30まで飲んでいたと。心なしか、寂しげ。ある家族の観光ガイドに出ているキヨさんは、明日戻って来ると言っているが、嘘か誠か?キヨさんの行動&考えが分からないてな話をする。「ピーターは、元太夫と離婚後、京大出身の、どういう訳か分からぬが、才媛と再婚してるが、まだ、昔の夢を追っている」云々。ピーターが、ジュネーブで芸妓を連れて行ったときのジュネーブに居た話もする。12:00には、仲谷葵さん&ギターリスト来店。葵さん、古いプリペイドかーどを出す。コンサートホール出演のポスターを置いて行く。
海坊主は、女の子居ないので、帰る。
労金の藤喬さん、「雨宿り」で働く女性とベトナム撮りの村山康文さんの知人の一行来店。すぐに「ろくでなし」に行く。その直後、一年数ヶ月ぶりの和見、元読売TVの大西さんと来て、近々離婚との宣言し、アドちゃんには興味ある、とか、永瀬正敏に認められた、松本雄吉さんに劇団内劇団を作ることを認めさせた実績等々を説いて消える。そのさなか、ろくでなしから、田中君があさひちゃんと来る。ろくでなしには、咲希ちゃんがいたとのこと。大西さんは、なお残る。ジャーマンは帰って来る。大西さんと田中君残るも眠いので、閉めると3:30に言う。ほんやら洞へ冷蔵庫保全のために寄って帰るつもりだったが、雨で、〈八〉泊にする。

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2014.3/28(金)


家で、ノンビリする。
全身ガタ。
書いて、写真を撮って、プリントして、個展を開きつつ、二つの店をやり続けるのは、至難の業。
風呂に入り、放ったらかしのままに成っていた平野啓一郎の「透明な迷宮」を一気に読む。上手い。オモロイ。そして、チーちゃんを思い浮かべていた。
ほんやら洞には、4:00に入り、麻美ちゃんにバイト代。スッカラカンになる。麻美ちゃんバイト・晴天なのに、ほとんど客なし。40年前から知っているが、初めて来たという京大で神学を研究している神戸の老人、愉快げに過す。麻美ちゃんは、11:00に入ったものと思っていたが、2:30だった。もうだいぶ飽きてきたか?
日向太は、今日、シリコンバレーでの研修をおえるのか?
イケメン、美女写真集とは、別に、幾つもの本を作りうるが、数年かけてやるべき仕事は「サヨナラ、ほんやら洞!」「サヨナラ、三角州(糺の森)!」「サヨナラ、出町!」を軸に数年掛けてまとめることだ。
それには、ほんやら洞、八文字屋に各一人のスタッフ、家に住み込んでネガを整理したり、ノートを片付けをできる有能かつ理解ある「人物」が必要だ。
ヤスミンさん、28歳の誕生日。
シーボルトハウス展と月曜社の書下ろし出版をメドにほんやら洞は閉めるに若くはないと思う。
牧紀男京大防災研教授来店。「町歩きが好きな学生が一人いる、放り込みます、鍛えて下さい!」と。
9:30、八文字屋には、ダグラス、Fb友達の楠本雅章&岸和田の女性しかいず、がっくりくる。
立誠校でのやなぎみわ展帰りの申芳礼さん&茜さん、ニュージーランド人&香港人ら15人、山形拓人さん、鹿さん、奈良井さん、段ちゃん、清水哲男さん、梶田さん、井上義雄さんら。清水さんの母、千鶴さんの「日々訥々」(風媒社)まず、100部刷り上がったので、完成祝いの“AHO NO KAI”で7:00からの飲み会とのこと。
おわったのは3:30?

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2014.3/27(木)


6:30起床。再度寝直して、ハローワークへでも行け!と言われる夢を見て、9:00起床。
すっかり春めいてきた。高瀬川、鴨川沿いもボチボチ開花。
ほんやら洞、9:50入り。
野菜カレー作り。やはり、メニューを2,3種類選べるように、書き出して、営業せねば。
まあ、2ヶ月は、ゲラ校正をやりながらの営業だ。
3年契約のSを1年でクビにしておいて、最終日の今日、彼女に対し「プライドを持って生きて行って下さい」と陳腐で失礼なひとことを発した京大のU先生、明らかにパワーハラと言えるが、京大そのものが浮き足だっているのかも。読売新聞(夕刊)を求めて、丸太町までいき、ついでに、御所の桜を観る。
中川五郎さんが、両子寺の寺田豪順さんから応答なく、不安気。即、メールを入れるもやはり、無応答。
マリーンは、数名。4月は、火曜、木曜、と週に2日、新歓で活用との事。Sにその日は、2時間手伝ってもらう事で、切り抜けられるか。メールすると、OK、但し、4月だけね、仕事探しをせねば、と。
八文字屋は、9:30入り。9:40まで客なし。ギャラリー・ヒルゲートの人見さんから、ボチボチ写真展用のデータを下さい!とのTelある。昼のTelは、彼女だったかも。
龍大の鈴木さんが、去年まで同僚だった関学の英語の先生を連れて来る。明日は、組合の集会で、京大に行く、と。その女性、浮田潤と同僚との事。
ほぼ、同時に、戦場のカメラマンの石川文洋さん来店。「商工新聞」誌上に堺市の研ぎ師を撮影、取材に来て帰りに寄ってくれた。7:30に京都に着いて「ますだ」に寄ろうとおもったら、閉まっており、他所で魚を食べ帰ろうかな、明日は、府知事選の尾崎望の応援演説だから、思っていたが、心残りで、寄って良かったという。石川さんも、去年、1万円カンパしてくれたのだった。SOSに。65歳で、心臓病を患いながら、自転車で日本縦断旅行を敢行して、10年たち、当年とって、76歳という。80歳に成ったら、もう一度やるという。僕も、この石川文洋さんがチャリ旅行をしたあの時と同じ歳かと思って愕然とする。「NHKを結果として、出演お断りする事に成った」と言うと「それは、イケマセン。そんなのは、金を積んでも、望んでも、来るような仕事でない。演るべきだ。自分は、小学校の講演のような金に成らない仕事でもやる、女房が身体を心配して、よせ!というのを振り切って」と言って、僕の不見識を詰った。「ベトナム戦争報道で、15人の日本人が亡くなっているのだから。先日は、名護選挙の応援に行ってきた」5月には、ニコンサロンでベトナム50年の写真展をやるとの事。プリントは、全て、ニコンがやってくれた、それで、5月は、ニコンサロン、東京、大阪で50点のベトナム展をやるのに、ベトナム人をよぶのに、「国賊みたいな僕へのあてつけでもあるまいが、僕の確定申告表を出せというので提出して、僕が保証人ですよ。あれこれ要求されたりは、するが、ベトナムの写真が劣化したのをリプリントするのに、援助してくれる企業がなく、大変だった。また、10月には、立命館大学の平和ミュージアムでもやる」とのこと。「健康が第一ですよ」と石川さんが帰った後にNHK云々とFbに書くと、「いや、今のNHKには出ないほうが見識」という書き込みや「露出する事のデメリットも最近みた、無理するな」と書きこみも散見。
彼が帰ってから直ぐに草間テツオさんが、「文久」が休みで間之町御池の前に「文久」で働いていた男の店のかえりに「甲斐さん、外国に行かないでよ!」と来る。Fbの書き込みを見て心配してくれているのだ。お姉さんが病気で、お見舞いに行くのに津野海太郎さんの「可笑しな時代」を持参するとの事。この本の存在は、僕が教えたのを忘れて、甲斐さん、この本を知ってますか?五郎ちゃんも出てくるわ、僕はそんな関係もしらず、五郎ちゃんは澄ました男と思っていたが、今度はちゃんと話をするよ。が、これで、姉を励ますつもりだという。甲斐さん、外国へでないでよ!を繰り返す。明日も来店。
彼が帰ってしばらく横になっていると、マックスらしき男が入ってきたが、寝呆けて誰かわからず。もうてっきり、4時くらいと思い「もうおわり?」と訊かれ、時間を確認せず、「そう」と言っておいかえして後で時間を見ると、まだ2時で「しまった!」と思っていると、そこへ京都市美術館の尾崎真人学芸課長が「大丈夫?元気?」という。彼にも一度SOSを出していたのだ。次の言葉は「甲斐さん、老けたなあ!」だ。あれこれ喋っているうちに、カザフスタンの話になり「シーボルトハウス展のカタログの解説者の一人になって!」と頼む事になった。「甲斐よ、シルクロードで死ね!」と書くかもよという。もちろん、OKと。ジャパニーズアメリカンの世界を撮影する話も、月曜社本出版で、ほんやら洞を閉じる話しもすると、尾崎さん、いたく感動する。「もう十分やった!本を書いて閉じられるなんて凄いよ!」彼も後5年課長でいるそうだ。他に行くつもりが、今の市美をほっといて、他に行けない。下が居ないのだと。館長には、東大か京大卒でないと、成れないとも一言。4:30まで八文字屋。
5:00帰宅。1時間メモ。

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2014.3/26(水)


どっちの店も一度行ってみたい店から、程遠い店になっているのだろう。
疲れ切っている。潮時だ。「青春のほんやら洞」を終えて、撤退しなければ、この状況では、八文字屋30周年は迎えられない。
9:00起床。
早く、店に行きたいのだが、小降りになってから、と思っていると、あっと言う間に、11:00になる。
秦恒平さんの「湖(うみ)の本」、今回は、いっきに半分読んだ。
箴言と言うほどでは、ないが、次のような一節に出会うのも、感慨深い。

一本足の「T」型は、案山子のように動けないし、倒れやすい。二本足の「π」型は、ともあれ、二足歩行出来る。例えば、創作と家庭または趣味というように。三本足になると安定するが動きの制限されるところが、よしあしである。わたしが思うのは、創作に志のある人の場合、落ち着いた家庭は願わしい現実として、創作と両翼をなす「もう一つ」の地力。趣味でもよい、つよい「こだわり」でも好い隠し技でも隠し藝でもよい、現れたときにひとのおやおやと意表をつく蓄積された力が有ると、必ず創作を下支えして連動すると思う。
どう出て行くにも、つまるところ才能は当たり前として、運と根気。ひるまず、わるく身構えず、誠意と愛を創作に根気よく集注した人が運をつかむだろう。自然で新鮮。それは何に於いても大切。一期一作、そう思う。

自分の現状はどうか?
それ以外にもなかなか読みでがあった。なんぼなんでも、雨であろうと、本ばかり読んで居るわけにはいかない。ほんやら洞へは、行かねば、なるまい。
ゲラ校正用の消せる赤ボールペン3本買って、野菜カレー作り用の野菜を買い込んで、12:30、遅いけど、オープン。
早稲田の学生カップル、建築専門学校に福島から来てる青年がゆったりしてくれたが、後続が続かない。歳の差カップルも来るも、暇。
今後、4,5,6月と頑張って働き、原稿を書き、プリントも今まで以上頑張って、二つの店の売り上げが思わしくなければ、夏には、あっさり、店を止める。
15年前のほんやら洞カムバックは、ほんやら洞草創期を書き終えてないことによる未練をすっきりすべく書くためであった。また、周りの若い女性に職場を提供し、市民運動に頑張っている友人に場を提供するためでもあったのだが、期待したこれらの人達には、僕の期待に応ずる気持ちも必要も興味もなさそうなのが、15年間で判明した。これで、ほんやら洞が採算が合わないのなら、あっさり閉める事に未練はない。長い事、無理して引っ張って来たものだ。また、多くの知人に迷惑をかけもした。片付けは大変だが、遣らねばならない。
後の僕の人生は、マイペースで、苦しくても、独りでやって行くしかない。結局、今後の生活の協力者は、周辺からは見込めそうもない。散らかし王だから仕方なし。でも、自分のことに専念すれば、プリントと日記整理、八文字屋29年のオモロイ読み物作りとカザフスタン、アジア撮影旅行の時間が取れるだろう。
ブルーデルさん集金に来たが、はらえず。
秦恒平さんの「湖(うみ)の本 119」読了。冒頭から、ペンクラブに会長、浅田次郎批判だ。再読の必要あり。
読売新聞の明日の夕刊での「糺の森の謎」特集で少し出して貰えるとメール入る。
Kyoto Graphie International Photography FestivalのOpening Party Invitation届く。
どうやら、浅利ちゃんが、8:00にこれそうもない気がして、8:20に八文字屋にはいる。
彼女は、10分?おくれで8:40に到着。川㟢さん、鹿さん、ティル&教え子、タカさん、奈良井さん、オイタさん、段ちゃん、カゲロヲのみ。三角州でのイベントの可能性について談笑。

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2014.3/25(火)


9:00起床。
ZDFホイテショー「ニコニコしている人には放射能は来ない!」というドイツの風刺ニュースをFbでみる。
11:30ほんやら洞オープン。ちゃんと眠ってないから、シンドイ。
超暇。落ち込み、ひどい。援軍なし。早く、本を出して、閉めるべきだ。本を出すまで、持つか?
その点に於いて、TVは、多少効果はあったかも知れない。人によっては、無理をしてでも、損をしてでも全国放送に出るだろう。ま、TV出演のために、雑用で追われる時間がなくなったのだ。その分、書下ろしに専念しょう。
ほんやら洞、惨憺たるもの。
〈八〉に7:20に入り、2:00までいるが、客2人、売り上げは、2100円。ほんやら洞は、5000円。
15時間労働の挙げ句の果てがこれでは、辛い。こういう日が、週に、2,3回あるのだから、たまらない。
4月,5月をみて、撤退の準備を早めねば。
Fbで「僕のFbで迷惑を受けている方は、伝えて下さい!」と記したら、「お前が店を汚くやっているのが、悪いのだ」と当たっているが、お門違いな書き込みがある。現状の店を必要としているのは、ごく少数。綺麗だけで詰まらない店が増える一方と言う資格は、僕にはないか。殆んどが「そんなのは、柳に風と流せば良い」「助かっている。お前は悪くない。無視せよ」だ。秦恒平さんの「湖(うみ)の本」を読みつづける。浅田次郎評、中西進評は、的確。ペンクラブの理事会の中でぎゅうのねも言わせない形で論破するのは、見事。怨みを買うかもしれないが、超然としている。秦恒平が、ペンクラブに僕を推薦した意味が、よく分かる。全く、期待に応えられず、除名になった。雨の中3:30帰宅。

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2014.3/24(月)


ほんやら洞10:00入り、Bk、関西電力行き。
ランチ客少し。ハードな日が続き、疲れた。
秦恒平さんから、最新刊の「湖(うみ)の本」恵送さる。浅田次郎を痛烈に批判。まともだ。
8:00前に、お客さん3人来店するも、断って、八文字屋へ。
八文字屋、8:20オープン。
鈴木さん(龍大)来店。
姉、「ハートロッカー」(2008年アカデミー賞?)を偶然観た話。
神田さん、三脇さんに、合宿の件で、メール。
ミルトン、咲希ちゃん、田中君、ドクターに成った(今年の京大で660人と)報告に来店。ミルトンが、お祝いと奢る。琢ちゃんも顔を出す。1:30に店を出てゆっくり眠ろうと思ったが、鍵を紛失して、ほんやら洞で眠る。3:00。

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2014.3/23(日)


篤ちゃんの結婚式の日だ。
やはり、〈八〉泊だった。他人の結婚式なのに、仕事が手に付かない。風呂に入ったり、髭をそったり、スーツをきたり、慣れない事の連続。祝儀袋、靴ベラをかったり、落ち着かない。
3時過ぎに会場へ。(4時受け付けと後で知る)新谷有里ちゃんに控室で会ったが、有里ちゃんと同定できず「どちらさんでした?」という。
1000枚位撮る。良い会だった。ヴァイオリニスト、石上真由子さん(府医大生)の演奏は素晴らしかった。マジシャンのお医者さんも登場。上の歯がグラグラ。これが近々取れるだろうが、そうなれば、上歯ゼロになる。
ほんやら洞まで、戻って、着替え、八文字屋へ。上島で、コーヒー。
八文字屋には、京都新聞OB(林恭子さんの先輩)の鴨沂高校では、大西四郎さんと同期生がきていた。大福もくる。キヨ&ダグラス、おっちゃん、オイタさん、山根さん、奈良井さん、小山さん、サッちゃんで終わる。キヨさんに「日向太は、領事に何と言って会いに行け!と言うの?」と聞くもボケた返事しか返って来ず。やっぱり、この人もダメだ!と思う。アメリ展始動開始すれば、どうにでもなるのだが。そう、思うだけではダメなので、明日、丁寧なメールを送信しょう。竹ちゃんは、顔出しだけ。また、〈八〉泊。

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2014.3/22(土)


8:30起床。
11:00まで、ウダウダ書く。
昼前にほんやら洞オープン、外国人客と東京客ばかり。「山仕事杉良太郎」のOBも来る。
8:00まで、営業。9:00篤ちゃん来店。歓談。篤ちゃんの北里での上司、小曽戸洋さん(医師会会長)と山田慶兒さんとの齟齬、津村喬の症状も話題になる。奈良井さん、片山さん、海坊主&連れ。
11:18に客ゼロ。1:00になっても誰も来ず。結局、朝になっても、誰もこず。こんなに早く客が引くとは、珍記録。

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2014.3/21(金)


失くした10万円が出て来て、家賃が払えるという能天気な夢をみてた。それは、震災にあい、家がくちゃくちゃになり、瓦礫のしたから、救出した風呂敷つつみの中からだ。
6:15起床。
早いので、ねなおす。
また、夢。荒唐無稽な。
ほんやら洞は、梨木神社のとなりにある。梨木神社には、なぜか、本屋、お土産品売り場まであった。
ほんやら洞に、プラプラしている女の子が、来て「私、JRの時刻表のなかのコラムを担当している。次で、ここを取り上げるわ」そう言って、現物を見せるというので、上半身裸のまま店に入って行った。そのページが発見出来ない。僕は裸なのを少し羞じた。最近、街中を裸で歩く男が減ったな、背中の掻き傷が汚いかなと思ったりする。その瞬間、場面は、アフリカになっていて、旅行に来ている出町担当の同志社大学の谷口先生にあう。僕の写真展を見てもらう。ちゃちな写真10点位飾っているのは、梨木神社だ。元の場面に戻っている。で、最近の八文字屋客の中の谷口先生が知っていそうな工繊大出身の名を出して、うちによく来ている、と言う。安田利玄、白藤華子、呑海龍哉、大丸綜広の女性、、、。谷口さんは、白藤さんの姉と同期、呑海君は、同じ三重同士で隣の男だ云々いう。呑海さんが、6月1日からほんやら洞で写真展をやるので、よろしく!これを期にほんやら洞と八尾文は協力関係を築来ましょう、と言って、外に出たら、チャリがない。取られたのだと言っていると、アドちゃんが乗ってかえったのでは?と言うと、木陰の向こうの御所の小道と交差する砂利道に子供、オバちゃん連れのチャリに乗ったアドちゃんがあらわれた。近づくと、電動自転車だ。盗まれたので、新調したばかりだという。かごに専門研究はゴリラと知っていたが何とも奇妙なパンダの口先を尖らせたようなチビゴリラを入れて移動している最中で、子供がじゃれている。大丈夫かいな?と想う。今にも、籠から出てきそうだ。チャリ、、??と思っていたが、家に帰ったら、あるかも、これは、夢かも知れないので、と思って古門前の家にかえったら、案の定、あった。突然、樽家さんが登場。最近は、染めもんは、川で水洗い出来なくなった、とぼやいている。特に、東山では、よう演らんと。西なら、あいつか、と大目に見られるが、と。次は、知恩院前の白川の支流らしきとこで、水につかり、僕が紙を擦り何かを浮きあからせようとしている。剥げた紙屑が流れ続けている。上のほうから、ふらふらの田中国男さんが、チンピラみたいな男二人を引き連れて、向かっているので、手を振り招き寄せる。丁度よかった。うちに行こうか?といって、吉田の汚い部屋が思い浮かぶ。3人でパチンコに行こうとしていると聞き、可哀想に、今では、田中国男さんは、こういう友達に囲まれているんだ!?と想う。「田中国男さん、一緒にNHKに出てくれませんか?」と言いそうになり、嫌がるかな?と思った所で、目を覚ます。
10:30、八文字屋。3:00までほんやら洞にいた。留守中に、NHKのTは予告なしで、ドーナッツを持ってキャンセルの告知にきた。Tさんは、直接会って、お話をすべきなのですが、暫く出張に出て、お会い出来ません、と。昨日、会うのを断らなかったら、何とかなっていたかも。後悔、先にたたず、だ。いや、打ち合わせの女性と馬が会わなかった、それだけだったのだろう。僕も篤太郎の結婚式に出れるか心配だったし、原稿もマイペースで進めよう、4月19日からのKG+の写真展のための暗室入りに向けての環境整備も気になり、少しずつでも進めよう、日頃から疲れ切っている、一日位、間を置いてもいいだろう、思いながら、やるか?と思っていた。先方の焦りを理解しなかったのが、間違いだった。これで、TVに、出てバイトをゲットする計画もオジャン。その間、ルパンの店と吉田の家にいたのだった。
先方としては、コッチが、駄々っ子だった、という結論だったのだろう。
月曜社、頑張ろう。
書下ろしの原稿のためにもシオドア・ローザック「対抗文化の思想」6章のP・グッドマンのゲシュタルト・セラピー論をジュックリ読んでいる間に、水声社の中村健太郎さんとエマニュエルの「アランの戦争」の訳者も来てくれたのに、会い損なった。京大キャンパスで、チャリがパンクして、修理している間というべきか。
Fb上にNHKキャンセルと書き、Sにも、報告。それに対して、Sから、NHKがダメになったのは、私のせいなの?とのメールはいる。勿論、違うと送信。それぞれ、呼吸があわず、また、ディレクターが、甲斐には、桜番組に限定せず、出て貰おう、という事になったらしい、と後で送り直す。
チャーリーからTel。八文字屋に財布がなかったか?聞けば、気がついたら、顔面傷だらけで、病室にいた。バッグには、財布以外のものは全てあったと。殴られたのか、何も覚えてないとのこと。どこから運ばれたかも不明。
夜、TさんからTel。僕が「出たかった。現像は、自分で間に合わせても、いい」というメールを打ったメールへの返信だ。「もっと時間がある時に、また撮りたいと言ってます。皆、写真集に感動したので。いつのシーズンが好きですか?次は、いつ外国へ出るのですか?」と社交辞令を超えた風なTelあり。竹内好さんの娘さんの竹内裕子さんよりもTel。徳正寺に行ってきた。本当にありがとう。5月31日、夜、八文字屋に飲みに行きます、と。徳正寺への礼の仕方など聴かれる。
アドリーヌのバイトなのに、超低調。営業努力を厭わないバイトをいれねば、ヤバイ。奈良井さん(エアコンのゴミ、ネズミの巣を徐去してくれる)、亀岡の薬局家族、アサヒちゃん、村屋の客、「金持ちよ、この人」と男の事を言う女と男の正体不明カップル(女は、2年ぶり、4回目とか)そこまでが、アドリーヌの守備範囲。キヨ&ダグラス、朝日の増田さんのみ。増田さんは毎日の新人の話をまたする。岡ヤンの下で松江で働いていたと。ダグラスとキヨさんは激論の末、キヨさんは、涙ぐみ、キヨさんが一人残り「甲斐さん、本当に離婚しているの?」というが、iPadを弄り続け、無視。「サチコさんに、ホームページを頼むわ、甲斐さんはなぜアメリカに行きたいか、企画書用に書いてね。領事には、CCで書こうか?」と言って帰っていった。領事云々は、コッチは関知しないところなのに、キヨさんも、困ったもんだ。
キヨさんは、サンフランシスコの領事の名刺の、コピーを置いていった。日向太に渡せ!という事だろうが、意味不明。
彼女の企画に乗せられて、オットリ刀で乗りこんだら、ヒドイことになるかも。クワバラ、クワバラ。八文字屋の客があまりにも少ないので「これでは、篤ちゃんの式に出れない」と記したら、「甲斐さんには、恥をかかせるわけには、いかない」とのメール、入る。

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2014.3/20(木)


9:30起床。
11:00まで、あれこれ考える。
名古屋の服部さんご夫妻が、息子の同志社大学卒業ということで、来店。
NHK用のプリントを探す。
同志社大学、立命大の卒業の余波、少しあり。イマイチ。マリーンも。八文字屋は、鈴木さんは、覗いて帰るのみ。マリーンも低調。SにNHKとのやり取りを報告。僕はTさんと会って、話をしないとキャンセルになる気がしてきた。ゆうべ、明日、会いましょう、というのを、明日は忙しい、と断わったのは、まずかったかと後悔。先方は、早く、スケジュールを決めたいと思っているのに、コッチが我が儘言っていると解釈する可能性は、大。
八文字屋は、謝恩会の流れ、今日は、なし。海坊主、千佳ちゃん、チャーリーでおわり。チャーリーが、ベロンベロンになって帰って行った。帰すベキでなかった。上からチョー千鳥足をさらに越えた、ステップを見送りながら事故にあうぞ、早く車に乗れ!と心配する。
客まちスタンバイも空しく、終わる。
「私のなかの彼女」読了。

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2014.3/19(水)


10:30起床。暫く、角田光代さんの「私のなかの彼女」を寝転んで、読む。気がつくと、13:00だった。NHKのTよりTel。4月2日ロケとの事。
Sは、KG+のポスターの校正をやってくれる。
今日は、客なし。
八文字屋には、お腹がブクブクの奈良井さんがいた。そして、実によく食い続けていた。1000円だから、食えるだけ食おうというわけでもあるまいし、ストレス食いなんだろう。やがて、川㟢さん、そして、純二連れの鹿さん、そして、おっちゃん。あーあ、これで終わりとは、つらい!と思っていると、鈴木さん、12時30分には段ちゃんも。今日の毎日新聞の記事で、何処かからTelがないか?と思っていると、白山さんから、やはり、ある。ロイが久しぶりに来て、何事かと思っていると、やはり、今日で、ティルが、木屋町最後だ、と言う。で、ロイが、On readingを買い、それに、ティルへのお別れの言葉を書かせる。僕は、三島憲一さんのドイツ語での「甲斐の世界」とDVD「ほんやら洞の甲斐さん」はロイにも上げるからダビングしてねと言ってをことづける。
段ちゃんに、今月、ちょっと助けて!と言う。31日の夜にね、と段ちゃん。これで、少し、救われる。ほんやら洞のバイトをなんとかしないと、アウチだ。少しぐらいさっちゃんがてつだってくれたなら、大いに助かるのだが、もうそのステージには、いない。我が身を考え、徐々にフェイドアウトだ。
そこへ冨樫が、フランスから来た京大大学院AA地域研究研究科の文化人類学者のニコラ・セザールさんとポポちゃんを連れて登場。
あとで、10人程引き連れて、ティルが来て、4時まで。
帰ろうかと思うが、雨で、八文字屋の床に寝ることにした。

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2014.3/18(火)


5:30起床。一時間書物。7:15八文字屋発。
やはり、朝方も、比叡山が見えない。一気に暖かくなったが。
7:40帰宅。午前中は、眠りたい。8:00春雷。小雨模様か?
寝たまま、夢か現か、TVの桜論で、消費社会批判、記号従属社会批判、天皇制批判、権威主義批判、限界芸術論に基づいて、生の日常語で喋ろう、とか、徳正寺の31日は、自分が手伝うべきか、Sに出番を提供するチャンスか等々考えていた。
11:30まで寝ていた。
今日からが、色んな意味で勝負。生活にメリハリ、グラデュエーションを付けねば、Sも去って行くだけだ。6月には、今年の終わりを見通せねば。その意味では、NHKなんか、楽々クリアせねばならないのに、協力方の思惑、どうも色良くない模様。最終的には、無様でも、一人でやっつけるつもり。
ペーター・ユンクと来たケビンさんよりメール。Fb上の自分の音楽を聴いてくれ、お前の写真、大好きだと。江口久美さんから「夕べは、ありがとう」メール。
勤労意欲湧かず、疲れきっている。何とかせねば。iPadの充電器が探し出せず、直ぐ切れそうなので、今日は久しぶりに、余り、触らない。沢朱女さんのアドレスを登録しただけ。(彼女にも、個展を依頼しようと思っての事。)いざ、大切なメールを送信せねばならぬ時に、電池切れなんて、いやだから。店では、何度も、ほぼ30分置きにTelのベルが鳴るが、無視。
角田光代さんの「私のなかの彼女」を読み始めると、少し楽になる。
ほとんど客がこず。来た客がランチというと、まだ、と断る。「あー、カレーのいい匂いがしている」と入って来て言っているのに「カレーなら、できますよ」の一言が出ない。ああ、ヒドイ!
7:00頃、疲れてやって来るSにあわせて、タコライス、スープをつくり、待つ。
5月31日の徳正寺の裏方、場合によっては頼むよ、と言う。丁度、ヒルゲート展の最中だ。
撤退の準備は、全く進まず。ゲラを済ませることが先決。「青春のほんやら洞」出版で一変させる。そのために集中しなければ。状況は、ある意味では、凄く恵まれている。そう努力もしてきたが。
8:30の八文字屋、咲希ちゃんが、コスモスで買って来たのか、カウンターで、独り白飯を食っているのを見て、焼き魚、カニコロッケをどうぞ!と提供す。夕べ、川上さんは、「ファニー」にも顔を覗かせた由。NHKの田嶋さんから、折り返しTel呉れ、との伝言があり、する。荒神橋も、高野橋のまともな読み方を知らないディレクターで、びっくり。それで、京都担当が務まるのだなあ。福井市出身と言っていたが。美貌と押しがあれば、大丈夫ということか。優れた面もあるのだろう。
9:30、最近は、来てもため息ばかりついている片山さんが、細木数子の家に出入りの高松市の岩佐仏壇店の27歳のイケメンの息子を連れてきて、桁違いの中国での商売の話(ほら話)「香木の麝香、キャラ(樹齢何千年の沈丁花の変種?)がいくら、真贋次第では、何十億になる」云々と吹いている間、咲希ちゃんにゲラを少し見せたりする。「中尾さんって、すごかったんだね~」とポッツンと一言。岩佐仏壇店の息子と咲希ちゃんは、同じ町出身の同期と判明。4月18日は、香りの日らしく、息子さんの誕生日、僕と同じだ、てな与太話は延々続く。飲み屋の辛いところ。片山さんは、相変わらず、時折、得意の溜息混じりにこの若者と喋るかと思えば、突然、自分の下の息子にTel。訓練校で陶器をやっているというので、絵付けの佐々木花菜ちゃんの話をする。まあ、お客が鬱憤を晴らし、それを海綿でチューと吸い、他所向いて、パッーと吐き出すのが、飲み屋の親父仕事か。姉に、息抜きTelすると僕が、両子寺の中川五郎ライブに行く!と書いたのが、伝わっていたようだ。
10:30には、山極寿一さんが、研究室のDの坪川桂子という古門前の縄手東入ルのお祖母さんの家に住むゴリラの研究者同伴。アグミちゃんの結婚相手が68歳のイギリス人の間では、名うての元プレイボーイ(でも、アグミちゃんは、手の平に載せている)だとか、イサムの見事な生き方、国分寺の「ほら貝」の流れから、「ダムハウス」が出来た事、さらに、ビートたけしとの対談話から、川上弘美さんの酒好きの話に及ぶと、「あ、あの人は、お茶の水女子大だ」と割り込み、古屋和子話を振り、暫く、片山さんが、食いついていた。先程までは、帰ろうとしていたのが、尻が椅子にくっついてしまった。「瀬戸内寂聴を読み直しているが、凄い」と唐突に近々のマイブームらしくモチネタ披露。ナンノコッチャ!と思うことも、度々。彼は商機をいつも伺っているのだから、オモロイ、と言えば、オモロイ。
そこへニュージーランドからのワーホリと、留学生の5人組来店。うちの2人が、京都で、この店が一番好き!と言う。2,3週間前から二人は、チョクチョク来店中。
山極寿一さんとD生、3:30近くまで居る。山極寿一さんにオランダから出す写真集に甲斐写真論を書いてくれと頼み、快諾を得る。喋っていて、白幡洋三郎さん、井上章一さんの噂話から桜番組で喋るベキ、良いアイデアが浮かぶ。山極さんに感謝。
国見、歌垣、花見と絡めよう、と。花見は、日本にしかない?と。花見の条件(構成要素)は、三つある。NHKで喋る段取りをかんがえ、これなら、良かろうと考える。
今晩の暇を見込んで、ゲラへの朱入れとふんでいたが、客入りに意外な展開。ホッとする。
4:00帰宅。充電器は、ずっとリュックの中に有ったのが、判明。

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2014.3/17(月)


5:30、八文字屋発。6:00帰宅。
11:00まで寝て、キヨさんが、明日、東京へカルフォニア展のために人間国宝の竹中健司の番組を作る東京のTV局のプロデューサーに会いに行くのに、是非、僕の「路地裏の京都」を見せて渡したいというので、ルネに買いに行く。金がないけど、仕方なし。一気に春めいて来た。黄砂?で昼間も、比叡山、如意ヶ嶽も見えず。大変な時代に成ってきた。
税務署に行き、その足で竹内裕子さんに代わって、徳正寺に5月31日に、「竹内好を記録する会」のために、会場提供のお願いに行き、快諾を得る。「法要のお経を環境音楽として、受け止めてくれるのならば」とのこと。税務署が終わると、やはり、毎年開放感でいっぱい。戻り、早速、メールするも応答なし。夜、Tel。30分前に帰宅との事。京都には、他の世話人が居るかとおもったが、誰もいない。僕が動くしかない。今福さんの個展にギャラリー・ギャラリーに行く約束を忘れる。お隣さんが、トユ工事で出た泥入り袋をふたつ放り込みにきた。処分しろと。自分で袋詰めに来いといったが、取り込み中だから、と断る。トユ代13000円というので、4月10日まで、待ってという。
3:30に来るNHKのTさんの来店に合わせて、桜写真探し。Sも面接帰りで、合流。2時間打ち合わせ。強引に桜への思いを語らせようとする。ありがたいが、少し不安含み。やるしかない。
4月11日「夕どきNetwork」Pm5:10~5:28の間の18分の内の5分。平野神社を撮る水野克比古と抱き合わせ。もう一人、未定だが、写真家か何かがいるかもと。まだまだ、手探りなんだろう(夜、八文字屋にTelで、鴨川だけでなく、御所でも撮るかもと)誰か知人の家を訪問出来ないか?とも言われる。田中国男さんの名を出す。NHKにスカパーのDVDを貸したのをあとのTelで良かったと。毎日の鈴木さん、連載の最終回に陳腐な画像を出したいというので、NONと言う。「今週、八文字屋の営業めいた写真、他のメンツが、NOというのを押し切ったのだ、俺の苦労も分かってくれ!ゴチャゴチャした八文字屋の店内画像が東京の新聞の紙面を飾り井上章一が解説したら、もう、それだけで、成功なのだと僕は思う。ギリギリの所で頑張っているのを分かってくれ」とメールで言って来る。彼にとっては、これをやりたいがための一年だったのだろう。念願がかなうわけだ。後は、一冊にすることだ。
志津屋で、そば。6:00でも、明るい。
4月19日からのKG+のDM作り案、固める。
兄姉もDVD見た。姉は良かったと言う。兄は「森山に言って、4,5枚焼かせろ」と言ったとか。
7:50に八文字屋には即、大阪のなっちゃんの紹介の新潟の25歳と27歳の新潟薬科大の同級生、横山達也君、森山和也君が来店。川上力三さんも山本新太郎さんと来店。力三さんの「京都の古民家」というスケッチ画集を貰う。神戸大学の職員は、原田潔の店の常連で大和屋でも聴いて来た、先斗町の「ウオッカバー・中西」では、三室さんに会った、池田知孝さんの「大阪自由大学」に出入りしているとも。
後は、段ちゃん、ダグラス&キヨ。キヨさんの日本語の先生は、トーマス・ライトさんの奥さんの「ゆうこ」さんとは、初耳。中西陽子さんの元連れ合いの石橋君(キュピキュピ)の「狂わせたいの」等の映画は、二人の家を舞台の撮影も。「美輪明宏のろくでなしを唄ったりする分島麻美さんは、知っている」ときいたが、ピンとこないようだった。「世間は狭い!」とダグラス。「ダグラスの教え子をほんやら洞に誘導して」というと、これまで、そうしていたが、開いてなかったと。キヨさんは、7月にアメリカへ展覧会のために行けるかいうので、勿論、OKと言う。彼女のシミュレーション、ちょっと、希望的観測多し。江口久美さんが来て、4月いっぱいが締め切りで、「工業技術会」という学会の発行するフリーペーパーに、原稿料なしで、「かわりに、飲みに来るし、9月発行だから、9月以降のヨーロッパ展の宣伝をしてもらっていいから、発行部数も多く配布先も多岐に渡り、いい宣伝になると思うので是非、京都論、フランス論、フランスで受けている評価等についての自慢でも何でもいいからパリ、京都での写真を交えて2,3ページ分を好きなように埋めて下さい。私が、編集長です」と言う。最後に公認会計士の中村政温さんが来て「甲斐応援団への誘いもないわ、来ても閉まっているわ、でもう潰れたのか、と思っていた」とずっと心配してくれていたと吐露。その後、日本近代史では、何が真実か分からないと正直なことを言う。何も教わって来なかったので、教えて欲しいと、明治天皇は替玉だという奴もいるし、何が真実か分からない、どうなっているの?百田尚樹の「永遠のゼロ」の映画、涙が出るほど、オモロかったが、百田の何処が問題か指摘して欲しいと言う。「甲斐応援団」の今後がどうなるの?アテにしていたAさんは、キヨさんのもたらす情報で、今では、全くアテにならないものと判断したことの経過を端折って説明する。彼自身も最近、詐欺に会った話をする。Tにも、40万円投資しているのに、音沙汰ないとの話も。
彼が帰った後に、彼は慶応出身と言うと、江口さん、私もそうよ、もっと喋れば良かったと言って、彼を引き止めようと追いかけたが、彼の姿は消えてしまっていた。
2:00閉店。

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2014.3/16(日)


10:00起床。
風邪気味。リアル過ぎるエッチな夢をみたが、書かないでおく。エッチから、遥かに遠ざかっている。
ほんやら洞には、30年前のお客さんがまだ有ったの喜んで息子さん連れで覗く。
呑海龍哉さん、来店して、6月1日から6月15日までほんやら洞で写真展をやりたいという。キヨさんから、メール&Tel。3月18日に竹中健司さんのTV番組を作る人と、アメリカ展の「黒幕《へぇー!そんなんがいるのか》」に会いに行くと言う。カリフォルニアの領事の名刺等は、明日、八文字屋に持参と。
由布院では、中谷健太郎さん、溝口薫平さんの傘寿祝いパーティがあったようだ。
確定申告書類の記帳で一日が終わる。安倍ちゃん、やっと、支持率、50%をきる。それが、当たり前だ。でも、当たり前がまかり通らない世に成って久しい。
8:00過ぎに、久しぶりにダバ火振(高知の栗焼酎)を買って、八文字屋へ。内山さん、段ちゃんが居て、内山さんが「今日は客席に座れ」「オレは、このママと生涯を共にするんだ」といい、しばらく繰り返し乾杯ばかりしているところに永澄さんからTelあるも、なかなか姿を現さない。滋賀からかな?と思っていると、やがて、高橋幸子さん、竹内裕子さん(竹内好さんの娘、僕と同学年)とともに来る。高橋さんは先に帰り、高橋武智さん、知人の写真家の話ばかり熱心に喋る。僕と竹内好さんの出会いは、1968年4月号の雑誌「展望」(4月号)の「明治維新から何を学ぶか」特集の鶴見俊輔さん、色川大吉と、竹内好さんの鼎談であった。その時の印象は、鶴見さんが圧倒的だったが、竹内好ファンになったのには変わりない。5月31日に、「竹内好を記録する会で、山田慶兒さん、吉田富男さんらのインタビューをするのに、ゆっくり出来る所が良い」と言って、徳正寺に打診する約束をする。他には、秋元大輔君が来ただけ。
内山さんが泊りなので、5:30までいて、エアコンを切って帰る。

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2014.3/15(土)


大分に余震がないかとTelするも出ず。夜に大分の余震なしと知る。
今日は、あじき路地の取材。12時すぎ、上島で、サッちゃんと落ち合う。
ムーランさんが、個別のショップ全て案内。何処もちゃんとした店で、ここでも、わが仕事と比較して恥じ入ってしまう。珉々で、チャンポン、焼きそば、食う。
ワッキー、小保方問題に事寄せて、理化学研究所を批判する内海信彦する論法(スタイル)は不快だ、僕のFb上のシェアに書き込みを入れる。理化学研究所の成り立ちからの批判だ。現研究員としては、そうだろう。
ほんやら洞に戻り、毎日新聞連載分全て送る。久しぶりに、ライデンの白藤さんとメール。五郎ちゃん、両子寺ライブの可能性を案じ打診メール。「アドちゃんに会いに行きたい」とも記す。
夕方、仕事、手につかず。睡眠不足も手伝い、自堕落に過ごす。Kyoの源泉徴収書類出てこない。残念。大分の姉、地震の被害の片付けで、疲れたのか、早い段階で寝てた。
夜の八文字屋8:15入り。(二人目の子が出来る)井上やっさん、久しぶりのオイタさん、ニュートロンの石橋君の友達、不明関東人のリバータリアンの4人が9:30の段階。追いコン帰りの京大シネ研の11人の登場でホッとする。ネパールから帰国後初のティル「林はまともなオジサンになったぞ、今日、来るんちゃうか」と。インパクションの深田さんつれの杉村さん「西川、連絡取れん、どうしているのか?メールするように言うてくれ」と言う。僕としては「批判的な言辞を鬱陶しがっているだけだと思う」言う。また、ドゥルーズの「人にどうして記号に従属するのか」(青土社)を訳出した模様、フライヤー持参。「パリ大全」のも。シネ研も消え、ダウンしている所に坂口君顔を出すも「北米体験再考」に、写真あった。どっちか分からんがと言いに来たが気をきかせて早く帰る。閉めようとする所、ハエちゃん来店。「甲斐さんが、元気でいてくれたら、いいんだ」と言ってくれる。感謝。小保方さん問題に新情報付与。なるほどと思う。今晩の京大の理学部の魚系とハエ系の合同会合開始時にイントロとして、ハエちゃんは、頭脳警察の曲を流したという。ハエちゃん、京大の竹本処分反対闘争があったのを知らなかった。時代は大きく変わったのだ。
両子寺の寺田豪順師よりメール。「高校生以下は無料は可能か?準備するものは?謝礼少なくてもOKか?」パリの西川さんも「井村さんの名前は?」メール。
5:30帰宅。

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2014.3/14(金)


9:00起床。
大分でも、夕べ、地震、結構、激震。
NHKに出る事になった。4月11日。
エール大学のウィリアム・ケリー先生は、42年ぶりに来店。エール大学で個展をやろうと言ってくれる。9:00に八文字屋に入っても10:30まで客なし。仕方なく、ゲラチェックを少しやり始めたところ、NHKの田島さんから「やはり、4月11日全国放送の『夕方・日本』?という番組に出てくれ」とのTelが入り、ホッとする。今日は、スンナリ受けると、気分は浮き浮きしてくるのだった。鴨川で桜見をする人を撮るというのが、良いという。桜撮りの写真家は、別途、起用の模様。
姉にTVの事を報告。夕べの地震で向原も震度4あり、箪笥の抽斗が飛び出たりしたという。兄から安否を気遣うTelも何も入らなかったというので、笑う。笑うと叱られるかな?兄の所もそこそこ被害があったのでは?両子寺では、瓦が落ちたりしているのを寺田豪順師は、Fb上でUPしていた。伊方原発と上関の原発の中間地点の豊後水道が、震源地だ。瓜生島沈没の大震災から410数年になる。ボチボチくるかも。その時の地震で由布院のおおきな湖が埋まり、今日の由布院が出来たのだった。温湯
左馬之介、ルイス・デ・アルメイダの事を想起する。
10:30に京大のイタリア人留学生、7人くる。鹿ら7人来店。奈良井さん、段ちゃんのみかと思って、ゲラの一部や鶴見太郎さんの「座談の思想」の中の中江兆民の「三酔人経綸問答」の件を見せていたりすると、川井遊木さんが登場。一杯飲んで帰る。そして、外から「こすると消えるゲルインキボールペン・フリクションボールノック」というペンを買って来て呉れる。僕がいい加減丸く太くなった色鉛筆の筆跡を見ての事だ。段ちゃんとは、4:30近くまで、飲み、八文字屋泊。アドちゃんを目ざしてきたのは、奈良井さん、鹿さんの友達の純二だけなのは、やはり、ちょっと寂しい。最近の傾向。

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2014.3/13(木)


8:30起床。
雨の中、八文字屋からほんやら洞へ。
手の痺れあり、母と同じか?ちょっとヤバイか?との思い、脳裏を掠める。
ほんやら洞に10:15入り。iPadの充電器取りにゲラを持って吉田へ。Bkにも。
朝から2回Tel。出ず。NHKの可能性があったが。
昼、家に帰り、ゲラを少しチェック。
2:30から麻美ちゃん入り。
月曜社の神林さんは、4:00来店。
大筋、合意。まずは、草創期だけに絞る。枚数には、拘らない。写真、資料、ノートも盛り込む。今直ぐ、神林さんは、取り込めないので、僕が、6月いっぱいで、納得行くだけ送る。カザフスタンや外国に出るまで。オランダ展には、欲しい。神林さんは、W・ケントリッジを観に行く。夕方、雨が上がって、ホッとする。
マリーン、連絡なしで、誰も来ず。
伊吹文明の脱原発言及で自民党内でも波紋を呼ぶ。ほんやら洞で、DVDの画像を流す件で神田さんが、プロジェクターを貸してもいいよ!と言ってくれる。助かる。鹿さんは、デッキを貸すと。
サッちゃん、毎日に画像を送る作業。あじき路地の参考画像も。ムーランにTel、15日13:00約束。
音の出ない八文字屋には、10:00前に、龍大の鈴木さんが、卒業式後の教え子を4人同伴で一安心する。無口で、ラジカセから低音量の中島みゆき、浅川マキを鳴らしながらビール一杯を呷って?行った不明老人、さらにへリング(モッチが看板書きで客増加報告)帰りの片山さんは瀬戸内晴美の「美は乱調にあり」がどうの、古屋さんがどうの、借金1億あれば怖いものなしとも「俺がしてないのは、離婚、殺人、詐欺のみ、ああ、燃える恋をしたい」とほざきつつビール1本。坊主でないのが救いか?ノルマに未到達。1:00で、客なし。2:00まで、スタンバイするも、虚しい。
2:30帰宅。

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2014.3/12(水)


今日は、ルパン見舞いと安食路地見物に行くつもり。
ハジメさんと立ち話。窶れ具合をFbに記すと、夕方、サッちゃん「カイさんも同じよ」と言う。
お隣のトユ工事ついでに、こっちのトユ付け替え、屋根の上に滞留泥土の処理を職人がやってくれる。
13000円。
DVD、月曜社から原稿のゲラ届く。
日向太の知人の母、客。日向太がきて、焼きうどんを作る。
あじき路地見物に往く。
祇園小西は、個展延期で休業。古川町の講殿さん、魚屋のおっちゃんも休業。ルパンのへリングも開いていたが誰もいず。近衛通り東入ルの屯風(オデン店)候補物件も見る。
浅利ちゃん休み。8:30オープン。NHK大阪のディレクターからTel。4月11日全国放送で、桜について喋れるかと。少し頓珍漢な話をしたかな?
円山公園の桜、高野川の桜位言えば、よかったか。酔いすぎ。この時点で全国放送に出るか出ないかは、死活問題だったか?いや、「青春のほんやら洞」?「ほんやら洞の青春」?を出せば、メディアは正面から来る。チャラチャラする必要なし。日銭に困り、さもしくなっているが。
梶田さんが、「黒兵衛」のたこ焼き+筋のお好み焼きの差し入れ持参。鹿さん、奈良井さん、段ちゃん、博覧強記の秀才、中国文学者(?)福島亮太の青土社からの新刊を巡る講演会帰りの永澄さん、ABCの西村さん、京大人文研の古川准教授らを同伴。新井勝憲さんは河合塾の荒川さん(権四郎で27年前によく一緒だったらしい元京大同学会委員長)らを同伴。深夜、1:30頃ボチボチ閉店と思っていると、西成にいた裸足の日雇い労働者、坂口浩一君が、新居浜の本屋で鶴見さんの「北米体験再考」を発見し、買うといったら、くれたと語る。3月15日に南区の「NPO社会労働センター・きずな」で「米軍基地に反対する済州島・カンジョン村の闘い」と題して講演開催報告。やけに絡み酒の青年とともにフライヤー持参。
閉店は、3:00。

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2014.3/11(火)


起き上がったのは、10:00。
夕べのように応援方が多いのだから、持ち堪えるべく努力、気力をしっかりしよう。明夕方、DVDが届くようにすると加藤さんより、メール。
菅孝行さんから署名要請のメールあり。田中宇ちゃんのウクライナ情勢分析のニュースを津村喬さんがFbでUP。これと内海さんの感想は、少し食い違う。
チェーン外れのチャリを押して、営輪まで。故障箇所も直し、2095円。
午後、日向太が来たので、山田慶兒さんの本を2冊あげ、今、問題になっているウクライナ情勢分析に関して田中宇ちゃんと内海信彦さんの解釈についての書き込み、両方見るように言う。
サンフランシスコでは、日本領事館に行って、領事に会うようにキヨさんが言っている事も告げる。余裕があればで、いいよと言う。浮世絵等のスリ師の人間国宝の竹中健司さんらと共に、領事館で写真展の企画が持ち上っているとも。
日向太の今日のニュース?は昨日、アメリカ留学行き挨拶で松本総長相手に英語のスピーチ10分敢行、総長が英語が出来る、苦労が多いのか、髪が白くなっていたわ、の報告。
山田拓ちゃん来店。お隣さんから、明日、トユを直すのに、おたくのを頼んでいいか?と言われる。
今日も辛い日だった。八文字屋は、咲希ちゃんで、僕が着いたときは、龍大の鈴木さんが帰ろうとしていた。次は、清水忠さんが、「ムーラン」「月明り」と呼ばれいるという染色科出身の元精華大生(村上菜也子さん)同伴。彼女の先生は2年前位に京都美術文化賞を受賞した忠さんの京市美大の同級生の麻田脩二さん。彼女はよく和服で顔を出すが、宮川町筋の近くの安食(あじき)路地にアトリエ兼住居を持つ照明器具を作っているナッチャンの友達でもある。二人はフランソワの帰りと言う。彼女の最初の作品を一乗寺時代の「屯風」の頓平が買ってくれたのを心に深くとどめている。頓平は、12月いっぱいで、百万遍を撤退して、4月に近衛通り東大路東入ルの空き物件で新店舗を出すことを決めた、施工は、元聖拙社のヤッサン(安田)。安食とは祇園辺りの地主さんの名。ムーランさんに今年の「都をどり」のポスターのモデルの舞妓さんは月(ルナと読む)と聴く。鹿さん、夕べも来た「映画人」とやらの野口君(咲希ちゃんに会い、もう一度会うために一旦、出町柳まで歩いて行き歩いて、引き返して2度)来る。というのは「咲希ちゃんが個展のDMをくれたから」という。近藤和見とも親しい元劇団維新派所属。
月曜社に、1月10日から書いた18枚の原稿は、少しテイストが違うと思いつつも、送らないではおれず送る。ついでに、1月~3月のブログを送ると「甲斐さん、先走らないで下さい」と神林さんからのメールが入る。
2:40に閉店。

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2014.3/10(月)


6:20にiPadを開くと「さあ、カザフスタンに、いつ来ますか?」との今用さんからのメールが入っている。これを見て、20程の「いいね」チェックを済ませ、寝直す。
脳天気な夢のオン・パレード。
ごろ寝旅行さなかで眠っているとはいえ、荒くれ男との雑魚寝の言わば、衆人環視のなか、セックスを済ませ、早朝のマーケットに行き撮影三昧。道端で洗面器の中の洗濯を絞っているおばさん二人の周辺にウロチョロする生まれたばかりの犬と子猫が、たわむれており、撮っていると犬がかおを舐めにきた。顔を背けたたさきに「初カシワは、どうですか?」と可愛い声で連呼をする3,4歳の男の子がいた。どうやら錦小路のようだ。餅つきの釜の上に幾重ものセイロが乗っているおクドにハッピ男が押し付けられそうになって周囲から罵声がとんでいる。神輿だ。となりには、2,3人の男が倒れている。餅を丸呑みするイニシェーションで、のどを詰まらせて死んでいる青年だ。
この路地を撮りまくる。
さらに猥雑な群衆の中にグイグイ入って行っていく幸せな夢だった。
ゴロゴロしながら、6月にカザフスタンに行こうと思い定める。その前に、いちど5月20日前後に大分に帰ろう、と。
外は、雪。いつまで、続く?この寒さは。
いまにもチェーンが外れそうなチャリでほんやら洞へ。
外では、ずっと雪が舞い、お客は来そうもない。
2:00に木須井さんが、来店。約一時間、お喋り。その後、原稿に向かえばいいのだが、ピッチが上がらない。ルパン見舞いに行きたいが、今、風邪を引きたくないので、止める。
小倉紀蔵さん(の今夕、京都新聞の現代の言葉)によれば京都市には、現在、外国籍の人が約4万人在住。留学が7883人、教授は579人だという。京都市国際交流協会のスタッフの「対等目線」をたたえていた。
今日、段ちゃんが来てくれるか、確認していなかったので、8:00頃、Telが鳴り、段ちゃんの可能性があったが、嫌なTelの可能性もあり、出ず。
八文字屋に向かう途中、やはり、チェーンが外れ、押して行く。
八文字屋には、段ちゃんが洗い物をして、スタンバイしてくれていた。柴田明蘭さんが51歳の洛北高校出身のお兄さんと既に来てくれていた(お父さんは、昭和8年生まれで鴨き高校卒。北沢さんより、一級下)。やがて、Foilの山上君、村屋客で鶴橋出身の映画関係者(パギやんの知人ともいう、元維新派)も来て、山上君と喋る。シグロのこともよく知っているとか。東京での取材かえりの森重さん来店。山上君が今岡記者を知っているとかで、また(八文字屋から、今日で3回目の)Telを森重さんが今岡記者に、来ないか?と誘いのTelをいれる。
暫くして、井上義雄さん&鈴木隆弥さん&男女も来る。彼らと喋りたいが、キヨさんが来て、竹中健司さんは、「見た」と言っていたという。シャイな方かも。1970年生まれで、摺師でもある。キヨさんの話の切れ目で後ろに行こうと思っていたが、遂に後ろへいけず。
柴田明蘭さんと入れ代わりに、鹿さんが来て、Wifiを使える。鹿さんもスカパーを見てなかった。最後に大阪の河合塾の新井勝憲さんが「八文字屋を潰さないでよ!」と応援ボトルキープに来店。キヨさんと会話に成らない会話を小一時間続ける。
皆さん、八文字屋を応援してくれるお客さんばかりが糾合した。
6:00目を覚ますが、8:30まで寝る。

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2014.3/9(日)


8:30起床。
2時間昨日のスカパー「ほんやら洞の甲斐さん」On Air情報を拡散作業で潰す。
ちゃんと営業中、と出せば、お客はあるに違いない。
疲れて、いかんともし難い。パリの西川氏には、スカパーの評判良好。
2:00になっても客なく、マロニエに向う。カゲロヲが帰ったあとだった。東義久さんの友達の吉田光夫さんが、ちょうどきていた。控室に座って本を読んでいる最中に、キヨさんが僕と一緒にサンフランシスコに連れて行こうと計画している版画家の人間国宝の竹中健司さん来たようだが、声をかけないで帰っていった。写真が気にいらなかったのかな?Ryotaroは、ダンサーの山口惠子さんとくる。「Urbanguildで、ラジオかなんか、甲斐さんにでて貰うイベントを作ろうと夕べも考えていたんだ、、」という。Ryotaroには言わなかったが、本が出た時がいいかも。
西川勲さんに、コレージュ・ド・フランスの教授が上村淳史さんの絵を買いたがっているのだが、仲介してくれないか、と頼む。その前に、井村アートギャラリー、石橋圭吾さん、永青文庫にメールをいれた。ちょっと声をかけすぎか?
選ぶ方からすれば選択肢が多いほうがいい。僕が右往左往することはない。
結局、マロニエは、一点も売れずに終った。バイト確保作戦も不発。奥田陶男さん、浅井さんが、欲しいと言ったまま。奥田陶男さんは、カイカラーは珍しいので、それすべて欲しい。ポルトガル、スペインはいいね、と言う。浅井さんは、暖かい眼差しに包まれる感じがするので、と。
搬出は、温ちゃん、咲希ちゃん、呑海龍哉が手伝ってくれた。咲希ちゃん、今日から、西石垣通りの立ち飲み屋で、バイト、スタート。八文字屋から温ちゃん、呑海さんら押しかける。
八文字屋は、これ以上ないほど、暇。温ちゃん、呑海さん、温ちゃんの友達、奈良井さん、京都は今日で最後の朴ちゃんで終わり、彼には「パリの西川が、、」という「何、言ってんのや!?散々(オレに)迷惑をかけていながら」。朴Bk閉店。朴ちゃんは窶れた顔で「甲斐さんも林さんも、こんな悪い世の中ともっと戦わんとアカン」と言い残して行く。お母さんが不調で、お母さんの手は望めないとの覚悟以上のものをひめているに違いない。朴ちゃんと浅利ちゃんはラーメン。
呑海さん、職場が45億掛けて、新装オープンでハードな日々が続く中、6月1日~6月15日、ほんやら洞で写真展「眼差し」をやりたいという。
1:00に終ったが、咲希ちゃんが、バイト終了後に来るかもと、待って居る間に寝崩れる。誰も来ず。

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2014.3/8(土)


10:30に起きたが、1:00まで、蒲団の中。
それから、ほんやら洞。原稿、帳簿、ともに進まず。奈良井さんが来て、1Fのトイレと客室の壊れていたレール付き遮壁を修理してくれる。
4:00マロニエ入り。
鈴木マサホが来て3月30日にキエフで馬淵幽明を偲ぶ会をやるけど、仲はよかったか?とだけ言ってツー・ショットを撮って「吉田神社写真」よろしく!と言って、帰る。樽門豊さん、友人二人同伴。「甲斐さんに、あと、望むのは、九条の会に、瀬戸内寂聴さんと、呼びかけ人として、名を連ねてもらいたいだけです。そうすると、かなりな影響力が生まれる」と言ってかえる。
信楽の奥田陶男さんくる。りわちゃんと訓練校の同期生だ。カラープリントを欲しい、特にリスボンの電車道、と言ってくれる。
八文字屋7:00オープン。
同志社生&早稲田生の吹田市での中高同級生来店。二人とFb友達になる。
奥田陶男さん、ほんやら洞で陶器展を4月19日からやる事にした。キヨさん&ダグラスが、結婚35周年記念の食事を済ませて来店。道新の小川直樹さんの友人4人来店。
NHKの森下光泰さんが友人二人同伴。奈良井さんが、スカパーを見せてくれる。
1:30に亮太郎来店。4月10日~4月22日はフランス行きとの事。
3:00閉店。八文字屋泊。

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2014.3/7(金)


11:00起床。
山田慶兒の2著作(SURE)を読み耽る。
ルパン訪問、ほんやら洞の片付けの進行チェック、帳簿作業進行、月曜社原稿かき、毎日新聞への原稿送付、iPadチェック等全て棚上げ。
2:00霙の中、マロニエへ。
キヨさんが来て、'94年美女の英文コピーに行って、戻って来たところ「あら!きてたの!?」と言って、菜の花、タケノコ(糠も)、バケット、パテ、桜の花漬、の差し入れ。「明日か明後日、竹中健司さんという版画家が、くるので、会って下さい、彼のTV番組があるらしいのよ。できたら、カイちゃんも一緒に出たらいいと思うの。彼と、カイちゃん、臨済宗のお坊さん、精進料理の棚橋さんがセットで、7月にファンデーションに申請して基金を得て、来春、ロサンゼルス、シアトル、ボストンでやりましょう」と言って、6月には、自分も還暦になり、母も88歳になり、もう家を処分して、フロリダの介護施設に入って貰うと言う方向で、動くためにまた、アメリカに行くので、その時にいろいろ決めて来るとも言う。「多くの人にカイちゃんのポストカードを一枚ずつ配り、協力の約束を取り付けてきたからから」「今晩、行けたら、ダグラスと八文字屋に行けるかも」
彼女がくれたバケットを一人で食べ、ほんやら洞へいくので、と言って別れる。
そこに、中山登美子さん来店。「最近、浅井さんに会っている?」「W・ケントリッジの映画みた?見てないわよね」等々ひとり喋り。彼女、いつもの通りだ。ほんやら洞に戻ると、サッちゃんが「浅井さんが4時~4時半に来るって、急ごう!」と言って慌ててバス停に向かう。
ほんやら洞で一仕事片付けて、マロニエに急行するも、サッちゃんより、早く着く。帰ろうとしている浅井さんに遭遇。
この間のアメリカ行きのスケジュールだけ聴く。「パリの日本文化会館、オープニングパーティがあれば、いいのにね、ライデンとパリは、共通の個展?カタログを作るのなら、応援する人は多いと思うよ」もう二ヶ月前に、そのことを言ってくれていたなら、もっと違う何か動きが出来ていたかもしれないが、時、既に遅しだ。そこにさっちゃんが来ると「パーティをやりましょ、私も宛名書き手伝うわ」と浅井さんは、再度言う。彼女「作品は売っているの?」と聞くが購入意思ありやなしや、疑問。サッちゃんとは「なか卯」に行き、そこで別々。
マロニエの後の45分の間には、誰もこず。今回は売るため、現金収入を目指したが、無惨におわりそう。7:00八文字屋オープン。
アドリーヌは、8:15に来る。いつも、こんな感じで来てるのかな、と思う。直ぐに、ディランが友人のアーロンさんと来る。そして建松さんが来て、オカルティックな話を展開。
奈良井さん、おっちゃん、「里絵ちゃんファン」の筑波の長さんが友人二人連れで「八文字屋が潰れているか確認」に4年半ぶり。段ちゃんには、同志社自由大学に触れた山田慶兒さんの本をみせたり、鶴見さんの詩をよませたりする。段ちゃんも、最初めんどくそうにしていたが、途中でおもしろがり、甲斐さんは、このリンチ現場に居なくて良かったとか、言う。僕は、新宿西口地下広場の集会を目指して上京したが、もうそれは収束して、房総半島でネオダダの「因幡の白兎」の加藤や兄とプラプラして、自由大学に責任を持って参加せず、その後、任錫きんさんに出会うのだった。段ちゃんと喋っていると、朝日のMさん来店。毎日に「岡村氏の島根での後輩が、京都へやってきた。美人ですよ。機会があったら、連れてきます」とのこと。2:30段ちゃんが帰った後、玉屋珈琲の社長が、東京の安藤さんを連れて久しぶりに来る。
閉店、5:00前。6:30に寝る。

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2014.3/6(木)


9:30、八文字屋に寝ていた。
夕べの確定申告書類出現で、清々しい朝を迎えられた。この一事で、こうも違うのか!?
5時間しか寝ていないのに。
11:00にほんやら洞へ。
客を入れたら、出れないので、closedの看板を出したままの営業。Netのチェック。
2時には、マロニエに向かって出て、三月書房で立ち読み。
昨日、キヨさん、ピーター・マッキントッシュさん、浦田千紘さん、新谷有里さん、グレゴリオの本郷敦子さんも来たようだ。今日は、さっちゃんの友達の瀧本さん、武井さんが来てくれたが、すれ違いだった。元京都芸大教授の佐野賢さんとは喋る。「郭さんには会ってますか?来てない!?スッカリ、世代交代してしまいましたね」と少し寂しそう。元西武の森井さんとも会う。
6:00に慌てて、ほんやら洞にもどるも、マリーンは、休み。
八文字屋8:30オープン。11:30になっても、客はゼロ。ほんやら洞もゼロだから、辛い。一日で2万円借金したのと同じだ。深夜、600円のために2時間、3時間と開けていることなんてザラだ。こういう仕事をなんと言ったら、いいのか!
去年の3月15日発行の黒川創と加藤典洋の福岡ユネスコでの講演録「考える人・鶴見俊輔」(弦書房・fukuoka Uブックレット 3)を面白く一気に読む。
僕の鶴見さんとの出会いはたまたま見た夕方のニュースで「イントレピッド4」のTV上での会見報道を見た衝撃の後、高校の図書館で「プラグマティズム入門」(社会思想社教養文庫)に出会ったことから個人的な関心を持ち始まめたのだった。京都に来て、まさか、同志社の教授としらず、さらには「展望」の明治維新100年記念特集の竹内好・色川大吉との鼎談で出会い直し、溜飲を下げ、エネルギーを貰うことになった。さらにその一ヶ月前の「展望」に発表された『退行計画』には、また、違う感動してしまった。その余勢で、大学を一気にやめて仕舞うのだった。自分の自堕落を正当化するのに役立ててしまった。それで今日まで来ていると言えば、言える。それに先行した同系列の作品「かるた」「苔のある日記」「戦争のくれた字引」を加藤典洋さんは取り上げていて、オモロイ。「退行計画」を発表直後、従兄弟の鶴見良行は、「イントレピッド4」で鶴見俊輔さんは、ちょっと退行して「退行計画」を書いたのではないかと勘ぐった事があったと本人から聴いたことがある。それと前後して漫画全集を筑摩から出し、その印税全てを「週間アンポ」とホビット作りに投入したのだった。その全集出版のアイデアを出したのは、山田慶兒だったらしい。「北米体験再考」という僕が凧を持って岩国の海兵隊基地沿いの海岸道を歩いている写真を扉に使ってくれている岩波新書に対する呵責なき批判者は、やはり、良行さんだったそうだ。その頃、僕は、「日本の百年」「転向(上)」の序文などへの鶴見さんの執筆にもいたく感服し、いかれてしまい、「鶴見フリーク」になったものだ。
九州での悲喜劇がこの2,3日演じられている様子を聴くににつけ、世界と言わずとも、日本社会は、完全にイカレテしまっておると痛感する。これと戦わねばならない時だというのに、なんと牧歌的な事を微に入り細に入り、言っているのかと腹立たしい。もう終わっている世界だ。これは、出町でも同じだろう。日本近代の悪しき遺制と見合う情緒なのか?叔父さんが亡くなった後の情けない身内のタワイモナイ歪な駆け引き(?)にも、それを感じる。
11:40、元ラジオカフェの坊さん崩れの福井さんが来て、ずっと下を向いてケータイを弄る。頭を上げたかと思えば「林業女子会」がどうのこうの、限りなく独り言に近い思いの吐露で喋り掛けているつもりのようだ。「八文字屋からスターを出さんとアカン、簡単なことで、それが俺の仕事で、よく頼まれたりしている。郡上に割り箸屋があって、そこの女の子を竹ガールでうりだしたいんや」凡そ、糞。
彼が帰った後で両子寺の寺田豪淳師来店。中川五郎ライブ@両子寺を打診。可能性大。
2:00に寺田豪淳師は帰り、3:20閉店。4:00帰宅。4:30就寝。

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2014.3/5(水)


いよいよ追い詰められた。
3:30まで家に居て、これからハードな一週間の闘いに備えて、鋭気を養う。精々、風邪をひかんようにすれば、いいか。
夜の10:00近くまで、マロニエにも行かず、八文字屋入も遅らせて、去年の確定申告書類を探した。朝がたも家では、分類していたネガの山もつき壊し、突き崩しし、発見のスピードアップを図ったが、部屋中ぐちゃぐちゃにしただけで終る。「インド」「ヨーロッパ」「アメリカ」の仕分け山?崩しまでして探しても虚しく(もう家だけでもここ数日集中的に漁った)棒に振った気分に陥ったが、諦めず気分を取り直してのほんやら洞2F探索も空しくガックリし。明日で諦めよう!とFbに向かう。もうあと一日だけでやめじゃわい!「後は野となれ!山となれ!」だと自分に言いきかせながら、探索の手をアーニャが整理してくれていた紙袋に挑む。すると、なんと70年代何十本と出町周辺を撮った8ミリフィルムが出現をみた。去年〈下2〉のAの亡父が設えてくれていた書庫に離婚後も預けっぱなしだったのを処分してくれ!と言われ、大量の本を何回にも渡って回収した際に、最後に、そこの缶の中から大量のカセットテープにまじって出現したものの、もう観ることはないと観念し、断腸の思いで捨ててしまったと思っていた8ミリの残骸数本だ。捨てたことを3日8日放映の番組制作のスカパー!の加藤さんに喋ると「勿体ない、あれば『ほんやら洞の甲斐さん』に活用出来るのに!」と言われた代物だ。その時これが出て来ていれば、ワンズコーディネートが1本位DVDに変換してくれていたかも。出町の(明都美教会)と記された8ミリフィルムには出町のこの教会でのスーパー反対闘争の大衆団交を撮影した記憶があった。決して賞められた出来ではないのは、分かっているが、やはり、一本でも残っているのは、今となっては、嬉しい。ここの天理教はどのようにして大きくなったかについて語る出町郵便局のお婆さん、橋本ふくさんの1978年のインタビューメモも今日掃除中に発見、偶然と言えば偶然。語弊を恐れずにいえば、谷口先生らの出町活性化行動の一環としての地域の歴史探訪が、やや皮相に終わっているのは、この時代(この30年)の決算をちゃんとしていないからだと想う。商店街の他の活動は、やはり、出町は、群を抜いて素晴らしく、創意工夫に富んでいる。問題点は谷口先生の問題ではなくまた、この地域に限ったことでなく、日本の近現代史教育の脆弱さと見あっている。僕自体もほんやら洞の総括を終えていず、今、その作業中なので、言えた口では、ないのだが。現像処理済みの8ミリが何本も出て来たのを八文字屋入の前にFbに少しアップしたら「えっ!」と麻美ちゃんから「去年かどうか知らんけど申告書類なら、電話機の上の紙袋にあるよ」という書き込みの反応が入った。そんなトコに有るわけないわい!と思いつつも麻美ちゃんのいう箇所をさがしたら件のものが果たして有るではないか。急に、ちょっと腰砕けになった、この3週間、苦労に苦労を重ねた俺の探索の何十時間は一体何だったのか。逆に散らかすことになった大掃除は、全くの徒労だった。この時間を書下ろしに充てれば、月曜社の仕事は、それなりにカッコウはついていたのに。
八文字屋入は10:30。
龍大の鈴木さんは、去年の、教え子と共に来て帰ったあと。奈良井さんは、途中ですれ違ったが、先方は気づかず。きけば、やはり、相当疲れていた模様。昨日も、カウンターから、崩れ落ちていた。
高林由美子さん(今日、山の上の、レストランで井上章一さんに会って来たという日経の記者同伴)、純二&恭平連れの鹿さん、川㟢さんがいた。後で、種智院大学出身の今治と島根(祝部さん)のお坊さん二人、段ちゃん、冨樫がどっかの神道系の教祖さん(?)に貰った「表彰状」を持って来る。Lucと来た日の日乗に書かれていることは心外「俺は、長谷川さんの!追悼に来たんだぜ、あの!記述はない!?」と表明するために来たが、まず、その表彰状で捲し立てる。俺は思っているママ書いたと言うと、彼もなら納得と。冨樫は、4時過ぎまで。

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2014.3/4(火)


9:00起床。
10:30ほんやら洞入り。
Netを2時間弄り、「紙司柿本」の奥さん向けにDMを放り込んで、マロニエへ。キャプション付け。
ギャラリー・祇園小西に新聞掲載紙を持参したが、3月8日まで休みだった。
Daisoに色鉛筆、芳名録を買いに行く。
2:30~4:20までほんやら洞。藤田弁護士の奥さんから届いたハガキ確認。宮台真司とFb上で繫がる。魚焼き、ジャコ天切りを忘れる。出町の豆腐屋さんの木野下でコロッケ50個買うつもりが、休業だった。慌ててマロニエに戻り、八文字屋で烏賊を焼いたり、ジャコ天をきる。パーティの飲食物の用意不足が気になるが、気にしないことにする。
留守中に、加須屋明子さん、佐藤能史さん、西田勝彦さん、川添洋司さん、長谷川つゆ子さん等の記帳あり。
Hataoは小樽に居てこれず。中村勝さんはTel通じず(少し心配)、森恭彦さん、鈴木マサホは先約ありのメール。奥野卓司さんは「マロニエとは?」と言って来たので、こっちは早とちり、今日来るものと思ったが来ず。佐藤守弘さんは、ちょっと顔出しをすると言って来て、鎌を持った「シナゴーグ案内人」がいいな~と感じいったという風にいう。
マロニエの方は、20人程の静かなパーティ。もっとワインなどを用意せねば、と焦っていたが、その必要もなかでた。八文字屋は、人数、その層も多彩。
井上章一さんは、〈八〉へ来る。山上君、マロニエには間にあわず、〈八〉に来たが、今晩、夜行バスで上京とかで、直ぐに帰る。東義久さんは、〈八〉とマロニエを行ったり来たり。荻野晃也さんは僕からの今日出したメールを見て「藤田弁護士を偲ぶ会の写真の礼を言いにいかなあかんと思っていた矢先なので」と来るが、誰も知った人がおらんな~と淋しがっていたので、大山崎山荘美術館の学芸員3人(高見沢さん、上野ヶ丘出身の芦刈さん、遅れて川井遊木さん)、佐藤守弘さんを紹介。(荻野さんは、八文字屋では、井上章一さんを掴まえて離さず。)草葉裕さん、オイタさんは、結構、ご満悦。申芳礼さんは友人と、黒島千佳ちゃんは、粋なツマミ持参。麻美ちゃんも二人の子供を連れて来る。川㟢さん、毎度トップの吉田孝光は例年通りのホストがわり(八文字屋のベストホストはオイタさん)。村田真一さん、柴田明蘭さんも、去年見て呉れたアパレル関係の方も。木戸先生とペーター・ステファン・ユンクさんは遅く、浅利ちゃんは、沢山のKFCを差し入れ(徳正寺から預かったたけもとのぶひろ解題の上山春平『憲法第九条ー大東亜戦争の遺産 〈元特攻隊員が託した戦後日本への願い〉』《明月堂書店》)の本も持参。これが末井昭?さんの弟さんの仕事だろうか。発行者は、末井幸作さんとあり)、チーちゃんは、八文字屋には勝負服?を服の下に隠して。キヨさん、浅井さんは顔をださず。荻野さんは、村田真一さん、吉田孝光さんらの前で、電磁波論を熱っぽく語るかとおもえば、井上章一相手には、研究者一筋の者と、教育者を兼ねた研究者との違いについて宇井純、小出裕章も引き合いに出しての熱弁。井上章一さんの熊取論もあり。
〈八〉には、岡西さん、永澄さん、竹村洋介、ティル、ディラン、ロイ、ディランの友人3人、写真集「ツー・ショット」ではカウンターでのK-shotで有名な安田利玄君、ペーター・ステファン・ユンクも。記念撮影は女性のみとなった。チーちゃんは、井上章一のサインを井上さんが登場している「文芸春秋」にして貰うも、記念撮影では、勝負服披露せず。ティルらは、記念撮影のために来て呉れたらしかったのに、後で気づく。が、確定的にこれを使うと言えないのが、辛い。ティルには、ペーター、井上さんを紹介する。さて、毎日新聞がどの画像を選択するか、微妙。
3時前まで、柴田さんいる。帰宅は雨の中4時。18時間立ちづくめ(9時間飲みっぱなし)の一日が終る。

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2014.3/3(月)


8:30起床。
「展覧会に寄せて」を書く。キャプション+略歴も。以下のとおり。

マロニエ展のキャプション
1.ベルモンテの丘
2.アルファマ(リスボン)の子どもたち
3.マドリッドの労働者
4.リスボン名物イワシ焼き
5.アルファマの魚売り
6.リスボンの電車道
7.グァルダの農夫
8.グァルダ郊外の屋台の看板娘
9.カルカッタ・チョンロンギー通りの路地裏
10.チャイで一服(チョンロンギー)
11.ゴア近郊でのアヒル出荷現場
12.カルカッタの巨大洗濯場(甲子園規模)
13.コーチンのウミンチュ(チャイニーズ・ネット・フィッシング)
14.ベルモンテのマラーノの葬儀行列
15.カルカッタの女子高生
16.カルカッタのいざり男
17.チョンロンギーの果物屋
18.カルカッタ近郊のジャガイモ売り
19.カルカッタの鶏の競り市場
20.ボスティ(カルカッタ最大のスラム)の子供たち
21.カルカッタの羊売り
22.ゴア近郊の露天商
23.ムンバイ郊外でのシナゴーグ案内人
24.カルカッタのアラブ人街
25.ボスティの子供たち
26.コーチンの子供たち
27.アルファマの美少女
28.ベルモンテのシナゴーグの向かいの子供たち

「マラーノ学者随行記」展によせて
マラーノとは、1492年にスペインで発せられた「ユダヤ人追放令」以降、世界に離散した「隠れユダヤ人」のことだが、心身ともにピンチにあった僕は、小岸昭京大教授に誘われて1997年と98年にスペイン、ポルトガル、ドイツ、オランダ、インドの各地のマラーノの足跡を辿る旅に随行する機会をえた。この小展は、その旅の副産物であり、その旅そのものに関しては旅の主宰者の小岸さん、その盟友の徳永恂さんの成果をご覧戴きたい。僕も少し協力しえた「十字架とダビデの星」(NHK出版)という著作もあるにはある。
それはともかく、この旅は、信じられないとよく言われるが、僕の初の外国旅行でもあった。以降、異なる時空への「見果てぬ夢」の旅を試みることが多くなり、今もこの夢の途上にある。一例を挙げれば、この旅を通じて個人的には、フランシスコ・ザビエルの腹心のマラーノであるルイス・デ・アルメイダと500年以上前の故郷、由布院焼き討ち事件や杵築市の鶴成・馬上金山との関わりについての発見をし、楽しい仮説を抱くことにもなった。この仮説提示もまだ夢の途上だ。この旅のお陰で、リスボン、コーチンの魅力に開眼しの虜になっただけでなく、様々な旅への煮え切らぬ思いを断ち、自身の中にフンギリが生まれ、今や、軽やかにヨーロッパでの写真展の旅に出れるようになった。成長したと言うべきか。
その意味では、マラーノ学者達との旅は、僕にとって記念的な旅であった。
ギャラリー・マロニエでの「マラーノ学者随行記」展は、その旅の愉楽、懐かしさの一端が多少でも滲み出ていれば、と願う。同行のエンゲルベルト・ヨリッセンさん、米井力也さんは今はこの世になく、旅の先々での二人の呑んだくれぶり、喋り捲る姿は思い出すたびに脳裡に、瞼に浮かび鮮明となる。度外れな行状のヨリッセンさんをはたから見つつ、細見和之さんが「怖いよぉ~」と震えて発する言葉の数々も懐かしい。また、帰国後も、柄にもなく楯突く僕を優しく包み込んで来てくれた小岸さんの眼差しは忘れられない。いつか、この愉楽の旅を小岸さんとまとめたい。
僕は長年、京都の片隅で喫茶店やバーを経営しながら、背伸びに背伸びを重ね、写真を撮り続けてきた(今なお、モノクロ・フィルム写真撮影続行中)。
1972年から今日まで、マトモな就職もせず、モノクロ写真を200万コマも撮り続けるのは、結構、至難の業であった。自らの生活、家族のことも顧みない男のそれを可能とし、支えてきたのは、家族、バーのお客等、友人諸兄達であった。
いまなお、文字通り、山あり、谷ある日々をおくっている。
今回の個展を演らせて戴くのは一種の奇跡といえる。
「甲斐応援団の結成しよう!その記念的個展を」との声援に乗って、うわっ調子な個展を開いて仕舞ったのは、いささか慚愧の念にたえない。準備不足な個展を2年続けて企画して戴いたギャラリー・マロニエさん、本当に助けられて、今回の個展がある。衷心より感謝します。
2014年3月4日
甲斐扶佐義


甲斐扶佐義 略歴
1949年 大分市生まれ
1968年 同志社大学法学部政治学科入学(除籍)
1972年 岡林信康、中尾ハジメらと喫茶「ほんやら洞」(出町)オープン
1973年 「中川五郎フォークリポートわいせつ裁判を調査する会」事務局従事
1980年 中山容、ニコラ・ガイガーらとともに「出町国際交流センター」オープン(3年で頓挫)
1981年 「第一回出町ふれあい広場」提唱(事務局長)
1982年 京都市経済局中小企業指導所の商業診断に従事(1991年まで)
1985年 ヤポネシアン・カフェバー「八文字屋」オープン(現在に至る)
1997~98年 京都大学総合人間学部特別研究員として、インド、ヨーロッパの調査旅行
1999年 ほんやら洞カムバック(現在に至る)
2009年 第22回京都美術文化賞受賞
2014年 転身を模索中
主な海外展は、パリ、コネチカット、ボストン、ジュネーブ、ベルリン、エクサン・プロヴァンスなど10数回、国内100回以上

主な出版物
路地裏の京都(道出版)
京都猫町ブルース(淡交社)
Beautiful Women in Kyoto(冬青社)
京都の子どもたち(京都新聞出版センター)
など

そして、11:00前に、徳正寺に行く。浅利ちゃんに預けて届いてない掲載紙持参。「末井昭さんの弟が持って来て呉れて貰いました」と章子さんから聞き「遅くなってすみません。邪魔かもしれませんが、置いていきます」と言ってかえる。すでに、第三者の手でもたらされていたのだった。浅利ちゃんおそし!でなく、ぼくが遅かったのだ。
11:30ほんやら洞オープン。昼、チョロチョロと客あり。木須井さんより糺の森のスポット紹介記事でインタビュー(3月27日、夕刊)したいと、メール。3月10日の午後2:00@ほんやら洞取材。確定申告の作業、月曜社の原稿書きの時間が残り少ないと、ひしひしと感じる。サッちゃんにブログを送ろうとして、2月分全部をうっかり消してしまう。奈良井さんに再生法を教わる。iPadに翻弄された1年だった。毎日新聞に「天神さんの梅」送信。午後、Telの鳴りっぱなし。
4:00すぎ、永澄さんよりメール。ロベルト・ユンクの息子、ペーター・ステファン・ユンクが阪大(国際公共政策研究科准教授)の木戸衛一さんと共に八文字屋に9:00に行きたいと言っていると。
今晩は、段ちゃんに入って貰らう予定でゆっくりしてから、確定申告の作業をやるつもりだったが、八文字屋に急行。帳簿作業、ほとんど進まず。パーティの案内メールも、DM投函もほとんどできず。
予定通りの9:00の永澄さんのTelより20分後にユンクさんら登場。Kevin Machughさん(ピアニスト/アコーディオニスト)という日本語の達者なアメリカ人も一緒。
ユンクさんの開口一番の感想は、
「おお、父の書斎みたいだ!」
そして、Kevinさんも続く。
「ここに、ピアノがあればな~」
ユンクさんは、34年前は、父親のほんやら洞訪問時は母も一緒だったのか?と聞く。
ハジメさんと一緒に百万遍の「梁山泊」で鍋をつついたが、奥さんは居なかった。
木戸先生のユンクのどの著作を知っているのか?という質問には
「『千の太陽より明るく』と『原子力帝国』だ」
というと、その著作の間の「廃墟から」が、生々しい広島の惨状の描写があり、これが、ヨーロッパに「ヒロシマ」を訴える決定的な役割を果たした、この克明かつリアリティーに富んだ描写を可能にしたのは、シアトルで出会った小倉馨さんという爆心地に居たインフォーマントの存在があったからだと木戸先生が教えてくれる。小倉馨さんの奥さん(小倉ケイコさん、現在、77歳)は、今なお、広島市で健在で、反原水爆運動にもコミットしている。
ペーター・ステファン・ユンクの家系は、写真家の家系で、自分の妻(Lillian Birnbaum)も写真集が3,4冊ある写真家という。母方の叔母さんのEqith Tudor-Hart(1908~1973)は、とても有名な写真家。彼女の弟のWolf Suschitzky(1913~?)も写真家だと言う。ペーター・ステファンさんは、奥さんもとともにパリのバスティーユの付近に住んでいるとも。9月の日本文化会館での甲斐個展には、必ず見にいくので、連絡が欲しいとメールアドレスをくれる。写真集は、何処で買えるかと言うので、ルネ、ジュンク堂を教える。「日本文化会館写真賞」のことを言えば、良かったかも。
写真のことで盛り上がったので、三島憲一さんの「Uber die Welt von Kai Fusayoshi(甲斐扶佐義の世界)」を見せると木戸先生はコンビニにコピーに走る(ほんやら洞通信013号)。明日のオープニングパーティにも顔を出すが、それまでにロベルト・ユンクの写っている本かプリントを探せないかと言うが、時間がない、7月に立命館の末川平和ミュージアムに来る時にプレゼントしようという。明日は、木戸先生が祇園案内。
彼らが帰り、これで終わりと思っていると、河原町三条の「花政」の藤田修作さんが祇園、宮川町遊びばかりしていると吹聴する大阪からの「文久」(花政は、文久年間からの花屋なので、飲み屋の名としては、それを取った)客を連れて来店。1:30まで。
3:00まで、八文字屋にいる。3:30帰宅。

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2014.3/2(日)


吉田で一眠り。3シーンだけ覚えているが変な夢。詳述は止めるが山田順子さんと仲良くしようとしている。テディベアの縫いぐるみ等を作っては売る仕事をしているカップルとアパートの上下で住んでいるのか、シェアハウスして居るのか判らないが、カップルがズケズケと入って来るので、嫌で鴨川に出る。そこへ、中国帰りのBakuがやって来た。川べりの手すりの上に跨がり、いちいちどのお土産は誰に?とバケツから出していたら、お土産が四条河原の真下に落ちかかったのでお手玉しているうちにBakuは、何故か40メートル下のコンクリートに頭から落下して、あっと言う間に救急車が落差も難なくやって来て、川端通りから現場の川中まで到着するも、頭がグチャグチャ。そんな夢。
1:30ほんやら洞入り。午後、電話が、20~30回鳴りっぱなし。大家だと思い、出ず。
3:00さっちゃん来て、額にプリント入れ。額入れは、サッちゃんの独壇場。
5:00オイタさん来店。MKタクシーでマロニエに運んで貰う。
マロニエの搬入、7:45に終わる。珉々でオイタさん、サッちゃんとで食って、オイタさんと八文字屋へ。
浅利ちゃんしかいず。10:00過ぎに高辻知義さんよりTel。元気か?新しい美術館の館長になった、また、知恵を貸してくれ、宮崎出身の従兄弟の黒木某が同志社の副学長ではいった、という。後で、奈良井さん、段ちゃん、モリモリが来て、終わり。
〈八〉泊。

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2014.3/1(土)


8:30八文字屋にて起床。
ほんやら洞入りは、10:30。
昼までのお客さんは、3人。
室さんのメール、cellphoneなどを日向太に伝える。
午後、やはり、外国人客のみ。
サッちゃんが来たところで、プリントの額入れ始めるも、9:00になっても終わらない。
土曜日で少し暖かくなったので、小雨でも客足が見込めるので、というわけで、なんとか、9:40にオープン。
梶田さん、オイタさん、ソルボンヌ大学のAlexandre Gefen同伴のエリック・アボカさんが直ぐに来て、女性4人組さらに、同級生連れの片山さん。女性陣の中には、22年前は京産大生だった山田順子さんがいたが、判らなかった。一緒に地球屋に行ったことがあるとも言っていた。大将軍住まいの2,3度目のやはり、1972年生まれの女性もいた。皆、同じ歳。オイタさんは芸大院生を呼び出し、河岸を代える。
ほんやら洞にリュックサックを忘れての出勤だった。
3:00閉店。そのまま、寝る。

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