ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 5月

2014.5/31(土)


気がついたらしゃっくり。ひっきりなし。
シャックリで思い出したのは、1955~6年頃の大分の僻遠の地、山香町(4歳から18歳まで育つ)の大字倉成字又井小字金堂(金銅とある文献も存在)の奥手に、平家の落人末裔の小屋さんの家が三軒あり、池の口、空などと呼ばれる家の内、もっとも、農業以外(関連副業というべきか?)のいごと、鶏の雛の孵化、コンニャク栽培、百目柿つくり、なし栽培に明け暮れる無愛想この上ない小屋美年さんがいた。
このおっちゃんが、何時も、顎を回し、「へよ!」と言いながらずっとシャックリを繰り返していた。
この方は、長生きしなかった。高血圧、脳梗塞でないか?と僕は、後年、勘ぐっていたのを思い出した。
まだ、霞網が禁止になる前の事だった。
不調だと、そんな事ばかり思い出す。
昨日、ほぼ一日、シャックリがとまらず、悪寒に付き纏われて、八文字屋に来て、ひっくり返り、お客さんが来てもびっくりさせて逃がしていた。
日付が6月にかわる頃、高松樹さん、古関君夫婦が若い後輩を同伴。「幸家さんがDVDは良かったといっていた」と言う。
ほんやら洞は、1972年5月30日に営業を開始して、42年という感慨に囚われる。1968年3月に上洛して、46年。68年の46年前は、1922年で、鶴見俊輔、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーンの生まれた年だ。
ほんやら洞42周年について、メモを記そうかと思ったが、高熱で朦朧としている。
1972年5月30日は、イスラエルのテルアビブのロッド空港で、日本赤軍の岡本公三が銃を乱射した事件が出来した。
この事件と岩国の「反戦喫茶ほびっと」が結び付けられるというフレームアップが、2,3日後に起こったのだった。
ここで、この件について中途半端に記すより、月曜社の「ほんやら洞の青春」を一ヶ月内に校正を終えるようにしよう。
あゝあ、絶不調。一晩寝れば、回復するか。「メナミ」の竹内裕子さん代理の永澄さんよりTel。
「中村輝子さん、記録する会の斎藤さん、ずっと竹内さんとともにあった女性、高橋幸子さんらで待っているので来て」と言うので、慌てて行くも、何一つ食べる暇なし。斎藤さんと生年月日が全く同じと言うことと、ずっと思い込んでいた1970年の雑誌「中国」1月号の覆面鼎談の話者の歴々が思いもよらぬ文人達であったことに、感動する。駒田信二、陳舜臣、富士正晴だった。「メナミ」にいると、木戸衞一さんからTel。今、八文字屋にいると。かってに入って勝手にやっていて下さいと言うしかない。
八文字屋に河岸を変えてからゆっくりしゃべろうと思っていたが、ジェローム、清水さん、レオ、バンソンが来てバタバタする。サッちゃんが帰ってから、バンソン来店。ジェロームが「バンソンのあの喧嘩腰はなんなん?」という。そういえば、レオにたいしても、ただただ失礼いがいの何物でもない、のは見て取れる。清水さん、若手のイキのいい料理人を連れてきて、今、いれようか?と言ってくれたが、こっちのボルテージ落ち過ぎ。清水さん「明日も来るから」と帰る。ほとんど、話出来ず。(翌日来れず)でも父の仕事を可視化しようとしてもいるのは凄い。
中村輝子さんは、ほんやら洞は、ずっと中尾ハジメがやっていると、思ってたようだ。存外、そういう人物はおおかろう。竹内裕子さんvs永澄、高橋幸子の間いき違いを垣間見た。

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2014.5/30(金)


累積疲労。ほんやら洞入り、遅れる。今日がパーティというのに。姉の容態も心配。
結局、谷川さん絡みは既に皆、本を持っていた。岡村正史さんから「井上章一さんは、国外」とのメールあり。
こんな事を言うと、叱られるかもしれないが、同志社大の美学の3教授、いずれも風采が上がらない方々なのには、びっくり。でも、岡林さんは、ほんやら洞の前をデモッテいたと格好をつける。東大の後輩の朝日の臼倉恒介さんが稲荷寿司30個(この程度のこのようなものが足らず欲しいといったものだった。)しかも上品。持参してくれたのは、ありがたかった。
2次会は、もっと溢れ、アドちゃんなんかでは対処できず。
一杯なので、カウンターで寝続けるはよしてくれとなんど懇願しても、8時間飲まず、居続けた黒澤先生、本調子なら、ボロクソに言わない美人の媚態、目障りだ、あっち、行け!という。多分、ヘリングの常連で、八文字屋の良い客になりえたのに!?失敗。
カウンターの端では、冨樫vs奈良井さんの高尚ばなし。ついで、冨樫vsK_Kei、ついで冨樫vsルパンの罵倒ごっこ。
これで、十分にしんどいのに、ファンキーな嫁連れのポーランド出身の文化人類学者が8流の医大をでた聞くだに身の毛がよじりそうな権威主義者(奥さんはふつうにいい感じ)同伴。1時間だけの約束で、入ってもらったので、5時前にお引き取り願うのに、最後に、兵庫県庁の、おっさんが来て四の五の言う。
これで疲労頂点。
江口久美さん、何必館の梶川さんらは、ほんやら洞に来れず、八文字屋にきたが申し訳ないことに、入れず。

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2014.5/29(木)


ヒルゲートに生前遺作集持参。ともう一度、谷川渥さんの宣伝不足を忸怩たる思いに囚われ、ビラと同工異曲の文を認め、Fbに遅まきながら、リリース。以下の通り。

谷川渥著「書物のエロティックス」(右文書院)
出版記念パーティ本日午後6時~8時@ほんやら洞

一部 谷川渥さんの講演 無料
二部 お酒を飲みながらの歓談 3000円+「書物のエロティックス」代 3000円

大変な力作の出版記念パーティを催させていただくという光栄に浴した訳だが、パーティを設定する役者、舞台不足なのを、先ず、詫びたい。
これほどの境界抹消的な書物が連鎖的に披瀝され、谷川渥さんの原身振りというものを惜しげもなく、数々の箴言、アフォリズムを鏤めた「書物のエロティックス」のパーティをやるからには、東京では、100冊の関連書物を展示し、歌舞音曲付きだったらしいが、それに及ばずとも肉薄すべき努力もなされるべきなのに、このチンピラ写真家は設定出来なかった。
その事も谷川渥さん、及び谷川渥ワールドファンの方々に詫びたい。
これが、ほんやら洞開店42周年の現実なのです。
内的エロス、原身振りを、当然、珍重する谷川渥さんのお顔を、谷川渥熱烈なファンの存在の一端を皆さんを紹介するとともに交流会を開く程度の事しか出来なかった。
万一、谷川渥さんが許可をくれ、来年もほんやら洞が存続するならば、次は、本書に登場する書物群を一堂に会し、もっと楽しい宴を開催したい。その時はルパンこと田畑さんの古本屋「ヘリング」の協力を得たい。
言い訳ばかり長くなったが、本書の目次を記しておく。

〈はじめに〉
1 エロスとタナトス
2 実存・狂気・肉体
3 マニエリズム・バロック問題
4 澁澤龍彦・種村季弘の宇宙
5 ダダ・シュルレアリスム
6 終わりを巡る断章
〈おわりに〉

本書の随所に散見出来る警句、名言をピックアップするだけでも楽しいし、それに関して谷川渥さんに伺いを立てるのも、一興だし、そういう企画も建てるべきなのに、出来なかった。
そのうち、ぱっと目にいる所を拾ってみよう。
「その頃(60年代末)大学生は、澁澤龍彦・種村季弘を読む者と読まない者とに二分されていた」
「種村季弘は、ホッケの邦訳の『訳者あとがき』において、しかし既に驚くべき的確な美術史的認識を披瀝しており、あまつさえ《この副詞は種村的だ!》カントの『判断力批判』[1790年]の一説を『今日私たちの適用しているマニエリスム概念のほとんど正確なパラフレーズ、、、ひとつの芸術作品が衒奇的《maniriett》であるというのは、この芸術作品における理念の陳述が珍奇性へと基礎づけられており、必ずしも理念に忠実になされていない、という場合にのみいえるのである。自身をひたすら俗悪的なものから〈とはいえ、精神でなく〉区別しょうとする華美《プレシューズなもの》、奇矯、きょう飾は、自身の言葉や立ち居振る舞いにさながら喝采されるために舞台にあがっているもののように聞き惚れているといわれるような男の、しかもたえず大根役者であることん明かしてしまうようなしぐさををおもわせる』。、、
「マニエリスム、それはしかしすべてを解決する魔法のキーワードではない。それは世界崩壊の危機の認識のなかから生み出されるにいたった、ぎりぎりの芸術概念のはずだ。、、、マニエリスム概念への安住こそ、いわばもっとも反マニエリスティックな行為だろう。」
東京での萩原朔美さんとのコラボレーションは、大盛会ときく。
ほんやら洞では、そうも行きそうもない。僕は、本書を半可通な若者に語らせたくないというような事をフライヤーに記したが、1月以上前に、東京の芸術高校の入学式の祝辞で、萩原朔美さんが「学校生活では、大いにぶっつかれ!」的な事を述べているのをyoutubeで見た。萩原さんの盟友、谷川渥さんも本書のどこからでも、掛かって来い!と言っているのかも。
阪大の上倉先生が、谷川渥さんと永澄氏との入れ違いなきように紹介の程を呉々もよろしくといってくる。
このあたりから、不調をかこち、 なにも覚えていない。レオとよっぴぃーてのんだ事くらい。

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2014.5/28(水)


上野の森美術館の学芸員さんや鈴木マサホ、Hataoら会いたい知人が目白押しだったが、会えず。木工の人間国宝の村山明さんは、パーティに出席できなかったのでと言って、1点買ってくれる。
ほんやら洞~ヒルゲートをピストン運動。
ワンズコーディネートの加藤さんも来てくれる。
八文字屋もそこそこ賑わう。頭が回らないようになっているので、誰が来てくれたか、忘れた。
オリビエが、スイス人のバンソンを連れて来る。
八文字屋には、バイトは浅利ちゃん。浅利ちゃん疲れていて、カゲロヲ、K_Keiくるも直ぐ帰る。
K_Keiと3:00過ぎまで飲む。

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2014.5/27(火)


昼、ヒルゲートへ。角伸明さんが「初恋」を読み直した本(「密かな愛の贈り物『初恋』秘められたストーリーが語る真実」をくれる。工藤弘志さん夫妻も来る。工藤さんの奥さんとは、日豊本線沿線話で盛り上がる。ギリシャ語かラテン語で「カイ」というのは。「それから」という意味だと教えて貰う。
2時まで居て、2:00~5:00はほんやら洞。
5:30からパーティ。
大分時代の美丹ちゃんの陶器の先生、沢田さんもくる。パーティは、盛会。中村勝さん、斎藤洋さんもきてくれる。杉本秀太郎さん、山田稔さん、依田高典さん、田中国男さん、樽門豊さんにも案内を忘れる。要するに、ほとんど案内出来てない。杉村昌昭さん、岩本さん、永澄憲史さんは、きてくれる。京大人文研も忘れた。井上章一さんは、海外旅行中。梶田さん、井上義雄さんは来てくれる。義理買いしてくれた方には、感謝。
八文字屋にも水上勉の一滴文庫の館長の杉左近さんらも来る。
〈八〉バイトの咲希ちゃんも、いず、ぐちゃぐちゃ。
トンデモナイ写真展のパーティ2次会会場だ。いい加減な店なのに、これが楽しいのだと言ってくれる人が一部いて、その方々に甘えてばかりで、申し開きがつかない。受け狙いで、こんなやり方を採用してなんかいない。サッちゃんの誕生日(昨日)。それをすっかり忘れていたバンソンが、アドちゃんと来て、オチャラケのハッピー・バースデイの歌は不快感をあらわにさせるも、もとより、サッちゃんの静かな怒りは誰も気づかない。まさかー平日にサッちゃん八文字屋に顔出して居るとは思いもよらなかったのだろう。30日まで旅行だと言ったうそを追求されるのが、いやでか?囃し立てるので怒る。相変わらず、バンソンは、レオを無視。
4時30分閉店。ほんやら洞でダウン。

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2014.5/26(月)


2,3日前から風邪をひいている。が、突っ走るしかない。さなぎだに、準備不足のヒルゲート展。
段ちゃん向けに写真を貸せとツイートしたら、早朝から応じて、早速、Telくれ、助かる。夜中まで仕事をして、その後、自宅に一旦、取りに帰り、出直してくれるとのこと。ありがたい事、この上なし。
一昨夜、T相手に取っ組み合い、空振りの殴りあいを展開したDが夕べ来店して「何も覚えてない、嫁には内緒してくれ」といい、口止め料ではあるまいに(店に迷惑をかけたので、多少、売上に貢献しょうという訳か?)、皆に一杯ずつふるまった。相手は何者?中国人?突き飛ばされたこと以外は覚えていず、首に切り傷を負い「痛い、痛い」を連発。相手が68歳と聴いて、ショックを受ける。40代かと思ったという。何故、喧嘩に成ったかも、覚えてなかった。
8:30から大掃除。
それでも、探しもの出てこず。
疲れたまま、フル回転。サッちゃん11:45、オイタさん2:00前に来てくれる。7:00まで掛かる。人見さんが、9点、マットを切ってくれる。52点(内、1点は段ちゃんに今晩持参)インクジェットも6点含め出展。人見さんの親切も身に沁みる。次回やるチャンスがあったら、あらゆる意味で全力をあげる。それ程、今回は酷い。
今晩は、上田晃久君が来店予告。レオ、ユキチが先に来る。深夜、段ちゃんが、ジュネーブのアスカ写真(額装済)持参。助かる。
オリビエが、ジュネーブのバンソン同伴。オリビエは、変な奴。

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2014.5/25(日)


8:00八文字屋のベンチで目を覚ます。
身も心も、ちょっとボロボロ?
久しぶりに家に戻り、1時間半、横になる。
ほんやら洞オープンは、10分遅れ。鹿児島の清水さんから「早速、額縁屋に行って、Can I join you !?を額に入れた」という知らせ。しかも、清水さんは、出来たら5月30日のほんやら洞開店42周年記念パーティに、わざわざ種子島から来るという。嬉しい限りだ。
夕べ、著者の佐藤真由美さんから「跳べ!世界へ《エアラインから国連、国際NGOへ》ーー生まれは東ベルリン 育ちは人民中国。米国留学を経て客室乗務員から国連職員」(解放出版社、1575円)を頂いた。お返しに「ほんやら洞の甲斐さん」をあげる。
頂いた毎日新聞のインタビュー記事(鈴木英生)には、医師だった祖母の勤務地ベルリン生まれ。4歳で「医療で戦争の償いをしたかった」祖母とともに、文化革命下の中国へ。祖母の最初の夫は、山本五十六と共に戦死。祖母も軍医。祖母の家系は津軽藩の御典医とあり、太宰治、永山則夫とも縁が有ったという。
北ぐち大阪さんが、やはり、航空会社勤務の剛さんと共に紹介をしてくれたが、佐藤真由美さんはなかなかの酒豪で、八文字屋としては、得難いお客さんになりそうで、嬉しい。母は、僕より、1歳上で東大の理3時代、東大闘争で籠城組?(所美都子『わが愛ーーなんちゃら』の時代だな。)今秋は大阪芸大でも教鞭を取るようだ。
お年は、元八文字屋バイトで、現在、ソウルで活躍中の真以ちゃんと同じのようだ。
北ぐち大阪さん、今度、鈴木英生さんを紹介すると言ってくれる。
この本は、まず、医学を学んでいる息子に渡した。彼は、2年前、「国連に行きたいと思っていたが、腐っているので、ガッカリした」とか言っていたことがあるので、この本を読んだらどう思うかな?
僕は個展が終わってから、読ませて貰うつもり。
サッちゃんは、午後ある試験を受けてから、顔を出す。
黒テントの馬場ちゃんこと、伊川東吾がTOGOの名で俳優として活躍中なのを知る(Fb)。ロイヤルシェクスピアに行って以来、会ってはない。
詩人のグループ(関西詩人協会会員?京都詩話会?)の、あの有名な了以の末孫の角倉まりこさんらのミーティング。関西詩人協会?
八文字屋は、浅利ちゃんで、もう奈良井さん来店。田中君と待ち合わせ。カゲロヲもやがて顔を出すも、腕が上がらないとボヤく。
昨日の御乱行を全く覚えていず、また、この事はKに内緒というDがきて、皆に一杯ずつご馳走。
終いに、K_Kei来店。相手をして居て、立ったまま眠る。
2:30沈没。5:00に目を覚ますも、7:00まで横になる。OTAKU-BAR、7:30でも、カラオケ営業。
田川剛さん、チーちゃんの友達のMOMOKO IHAさんから、友達リクエスト。

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2014.5/24(土)


8:00ベンチから、起きる。
9:30ほんやら洞入り。
昼、神田さんからミニキュウリを恵送さる。右文書院から谷川渥著「書物のエロティックス」届く。
インクジェットも。京都新聞(朝刊)の情報ワイド欄にDMの写真付きで紹介さる。夕方、松ちゃん来店。餡パンを買って来てくれる。苦しげ。
ライデンのディックさんから「路地裏の京都」は150部入用とメール。
午後、Sがティラミス、バナナケーキを作る。
夕方、チーちゃん、伊波さん同伴(職場の沖縄宜野湾からの派遣バイト)。ふたりに二階でDVDを見てもらう。(12時前に、八文字屋にも来る)他の客も見る。
夏野ちゃんに1時間、手伝って貰う。バイトは無理かも。
八文字屋、開店と同時に内山さん&千夏ちゃん、建松さん来店。温ちゃんも友人と来店。八咫烏、カバラー、レビ(ユダヤの10使徒?)、東経135度、ロスチャイルド家の娘、天皇家はユダヤ人だ、等々、様々な怪しげ事を捲くし立て、終いには殴りあいの建松さん。段ちゃんが消毒液を買いに行ってくれたりする。
北ぐち大阪氏は、佐藤真由美さん、剛さん同伴。ふたりにDVDをあげる。バンソンは騒ぎの直後に来る。
多分、3時にダウン。

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2014.5/23(金)


8:00起床(ベンチのゴロ寝だけど)。まだ、午前中は、肌寒い。
9:00に電気代支払いに行って、一時的に電気を止められていると言われる。直ぐ回復します、と。
久々に風呂。洗濯。20分横になる。布団の隣には、読みさしの摘録岸田劉生日記、清張「詩城の旅びと」があり。その横には、何十冊もの大学ノートがある。70年代の日記だ。数年前には、2,3年午後にオモロイ部分を抜き出して「70年代日記」と銘打って出したろう、と思っていたが、今は、そんな元気、微塵もない。
昼前に、KG+にも出したという旧ユーゴスラビアの女性が来て、「今日は奥さんは居ないのですか?」という。誰のことを言っているのだ。今度、一度、写真を見てくれるか?という。東京にも30年住み、国分寺ほんやら洞が、やはり、好きだった言う。3年前から京都。
同女に勤務の有場忍さんという美女来店。「美女365日」等を見てもらう。
ナライズミさん、ポスター買いに来てくれる。同志社神学部周辺話、五郎さんのワイン好き、汀子さんの教会通い等について歓談。
「工芸繊維大学の学生がホンマに家を建ててくれる、という事ではないのですか?」という。
イズミさんと喋りながら、窓外にガードレールを伝い伝い屋並みを見渡しているヨタヨタ歩きの老人の姿を発見、シャッターを切るがバックをクルマが過る。
神田さんより「ミニキュウリを送った」と連絡あり。
2:30には、お客さんが切れた。
つくづく、変な生活をしているな、と思う。
近々、この生活も脅かされるのは、必定なんだが。「働けど、働けど、わが暮らし楽に成らず」の心境。毎日、借金が出来る生活は、直ぐさまやめねば。
ハワイのTom WrightさんからFbの友達リクエストあり。確か、奥さんは、キヨさんの日本語版の先生だったはず。
京大吹奏楽団の第29回サマーコンサート(6月14日八幡市文化センター大ホール、入場料無料、開演18:30)のフライヤー&ポスター来る。右文書院に谷川さんの本、取り敢えず、40冊注文。ロベルト・ユンクの息子、ペーター・ユンクからパリ展に何時来るのかとのメールがあり、予定を伝える。
同志社の女の子、バイトしたいと来たが、ホールしかできない、条件は?としか言わないので、無理だなと思い、それ以上話を進展させなかった。昨日のWさんは、明日、話(条件)を聴かせてくださいとTel。
正太君、Wさんに会いたくて来たとかで、洗い物し、カレーとバーター。明後日からボンボンカフェで働く(週4,5日)らしい。
レオは、明日から丹後に行くと言う。
八文字屋には、毎日の鈴木さん&後輩(鈴木さんには、新潮社の件、頼みまっせという。彼が帰った後、皆、あの人は誰?という)、東さん&息子さん、温ちゃんがいた。奈良井さん、あさひちゃん(『横ちゃんが、甲斐さんには、ゴーストライターがいるんだろうか!?とても、このビラの文章を甲斐さんが書けるとはおもわないが、と言っていた』と)は、しきりにNさんは、H・Sさんをどう思っているんだろう!?と口にし、本人を問い詰めるが、のらりくらり。逆に、H・Sさんは、Nさんのことを何とも思ってないとしたら、泊まりに行くのは、失礼だ、という。元読売TVの大西カメラマンが、ギャラリー・ヒルゲートの女性バイト二人同伴。十和田の美術館の藤浩志さんの知人のキューレーター(元精華大職員)、段ちゃん、バンソン(九州旅行、阿蘇山はオモロウなかったとか、S経由情報)、レオ、オリヴィエも(明日『京都の子どもたち』を2冊、ほんやら洞に買いにくると)来る。朝日の増田さんもひさしぶり。段ちゃんと二人っきりで飲んでベロンベロンになっているところに、冨樫来店。アドちゃんのバイト。
つい2週間前に、ヴォガの近藤和見さん「カゲロヲさんには、看板役者としての自覚をもっともっと持って欲しい、酔って車にオカマして、鎖骨を折っている場合じゃないよ。近辺でも若手で、凄い女優も出て来ているんだから」と言ってた当人だが、彼も鎖骨を折って苦しんでいるらしい。真偽の程や如何に。
八文字屋でダウン。

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2014.5/22(木)


8:00八文字屋で起床。少し寝違え。
朝から、Fbに次のような事を記す。
当面、出来るだけほんやら洞を早くオープンしようと、今日は、9:30オーブン。
昨日は、良くも悪くも、京都工芸繊維大学の建築史松隈洋教授の学生さんたちで持ったほんやら洞、八文字屋だった。
彼らを除けば、お客さんは、微々たるもので、もう終わっていると言っていい。
ほんやら洞は、綺麗に成って行っているが、八文字屋は、この2月家賃が払えない程、深刻だ。
いわば、僕は、束の間の平和を謳歌!?しているだけ。
デッドエンドは、見えている。
20代の僕を可愛がってくれた中山容さん、北沢恒彦さんが亡くなった年に寸前のところで近づいているのも分かっている。そうそういつまでも元気で居れるわけでないので、せめて、店の帳尻だけでも合わせておきたい。
シーボルトハウス展が終わったら、暫くは、無理な写真の活動は休止して、その時点で店があるのなら、その維持のためにだけ力を注ぎたい。まだ、あればだが。
建築の学生さんたちは、ほぼ皆、海人彦と同じ歳の学生さんたちであった。
松隈洋先生の下で、京都に所縁のある著名なアーチスト3人を選んで、それぞれの「作家の住居を設計」するという課題で、3人のうちの一人に学生さんたちが選んでくれただけで嬉しい。
もう二人は、村上春樹であり、もう一人は、和紙の作家との事(堀木えり子さんかな?と想像している)。
僕の住居は賀茂川東岸ベリの北大路を下がった、現在、空き地の約100坪の敷地で9人の学生が後、6週間内に模型まで仕上げるというのだ。
出来たら、それぞれ、可能なら、見せて頂きたいと言った。
この学生さんたちは、昨日と先週と二日間、ほんやら洞でゆっくりしてくれ、窓の外を行き交う同志社大生を眺めつつ、「彼らはどうしているのだろう!?こんな良い店がここに有るのに、見向きもせず、遠ざかる。工芸繊維大学の近くにほんやら洞が有ったら、私たちは、毎日でも覗くけどな~。野菜カレーも!美味しいかったし、ティラミスもそう、ケーキ屋にわざわざ行って、食べている若い女の気が知れん」とまで言ってくれた。
その彼女らが、八文字屋に、夜、来て、さすがに?半数が引いたみたいで申し訳なかった。
ま、これが、現実。それでも、掃除しにきましょうか?とか、バイトしたいと言ってくれる学生さんが2,3人いたのは、とても、心強く、嬉しかった。
11:45になっても、お客さん、来ず。
午後、チョロチョロと客あり。お客よりも集金人が多い感じ。電気、水道、ゴミ回収等。
5:30に正太君くる。
鹿児島の清水さんにポスター2枚送る。
中弛み、どうなるか、家賃、と云う事もあるけど、ま、少し、客あり。
本来なら、このシーズン、ほんやら洞は、10,11時まで営業できたら、お客さんにも良い店と思うのだけど、そう出来ない辛さよ!
9:30から八文字屋オープン。客ゼロ(坊主)。
1:00には、閉店。ほんやら洞へ。北ぐち大阪さんからメール。24日(土)の午後11:00佐藤さんという女性と剛さんという男性を連れて、八文字屋へ行く、と。
同女の和田夏野さんがバイトしたいとの事。良かった。姉、秦恒平さんの「湖の本」を喜んでくれているので、良かった。
2:00にダウン。

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2014.5/21(水)


8:30吉田。
風呂に入るために帰ったのに、寝てしまった。
久々、エッチな夢、夢の中でも満足する、珍しい夢をみた。
なかなか良い夢。最後に井上章一さんが出て、彼的マーキングをやっていた。(描写したいが、2時間かかるので、止す)
今日は、京都工芸繊維大学の建築の学生様々の一日。
ほんやら洞は、彼ら以外のお客さんは3人のみ。八文字屋もかれらが9人いて、他は、オイタさん、鹿さん、奈良井さん、読売TVの鴈治郎さんこと桑原さん、段ちゃんのみ。
オイタさんは、10日間のスペイン旅行帰りで、サングリア、菓子を土産。奈良井さんはシュウマイを土産。鴈治郎さんは、緑内障の手術後。鴈治郎さんと某紳士は他所の飲み屋の知人。
伊勢の一郎さんの「ほんやら洞で大分の物産展をやれば!?」という提案に対して以下のように、Fbで書いた。
「大分物産展、うん、どういうをイメージされますか?
大分は、明治維新時には、天領、他藩の飛び地を含めて、確か16藩に分割されてました。
大友の支配が400年続いて、秀吉、徳川がまた、大友の残存勢力の復活を恐れた面もあり、現実には、領民は、大友解体後は、あたんして散り散りになったりもしたし、1597,8年の大地震で領地は変容を余儀なくされもしました(因みに、僕の父方の家は、由布院内の日向藩の飛び地の武家やら寺だったみたい)ので、それぞれ孤立してました。それを逆手に取ったのが「『一品一村運動」』だった訳です。
それまでは、『豊後の赤猫根性』とか言われたり、豊前の宇佐近辺の「四日市の人間が歩いたあとは、ペンペン草も生えない」と言われたくらい、他人の足を引っ張るのが上手とか、言われたりもしました。
Canonの御手洗氏、日銀の一万田尚登氏、博報堂の何とかさんとかがいたり、明治維新に乗り遅れ、1945年の敗戦処理は大分人脈でやったと夜郎自大的なことを言う風潮が色濃く残っていて、僕がほんやら洞で大分の物産展をやるってね、かなり抵抗がありますね。もちろん、愛着は強い。だが、アンビヴァレンツな思いですね。」

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2014.5/20(火)


7:30までドアも開けっ放しでダウンだった。
ほんやら洞、10:15オープン。S、疲れ気味。
4月の盛り上りに比べ、八文字屋の5月は盛り下がり感否めず。ヤバヤバ。八文字屋、ほんやら洞での月末にまとまった売上が無ければ、また、大家とのトラブルが発生する。売約すみのプリントもさばかねば。如何なるムーブメントもないのは辛い。強力助っ人も欲しい。
谷川さんが来て「どこのフライヤーよりも立派」と喜んでくれる。
体調不良のSにスタミナドリンクを買い、タンを焼き、焼きうどんもする。
俺は、好き好んで経済的にはほとんどアウトな苦しい生活を選んでいるのか!?SOSはださないぞ。
ヘリング、ガケ書房、恵文社に谷川渥さんのフライヤーを持って行く。
ルパン、やはり、悪いと言う。オルダス・ハクスリー著片桐ユズル訳「島」(人文書院)が100円で売られていたので、貰う。
高野川では、鹿、発見できず。
Fb上でフクイチの故吉田昌郎所長の事故調での調書が公開されていたらしく、関連資料をお見せしますという藤原節男さんの篤実な申し入れ(大変な資料を100円で買えという)があり、興味深いが、読む時間がない。
八文字屋8:20オープン。
11:00過ぎに、ブルーノートでの小山正太ライブに岩佐仏壇店の息子と行った帰りに寄る。
また、ベトナムからキャラ1kg出たので、買い付けに行くてな話ばかり。
12:00には、帰って行く。〈ろくでなし〉にDM、フライヤー持参。
2:00ほんやら洞着。
少し、現状を書く。
5月30日のほんやら洞開店営業開始42周年記念日に、月曜社からの書下ろし「ほんやら洞の青春」もしくは毎日新聞連載の「京語りーー木屋町から一筆啓上」の出版が間に合うことを願っていたが、やはり、僕の段取りも悪く、出版社のスケジュールもあり、全く間に合わなかった。
代わりに、写真集「70年代ほんやら洞点描」かイケメン写真集か新美女写真集という手もあったが、ほんやら洞、八文字屋の新人バイト登場とは、相成らず、一日15時間二つの店で働く日々が続き、波状攻勢とはならなかった。
6月24日からのパリの日本文化会館での、個展には、この分では行けそうもなく、新写真集も危ぶまれる。せめて、9月11日からのオランダはライデンのシーボルトハウス展には、1,2冊の新写真集を持参したいが、ほんやら洞、八文字屋の景気、バイトの状況を鑑みるに、どうかな?ってところだ。でも、腐ってはいけない。
数年来の八文字屋の常連の美学者で、僕の写真集“Beautiful Women in Kyoto”にも解説を書いて下さった谷川渥さんが、半世紀に及ぶ読書遍歴を後続の読者が欧日の時代時代の息吹を看取出来るように、見事に整理すると同時に50年読書の愉楽を開陳した「書物のエロティックス」を上梓した。
これは、今の若者への激励の書物でもあるのは、明々白々で、42年のほんやら洞のポジション、いたらなさを逆照射する本であるのを愉快に思い、開店42周年記念日に出版パーティをさせて下さい、と申し出たのであった。
案の定、ほんやら洞の開店記念日行事というのに、長年のほんやら洞の関係者のなかからの出席希望者は少ない。
ともあれ、それが、ほんやら洞の現状だと云うことを噛み締めたいと思う。
現段階では、ほんやら洞、八文字屋の周辺からの参加者は、サッちゃん、佐藤守弘さん、ルパン、僕、レオ、清水哲男さん?ぐらいだ。
谷川渥さんの教え子は、阪大、同志社、立命、国学院さらに諸先生方、現段階では約20名のようだ。
多くても少なくとも臨機応変に対応する予定なので、どうか、当日の飛び入りででも、揮って来店下さい!!
明日は京都工芸繊維大学の建築学科の学生さんたちと2度目の面談。
さて、どうなることやら。どの程度の事を考えているのかまだ、今ひとつ分かってないが、「京都のアーチストの住居を設計する」と云う大学の課題らしく、奇特な方が写真家・甲斐を選んだそうで、訳分からずとも、僕はドキドキしている。僕の住居なんてめちゃくちゃだからだ。
店を兼ねてと考えているのかどうかも全く不明。
将来、万一、お金があって、ネガ・プリントのアーカイブということを僕は、数年前から考えているが、そんな事に関心を持ってくれるかどうか??
そのまま、ほんやら洞のベンチで寝る。

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2014.5/19(月)


家にプリント探しにかえる。
ルネで、「路地裏の京都」「京都猫町ブルース」「京都の子どもたち」を仕入れる。
12:00オープン。
姉に秦恒平さんの本(『湖の本』)を4冊、谷川さんのフライヤー、ヒルゲートのDM、京都新聞の掲載紙、姉の息子、裕太郎の山香での七五三時の記念写真等の返済文を送る。
精華大学のフォークソングの女性、ほんやら洞2Fのレンタル料をききにくる。15人程度で3時間以内だったら、一人、ワンドリンク注文で使用料金は要らないと伝える。
夕方からお客途絶える。夕方に来たS「鴨川で鹿を見た」と言う。早速出かけて、小一時間、鹿と付き合い、後で画像をFbに2点UP。南光さん、武市常雄さん、豊島啓さんらが、ほんやら洞で1979年頃、何回か映写機を回してくれていたシーンもUP。Sは一ヶ月、魂を詰めて働き過ぎたせいか体調不良。
レオ、Sと3人で筍ご飯、焼き茄子で夕飯。
その後、八文字屋でも、3人で飲む。11時すぎに冨樫&オードリーら来る。オードリーさんはリヨン出身。「京都猫町ブルース」を買う。「パリでの個展の際には会いたい」と。深夜、段ちゃんが来て、黙って聴いているかと思ったら、冨樫の大風呂敷をおちょくっておもしろし。昨日「ヘリング」で森岡パパが「八文字屋を中退した」と言うのを訊く。彼と3時まで飲む。そのまま、ダウン。

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2014.5/18(日)


谷川さんの講演のフライヤー届く。
上御霊祭りの巡行、いつもと違うコースを行く。今年も、御所に入ったようだ。それには、それで狙いがあるのだろう。
ほんやら洞客今一つの伸びが望まれる。写真を撮る時間がなく、これではな~。
辻村さんから「親子で見てます」とのメッセージ入る。
九州の中川五郎さん「大分の七瀬川ライブ、間一髪でアウトか!? 」とFbに書く。富山一郎さんに神田さんを紹介したいとメッセージを入れる。ヒルゲート展のプリント、ほぼ方針を決めるも、どうして欲しい3点がでて来ない。
浅利ちゃんの誕生日。中村勝さんにTelを入れるも、空しい。でも、久しぶりに中村さんの元気な声が聴けてよかった。
鹿さん、カゲロヲ、チーちゃんは浅利ちゃんにプレゼント持参。僕は、DVDを。菅原純さんも。
長谷川託布、真子の姉弟が父、進さんの位牌、長谷川さん詩「大工」掲載の詩誌「チビとノッポ」を持って来る。「 ほんやら洞通信」にも書いているよ、と言う。一回忌か三回忌で冊子を出したいと思っているようだ。そこにダグラスが来合わす。彼は、1977,8年頃、長谷川さんの大工の弟子だったが、一銭も貰わなかったという。「キュピキュピ」の石橋君の映画「狂わせたいの」は、ダグラスの京北町の家がロケ現場だったとも。その頃、陽子ちゃんの店に、ダグラスも長谷川さんも通っていた。
片山茂樹、八文字屋では燻し銀的な存在の奈良井さんも居る。Hさんと上手く行って欲しい。チーちゃんとカゲロヲが(檸檬は、6月いっぱいで閉店と言い)消え、浅利ちゃんも早く帰り、皆、雲散霧消の後、オリヴィエはゲストハウスの長身男を同伴し、直ぐに消え、K_Keiがゆっくりして行く。K_Kei、DVD、オモロかったという。take_bowの消息も。
僕は、去年の今日、ブログを全て、自分の手で記すと決した。丁度、1年前のこと。
チーちゃんに、いつもお世話になっているので、DVDをあげる。
3時ほんやら洞着。(8時までベンチ)

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2014.5/17(土)


ほんやら洞は、日に日に喫茶店らしくなって行くが、僕が息抜き、手抜き、足抜けする日は、まだ到来しそうもない。
昼からレオが手伝ってくれた。
高山佳奈子先生は昨日に続き、今日は二度も来店し、野菜、キーマカレーを食べ、プリペイドチケットを早く使い切りたいと「京都猫町ブルース」「路地裏の京都」を買ってくれた。39年前の客、メグちゃんも、来てくれる。
Sに他人をブログで悪し様に言うのは、良くないと忠言さる。ストレスがいわしめるのか。ストレス過多な生活は止めるべし、との考えもある。
八文字屋は9:00にオープン。レオが、マンガ学科の上田晃久君(近藤和見の弟)、長岡京のベーシストの後輩君を同伴。中瀬古シュン君(虫の音で音楽を作る男)が、イラストレーターの上田よう君、メキシコかえりの陶芸家などを連れてきてくれ、このふたグループが息投合する事3時間半。他は、琢ちゃん、オリヴィエのみ。久々に男たちのはしゃぐ良い写真が撮れた。
また、ほんやら洞でダウン。

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2014.5/16(金)


ほんやら洞、9:30入り。
11:30~4:30吉田の家。申芳礼さんの個展を見に行く。イムヨンテクさん、寄神さんに会う。
5:00工芸繊維大学の学生数名が待っていた。建築の課題で、甲斐アトリエを仮構するとか。
8:00に八文字屋入。バイトなし。客もなし。
皆、正直。アドちゃん狙いは、来ず。純二に子ども誕生。
9:00トップは、花粉症か猫アレルギー!?か判定待ちの今日もボトルを入れてくれた鹿さん、そして90年代のほんやら洞で妹(リカちゃん)がほんやら洞でバイトしていたと言う幸家太郎さん同伴の高松樹・古関夫妻(幸家・樹ちゃんには、DVDを渡し、二人が教える精華大学の建築の学生に見せて貰い、八文字屋バイト希望者を誘発する算段を企む)、川勝さん&染織家、場違い感の強い不明の3人は「なんでこんなに本があるんや!?」と、幾ら川勝さんが説明しても、しつこく聞き、「持って帰っていいの?」とうるさく、不快。奈良井さんが来て、そして今週から膳所の山の上の琵琶湖放送に就職した佐藤寛子さん(今日も奈良井邸泊)も顔を出す。今日は綺麗な表情をしていた。良き予兆か???、アンドレアスの知人のスイス人&不明日本人、迦陵頻の片山さん、大阪府立大の哲学の山口先生、初来店。田中美知太郎、藤沢令夫の弟子で「アリストテレス入門」(筑摩新書)の著者。弘前出身で下鴨泉川町すまい。段ちゃんが最後。梅林克&カワイ君来るもカウンター席なく嫌がる。あさひちゃんは客のメンツを訊ね、来店を思い留まる?知人がアドちゃんに会いたがっているとか。
2:30ほんやら洞、7:00まで寝る。

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2014.5/15(木)


4:00、7:00とおきてiPad。
7:30帰宅。「新潮」を読む。
葵祭日。11:00前にほんやら洞に入る。
12:00過ぎまで、お客さんはゼロ。後、1時間集中的に入る。
バンソンから葵祭の巡行の予定は短縮されたのか?という泣きのメールが入る。
夕方、海人彦、顔をだすも、水しか飲まず。
安倍、改憲クーデターの日と記憶すべき日か。
マリーン終えて、9:30八文字屋。レオ&正太君、田中直子さん&音楽家の渡辺愛さん(恂三さんの娘)、冨樫&フランス人のみ。
八文字屋でダウン。

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2014.5/14(水)


D2で米。
3:00頃まで、お客、チョロチョロパッパッ。4:00以降ゼロ。レオは、2Fでフランスのマンガ評論のような仕事の翻訳。レオに週1,2回ほんやら洞に入ってと言う。32年前、京都市経済局中小企業指導所にいて、京大の外国人留学生を使っての寺町通りの調査を一緒にやった中村ケンジさん来店。もちろん、北沢恒彦さんが中心にいた。中村さんは、結構、懐かしがってくれる。ほんのひと時の関わりだったのに。写真集「ツー・ショット」「インドちょっと見ただけ」を買っていく。僕の変わりようにびっくりしたと言う。三月書房に「夢の抜け口」を20部買いにいく。残部10冊、近々に買い取りに行く。
メタニエフの警固か、ポリさん、多し。夕方から、小雨。
8:25八文字屋入り。奈良井さんから浅利ちゃんに「今日は家の近くで飲むので、行けない」とのメール。川㟢さん、8:45来店。鹿さん、バンソンと続き、それで終わる。鹿さん、ブログを読んで、少々驚いたようす。
1:00過ぎには、ほんやら洞に戻り、Net。

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2014.5/13(火)


45年前の今日が、今日のぼくへと連なる決定的な事件があった。
つまり、朝日新聞を見て、脱走兵ポールが川端署に拘置されているとしり、動きはじめた。
その事を3つのきっかけと共にFbに記した。アヤフヤな記憶をそのまま記したら、太一永山さんが助っ人。
吉田の部屋二つは、Hが片して大きなテーブルが入っていた。
ルネで「京都猫町ブルース」2冊、「Beautiful Women in Kyoto」「路地裏の京都」を買う。
カレー、シチュー、チャイ、蕗炊き、タケノコご飯、おひたしを作る。
サッちゃんに、夕べの谷川さんのビラは、独りよがりでよくないと言われ、疲れているが、書き直すが、良くない。

谷川渥著「書物のエロティックス」(右文書院)

谷川渥さんの近著は、蠱惑的で、と同時に危険な書だ。
20歳かそこらの若者が、この本の魅力について語るとすれば、多分、僕はその場から逃げていくだろう。が、秀才、鬼才の谷川さんは、書物の世界のみならず、酒の世界でも若者にも、この脱領域的な美的世界探求の楽しみを熱く説く。
萩原朔美は本書は「谷川渥が作成した広大な知性の航海図である。この図を携えた彷徨が『肉体の知性』という名の冒険で、航海図が思索の建造ではなく、知性の演奏、歌で、この本が酩酊を誘うのはそのためである」とまで言う。
オーバーなと言う勿れ。萩原さんは態と七面倒臭い物言いをしているのではない。どこから読んで行っても、知性と谷川渥さんの目の輝きがあり、谷川さんのサービスがある。
谷川さんのこの50年に垂んとする読書という悦楽が年譜的に惜しげもなく、披瀝されている。
同世代の雑学徒には(役に立たずとも)この才気煥発なパイロットの水先案内に載せられて付き従うのもオツなものかも知れない。垂涎ものの境界抹消的な美学・美術史が眼前に広がっている。
世界のマニエリズム、バロキズム紹介のトップランナー誰にも優しく、著作には、誰もが恋してしまいそうな惚れ藥も鏤められている。
が、凡人がこの世界を堪能するには、おそらく、長年の修練が要求されるのだろう。
ほんやら洞42周年記念日に、谷川渥さんの「書物のエロティックス」の出版記念パーティを開いていただけるのは、粗忽なプラグマティスト集団のほんやら洞としては、光栄の至りだ。

さあ、どう書き直すかな?疲れていてダメ。目はしも利いてなければ、キレもない。大掴みが出来てない。谷川さんへの全体的な愛情不足。要する、支離滅裂。
川井遊木さんは、ほんやら洞お初。写真を嫌がられながられ、撮る。
武市さんは、元タカラブネの敷地(綿伊ふとん店の隣の工事で心配で)を見に行く。武市さんの持ち屋から青天が見えている。ブルーシートを張っているけど、これを何とかしてもらいたい。その金がでたら、沖縄でも行こうと思っていたんや、と笑う。30年来の共通の知人の消息を確認し合う。「滅びの前は明るい、と言っていた豊島啓ちゃんは、どうしてるんだ!?」と武市さん。それは太宰治が「右大臣実朝」の主人公に語らせた「明るいのは滅びの姿だ」のもじりのはずた。啓さんは、いつも気に入ったこぴーを手帳に書き連ね、飲み屋のカウンターを取り出しては「君には、この言葉がぴったりだ」てなことを言っていたものだ。彼は大映の助監督を経てコピーライターになったので、映画監督伊丹万作の太平洋戦争開始直後に「映画評論」が行ったアンケートに応えての伊丹のやや屈折した次のような返答も読んでいただろう。
「開戦と同時に日本はパッと燈がついたやうに明るくなった。それは決して緒戦に成功したからではない。開戦以外に日本の救われる道が絶対に無かったからだ。是は同時に世界の半分に就いても云へることだ。日本は世界に光明を點じた。私には今明るく開けて行く輝かしい未来の、他には何も見えない」(1942年1月号、28頁)
これは、四方田犬彦の「指が月をさすとき、愚者は指を見る」からの孫引きだが、何を言っても唇が淋しい、ややもすると「非国民」扱いされる時代の発言だが、原発を巡る発言、特にマンガ雑誌に掲載の「美味しんぼ」記述の福島での鼻血問題に対する政府の隠蔽に隠蔽を重ねる攻撃的言辞を見ていると太宰のいい読者でもない僕でも「明るいのは滅びの姿だ」を思い出さないでもない。
武市さんは、北朝鮮、中国、日本も革命後の第三世代で、どこも抑圧的な翼賛体制を敷いており、その共通の敵に対して共闘していこうという大風呂敷を広げる人間がいなくなった。その音頭を甲斐ちゃんがシンガイ君なんかと一緒に取ってよ!てなことを言う。
八文字屋は、咲希ちゃん。
鹿さん、咲希ちゃんの友達二人、かってよくTake_bowに絡まれていたトランスセクシャルの男、オリヴィエ、北川さん&獅子舞の竹馬靖明さんが来て、終わり。
2:00ほんやら洞でキーマカレーを食って、そのまま眠る。

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2014.5/12(月)


9:00オープン。
12:00前に3人の初客。午後、不調。雨も降り始める。
夕方、バンソンが来たくらいのもの。
Sもディックに15点送って、やまやに注文していたクスクスをとりに行ってくれる。
「書物のエロティックス」に一応、目を通してから、ビラ原稿を書く。

ほんやら洞開店42周年記念特別企画
谷川渥著「書物のエロティックス」(右文書院)出版記念パーティ

数年来、存続が危ぶまれていたほんやら洞も、この5月には開店42周年を迎えることが出来ました。
これは、ひとえにお客様の熱い支持の賜物です。
開店以来、プラグマティックな動きをモットーとする店でした。
ここにきて、私たち、プラグマティストが仰ぎみるような脱領域(境界抹消的)知性の権化、谷川渥さんの新著出版を祝う会をこの店の開店記念特別企画として持てるのは、隔世の感を抱くと共に感慨を新たしています。
どうか、この映えあるパーティに谷川渥さんのファンは、もとより、ほんやら洞42年の常連の皆さんのご参集を願ってやみません。
今年は折りしも、甲斐扶佐義の著作「この一年《一念?》」やほんやら洞草創期の回想記「ほんやら洞の青春」(月曜社)の出版の年です。写真展としてもパリの日本文化会館での傑作展(6月後半)やシーボルトハウス(オランダ)での大規模な回顧展(9,10,11月)の開催が予定されています。
それは、取りも直さず、ほんやら洞の前途多難な年です。
谷川渥さんの脱領域的知性に綾かって、来るべき危機を克服したいと思います。
皆さんの知恵と力を拝借したいと、思っています。

5月30日 午後 6:00~8:30
@ ほんやら洞 1,2階 (上京今出川通寺町西入ル大原口町229)
Tel 075-222-1574

第一部 谷川渥さんの講演(30分)
「書物のエロティックス」を巡って(《今、バロックとは?》)
入場料 無料

第二部 祝宴 19:00~20:30 (持込み歓迎)
会費 6000円 (本付き)
購買済みの方は、3000円

2次会 八文字屋 (木屋町通り四条上がる180m東側岡本ビル3F)
Tel 075-256-1731

これを元にサッちゃんにフライヤーを作ってもらう。
今日は何も出来ない。
八文字屋入りは、9:50。新宿の「深夜+1」の須永祐介さんからフライヤーが届く。5月20日に28thイメージフォーラム・フェスティバル(特集:ユートピア夢想の発火点)の一環で、京都シネマで16:45から「一貫して個人の視点から映像作品を撮り続けるかわなかのぶひろ新作は2011年に亡くなった友人・内藤陳《コメディアン・書評家》についての映像エッセイ。新宿を舞台に、二人が共にした時間が作者自身による膨大なフーテージを通してスクリーンに蘇る」とのキャッチの「痕跡imprint内藤陳がいたーー」(完全版)80分が上映される。これを見てくれ、関心のある知人にフライヤーを渡してくれとのこと。(FbにUP)
姉にTel。山香も狭間も中国資本のソーラー屋が土地を買い占めているとのこと。八女の兄姉の醜い話を聞く。狭間も浮かぬ様子。
直ぐに、迦陵頻の片山茂樹さんが逗子の55歳の仏壇屋さんを連れてくる。中国での商売の話ばかりする。(刈田、行橋育ちの)立命館大学の尾羽瀬先生、大野まこと君という教え子同伴。小沢明子さんの話ばかりする。「ユリイカ」に小沢さんの評論が青山リツコ名で掲載されたという。
11:00に誰も居なくなる。
12:00にパリのNからTel。コリーヌ・アトランが掴まらない。何処にいる?日本文化会館の文書の翻訳の件で掴まえたい、と。フランスは政権も変わり、パリ市長も変わり、ゴタゴタしているとのこと。新しい写真があるのなら、教えてくれ、あれこれ考えているので、と。パリのアーティストをお前の所にイクスチェンジで泊める事は出来るか?等々。売れたプリントの支払いの話なし。
1:30にはほんやら洞着。
1hiPad。雨止まず、そのまま、6:00まで寝る。
7:30帰宅。隣のふた部屋、タンス以外は、Hらが使いやすい態勢が整いつつある。
1Fも早く使えるようにしてあげたいのだが。

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2014.5/11(日)


都築響一さん、ほんやら洞にも来店。小林勇超さんも。2人展&奥田陶生氏の作陶展の最終日とあって、少し慌しく、Sは、疲れてしまった。電通のエライさん、「ほんやら洞のーー」はプロモーションとしては、良い映像だけど、もう少し突っ込みが欲しかったな、と言う。
KG+のお客さん、最後まで、よく来てくれた。
Sがほんやら洞のFacebookページを作ってくれた。次々と「いいね」が飛び込んで来た。
八文字屋には、笠井享さんが熊本出身(宇土)の後藤さんを同伴。鹿さん、奈良井さん、K_Keiのみ。浅利ちゃんは扁桃腺?で声、出ず。HPのチェック数が気になり、ほんやら洞へ戻り、そのまま家に帰らず、寝る。ほぼ予想通り。

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2014.5/10(土)


9:00起床。朝から11:00までネガチェック、プリント探し。
11:15ほんやら洞オープン。ダラダラお客さんある。洗い物は全てSにまかせ(もちろん、鶏朝なんか僕がやる)で、ロベルト・ユンクの写真、シーボルトハウス展用の最近10年のプリント15点探し、「70年代ほんやら洞点描」用のあれこれ探しで半日終わる。金久美子&Kaiのツー・ショット、黒川創&梁民基、大阪地裁前の鶴見俊輔(中川五郎&秦政明のフォークリポートわいせつ裁判)等「70年代ほんやら洞点描」で使いたくなるのは、多く出てくる。結局、ユンクの群衆?の中での講演光景のプリントは、3週間前に出てきていたのに、それが隠れてしまった。
森本喜久男さんは、国東の富貴寺、久住の画像をFbでUP。ロジェさんは、庭先のチェリーを。茱萸と勘違いしてしまった。
元人文書院の落合正暁さんは実に久しぶり。李相玉さんはガンの手術をしたという。木戸衛一先生ら7人来店。段ちゃんも久しぶり、ほんやら洞に。オリヴィエ、Ailinも来る。ケーキがよく出た。
八文字屋オープン40分遅れて、Ailinらの客を逃がす。同志社大学心理学科大学院の畑先生、学生10人同伴。奈良井さん、海坊主のみ。
1:00閉店か、と思っていると、都築響一さんの登場。歓談。メール・マガジンを勧められる。「一年(一念?)」出版後に、彼のメールマガジンに書いてくれと言う。「木屋町のボスネコ、クロちゃんの枕寝」のオリジナルプリントを買うと言う。近代美術館に甲斐庄楠音を見にきたそうだ。明日まで。氏が帰ったあとも、江坂さんと元マホロバ店員(元ふうちゃんのBF)の布施さん来店。布施さん、美女流陶芸家の片割れと友達で1988年に初来店。3:00閉店。竹村洋介さんから、大阪のLoft Pulus One Westで出版パーティをやらないか?と勧められる。ほんやら洞で6:00まで寝る。帰宅すると、H泊開始。
今日は変なことをかんがえた。
ほんやら洞開店記念満42周年記念本を何にしようか、思案に暮れて文字本「この一年《一念》?」(2013年5月18日~2014年5月31日のほんやら洞・八文字屋往還日乗《ブログ》+10数点の写真)出版(ほんやら洞発行)に決めた!
僕のこの一年のブログには、この15年の僕の苦しみ、喜びの全てがたっぷり詰まっている。
今春、3月7日?に念願の月曜社出版予定の書下ろし「ほんやら洞の青春」のゲラが戻って来た。
これでけりが就いたと思った。「ほんやら洞ともおさらばだ!」
それまで1000何百枚、ほんやら洞の40年を酔った勢いで殴り書きして来ては送りつけ、月曜社さんをあきれさせてきた。僕が1999年にほんやら洞にカムバックした動機の一つに、ほんやら洞草創期について、誰もちゃんとかいてないので、せめて、極私的であれ、自分の目線で記録するということがあった。内部にいず、外から遠吠えはしたくなかった。
それから、15年も経ってもまだ終えてない。
2年前に月曜社から京都周辺写真の未発表分をスキャンして送れ、それを先に出そうと言ってきた。と云うので、寝床の近くにある物から、少しずつ送り続けた。すると、20000コマくらいスキャンしたものをおくると、「甲斐さんのせいではないけど、どれをどうチョイスして良いかわからなくなったと言ってきた。書いた物を読んでから、選びたい、やはり、書物を先にくれ、それを軸にして選んでみる」と言ってきた。こっちは翻弄されるだけだ。多分、存在するとして、僕の美質を理解してないのではないか、思うようになった。もういいや、月曜社なんかにもう頼まないぞと思いもふつふつと湧いてきた。
僕がこの10年間、何をしたかったか、どんなネガストック、限りなく落書き帳に近い日記がどれだけあるか、これをいつどんな風にコラージュしょうか、もう自分でやるしかない、自分の楽しみを他人に分かって貰おうとしたのが間違いだった、所詮、他人には分かりっこないのだ。こんないびつな日々の暮らしなんて、ただの自己満足だ。そう思うことにした。日々、借金取りに追われるなんて誰が面白いものか!
月曜社に原稿を送り続けたのは、自分でiPadを使う以前の話だ。でも、数年前に送り返された分厚いゲラを前にして、もうこれを無視しようと3,4年思っていた。が、月曜社から出すと周辺に言い続けていたので、引っ込みがつかなくなった。
そこで、時を置いて、過去のゲラを無視して神林さんが僕に何を望んでいるか、出来るだけ忖度して、自分でiPadで書くようにした。月曜社に見せるのは、これで最後だと思い、去年の晩秋から、何回に分けて神林さんに送っていた。
そのゲラが戻ってきたのだ。「なかなか面白い」との手紙付きで。
確定申告や金作であたふたしているなかのことだった。「サヨナラ、ほんやら洞」と決していた。月曜社の本を出すまでは、ほんやら洞を続けると長年、念仏を唱えるように、自分にずっと言い聞かせてきたので、この手紙はとても嬉しかった。
いずれにしても、尻に火がついたままの生活から、もう来年は解放されたい、確定申告をしないで済む生活へと転換を決心していた。後は、200万コマに垂んとするネガと付きあうあと数年の生活を遠望していた。ゲラ、これに専心すれば、何とか、形になるだろう、今年は、KG+なんかには、つきあわないぞ!と思っていた。それが、結果的には、KG+と付きあい、ほんやら洞なんか入らないと言明していたSが入り、ほんやら洞を綺麗にしてしまった。となれば、それと付き合うしかない。
出版の暁には、ほんやら洞を閉めるなり、誰かに譲ればいいという思いには変わりないが、5,6月と陸続と続く個展に対応するどころではなくなった。
全く後継者の見通しはなし、と踏んでいた。
そんな事を何年も、繰り返し考えているうちに、確実に歳はとり、身体だけでなく、店もそこら中にガタだらけ。親しい知人、お客さんは、バタバタと死んで行っている。閉店準備なら応援するという奇特な方も出てきた。
もう歳だし、食物を作ってもお客さんに供するにはもう手が汚い。目もチカチカしている。ボケも、かなり進行している。歯も殆どない。これが、持ち家だったら、老人仕事として、まずくないと、つくづく思うが、
ストックのネガの数をカウントするだに、気力が萎えてくるのに、喫茶でいくらグラスを洗っても綺麗にならないのはショックというほかはない。
写真も自分が元気な内に独力で処理できる訳がないのは、何年も前から分かっていた。だからといって別に絶望的になってはなかったが、もう何もかも終わりだという思いを日々養い深めて行っていたのは、確かだ。なのに、日頃、お客さんに囲まれ、歳を取っている事すら気づいてない。どう転んでも尻すぼみなのは明々白々だ。止めるにしても問題は、タイミングだ。片付け一つ取っても数ヶ月掛かる。本はどうする?ゴミ類は?片一方、諸外国の知人招待の個展はどうする?パリ等で個展で行くと、嬉しくなって、少しのぼせ過ぎていた。
とにかく、書下ろしの校正に全力を傾注すれば、40年以上前のことを回想した半自伝が出ると思っていた。記憶自慢だのに、記憶に異変が起きているのは、分かっていた。早くせねば。が、出版社には、それぞれ事情があって、6月いっぱいに上げれば良いと言われ、拍子抜けした。校正にももちろん、時間は掛かる。
その間をどうやって過ごすのか?厳しい状況なのに、複数の出版社が同時に出版してくれるかも知れないと云う妄想を捨てきれないでいる。出すと言ってくれている出版社にも気を使って、出る頃に個展を予め設定して、出たら、売れるようにお膳立てはおさおさ怠らない。ギャラリーにもこういう本が出る予定だ言った方が個展を開く上では歓迎される。そんなことばかりくだくだ考えて、Sと働いていたら、3週間もせずに、ほんやら洞が蘇生してしまったのだ。
こっちもこっちで、自分で、目の前に人参をぶら下げて走るタイプ(自己暗示?)なので、9月のオランダのライデンのシーボルトハウス展まで本が出るように努力するし、ギャラリーにリップサービスをする。それが店の売上向上という形でキックバックは微々たるものであったとしてもある。その間、どっちの店を閉めるか、閉めるにしても、どう閉めたものか、思案していたことが、ぶっ飛んで行ってしまったのだ。
と同時に、店の売上が振るわなくなれば、また、借金をするのではなく、出版社に頼らず、自分で写真集なりなんなりを出せばいいのだと、積年の鬱屈から解放されるような気がしてきた。
まあ、いずれにしても、写真展では、新しい写真集を売るものと自分に言いきかせてきたのに、今度は、店が忙しく、ネガ・チェックの時間、プリントの時間がなくなったのだ。
去年のマロニエ展にも、今年3月のマロニエ展にも、何も新しい写真集を出せなかった。5月末のヒルゲート展には何か出さないことには、格好がつかない。どんな簡略なものでもいい、とにかく自分の装丁ででも出さねばならない。そう思いつつ、どうも、状況が許さない。ほんやら洞には人手がないのにお客さんが来てくれるのだ。嬉しい悲鳴だ。
せめて毎日新聞連載分が写真展に照準を合わせて新潮社が出してくれるのなら良かった。が、これも状況は予断を許さない。
繰り返せば、とにかく、自費出版をしてでも個展に臨まない事には、格好がつかない。いや、回復に向かっているとはいえ、店の尻に火がついているのだ。自信作を買ってくれ!と言う方が金を貸してくれ!というよりも真っ当なので、そうするつもりでいたが、今度は、本を作る時間すらないのだ。
ところがである。
あてにしていたデザイナーのSが失職したので、本を作って貰えばいいのに、元々、早く店を閉めて、写真に専念してくれ!と言っていた彼女だった(僕としては、ほんやら洞で働けばいいと思っていたが、Sにはその気はなかった)のに、ほんやら洞の仕事に熱中してしまった。
Sは綺麗好きだから、うってつけはうってつけだ。何事にも一家言持っていて、店のあれこれをいじり始めた。僕が写真展に準備や本作りに集中するどころでは、なくなったのだ。僕がSに僕の写真集を装丁してくれと言うどころではなくなった。
4月半ばからほんやら洞で働き始めて、僕はいまもほんやら洞に釘付けだ。
ま、幸い、KG+の2人展も滑りだし良く行き、長期にわたって行方不明だった客が戻ってきた。僕は、脱けて写真に専念するつもりが、当座、そういう風に行かなくなった。
くだくだしく記してきたが、そこで、この状況が生まれる背景が詳しくわかり、しかも、ほんやら洞、八文字屋にどういう客が出入りし、店で何が語られ、何が起こっているのかが、この一年、僕が何に心血を注いでいるかが、具に分かる「ほんやら洞・八文字屋往還日乗」に多少、写真を交えて文字を中心にした本を出そう、そうするしかない、と今、思っている。ヒルゲートにも間に合わないが、シーボルトハウスにまに合うだろう。鹿児島の天文館での「いま、どうして、ここにいるの?」のイベントにはうってつけの本ができるでしょう。都築響一さんも、これが、できれば、自身のメールマガジンでも取り上げることを約束してくれた。どうなるか分からないが、大阪のLoft Plus One Westも面白そうだ。
これから、巻き返しだ。できたら、6月24日~6月28日のパリの日本文化会館展にまにあわせたい。
題して「この一年(一念?)」?ま、出来上がるまでに、タイトルは変化するかも。

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2014.5/9(金)


8:00起床。
9:00ほんやら洞オープン。朝から、インドでの路上での脱糞等への対策の放水車登場の映像を見る。
麻美ちゃん、10:30に来て「つわり説」否定。
Dickから15点催促メール。(この10年内の写真)
12:00帰宅。2時間眠る。2.5時間掃除、プリント探し。数点発掘。ベストとは言えない。「70年代ほんやら洞点描」用は、20点。気がついたら、5:00。仕事、一向に捗らず。麻美ちゃん、5月23日は、子供の授業参観日で、ほんやら洞のバイトは休みとのこと。麻美ちゃんに5月30日フラメンコをやらないか?と言う。7月にフラメンコナイトをほんやら洞で演りたいと言う。
ほんやら洞には、酒谷宗男さん、温ちゃん&岡崎君、岡西重治さん(奥さんのナオミさんに、奥田陶生氏の様な展示をほんやら洞でやらないかと言おうと思っていたが、言う間なし)、田中直子さん(5月24日の京都芸術劇場春秋座で(16:00開場、16:30開演、一般6000遠方)の加藤登起子ライブは楽しみ。『ピアフは、シンドラーみたいな役割を果たしていたらしいの。その側面を浮き彫りにする様な、ピアフを唄うと言うので、もう、チケットは、買ったわよ』と言う)フライヤーには、モノオペラ・ピアフの生きた時代・を語り歌うとある。、樽門豊さん(樫原で、9条の会を作り頑張っているとのこと、『カイさんのインドの影絵みたいなヤツ、もう4倍位、大きく伸ばしたらいい!カイさんの屈指の名作だ、DVDはもっと広めましょうや。浜田さんは、八文字屋で会った方でしよ。色使いもいいね』と言う)ら来る(皆さんにDVDを見て貰う)。70年代、大阪地裁に一緒にわいせつ裁判を傍聴しに行っていたという、元京都府立図書館で働いていたという、宇治小倉住まいの稲倉正明さん来店。「太りましたね」と言われる。今日は、同志社に上野千鶴子の講演を聴きに行かないのですか?と言われる。
三月書房から「夢の抜け口」届いたとTel。パリにDVD届いたと。ムービーを写真に収め、アップしたら、どうだ?と言う。ベスト15をMJCにも欲しいと。1967年東京芸大卒の小林古径の孫でもある五条坂出身の内田邦太郎さんから河原町今出川下がる梶井町にある「文化交流センター京都画廊」でのパート・ド・ベールガラス展の案内届く。もう直ぐ72歳だ、記してあった。兄のアドレスを教えろとも。
柴田明蘭さん、酒谷宗男さんがほんやら洞の画像をアップしてくれる。
直子さんの橋本さんが来ると言うので、時間が押していたが、開けて待っていた。が、来て「ほんやら洞が禁煙日を創ってくれたらいいのに!そしたら、もっと来るのに」「この写真何処?」と言うだけで元気なく直子さんに「医者に平均寿命まで生きられますか?と聞いたら、血圧とかを薬で抑えれば、、、と言われた」と言う口調元気なく、体調悪そうで、心配。2Fは観らずに帰る。直子さんも敢えて?促さず。Mr.Foilギャラリー、山上君はいつもそのために来店だが一頻り仕事(PC打ち)したのちに「カイさん、(精華大の)セッチャンをしっているの?母の友達のセッチャンが、カイさん、展覧会を演っているんやな~と言っていたので」と言う。プリントを見ていたら、見たがって「見せろ」というが、見せる様な代物ではない。京極住民福祉連合会の会長の亘重好さんからFbの友達リクエストある。出町保守の方。先日は創業107年で「綿伊ふとん店」を閉店すると記した店の主人。作家水上勉さん所縁の布団店だ。彼に取って僕が11人目の友達らしい。山田啓二京都府知事、上七軒の芸妓、尚そめ、出町では、上御霊神社の元神輿会の会長の大川真さん、町作りに熱心なYAOMONの佐々木さん、町づくりの担当の同志社大学教授の谷口知広さん、富家大器さんらが先行友達。
鴨川土手のブヨの大群異常?発生。
八文字屋入りは、9:45になる。鹿さんしかいない。11:15までその状況。その直後、建松さん、さらに東義久さんが来て「ウチのチビ《31歳、中学の歴史教師》とアドちゃん、結婚してくれんかな~」とアドちゃんに言う。ジェロームのアニメの音楽面の協力者、ミッシェル来店。三上寛のフランスへの紹介者。偶然、アドリーヌと、出身町、大学が同じ。奈良井さんは、彼と嬉しげに喋る。やがて向日葵オリヴィエ来店。広島しか行けなかったと。亮太郎の過労を心配する。奥さん&子どもと一緒に住めない事を嘆く。いずれ別れる事になるであろうセネガル人のガールフレンド&子どものこと、ヨーロッパ(スペイン、ギリシャ、ポルトガル、フランス)の不況についても悲嘆。段ちゃん、向日葵をはさんで、ミッシェル、オリヴィエを撮る。12:00過ぎにサッちゃんからTel。疲れ切って、さっきまで寝ていた、と。アドリーヌ、明日から一週間、韓国。
2:40閉店。八文字屋もほんやら洞も暇すぎ、ヤバイ。昨日の嫌なTelが、気をしずめる。

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2014.5/8(木)


まず、7:00起床(ほんやら洞のベンチ)と同時に、新聞記事発見から始まり、八文字屋のベンチに沈没する気忙しい一日。
8:30帰宅。2時間睡眠。11:00出発。ルネの前で山下さんに遭遇。ルネに行き、「路地裏の京都」「夢の抜け口」「新潮」最新号をかう。チャリンコ屋で貰い忘れ置き去りにしていた保証書を入手。コンビニで、水道料金用のメーターの数値を水道局にFaxし、京都新聞5部買う(兄姉、サッちゃん、八文字屋用)。
12:00前から新聞記事を見た客チラホラ。シチュー、野菜カレー作りを急ぐ。
見覚えのある客で、名前を覚えてない方がいたが、真以ちゃんの先生(京都教育大)の谷口淳一さんで、案内状を出しているのに、もうダメだ。
3:00サッちゃんが書の練習行かんとする間際にお客さんがドタドタと来る。
柴田明蘭さん、田中国男さんの元同僚とか言う蒼樹さん?は2Fの空間、気に入ったので、また、撮影に来て良いか?と言って帰る。同志社の教会関係者らは、キューバ旅行の話などする。
4:20には、山本宗補さん来店。「鎮魂と抗い」(彩流社)を頂く。「地図のない京都」をあげる。写真集「戦後はまだーー被害と加害のー」を展示出来る所をさがしに来た(本を売りたいと云う思いも強い)。カリフォルニアのサンジュエゴで写真に目覚めたとのこと。福島菊次郎さんの影響あり。
日向太も勉強しに来る。
ユトリナンチャラ云うところからTelがあり、僕には、八文字屋の前の前のビルのオーナーに400何万の借金が有る、いつ支払うか?という訳の分からない言い掛かりを言ってくる。内容証明付書類を送った筈だという。こっちは、2年前に、出て行け!といわれたり、ロックアウトされたりした後に、2~300万円の金を京都不動産買取センターの社長室室長の武本さんに支払い、これで、すべてチャラと聞いてるという。その領収書は、あるか?等言う。有るが、そんなもんを出して見せろと言われても困る。忙しいのだからと言う。とにかく、まとめて払ったので、ご褒美に100万円くらいすると思えるクーラーもプレゼントして貰ったと言う。カッカッしていうもので、先方は、喧嘩腰になることはないでしょうと来る。その間15分。忙しいと言って切る。こっちは件の内容証明とやらは、全く見ていない。また、トラブル発生。一難去って、また、一難。こっちは、今の大家からと思って対応していた。何れにしても代理人。また、訳の分からない言い掛かりで蒸し返すのか、と思うと、鬱陶しい。
永澄憲史さん、そして「はなかみ通信」の高橋幸子さん来店。暫く、2Fで待機して貰う。5:30から付き合って飲んだので、疲れる。僕を交えて甲斐論を始めそうになって中挫。
正太君が、木曜日なので来る。グザヴィエ・亮太郎の共通の友達の写真家、オリヴィエも来る。オリヴィエ曰く「日本中のカメラ屋から、モノクロフィルムが、4月いっぱいで消えた」山本宗補さん曰く「アメリカでは、デジカメで撮った物をあらゆるメーカーのモノクロフィルム風に変換するソフトが開発された」。
2,3日前から鴨川のブヨの一大集団に遭遇。
7:30に八文字屋へ先に行って、待つ。
先斗町まちづくり協議会より「平成25年度活動報告書」なるもの届く。植南草一郎も絡んでいる。5月10日~5月23日の立誠シネマで上映の大木萠第一回監督作品「花火思想」のフライヤーを脚本・撮影の阿佐ヶ谷隆輔さんが持参。「友部正人も書いてくれてます。また、監督と飲みに来ますので、よろしく!」
山本さんは、10:50の夜行バスで帰ると言う。オリヴィエは、アバンギルドへ先に行く。
9:00過ぎに正太君も流れてくる。鹿さんは9:30に登場。ヒルゲートの人見ジュン子さんは、今、展示中の作家から貰ったネギ持参。高橋幸子さんの説明では、プロ野球選手の落合博満のファンをジュン子さんはしていて、何度も会ったことがあるとのこと。野本三吉、水田ふうさんとの交友も語る。山本さんはの展示出来そうなギャラリー、思い出すまま、ピックアップするが、内容とスタイル、ちょっと見の芸術性(美的か否か)を鑑み(しかも、写真集を売りたいとの希望、勿論、当たり前の事)、なかなか候補ギャラリー、落ち着かず。山本さんは、ネグロス島の写真で、スタート。1991年に最初の写真集を出している。
10:00前にサッちゃん、ジャーマンも来て朴ちゃんに「誕生日おめでとう」の祝辞をFbで3人名で送る。黒澤さんも顔を出す。鹿さんが正太君を他所の飲み屋に案内(3:30まで3,4軒)。
皆が帰った後に、オリヴィエが向日葵を持って戻って来る。オリヴィエは、何やら身の上話していたようだが、よく分からなかった。明日から、広島、長崎へ行くとのこと。新幹線乗り放題、4万円のチケットを持っているという。
3:00閉店。

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2014.5/7(水)


10:00起床。
この20日間、ほんやら洞、八文字屋の営業に関わる事以外は、何もしていない。
天気が良過ぎて、日中、客なし。
パリのSaraさんより、次のパリ展のDMをくれとのメール。会期が早まった旨、つたえる。
夕方、田中国男さんが来店。かって、姪の亭主だった長谷川進さんの死を知らなかった。「いい詩もあったけどな~」と言う。「大工も素人で、中江俊夫とのトラブルもあったな」とも言う国男さんには、今度、ほんやら洞での展示会をやって下さいという。冊子、出版物の表紙絵の原画展を考えようか、と言ってくれる。
高橋基晶さんにDVDを送る。
谷川渥さんの「書物のエロティックス」読書継続中。
八文字屋には、浅利ちゃん。早々と奈良井さん、川㟢さん、鹿さんが来てて、奈良井さんが夕べ、咲希ちゃんとラーメンに行き、酒も誘ったが「明日、早いので」断られたと、やや誇らしげ。あとは専ら、オイタさんのオイタたる由縁(リアルちゃんのリアルちゃんたる由縁、素性《さる世界の女王様》に気づいてない面白さ)そしてオイタさんの不随意筋の発動たる「オイタお悪戯」の魅力、ルパンの亡霊性が浅利ちゃんとの話題。たつみ帰りの八田さんが登場して、珍しく早い冨樫も友人連れ。12:00すぎに、段ちゃん。最後は、段ちゃんのみ、2:00まで。3:00ほんやら洞着。7:00まで、ごろ寝。

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2014.5/6(火)


12:00オープン。
GWの最終日、さすがに、人出少なし。三角州には溢れてるが。バークレーから同志社への留学生、外国人客は、チョロチョロ。
GW中に行きますとの予告してて来なかったのは、浮田哲&母、田中国男さんら。今日、来ると言って来なかったのは、HATAO。八文字屋バイト連は、まだ誰も2人展には、来てない。
谷川渥さんは、ほんやら洞、へリング、八文字屋と学生3人連れて動く。
武市常雄さんは、昨日「甲斐さんのFB2週間分すべて見たよ」と来る。「俺は、ふれあい広場の頃もチャンスがあったけど、今のこの状況なら、(これを変えるには)自民党に入っておればよかった(笑)と思うよ」と言う。「革命とは、社会関係の変化の事を言うのだよな」と、何時になく微温的な事を言う。ビデオを見て「なかなかいい」と感心する。
国連の環境計画のセクションで働く23歳のケンブリッジ大学出身のチャイニーズ・ジャーマニーズのAilinさんと喋る。彼女も自分の写真を見せ「どうやったら、もっと良い写真が撮れる様になるか、アドバイスしてくれ」とパソコンで、日本語に変換しながら、喋り掛けて来る。店の仕事以外では「書物のエロティックス」を読み、谷川渥さんの出版記念パーティーの打ち合わせを本人としただけ。
ほんやら洞のカウンター内の整備は、サッちゃんの手で徐々に進行。この2,3日は、7:00頃になると、サッちゃん、さすがに、眠そうにしている。
八文字屋は、咲希ちゃん。八文字屋のトイレ掃除をしてくれるのは、咲希ちゃんのみ。
エンゲルスガールの経営者は、ゲシさんといい、その娘は咲希ちゃんと上桂でアトリエをシェアしている浅利ちゃんなんかと遊び友達だった。
店には、鹿さんが来店しており、リアルちゃんは、後ほど、山のやさんを呼びだす。祖父の2回忌帰りのアサヒちゃんがお土産持参。僕は、イチゴをトロ箱一杯持ち込む。奈良井さんには、咲希ちゃんと「アタックに精を出せ!」と激励するのみ。谷川渥さんの一行、今年初ルパン登場。亡霊の如し。サッちゃんは阪急でオイタに会い、引き返し、何処かで飲んでから来る。
2:00には、客が引ける。3:30まで、ほんやら洞。4:00帰宅。

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2014.5/5(月)


12:00オープン。
雨で苦戦。
西田勝彦さん(高校で、岡林信康と同級生)がきて、岡林の近況報告。一緒に来店したのは、「エンゲルスガール」店主。十三の銭湯の息子というので、「八文字屋にも、十三の銭湯の娘がいる」と言っても、へーえ!?てな顔だったが「その女の子は、イタリアに、、」といったら、「それは、うちの娘だ」という発言とともに、本人が唸っていた。親子お互い何をしているかしらないのだと。汀子さんが、3時間ジトっとすわっており、「秋に五郎さんとでほんやら洞でライブをやらせてと言う。その後あとは、ダラダラと客あり。8:00ジャストに客ひく。
8:50八文字屋入り。10:00までサッちゃんのみ。
トップ.客は、村田マナちゃん(信州大学研究員。パーリ語)。ふたりでしっぽり飲んでいるところ、和歌山帰りのレオ・マルセイユが来る。ついで、鹿さんが女性同伴。さらに、パリのフォアグラ屋のジャン・クリストフを連れてHATAO来店。(明日、ほんやら洞に来る?)マナちゃんとレオ・マルセイユは、「妖怪占いであそび」で楽しみ、意気投合して仲良くなる。レオ、和歌山の知人に裏寺の「静」は凄いぞ、「拾得」は「磔磔」よりマニアックだと教えられて、拾得がバイト募集中と聞きつけ、「バイトしようかな~」と思っているという。4日に、拾得を大工参加した故長谷川さんが、片腕で甦った夢を記述している箇所をチラッと見せると「ワァー」と叫ぶ。奇しき縁を感じたとか。八文字屋、早めに切り上げ、ほんやら洞へ。寺町通りの竹の新芽?の匂いは凄い。例年のこと。5:00まで震えながら、横になっていた。

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2014.5/4(日)


長谷川進さんが生きている夢をみる。片腕が落ちた長谷川進さんが、「俺が死んだと吹聴しているだろう」と恨み節。
自転車がパンクして、久しぶりに27インチのチャリを買う。14000円。
ほんやら洞らしいほんやら洞、顕現!これが続くのなら、これで良いのだ。但し、今のままなら、写真を撮れない。S、エスプレッソを導入出来ないか?と。
ダラダラ働く。八田チームは16人だった。八田淳さんも歳を自覚したようだ。
元精華の姜美華さんより、友達リクエスト。怪しいイギリスの軍人から「お前の経歴を見た。俺とくんで商売しないか」とのメールも。どのキャリアに興味を示し、如何なる仕事をしょうと言うのか、知りたいが、危ない雰囲気があるので、無視。清水哲男さん「プリントを買いたい!」
ヒマラヤ帰りのなっちゃん来店。5月24日の彼女の実家の寺での「お寺de旅トーク《旅と写真の話をえんえんーー》小山崇文×小山康雄」@萬福寺(大阪南堀江、料金1200円、問合せ:tabi.talk8@gmail.com)のフライヤー持参。
八文字屋入りは、9:00。
酔った勢いで勇み足?Nは、本当はとても良い人なので、こんな事は言うベキでないが、敢えて言おう。Nさんが、神戸からのお土産の餃子を持参。こういうプレゼントは嬉しい。店の客の親睦も深まる。苦戦中の店では、親睦ばかり深まっても営業がなりたたなければ、どうにもならない。無いものねだりはしたない。しかし、苦肉の策で、いくら飲み食いしても一日1000円という形で当座の資金稼ぎをしただけの事なんだと想起して欲しい。いまだにど壺の淵を彷徨っている営業空間である事くらい察してほしい。分かってと言うのは無理な注文?その事だけだったら、この事を問題視しないけど(但し、そんな親睦よりもNには恋愛の対象を絞るのに頑張って欲しい)、カウンターで、やたら他の客の話に口を挟むのは止し子ちゃんですよ、言いたくなる様なシーンとセットでかんがえると(もち、親切は歓迎だが)、どんな話題にも、生半可通が的外れな言を挟んでいるのは耳ざわりで、割り込まれる客も鬱陶しいくらい分かってもらいたいという以上に店の品位(?そんなんがあるの?って)を落としてしまう。そんな風だから、ゲットしたい女性も消えて行ってしまうのだと思うけどね。甲斐留守期間は、八文字屋のベスト・ホスト役を演じてくれたのはひたすら感謝するするけど、会話のスリルを台無しにして欲しくないっすね。
氏の誰彼なしの的外れな語りかけは、リビドーと綯い交ぜの言動なので、直に本人に言ってもムダなので記した。
今晩は、その場で、ついでに、僕も減らず口を叩いた。
「この店で、女の子をゲットしょうと思ったら、女の子がバイトに入ってないときに来た方がいいよ。カウンターの横に居る女性客とゆっくり喋れて、ゲット率が上がるかも!?バイトの女性は、皆、貴方に興味がないのだから」
僕も非道いことをいうものだ。疲れて、酔って暴言を吐いていると想うこと、なかれ!
そのくらいのことを常連向けに発散せずには、やって居れない。ま、言っても効果ないのだが、かってNと隣合わせて、僕と同じ思いを抱き、僕の忌憚なき発言に溜飲を下げる客が現にいることくらい知ってなければ、とうに店は潰れている。KYとレッテルを貼ってもいいのか?
あとは、佐野遼太郎君(咲希ちゃんと同じく三・五畳ではたらいているとのこと)片山茂樹さん、バンソンが来て、バスティーユのクリストフの友人2人がラスト。このフランス客は、汚れた写真集数冊を12000円に値切って帰る。
1:40閉店。ほんやら洞で8:00まで。

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2014.5/3(土)


8:00帰宅。
11:00起床。
11:45ほんやら洞到着直前に汀子さんとすれ違い、汀子さんが追っかけてきた。
一足早くついて、汀子さんの「2人展へのお祝い」の綺麗な花が置かれているのを発見。ビックリしてしまう。直ぐに、汀子さんも来店。それから、8:00までダラダラお客さん続く。
中西孝子さん&あっちゃん、昨日来店。カレー、ルーもご飯も全然暖かくなかったとメール。
仙台(現清水五条)の相澤謙市さんファミリー、福岡市早良区の医師・山口浩二さん、「壁面の(Sの写真)photsの笑顔がいい」と記す寺元延美さん、メ キシコからの立命館大への留学生・エレナさん(Elena Pierard Manzano)さんは“ I love your photos and the moment there.Thank you a lot. GRCIAS”と記す。八文字屋バイトに誘う。
八文字屋入りは、9:45。
トップは、呑海龍哉さん&彼の中国語教師のジャスミンさん。
二番手は、山口浩二さん&連れあい。三番手は、ジャーマン&ティル。近藤和見も。ジャーマン、山口浩二さんの連れあいを口説く。琢ちゃんは、友人3人を連れて来る。
1:30に閉店。ほんやら洞へ、そのまま沈没。

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2014.5/2(金)


寝たのが、7:00近くで、直ぐに明るくなり、辛い。
12:00起床。少しノンビリした。鴨川上空をオスプレイのようなヘリが飛んでいた。府医大への急患移送のようだった。「97年版八文字屋の美女の表紙の関キクコさんがくるかも」と麻美ちゃんからのメールが入るも無理か?精華の建築の女性だと思いつつ、店へ。帰った直後だった。
久しぶりの風呂も疲れ、癒さず。
軽い風邪か。胸に少し痰残る。部屋を心持ち掃除。
体調すぐれず、遅くほんやら洞へ。鴨川上空をオスプレイのようなヘリが飛んでいた。府医大への急患移送か。店には、会いたかったいろんな人が来てくれていたが、会えず。斎藤洋さん、吉田孝光さん、永井漠さん、山科のファッション関係の中村さんが待っていたというが、わかからず。(後日、中西孝子さん&あっちゃんで、カレーのご飯もルーもヌルかったとクレームあり)。ボケットもいた。
KG+客多し。
胡さんは、元京都ホテル高槻店の支配人の宮田さんが亡くなったと知らせに来店。享年、73歳。
八文字屋には、8:40に入る。
アドちゃんなので、もうバンソンが、いた。
9:09には、オイタさん来店。永原氷店、明日から3日休み。
暇なのか。トップで来ると思っていた梶田さんの焼きそば持参は11:00前。八文字屋に来た招待券を1枚あげていたが、すっかりラグでの渋谷毅さんのライブ行きの件は忘れていた。
ミルトン、奈良井さんが先。濱ちゃん(濱田信義)も、珍しく早く来る。そして、谷川さん、オカモトマキコさん連れの元精華大の職員は、さっきまで、藤浩志&日比野克比古と一緒だったという。いつもの口癖だが、何時か甲斐さんの企画をやりたいと言う。
渋谷毅さんのライブ帰りに来たのは、久しぶりの神田稔さんだった。ユズルさんをインタビューした立命大の先生の話を聴く。段ちゃんも早く来る。後ろには、「今日は付けで良いか?」という梅林克ちゃんは元建築少年(カワイさん)を同伴。やがて、ミルトンが女性3人同伴。深夜、Ryotaroは、グザヴィエとも共通の友達のフランスのカメラマン同伴。3時閉店。ほんやら洞に行って、7時までひっくり返える。

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2014.5/1(木)


5:00就寝。
10:00起床。夕べ眠気まなこで、片付いてるな、と思って寝たが、実際、そうだった。日向太がやってくれたのだろう。一人でやったら、一日仕事だ。
11:00ほんやら洞オープン。真っ先に、細川氏の資料、DVD(『ほんやら洞の甲斐さん』)をパリのNに送る。メールを入れると、merci!と応答あり。梶田さんの建仁寺での細川家の家宝展?のUPに、日向太がバークレーでお世話になったMIMUさんの父、ツジムラシンイチさんが「永青文庫みたい」とコメント。達磨が展示されていた。
昼過ぎから「工業技術学会」のフリーペーパーの原稿にかかりきり。画像も、略歴(200字というが、三倍記す)の取捨は江口さんお任せ。「入稿を終えたので、近々、飲みに行く。原稿、半生が分かり、オモロイ。写真も良い」と言ってくれる。
シーボルトハウス展用に、最近の傑作モノクロ15点を選定して、送れとディックさんからメール。可か不可か?時間なし。
京都新聞の河村亮記者が、2人展を観に来てくれる。場合によっては、記事にするかもと、画像を収め、写真の点数52点とメモをして帰る。
永澄編集委員は、明日の「凡語」にロベルト・ユンク展のことを書くので、読めと言ってくる。ロベルト・ユンクがほんやら洞に来て、一緒に、梁山泊でハジメと3人で食事したのは、1980年2月1日だった。ハジメさんの連絡先を教えろともいうが、控えてない。10日のペーターさん来店まで、昔のプリントを引っ張り出しておきたいが、2人展のために封じ込めたゴミの陰に隠れてしまっている。申芳礼さんは、アートスペース虹展のDMの補充と、東京での旦那、マークさんとの2人展のDMも持参。三月書房には、杉本秀太郎さんの示唆に従い「夢の抜け口」を買いにいく。現物は1冊しかない。問屋に40冊あるらしい。それを20冊買うと予約。三月書房も5部キープするという。マリーンのお釣り用小銭作りに井上久にレモン買いに行くが、押し売りされ、さして小銭できず。今日の夕方、佐々木花菜ちゃんが、日沖桜皮ちゃんを引っ張って来ると言っていたが、あらわれず。
正太君来る。ギターを引っ張りだして、爪弾く。ほんやら洞の2Fでギター教室を開けると言う。
マリーンもボチボチ。8時過ぎに眠くなる。
八文字屋に入る前に、麻美ちゃんに連絡事項をメール。「金曜日は、麻美ちゃんのやりやすいメニューでいいよ」と書き忘れる。
八文字屋には「10分前にもきたんですよ」と藤木君が、自身、リードギターを務めるバンド“KIBOUHOU“のCD“DAYTIME“を持ってきてくれる。Fb上の予告より、15分遅れて到着だった。早速、音源をかける。ヴォーカルは、大阪の七芸で働く、友人。Sがほんやら洞でもライブをやってよというが、無視される。普段は、ネガポジでやる。今日は、久しぶりに木屋町三条の「モダンタイムス」に寄ったら、PAのバイトをやらないかと言われたという。おっちゃんが来て「ギターは誰が好きか?」「ボアダムスの山本セイイチさん」「えっ!?、近藤房之助を知っているか?」って音楽話に花をさかせる。バンソンが来て、最終で帰るまでのS相手に上賀茂神社のかけ馬について、Sは上鳥羽の浄水場の藤の画像(酒谷さんの)を見せながら、お互い喋る。
四国中央市の鈴木さんは、韓国のフェリーの事故の直前に帰国。申芳礼さんのDMをみながら「延世大学か!?才媛だ」とブツブツいう。「Fbの友達30人いると、原発推進派と反対派、両方居て、難しい。板原和之さんは誰?文入香織は?」等、確認。ダイキンは軍需産業だとか、戦争がイノベーションに貢献するとか、本州・四国連絡フェリー、架橋による情勢の変化、高速道路料金、四国のGDPは、日本全体のそれの3%にしか過ぎない、政府は、四国がなくなっても良いのだ等おっちゃん相手にやっている。おっちゃんは、弟は、東芝に居て、原発絡みの仕事をしているが、フニャフニャ言う。近藤和見が来て、何チャラKillingという後々まで脳に残りそうな映画を京都シネマで見た等言い、おっちゃんは、今度は、ホストよろしく、御託を述べる。おっちゃんは、若いのに、いまでは、八文字屋の数少ない古典的飲兵衛だ。本筋話は、10月の舞台ではPAはおっちゃんに協力してもらえるか?打診なのだが、サグらかされる。カゲロヲが鎖骨を骨折する事故を起こしたが、カゲロヲさんには、飲んだくれるのでなく、もっと頑張って貰いたいとか、10月に出来たら、太秦の松竹の舞台セットを借りて、そこを舞台にヴォガは、公演をやりたいとの事。立誠校の地元関係者を知っているか?とも。帰りそうでなかなか帰らず、飲み続け、若者に驕りたがるのが、おっちゃん。もう少し飲む人材が欲しい!困ったもんだ。2:00誰も居なくなって、姉と喋る。次の日曜日は、山香のトクちゃんに呼び出されているが、先方は、ちっとも、こっちが手元不如意を理解してない等ボヤく。身体は大分、弱っているのに医大病院まで、かなりの距離をトボトボ歩いている。近くにいれば、車で送ってあげるのに。もっとも、僕無免だが。小中高、ずっと僕は、無免で通してきたが、このご時世では、無理か。両子寺で、中川五郎ライブか、20日にあるといったら「哲義も行きたがるやろうけど、カエル寺の絵、全然、進行してないから、行けんやろうな」と言う。
3:00発つ。ほんやら洞で4:30までゴソゴソやる。S、ブログ・アップしてくれていた。「緑の日(昭和天皇の誕生日)」に発表された「聞け、わだつみの声」の中の白眉の木村久夫の遺書には違う遺稿があったというニュースに金さんのコメントがあり、それに「いいね」としていたら、友達リクエストがあり、応答したら「ありがとうございます。末長く、よろしく」と来る。いかにも、礼儀正しい朝鮮の方だ。

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