ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 9月

2014.9/30(火)


8:00ほんやら洞。
家に帰るのに、また、キーを忘れる。
洗濯して、昼まで休む。
12:30から、営業。ヒルゲートにTel。
4:00には、オイタさんが来店。サッちゃんにムーヴィーの編集の手ほどき。レオも顔を出し、4人でうどんをつつく。
映画監督の藤崎淳さん、京都造形大生当時八文字屋バイトだった岩澤侑生子さんとFB友達になる。岩澤さん、10月連休に顔を出す。
どん詰まりの9月末日、案じて内村育弘さん、6:00より八文字屋来店。連れ合いの香利さんは、更に案じて、10月危機に際して「Liveの企画をたてよし!」とウッチーに進言とかで、話を詰めに来てくれた。香利さんは、八文字屋がもっと綺麗だったら、働くと言ってくれている?らしい。ほんやら洞は、何時でもOKと、ホンマか?嬉しい限り。ウッチーの知人は、明日から、福島の除染ボランティアに行く前にウッチーと飲み、チョイ横に。温ちゃんも、来てた。だん王の運動会のプログラム持参の臼倉さん、大分合同新聞の知人2人紹介してくれる。一人は、編集局長。河村亮さん、10月14日から恵風で個展の宮田さんを、有望なテキスタイル作家と紹介。恵文社の永井愛ちゃんが、恵文社で展示をやってくれないか、という。やる際には、僕の仲間の作家、シンガー等の本、CDも同時に販売して貰うつもり。清水哲男さん、清水千鶴さん、増山実さん、中川五郎さん、カナモリコウスケさん、黒川創さん、室謙二さん、ジャーマン&ティル。それまでに自分の新刊を出したい。できたら、八文字屋開店30周年とかけたい。

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2014.9/29(月)


夕べは、12:15くらいに寝たが、3:45に起床。1時間書いて、また寝て、7:00から、動く。
ホテルの朝食をいただき、10:00には、游ギャラリーへ。
清水さんと30分喋る。
清水さんのFbには「巨匠去る」と後ろ姿がUPされていた。
清水さんは、人々の、後ろ姿が好きらしく、また、面白くもある。「歴史の後ろ姿を追うの?」と僕もつぶやく。
ほんやら洞に6:00に到着。MKにカメラを忘れるという一幕もあり。
35年位前に旦那さんが山内陽子さんと出会って来店の縁の雨谷理美子さんより、増山実さん経由か?友達リクエストあり。「月刊地域闘争」全セットいらないか、とのメール。
八文字屋に、家のキーを持って行くのも、忘れる。
八文字屋は、8:30オープン。浜松の66歳のBAR経営者が、昨日に続いてくる。
70年前後、熊野寮に泊まり、西部講堂に行くという事を繰り返していたという。あと、段ちゃんが来ただけ。八文字屋沈没。

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2014.9/28(日)


朝から、桜島へ行く。
途中でデジカメのバッテリーが切れ、フィルムも無くなる。
3:00からワークショップなので、早々に引返す。
ワークショップには、去年まで大阪に居たタン屋の息子さんのみが来る。
川内原発再稼動反対のデモに行く。猫探しも、デモ隊の声と右翼街宣車の騒音から避難してか、虚しい。
偶然、先日、ほんやら洞での「シーボルトハウス行壮行会パーティ」に来てくれた元国会議員の平智之さんに遭遇。握手し合う。鹿児島の議員、川内ひろしさんを紹介される。
デモ出発コーナーに山本太郎が居て、拍手と握手を繰り返していた。
清水さんが、山本太郎のためにだけいるのだろうが、SPって、なんぜ、あんなに表情が硬いのだろう?とつぶやく。
ギャラリーには、枕崎の鰹節屋の上釜さんの奥さんが来て、写真集“Beautiful Women in Kyoto“を買ってくれる。カツオ節をくれる。
富士子さん、デモに行ってきたが、福岡から来た障害者と喋ったけど、このデモには、涙が出たという。
清水さんとは、写真についてもっと喋らねばならないのに、今回は出来なかった。
「DVDの中での甲斐さんの写真作法について、こっそり撮るとナレーターが言っていたが、あれ、違うよね、もっと攻撃的よね」
清水さんの異論はオモロかった。
今日の打ち上げ会場「てぃだぬ島」も、富士子さん、勝久さん、清水さん、サッちゃん、と4人だったが、素晴らしかった。高山富士子さんが、名古屋、三重での写真展の可能性について言及し、喜ばせてくれた。高山富士子さんも、大変な人物だ。
勝久さん、清水さんには感謝。
「清水哲男は、甲斐さんを先輩と仰ぎ、ほんやら洞の存在に感謝していたが、これで、チャラね」てな風な事を言って、面白かった。
勝久さんの膝には、水が溜まっいるのに、無理を押して、この間、頑張ってくれた。

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2014.9/27(土)


8:30にホテルの食事。
9:30にギャラリー游に行くと、清水さんは来ていた。
午前中は、城山公園に登る事にした。野良猫もいた。「白熊」とやらを食う。肝心の西郷さん、自刃の洞窟は見損なった。鈍なこった。
桜島からの噴煙が発する塵灰が、容赦なく舞い降りる。普段はもっと凄いらしい。
橋元さんが、今晩12:00以降はどうか?とのメールよこす。ちょっと無理。
清水さんは、夜のLiveの手筈で大変そうだった。後で聴いたとこでは「PAが日にちを間違って、自分の車のタイヤを蹴飛ばす一幕を駐車場の人から見られ『清水さん、どうしたのですか?』と訊ねられた」らしい。僕はラーメン食い巡りの趣味はないが、誰かさんが乗り気満々で「のり一」という代表的な400円ラーメン屋に行く。また、名山町経由で、港に行き、カワハギを釣るおばちゃん、鯖を釣って居るおっちゃんを見かける。
3:00前にホテルで一休み中に鹿児島大学の信友先生が会いに来たと言うので、慌てて、ギャラリーへ。
信友さん、3日前に、パリから戻ったところ。
下鴨神社の、樹木と鹿児島の樹木の違い、東洋のナポリ・鹿児島について少し喋る。
彼が帰ったら、長崎からカナモリコウスケさんと「口笛彼方」の藤崎淳監督がくる。カナモリさん「糸川耀史さんが、甲斐さんによろしく、と言ってました」と。
大分合同新聞の佐々木稔さんも、原稿依頼、連載の件でくる。大分県警の警察官募集のポスターに僕の写真が採用された話、ディックがリフーデ号がらみで臼杵に住んだ事、京都の白沙山荘の国東塔が日本最大の国東塔であること等を喋る。
まず、来週の金曜日まで12×80行の原稿を書く約束をする。連載は、来年に持ち越し。
カナモリコウスケさんのLiveには、それなりにちゃんとお客さんがきてホッとする。
昨日と全然違う雰囲気で、安堵すると同時に、俺の怠慢へと思いを巡らす。
Liveは、バッテリー切れが不安なデジカメは止して、やはり距離計が壊れ、不安もあるがモノクロのニコンで撮った。
終わった後、西陣の郷田瑞昌と鶴丸高校で同級生というアロハシャツ男に「彼とは、高校以来会ってないが、元気か?変わった奴やった」と声を掛けられる。ライブの、後も今晩の聴衆はなかなか帰らず、13人の2次会となったが、この会場も素晴らしかった。人生を慈しんで生きてこなかったわが身に思いを至す。もう遅い。後悔せず。
ホテルに戻り、熟睡。

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2014.9/26(金)


5:30起床。
ノート整理を8:30まで。
ホテルの朝食は、豚肉の甘酢あんかけ団子、トリカツ、味噌汁、ふりかけ、海苔、ご飯。
9:15にギャラリーに行く。もう清水さんが作業をしていた。
12:00までには、格好つく。
様子を見て、近くの「丸一」というボリュームたっぷりのトンカツ屋に行き、後で海を見にいく。途中、名山町という昔ながらの界隈に少し足を踏みいれた。面白そうな界隈だった。
ドルフィンのショーも見る。2,3ショット、マズマズ?
5:30にもどる。清水さんの詩を朗読する女性、池田昭代さん、音響を設置するスタッフ、種子島で店をやっている女性ら何人かは、夕方から、身内然と身を置き続けた。京都で会った旦那がポリさんの橋元さんも来たが、これから天文館の酒屋でバイトと言う。是非、一度、一緒に飲もう、と言ってくれる。
「路地裏の京都」が何時になってもディスプレイされない。不安というか、不思議に思い、清水さんに訊ねると「自分の本も買い取らんと何いうてんねん!?」と道出版の社長の弟の貴志(カスケ)さんに言われたとの説明。この一言で了解。僕としては、これがあれば、清水さんの負担をせめて少しでも軽減させられるのではと思っていた。気が引けずに居れると。清水さんは、もう既に先を読んでいたのだ。「30部買取」と前言したが、周辺の状況を見て、多分、売れない、と踏んだのであろう。いや、実際、準備が勝久さんと二人では大変で、手が回らなかったはずだ。
その読みを伝えてくれていたら、あんなに荷物を送らなかったのだが。半年前、この話が持ち上がった時には「半年のブログを一冊にする。それが、僕の、《どうしてこんなところに?》を説明し尽くすことになろう」と僕は豪語したが、それも、金欠病で実現しなかった。そんな新刊でもあれば、清水さんも企画しやすかっただろうに。 悪い事をした。
今日の客らしい客として、百田尚樹の元同僚で、「探偵ナイトスクープ」等も手がけた放送作家で「勇者たちへの伝言」で好評を博している作家の増山実さんが真っ先に来てくれ、最後まで付き合ってくれたのが、せめてもの救いだった。今日は増山さんの58歳の誕生日だった。
もう一人、高山富士子さんに会えた事も良かった。彼女は、ほんやら洞開店当時からの高校生の客だったという。月に1回くらい、名古屋からやって来て、店の片隅に身を置き、「ごろうぼうちん」等を買って帰るだけで嬉しかったという。ほんやら洞でゲリー・スナイダーを知ったのも重大な意味を!もったとか。彼女のように他府県からやって来る高校生は他にも多かった、と彼女は述懐してくれた。游ギャラリーには、喋れば面白い人もいたのだろう。が、エネルギーが枯渇していた。
福岡の和泉宏君の知人の鹿児島電通の方も顔を出してくれたようだったが、会えず。
まず、映像「ほんやら洞の甲斐さん」を流し、昭代さんが清水さんの詩「どうして僕はこんなところに?」を美声で朗読。さらに、「ブルース」も。が、客は、いっこうに増えそうにない。こんな事も清水さんとしては、折り込み済みなんだろう。「鹿児島では、パーティで無料と言えば、わんさかやって来るが、会費3000円と言ったら、この有様だ」と僕に気を使ってか?いう。
数日前に、「しみてつ祭り」の客層が分からず、スピーチというものがあるならば、シーボルトハウス風に成功させられるか不安だった。「僕のような世代、同じ関心を共有する来客が予想される。僕が質問するという形でやるので大丈夫」と言ってくれた。今日、現実を目のあたりにして「なるほど」と感得。夕べの「且座」の店員さんも来ない、僕の鹿児島の知人まで僕が鹿児島に居るというニュースを配信していないが、手応えなし。
清水哲男さんにとっては、必然性があったのだが、多分、甲斐は、ミスキャストだった。客寄せには。自分が大分で個展を打つ際の努力を想像すれば、容易に分かる事。清水さんは、意味は後について来ると読んでいるかも。
井上義雄さんはサッちゃんに「何時までも、甲斐さんのそばに居たら、アカンよ」と意味不明のアドバイスめいた事を口にしていたのが、聴こえて苦笑した。サッちゃんも何故、彼がそんなことを言ったのか、分からないという。
10:00までSecomが来るまでギャラリー游で飲み、さらに、今晩も素晴らしい店に案内される。僕としては、充電器具忘れが気になっていたが、口外せず。
明日、24歳の誕生日の日向太は、インドで初下痢、Fbに記していた。
ホテルに戻り、G・オーウェルの「なぜ書くのか」とB・ブレヒトの「真実を書くさいの五つの困難」を反芻。

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2014.9/25(木)


危うく寝過ごすところだった。
7:35に起きる。また10分間、眼鏡を探す。
何も食べずに出発。デジカメの充電ソケットを忘れるという大チョンボ。タクシーは、3400円。飛行機は、飛空時間50分、アッという間に到着。鹿児島は、さすがに、暑い。
2:00鹿児島空港発の天文館行きのバス。約40分。一人1250円。噴火中の桜島を撮る。異景の地に迷いこんだ感強し。嬉しくなる。清水さんに感謝。
バス停まで清水さんが出迎え。
游ギャラリーに直行。9:30まで作業。井上義雄さんも京都から手伝いを兼ねてわざわざ4:30に来てくれた。ギャラリーは予想以上に広い。もっとプリントを持参すべきだったか。メインはシーボルトハウスに行っているにしても、清水さんは、最近の写真も望み、期待に応じるつもりだったのに果たせず。当初、ほんやら洞で展示中のオランダ写真も持参予定だったが、実際プリントアウトすると、べたっと平面的すぎると判断して、持参中止。それでも、やはり、持参すべきだったかとやや後悔。1,2点を除き額なし。田舎の人は、額装していたり、本は、自費出版本より、出版社本を好む傾向があるが、清水周辺は、その傾向はないと勝手におもっていた。
高田渡&中川五郎&高田蓮君@八文字屋のプリント、リュックの中に丸めていれておいたら、折れたので、これを額で伸ばす。失敗。
勝久さんが、ホテル(鹿児島エースイン)のチェック・インを済ます。搬入作業にエンジンが掛かるのに、少し時間が要った。「僕はメニエル氏病だから、バランス取りに手間取るのだ」と言いつつ、実地に則した手法を選ぶ清水さんに、好感をもつ。
僕の分は、指先が不器用な僕に代わって「テープ貼りは一人のほうが速い」というサッちゃんに任せっぱなし。僕は、デジカメの充電器のソケットを京都に忘れてきたので、作業段階から記録に収めたいという思いを抑え、デジカメの電池切れが速まるのを回避で撮影も鈍る。
渡さん等のプリントは額に入れるも、やや珍竹林になるもヤムナシ。キャプションとも言えないが、清水さんは「どうして僕はこんなところに?」という詩的コメント、両親が登場する画像3点の下には、さらに素晴らしいキャプションが付されており、今回の「しみてつ祭り甲斐扶佐義×清水哲男2人の写真展」への並々ならぬ意気込みがひしひしと伝わってくる。このキャプションは母、清水千鶴さんの「日々訥々」の歌が共鳴し合って胸を打つ。
固より、僕のは、このハリパネのキャプションには遠く及ばない。それへの対応の必要を感じ、急遽、冴えない頭でくだくだしい独白(補助線的なコメントを4,5本)を書き「手が空いたら、パネル化をお願いします」と清水さんに頼む。
コメントを書きながら、展示プリントの分類、配列を考え、プリントを取捨選択した。僕は、36年前の汚れたパネル展示も考えたが、“NO”のサッちゃんの意見を容れる。いつものように、それ位イージーな気分で天文館の展示場へやってきた。
サッちゃんは、持参の昨日買ったばかりのムーヴィー(ハンディカム)で、仕事の合間に恐るおそる少し回す。
作業は、ギャラリーの壁に両面テープを使えず、障子紙を貼り、その上にプリントを貼る事になった。メンディングテープ+両面テープ使用。障子紙がプリントの重みで落ちないように、ピンを何ヶ所も差し込む。
清水写真は、交遊、交友関係を軸に対象への愛情がいかんなく額の中に押し込められている。モノクロだが、色的にも、用紙的にも工夫の跡が滲む。ぞんざいなオットリ刀の僕と比べれば差は歴然。丁寧に、小さな額に収め、やや窮屈ではあるものの、来場のモデルさんには、「宝探し」感が味わえるような趣向。
70年代の賀茂川ベリの甲斐写真展「出町界隈あなたも写ってしませんか?写っている方には、最終日に上げ〼」展を髣髴とさせる現代鹿児島清水哲男版といえて、憎い。そう言えば、僕はすっかり忘れてしまっていたが、この青空展の助っ人を36年前に買って出ていたというのだ。
清水さんの写真には暮らし(飲食?)ぶりが反映されていて、好感度強し。今の僕の自分の写真セレクションなら構図、視覚的イメージ重視になっていて採用しないようなイメージの数々がこれでもか、と並ぶ。力技に感服。
これは鶴見俊輔のいう「限界芸術」の見事な一例。僕も限界芸術愛好家だが、今は少し逸脱しているか?そのデンで行けば僕のはさしずめ「大衆芸術」。ただし、純粋芸術ではない。
僕は、搬入作業中、ウトウト。プリントを手からぽろっと落とす一幕もある。困ったものだ。
やはり、時差ボケのままだ。
京都では、麻美ちゃんがバイトに入れないものと判断して「京大マリーン」には、泣く泣く「今日は、不在、バイトもなし」と断りを入れ、休んで貰ったのに、麻美ちゃんから「お客さんはないのですか?」とのメールが入り、ビックリ。収入なしでバイト代発生。八文字屋は、レオ。オイタさん、浅利ちゃんが来てくれた模様。でも、辛さに変わりなし。
セコムの関係上、游ギャラリーを10:00出る。
それから、去年の高田ワタリズムの打ち上げにも来たらしい「且座」という店(店主は、京大哲学科に7年在籍、50歳前後)で、清水さんに散々ご馳走になる。明日のパーティについても宣伝は行き届いており「出来たら、行きます」と言わせる?やり取りを見て、さて、この地でどういう層が写真展というものに関心を示すか?想像する。
清水さんは鹿児島の風潮に「一石投じれば良い」と言ったが、それにしても、ブレヒトの「真実を伝える際の5つの困難」ではないが、それ相応の仕掛けが要る。それは、大分、京都、ライデンでも共通の課題、芸術と社会の関係の在り方に対する対処の仕方だ。
僕は、それを今回は清水さんに一任した。「甲斐さん、今度は売りましょうね」と言ってくれていたのが嬉しかった。特定の購買層を清水さん流に開発しているはずで、邪魔をしてはいけない、とおもった。手作りのフォークソングの運動に熟知し、その手作り感を重んじているはずで、頭越しに僕がメディアに売り込むことというですぎたマネは止した。清水さんの狙いは、彼の知人に僕の写真を紹介することだ。
おそらく美術や写真に対する鹿児島での風潮は、県美展を中心とした東京譲りのヒエラルキーが形作るという点では、多分、大分同様、普通の市民は権威主義的な意識しか持ち合わせないであろうと容易に察しうる、それに対して、この地でどのように風穴を開けるかお手並み拝見だ。ラジオのパーソナリティとして、作家としては既に清水さんには、ファンが多くついている。また、生身の人間的魅力も十分に発揮している筈だ。
清水さんが呈示(展示)する写真(では、狙いは、明白)に対して、落下傘部隊の僕の写真にたいして権威的手法でなく、如何にして関心を持たせるのか?その布石を打っているのか?この1点のみが多分、問題となろう。
予断は避けるべきだが、僕を呼んだ背景には清水さんという存在(文化的背景をも含めて)にとってほんやら洞というものが意味があったのだという説明は分かる。が、僕の写真に興味を持つ層が実際のところ如何なるリサーチがあるのか?
井上義雄さんは「フケイキーズ云々」と、面白がっているが、それにしても僕は弁士でもない(いや、訥弁士な)ので、当地では余程の根回しがない限り、僕のような存在は地元の人に取っては、間尺に合わないのは必定見るべきだ。
「こんなところに来ていいのか?」との危惧はある。
僕の鹿児島周辺の知人を僕が呼ぶべく要請されているのか否か?その点に関しては、僕自身は、十分な努力もせず、オットリ刀で来た。清水さんの「いざ、鎌倉!」の合図に呼応して。
おそらく、清水さんは、これを理解し切っていても、清水さんの負担過多ではなかろうか、と恐れる。
僕も売れずに数日いるのは、実は、辛い。休養は出来たものの、いきなり、ピンチ到来は厳しい。
「おこば」というラーメン屋にも行って、もう一軒行こうとして、その店は、閉まっており、最後の我々3人は諦めて、引き上げる。
ホテルに戻ったのは、11:50。Free WiFiはなかった。デジカメのバッテリー問題未解決で不安。
拙速のキャプションを、今後の反省のために、メモっておく。

「しみてつ祭り」@游ギャラリー2人展「どうして僕はこんなところで」に出展するにあたって

今回の「しみてつ祭り」に参加出来てとても嬉しく、清水哲男さんにまず、感謝します。
僕の写真は、基本的には、僕の生活圏から生まれた風景写真だ。昔は、ほんやら洞、今は、八文字屋とほんやら洞の間でウダウダしている間のもので、これを必ずしも精選せずに、当てずっぽうに持参したのが、吉と出るか、凶と出るか楽しみだ。
清水さんから「宴会をやるつもりで来い」という言葉に甘えて、オットリ刀で生まれて2度目の鹿児島入りだ。
清水哲男さんの知人、ファンに何を観てもらうべきか、ようく考えて来るという手をあったかも知れないが、ほんとに気軽に来てしまった。
メイン写真は、オランダに行きっ放しということもあるが。
持参した写真を概観すると、「川辺の光景」「猫」「子ども」「路上の遭遇」「ほんやら洞」と分類出来る。それぞれの被対象に対しての(あるとするなら)流儀などをキッチリ記すべきだが、そうせず、僕が写真撮影以前のモヤモヤとした気持ち、曖昧な気持ちをそのまま簡単に記してみた。

〈川辺の光景〉
仕事に疲れると、水面を眺めに賀茂川や木立が繁る糺の森(下鴨神社)あるいは、京都御苑によく行く。
単純に水面を眺めるたり、緑の気にふれるだけのこともなく、骨休めだが、いつもカメラを手にしているので、自ずと子どもの動きを目で追ったり、老若男女のケッタイな動きや喜怒哀楽の片鱗を探してしまう。それは、昔の話で、今やそんな時間もなく、寂しい限りだ。古い写真が多い。

〈子どもたち〉
老人の醸し出すユーモア、仕事及び仕事人、異界へと誘う子どもたちなんてくくったら、ちょっと格好つけ過ぎかな?
仲間と喫茶店を始める事になって、若い時から自分が如何に無能の人かを嫌という程思い知らされた。
その自覚が深まると、自ずと?カメラを持ってほっつき歩くようになった。すると、街角で孤立している子どもやアホな事に打ち興じて子どもによく遭遇した。そのうちに同じ子どもに何度も会うようになり、一緒に遊ぶことが増えた。いつしか、カメラを持つ僕に彼らが遊びを仕掛けることもふえた。僕は子どものうってつけの遊び相手になった。彼らに付いて行くと、全く異境地(異界)に迷いこんで、戻るべき場所になかなか帰れなくなりもした。
と同時に、選択すべき職業としての仕事について迷い捲る20代の写真でもある。

〈路上の遭遇〉
あらゆる意味で僕は落ちこぼれだ。
それでも、最近は、それでいいと思うようになった。納得すると、ホッとし、いつの間にか、自信めいたものすら湧いて来るから、可笑しい。
が、それにしては、もう歳が行き過ぎたようだ。
気がついたら、65歳になり、モノクロのネガ・ストックは、200万コマに垂んとするというのに、その大半は未チェックというていたらく。
おまけに、さらに、最近、35年以上も前の気になるネガがごそっと戻ってきた。
出口なし、とは、この事か?日々の生活に無自覚でも、厚かましくもない。ただ、困っているだけ。

〈猫との付き合い〉
野良猫は、僕を食物と勘違いして、近づいて来る。
さほど僕は猫好きではなかった、と何度か書いてきた。
4歳まで歩けず、喋れない子どもだったので、両親は、僕を別メニューで教育しようとした。鶏をたくさん飼い、山羊も飼い、畑仕事をし、学校には、教科書もランドセルに入れずに通った。
少年労働が嫌でか?小学5,6年になると学校の宿直室に毎週とまった。小1時のランドセルをショタロウテ、中3まで通った。猫は、児童労働者としての僕の敵だった。フクロウも鼬も。鶏を襲いにくるからだ。
僕は空気銃で、それらを撃退した。それを見続けた姉は、その僕の中に危ないものを察知して、僕から銃を取り上げ、カメラをくれた。
この事がなかったら、写真の方に近づかなかったかも。「岩波写真文庫」も一緒だった。
にもかかわらず?猫は僕を食物と勘違いして近づいて来るまで?になった。

〈ほんやら洞の仲間たち〉
高度経済成長の申し子たる僕たちは、ほんやら洞の仲間たちは、当然の事のようにして、ベトナム反戦運動をやった。そのうち、自己教育の場であると同時に実体的に社会変革を推し進める場が欲しくなった。「ほんやら洞」はそんな風にして出来た。1972年の春の事だ。その前に、岩国市に米兵達の反戦・厭戦気分を煽る?場として「反戦喫茶ホビット」作りに「大工」として参加して、その延長線上に「ほんやら洞」が出来た。
屋号候補名をかけば、開店当初の店の雰囲気が伝わるかも知れない。
「フォークの神様」岡林信康は、自身も中津川で山小屋を作ったりしていた時期という事もあり、ほんやら洞でも工事現場に足場を組んだ事もあり、屋号として「足場」はどうだ!?と言い、中尾ハジメは、後に大学の学長になるだけあって同志社大学のとなりにあるので「《同志社総》本部」と主張。今なら通らないだろうが、当時、「同志社総本部」としていても、多分、同志社からクレームはつかなかっただろう。
僕は夢野久作のファンだったので愛読中の「ドグラ・マグラ」を主張。結局、皆が好きなつげ義春のマンガから取って「ほんやら洞」にした。
当時、ほんやら洞の前にはやはり、つげマンガからとった「ゲンセンカン」があったし、僕らの大工仲間が前年金沢で作った喫茶店は「モッキリ屋」だった。京都には、他にも芥川賞を後に取った高城修三らの「モッキリ亭」もあった。

2:00就寝。

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2014.9/24(水)


即、ほんやら洞へと思ったが、鹿児島には、休養十分で臨もうと、帰宅。
気がついたら、15:00。
止むを得ない。
ここにきて、僕もややダウン気味。
ほんやら洞、営業ままならず。姉、兄よりしきりにTel。大層な!と失笑を買うかも知れないが、歴史好きな方が大分なんかにはよくいるが、鹿児島で九州主義者が、万一、来場した場合を考えて、自分の足下の100年を知るに若くはないとの思いで、僕は、父親の里、小平の件、廃藩置県のころ、日田県の県令を薩摩の松方正義がなっていた事等をもっと知りたいと姉に口走った。それへの応答。直子さんの橋本さんより何度もTelあり。自身の講演の件。
八文字屋は浅利ちゃん。客は、チーちゃん、八田さん、鹿さんのみ。
2:00前には、終わる。どうやら風邪気味、シンドし。土曜日は、温ちゃんに入って貰える事になった。
木屋町通はガラガラ。昨日についで、長浜ラーメンに行く。大豊ラーメンは閉まっていた。
吉田で、眠らないつもりだったのに、バタンキュウ。超金欠病の中の出発。

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2014.9/23(火)


5:30~8:00Fb。ミニちゃん、「母、不調」と朝から、記す。カンの強い母と娘の軋轢?確執?想像に難くなし。
「しみてつ祭り」向けにコンビニに荷物を運び、26kgで1kgオーバーで撥ねられる。
朝早くにしか外出出来ないというルパンに出会す。散歩中の女性が、引くブルドッグの老犬を撮る。
中京郵便局では、30kgまでOKでホッとする。1130円。八文字屋に行き、眼鏡を発見。
吉田に帰り、洗濯、水道メーター検針をして水道局へFax。風呂入りしたら、12:00。
あとで、清水哲男事務所のアドレスが、眼鏡なしで、間違っているのに、気づく。
寝不足でランチ作りをサボる。4人逃がすも仕方なし。
枡形通りで、津村喬さんを見かけたが、声をかけず。ちょっと痛々しかった。
夕方、キーマカレー、タコライスを作る。
7:00前に、姉から「もう寝るとTel、夜、Telしたかったら、して!」と珍しいTelが入る。
久しぶりに会う娘、息子、孫、感じることが多いのであろう。マイペースで生きて来ただけに、自分の眼鏡が冴え捲っている。もう少し若かって、体力があれば、書くことを進めるのだが。いや、現状は、書くしか、理解されないだろう。
9:00過ぎ、〈八〉入り。口の利けない客、奈良井さんが共同の西出さん似の賀川真さん(別府大学の考古学の賀川さんの息子、1980年同志社入学)と落ち合い、旧交を温めていた。阪大のチェコ人の神話学者&妻&元吉本興業のぶくぶくに太った30歳の男が来たところ、ミディレコードの大蔵博さんが、高知土産(生ブシ、ニンニク、すだちのような高知ミカン、ジャコ)とDVDを齎す。これをさっそく、たっぷり頂き、精を付ける。段ちゃんも久しぶり。咲希ちゃんと入れ違いでシャコジロウ来る。最後に来たのは、4月に次期(10月1日より)学長の山極寿一さんと来店したサル学のDの女性が「今まで、山極さんも一緒だったのだが、忙しいみたいで帰ったわ」といって、3人の先輩らしき男の学者を連れてくる。八文字屋で、ダウン。気がついたら、狭いベンチに寝ていたいた。6:30で帰ろうかと思ったが、9:30まで寝直す。

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2014.9/22(月)


12時ほんやら洞オープン。
昼、夕方、共にちょろっと客あり。
「しみてつ祭り」用に、ポストカード、本を選ぶ。
夕方、一瞬、眼鏡を紛失。
エビスのグラス少し来る。ゴミ代10800円。新聞、ゴミ回収とも25日~30日ストップと言う。
9:00過ぎにオープンと同時にテキスタイル作家の河田孝郎さんが、精華大学の中村裕孝准教授、嘉門利誓助手、河田さんの教え子同伴。教え子の女の子「あれ、この方、ほんやら洞の人!!??」と怪訝な顔。「真如堂前町に住んでいた」らしく「前に、ほんやら洞に入ったら、ベンチに寝ていた人に似ている」という。河田さんは、笑いつつも返答せず。千佳ちゃんも来て、日本酒を一緒に飲む。レオは、良い奴だね~、と彼女。池田知隆さんは元毎日新聞の同志社大の教授(渡辺武達の肝煎での教授)、朝日放送と毎日放送の記者グループを同伴、深夜、咲希ちゃん来る。また八文字屋で眼鏡がないのに気づき、ないままに過ごし、帰りにほんやら洞に寄るがない。途中、長浜ラーメンを食う。ほんやら洞に沈没。

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2014.9/21(日)


日向太、インドへ。
12時オープン。
夕べ、ベルギービールを多く買ったのに、持ち帰り忘れ。パエリア作るのに、ムール貝何処にもなし。
昼はダラダラ入る。ティラミスの要望多し。
3:30フーさん来店。一旦、出る。寂しい帰国報告パーティ。仕方なし。現実認識をしっかりせねば。ヨッシー、梶田さん、麩屋8代目の青木太兵衛さん、草葉裕さん、小国ミオちゃん、川㟢さん、奈良井さん、富士谷さんのみ。(立命大の堀口先生、来ると連絡あり、来ず)
最後に、レオが来る。オイタさん、岡西さんが居ないのは、やはり、寂しい。段ちゃんがいたら、なおうれし。千佳ちゃんも連絡なし。キヨさん、芳礼さんにも連絡せず。
10:00過ぎまで、ほんやら洞。(八田さんは、後から、行けば、良かった、とぽろっと言う)
深夜、姉に身内の事を訊く。母の実家の母の母、井原富枝(国分)から僕の祖父、シカタロウに嫁いだが、旦那を早く亡くし、シカタロウさんが園田家へ。祖母が亡くなった夜、僕を膝にだいていた園田忠人の父親は、忠雄という。シカタロウのシュウトの名は、ミネさんという。
〈八〉には、堂本印象美術館での講演(堂本印象美術館での竹内さんの個展は10月5日まで)を終えてから、竹内浩一さんが、沖縄の大学を出て京都で修行し、大阪は、吹田市で陶器をやっている田中淳貴さん&日本画家の嫁さんが来て居た。不明若者4人も。奈良井さんは、ずっと寝ていたそうだ。八田さん、草葉さんがいた。富士谷さん、井上さん&梶田さんは帰った後。村屋に寄る。南ちゃん、腎臓をやられて、入院中とか。

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2014.9/20(土)


佐藤真由美さん、北口学さんは、大阪で社民党の偉いさんと会って、大徳寺経由で来る。ノンちゃん来店。
関テレから「ウッチー、ヨッシーの年齢を教えろ」とのTelがあり。
明日(9月21日) PM 5:00~8:00@ほんやら洞
甲斐・浜田のオランダからの帰国報告パーティ
会費3000円
甲斐・浜田のミニ写真展(今月いっぱい。但し、25日~29日は、天文館行で、休暇)
ベルギービールのミニ試飲会もやります。オランダのチーズ、ハムもささやかながら用意しています。
また、いつもながら、パエリア、サングリアもふんだんに飲食出来ます。
ちゃちなお土産のコースター&オランダ展のフライヤー等も参加者にお持ち帰り願います。
忙しいと思います。また、ついでに、ちゃちなお土産を八文字屋でも、ほんやら洞にでも取りにきて下さい。
てなメールを90人くらいに送る。
Fbには、次のような事を記す。
危うく焼死するところだった!?
この2,3ヶ月は、ずっと2時間置きくらいに朝方、小便に起きるのに、今朝は、3時から12時まで熟睡してしまった。
何だか生暖かいなあ!?と隣の部屋を覗いてみた。異変はなし。下に行くほど、暖かい?アレレ?小便を済ませ、台所へ。
暖かいどころでない。びっくりした。
ガスコンロに火がついているのだ。おもえば、8時間も。何が起こったのか?分かるのに一瞬頭を巡らせた。鍋の中でゴワゴワの燃えカスがある。ガスのホースも焦げかけている。
鍋の空だきだ!と分かると、ゾッとすると、同時にガックリきた。
鍋の把っ手が焦げないように、と弱火にしたのを思いだした。それが救いだった。そして、出汁を入れず、2Fに上がり、眠りこけたのだ。何時間も。疲れていたので、グッスリ寝たのだった。
夕べは、姉の73歳の誕生日だから、Telを入れて、もう忘れてしまっている祖母の名前、祖父の聴き覚えのない名も姉なら知っているかもしれないので、Telをと思ったが、もう2時過ぎで、コッチの頭の回転が悪いので止した。それ位疲れていた。
帰りにチャリを漕ぎながら、何故、父親の遺品の処理を兄任せにしたのか、と後悔していた。アルバムには親父が満州の何処に居たとか、書いていたからだ。
糞軍隊のアルバムも、3,4冊あり、5,6歳の頃、繰り返し見ていた。出自の日向藩の飛び地の小平の事の手掛かりも、見る目が有れば、ヒントがあったかもしれないのに、父、母の通夜にも出ず、父親の出棺にギリギリ間に合う(実は、納棺師が登場し、様式美?まだまだと見せつけたようだ。写真家としては、撮るべきだった)という体たらくだから、文句は言えないとか、グダグダ思いつつ、家路についてラーメンを作ろうとした、そこまで、思いだした。
鹿児島入りするまで、僕の性根にひん曲がり具合の生育環境側面から、確認しておかなければ、と思っていた。
姉の誕生日の次の日、日向太がインドに出発前日に、寸前のところで、焼死していたかも知れないと思うと慄然とした。そして、ほんやら洞に行くのに、眼鏡を!探したが、これが、いくら探しても1Fにも2Fにもない。
まさか、鍋の中に入れるようなことはあるまいに、何度探しても出て来ないので、仕方なく、眼鏡なしで出勤。
まさか、八文字屋に眼鏡を置いたまま帰ったとも思えない。
眼鏡なしでチャリを漕ぐのは、危険なのは、感覚的に察知出来るはずだ。その判断も出来ない程に酩酊していたのか。
お陰で、2週間ぶり?に寝れるには、寝れたのだが。
背中の下の方にややシコリが残っていて、がやや重いが、頭はスッキリした。が、眼鏡は一体、何処?
ほんやら洞に着いて、Fbを拡げると、清水さんが「しみてつ祭り」の準備に手抜かりはないか、吐露していた。
僕は、ヌケヌケだ。前のiPadの時と同様、「やや高い所を探せ」とのアドバイスのメール。清水さんと親しくなって、性癖まで見透かし何かと気を使ってくれるようになって1年にも満たないが、彼の存在は貴重で、有り難し。
八文字屋に、小松原沙織さん(Fbに、如何にもといった京都観光コースを彼女が辿っているのを見て、微苦笑。これをひっくり返したいと45年前から思いつつ、果たせずに来たのだ、俺は、と自嘲する)、河又貴洋さんが8:00と同時に来るかもしれないので、早く行きたいが、ままならず。
9:00前に行くと、直ぐに村田マナちゃん来店。
どうやら、レオを呼びだしたようだ。
ちょうど、ダバダヒブリ(四万十川畔の栗焼酎)を仕入れていたので、好都合。
毎日新聞の3記者来店。オリヴィエも顔を出す。
遅く、長崎シーボルト大学の河又貴洋さん一行、ディランの知人の壮年のアメリカ人&スキンヘッドにタツーの偉丈夫そうな男、ヌルコの友達のトロント帰りのかなこさん、ドイツ人の連れと来店。
姉と30分喋る。
3:00過ぎ、客あるも、断る。
せめて、土曜日位、5:00まで、営業できたら、良いのだろうが、身が持たない。
4:00帰宅。

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2014.9/19(金)


ダウン。
10:30風呂に入って、ほんやら洞へ。
小松原沙織さん、河又貴洋さん、来〈ほ〉。
カレー、タコライス修正。
キーマカレーは、一から作り直し。
ディックにお礼及びプリントの所有権についての私見を書き送る。
〈八〉は、アドリーヌのバイト、山形さん、鹿さん、八田さん、チーちゃん、浅利ちやん、富士谷さん、まりえさん&もう一人。
姉、話したげ。遠方で、長年離れて住む息子、娘に接すると、思う所が多いのは容易に察せられる。一人ひとり別な人生であることの切なさよ、と言っても何も始まらない。

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2014.9/18(木)


Bkに行き、三角州を撮り、家で、洗濯をすませ、3:30までバタンキュー。関電にほんやら洞の電気代36000円の支払い。大宮寺の内の鵜飼商店まで、シメイビールを買いに行くが、やはり、割高。ザラ半紙の読みづらい字での酒造元探訪記は、おもろいし、貴重。
5:30にSが来て、今晩の京大マリーンを思いだす。マリーンの前にソバ食い。
マリーンの間、中京郵便局に行って鹿児島の清水さんにプリント40数点+ポスター数種を速達で送る。
やまや、リカマンもシメイビールをチェック。
サッちゃんと試飲会をやるも誰もこずと思っていたら、レオが、30分間おくれて来てくれて留守中彼が1日点ずつ撮った画像をFbに3点UP出来る。
12:00過ぎに4人客あり。姉と、Telで喋る。姉と祖母の事などを喋るべきだったかも。八女の姉にもオランダ行きは伝わっているようだ。伝わり方、M姉の理解の仕方が歪で苦笑。

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2014.9/17(水)


帰国とFbに記すと、直ぐにレオが、売り上げ金と沖永良部島からのお土産物(黒糖にまぶしたピーナッツ)持参。
〈ほ〉の片付けも手に付かず、えびす屋で、寿司を買い食って、6:00帰宅。
3時間寝てしまう。慌てて、ほんやら洞で仕込み、といっても知れているが、何も作らず行くのは、怠慢な気がし、申し訳程度の準備。
〈八〉入りは、10:25。鹿さん、川㟢さん、八田さん、オイタさん、冨樫がいた。後、カゲロヲ&付き人が(近藤和見の演出補助)きたくらいのもの。段ちゃんを待ったが、空しい 。チョイ珍奇な画像を仕上げる。最後は冨樫と二人きり。「ゴメン、終わろう」と言い終わる。
〈ほ〉に戻ったがKitを八文字屋に忘れ、作業できず。6:00に目をさましたが、11:30まで、ぐったり〈ほ〉で寝ていた。

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2014.9/16(火)


朝、インゲさんがカボチャの実?種?入りパンを焼いてくれる。バート君、ディックさんは、朝8:00に出掛けた後、クン君、インゲさんに玄関で別れを告げる。(写真)ディック家では、全員揃っているところで、「さあ、皆さん、コッチ向いて下さい!」と言って集合写真を撮りたい欲望に駆られもしたが、何かあざとい気がして、そうしなかった。撮った方が喜ばれたかな?という気もしないでもない。
スキポール空港でもう一人のレオこと、レオポル・リノ君(21歳)に遭遇。
飛行機の座席も隣でびっくり。八文字屋では、フータンとジャーマンがいたらしい。ジャーマンは、さきちゃんにリキュールのお土産持参。

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2014.9/15(月)


朝一番に、3年前に、紫野高校生時に、ほんやら洞のバイトだったYolちゃんからメールが入る。
今、ライデンに住んでいるのだと。生憎、月曜は、シーボルトも休みだ。本当は、昨日、僕の個展とは、全く知らず、見に行く予定だったという。「まあ、期間中に見てや」とメールを入れる。
昼前から、ハーレムへ出掛ける。
フリー・マーケットがあるというので、楽しみにしていたが、しょぼかった。
インゲさんの推奨したカフェは、大きな教会を改造したものだった。
Sは、英語で書かれたオランダ料理の本を物色して、見事にある。細々した好みのGoodsもものにしたようだった。(結局、お土産は、ライデン駅前のスーパーで間にあった。)風車見物も、ナビゲーターのおっちゃんがおもろかった。
コロッケを自動販売機で買い、ニシンのサンドイッチも、と思ったが、オランダ語しか書いてないので、面倒なので、よす。
ディック家に戻り、疲れているので、早々に切り上げて、2Fにいると「甲斐さんに来客ですよ!」とインゲさんによばれる。
《ハンスが、やはり、プリント買いにまいもどったか!?》《マリコが急遽、ナイロビから戻ったか?》
下には、ややふっくらしたYolちゃんが立っていた。
暫く、Yolちゃんとバート君の幼い頃の思い出ばなしに耳をかたむける。

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2014.9/14(日)


シーボルトハウスでのワークショップ、まずまず。日本の、京都の、写真の潮流と社会的な意味の歴史の中の自分の写真のポジションとそれに向かう自分の意欲についてしゃべった。
ディックさんのお母さん、佐藤守弘さんの義理の妹は旦那、「カメラ・キッズ」の子どもとともに来るが、僕ちゃんは動画でも撮る。後でわかったのだが、元ほんやら洞のバイトの、Yolちゃんの知人もくる。
喋る事、少し自信をつけた。今日のテーマをキチッと書くべし。
ハンスの3人の子ども、ディック、Sとで、肉屋仕立てのBarに行く。子どももビール(?)を飲む。
町は、カーニバルだ。
ハンスは、プリント買いに来る予定だったが、子どもが疲れ、帰って行き、残念。
ムール貝をしこたま食う。

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2014.9/13(土)


ライデンの市場を見て歩く。途中、ディックさんのお母さん、ついで、インゲさんに遭遇。ライデンは狭い。ニシンのサンドイッチにも挑戦。
アムステルダムのジューイッシュ・ミュージアムの写真展へ行く。見るべきもの多少あり。サイズの小さいのが多し。ロマン・ヴィシニアックの写真なし、ボブ・ディラン、ジェームス・ディーンの肖像等あり、ルイス・ハイン、ベン・シャーン、ユージン・スミス、ウォーカー・エバンズ、リボー、リリィスもあり、まずまずか。
帰りに、ベルギー・ビール専門の素晴らしいBarに案内される。
ライデンに戻り、インドネシア料理を買って帰る。
連日、グッタリ来て、この日乗もろくすっぽ書けず。iPadの調子も悪い。多分、画像を抱え込みすぎなんだろう。

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2014.9/12(金)


ライデンの町を散策したあと、インゲさんの車でスピノザハウスに行く。ここは、16年ぶりで、管理人も代わっていた。前任者は、3代100年いたという。周囲の開発も進み、ハウス自体も改装されていた。芳名録も2冊目に成っていた。前の自分の署名をみたかったが、見れず。スピノザの生前の著作は、「デカルト」しかなく、死と同時に次々と著作が出た。160冊の蔵書も数奇?運命を辿った。デカルトの所在地とは、5キロしか離れてなかったが、交遊はなかった。当時の石、タイル、レンズ研磨機等を見る。2000年~2012年は、改装もあったが、休んでいた。死因は、レンズ磨きから出た粉塵で肺をやられてのこと。当時、ここの直ぐ近くまで、海岸線があった。
ここで意外と時間を食い、その後、電車でデン・ハーグのマウリッツハイスに行く。Jan Steenというライデンの絵描きだけでなく、レンブラント、ルーベンス、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も観る。エッシャー美術館にも行きたかったが時間なし。
早々に引き上げ、ディックさんの料理を楽しむ。
Fb上には「オランダ周遊」「アントワープちょっと見ただけ」「同行者・佐智子の動静」「デン・ハーグほっつき歩き」をUP。
北海道にいる姉とTelで喋る。八文字屋、レオであんまり客なし。

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2014.9/11(木)


午前中は、寝不足で、ノンビリ。
昼、シーボルトハウスの館長が、食事に招待してくれる。
午後、少し、地回り。まだまだ、ライデンの奥深さ掴めず。
ディック家で一休みしてから、4:20レセプションに出掛ける。
シーボルトの資料室も聴衆が結構ぎっしり。シーボルトハウスの力、恐るべし。老人多し。ディックさんの母、インゲさん、バート君、クン君も列席。辻オランダ大使も甲斐写真論を一席ぶつ。館長から、酒?を貰う。ディックにも酒。サッちゃんに、チョコレート、インゲさんに花束贈呈の一幕あり。そして、僕が大使を案内して、写真の解説をしてからは、飲み会。8:00くらいに終わり、2次会。
夜、ディックの母(イギリス出身)から、ディックのスピーチで英語的におかしかった点が、二カ所あったと、メールが入ったという。礼式の後は、ワインと日本酒のパーティに寿司も、出る。
2次会にはバート君の何かの、先生が知人二人を連れてくるのにえらい時間を食う。ひとりは空手の先生で30歳の子どもがいるとは、とても思えない50歳の身体を鍛え上げた女性、彼女に整体を習う、ハーレムで花の仕分けの仕事をする少年、チャイニーズだった。ハンスが良いワインを頼んだので高くつく。ハンスは、日曜日のワークショップに3人の子どもを連れて来て、プリントを買うと言ってくれる。オーストラリア出身の奥さんは、今、中国に出張中。

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2014.9/10(水)


ゆっくり、朝食を済ませ、シーボルトハウスを覗く。
やや進行していた。僕の好みからすれば、ガバッと展示したいところだが、ちょっとチマチマしているかな?という感否めない。それでも、キャビネ数十点(どれも曰く付きというか?マニアックな濃い交遊関係を照らし出す)を一つの大きな額に収められている。また、おもろい写真を厚い木にプリントしたようなグッズ?が、10点くらいあった。オモロイとおもった。(次の日から、何故か、見当たらなかった。)
八文字屋の浅利ちゃんにTelしたら、まだ、八田さんしか居なかった。小田ならちゃんとFb友達になる。
午後、ディックのアントワープの純米酒配達?に付き合い、アントワープへ。車の中の彼のオランダ、ベルギー解説面白し。ベルギーが今にも、分裂しそうな状況にあること、カトリックとプロテスタント地域の違い、ブリュッセルに比べて、アントワープが労働者の町であること等。
8:00に再度、落ち合い、ディックが好き(と言っても、初来店)の地元の人しかいかないと言うビストロで食事。ルーベンスの代表作のある教会には、アントワープに着いたのが、そもそも、6:00だったので、行けず。メニューの真ん中にWCと記しているローカルな、いうか、牧歌的なビストロ。
初ベルギー歩き体験。また、来てみたい街。ディックさんの父親は早く亡くなったが、眼科医だったらしい。母には、子どものいない姉が何人かいて、彼の面倒をよく見たらしい。母の父親は、鰻とりや籠(魚籠)作りを、ずっとやっていたそうだ。

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2014.9/9(火)


一睡もせず。6:00のMKタクシーを待つ。
旅先で少しでも進めたい月曜社の校正原稿出てこず。
かくして、マダラボケ老人オランダ写真展旅行が始まる。
8日間の旅だが、さて、何が起こるやら?
Fbでの山本香利さん、勝久さん、清水さん、ウッチー、ヨッシー、橋元多恵子さん、竹中紫さん、レオ・マルセイユらの優しいエールを背に受けて、始まり、はじまり。
まずは、MKで関空到着のSを撮る。次はユーロに換金しようとしたら、1ユーロ142円以上。醤油ラーメンは、620円。ほうじ茶は、160円。飛行機の中から飛行機の整備士、神戸港、飛行機では結構寛いで、脚を伸ばし熟睡のSを撮る。僕は全然。KLMのプラスチックグラスには、自転車、チューリップ、木靴のデザインがあしらわれている。
ワインばっかり飲んでいるのに、食事中、スプーンを落としたり、チョンボの連続。映画「シェクスピア・イン・ラブ」を観る。KLMのフライトは、ガラガラで、皆、移動して、大の字?に成って寝る。Sもしかり。
10時間ちょっとで到着。ディックさんにTel。駅まで車で迎えに来てもらう。
「今日は、記念すべき日だ、バート君が、家を出る事になった」
ちょっとディックさんは悲しそう。
まず、シーボルトハウスに行ったが、まだ、搬入展示は終わってなかった。もう一人のディックにあい、3本の梅酒をあげる。
その後、ライデンの街をほっつき歩く。
マリコは、3週間前に、ナイロビへ「世界銀行」に就職して、引っ越したが、11日のレセプションには,お母さんが名代?として(物言いがやや大仰!?)来るときく。白藤さんとは、連絡が途絶えたようだ。彼女、気を悪くしてなければ、いいが。
元洛北高校の大久保博史さんの連絡もあって、10日にオランダの新居に引っ越すというピアノの先生の荻野裕子さんから「10日の夜、少し離れた州だが、よろしかったら、新居に飯を食いに来ないか」とのメールはいるが、まだ、何が如何なるわからないし、Sもいる事だし、一応、ペンディング。
初日は、トルコ料理。
「ディックさん、半分とか、金をだすよ」
「馬鹿野郎!カイさんは、ウチのお客さんなんだ」
そんなやり取りもあった。後、ハンスも、レセプションに来るとの連絡はいる。
かつては、東京の外人記者クラブの代表も務め、政府自民党を追い詰めたこともたびたびあった彼もNRCをリストラされているとのこと。
しかも、3人の子どもの育児で、大変なのだと言う。多分、51歳で、0歳児がいるのだ。
夜、興奮して、あんまり眠れない。

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2014.9/8(月)


10:30起床。
旅支度、そして、久しぶりにゆっくり動く。
昼1.5時間閉めて、ユーロ換金、靴買いなどをすます。
八文字屋、坊主を覚悟していたら、10年前に会って、八文字屋バイトに勧誘した鹿児島の美女来店、朝日の増田さん、段ちゃんも。
留守番スタッフを次のようにUP。
甲斐留守中の八文字屋のバイトのラインアップは、以下の通り。
9日(火)咲希ちゃん、10日(水)浅利ちゃん、11日(木)レオ・マルセイユ、補助は黒島千佳ちゃん、12日(金)レオ・マルセイユ、補助は黒島千佳ちゃん、13日(土)黒島千佳ちゃん、14日(日)浅利ちゃん、、15日(月)レオ・マルセイユ、16日(火)咲希ちゃん、17日(水)浅利ちゃんです。
どうか、ご愛顧下さい!
ほんやら洞は、休みで、逼迫してますので、可能な限り、付き出しは、出しますので、悪しからず。
鹿児島の美女、橋元多恵子さんは、1:00に「天文館で飲みましょう」と帰っていった。

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2014.9/7(日)


6:50に目を覚ますが、1時間ぐったりしたまま。
家に帰ろうとしたが、鍵紛失を思い出し、ほんやら洞へ。ここでも、ぐったりしたまま。
旅支度も捗らず、パーティの準備をしつつ、ほんやら洞をオープン。森恭彦さんの清水哲男さんについての書き込みある。熊谷真菜さんが徳正寺での多田道太郎さんを偲ぶ会についてFbで触れている。鶴見太郎さんが高校生の時に映画を一緒に行って以来の出会いが、太郎さんは今や48歳と。
今日は、本来、趣味でもない壮行会を開かねば成らない。少し悲しい。しかも、言い出しっぺで独りで準備とは、これ、人徳、人望の薄さ故。この馬鹿馬鹿しさったら、ない。トホホホ。
そう言ってしまったら、元も子もない。いや、参加者に失礼。
「しみてつ祭り」の「どうして僕はこんなところに?What am I doing here?」ではないが、その現実を直視し、そこからの脱出の手立てを早く講じねばなるまい。ますますボロボロになる一方だと気づいて何年になる?加速度的にボケは進行中で身体が悲鳴を上げ続けている。
旅支度も手付かず。フィルム買い、ポストカードの選定、お土産の用意、靴とジーンズそしてポーチ買い、ユーロへの両替、留守番のローテーション作り&ストック可能の付き出しの買い出し、留守番バイト人へのメモ、戻って来て直ぐに来る集金人への対応(支払いの算段付け?)、秋以降のバイト手配、アメリカのW・ジョンストンとの連絡(シーボルトハウス以降の計画)、「しみてつ祭り」展用のプリント、「ほんやら洞の青春」完全脱稿再始動への手筈、申芳礼さんへのプリント渡し等々近日中に遣らねば失礼な課題に思いを巡らせ、確実に片付ける事。
八文字屋用に高菜漬とキューリの1本漬を各数袋買い置きする。
サッちゃんは、4:00に来て、洗物をやってくれる。デザインの仕事を魂詰めてやりっ放しの1週間で疲れて、旅支度は、まだ、全くやれてないと言う。
パーティのメニューは、サングリア、ヤポネシアン・オジヤ、リュウキュウ、冷奴、焼き茄子、食わせようとしたが、誰も見向きもしなかったトコロテン、高菜の漬物と至ってシンプル。八田さんも、パソコン弄りにくる。彼は珍しくほんやら洞の飲食物を「どれも美味しかった」とあとで評価。次は、平智之さん。下鴨中学では、大久保さんと同期。浮田哲の一期下。そして、オイタさん、臼倉さん(は、いなり寿司の差し入れ)は初任地大分に4年いた(1982年から)、荻野晃也さん、永澄憲史さん、井上義雄さん、梶田さん、川㟢さん、鈴木隆展さん、最後はウッチー。タカさん、佐藤寛子さん、芳礼さんは、来ず。芳礼さんは、親不知を3本抜いて、顔が下膨れでパンパンになっているとメールあり。
9:00まで。9:30に飲みたいという青年二人あったが、断る。
八文字屋のトップ客は、松ちゃん、そして、奈良井さん(同窓会の幹事で、りわちゃん等の打ち上げと合流コンパ後)も覗き、来店3回目の青年が独り同伴。山本香利さんも来ていた。オイタさん、ナディア&友人(インド女性の地位向上を求めるボランティア帰り)、鈴木さん。鈴木さんは、ナディアの友人が四国遍路に来るなら、是非、家に寄ってくれを連発。最後は冨樫とフランスの猿学者を去年、ツールで嫁にした男。2:00閉めたところに、ロイが黒人の友人と来たが、さすがにしんどくて断る。大ネズミ1尾退治。
4:30まで、八文字屋少し片付け。
5:00帰宅。

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2014.9/6(土)


昼までぐったり。
何一つできず。
6:00にSからTel。
「ヒルゲートが、もう始まるとTelあったよ、何をしているの?」
ヒルゲートに行こうとしたら、フォークシンガーの古川豪からTel。
「精華大のフォークソング部から電話があって、10月12日にほんやら洞でライブをやるのに、僕に出て!言うんや。僕は、前に、甲斐さんから出入禁止!言われているやろ、、、」覚えのない事なので、「気にせず、どうぞ!」と言う。
パリから来た青年と喋った以外はなにも出来てない。
6:30に行ったら、渡辺淳さんが喋っていて、次は、市田ひろみさん、その次、ラストが甲斐さんよ!と人見さんに言われる。皆さんは、濃厚な関わりを喋っていて、僕は、夜の付き合いだけだったと言ったにすぎない。
8:00前に、八文字屋入り。
トップは、松ちゃん。10.19の「変えよう!日本と世界」集会の主要人物の、武市さん、ジャン・ポールさん、寺田さん、大阪の星川さんが直ぐにくる。草葉さん、音峰さんと続く。ほんやら洞に昼間、顔を出したパリからの青年が来て、これで今日の客、すべて。音峰節に苦言を呈する。最後は、青年、ジャン・ポールさん、武市さん、音峰さんだけになり、1:00には皆さん帰る。りわちゃんが、来れたら来るといったので、空しく2:00まで待って、そのまま潰れる。

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2014.9/5(金)


5:30目を覚ます。10:00までゴロゴロする。
気持ちをオランダ、書物に切り換えねば、ヒドイことになる。
朝、午後と無為に過ごす。
Kit出てくる。早速、数点UP。
明日、出来たら、ヒルゲートで喋りたくないが、そうもいかず。疲れ過ぎ。
9:00八文字屋入り。オイタさんがいた。松ちゃんが帰るところ。やがて、チーちゃん、浅利ちゃん、招徳の木村紫光さん、社員同伴。梶田さん、奈良井さん、一旦帰ったチーちゃん、浅利ちゃんが鹿さんと同僚引き連れて戻る。チーちゃん、ToTo踊りとやらを踊って笑を取る。すぐに、東山三条下がるの中華料理店へ、郎党を引き連れて行く。奈良井さん、梶田さんは、Netで一澤帆布店の骨肉の争いを見て快哉?を上げる。フータン(マミちゃんの従兄弟で40年前から中学生として出入りしていた伏原君)の悪仲間(父親は、30年前、京都の警察学校の校長)も若い知人と来る。段ちゃんがきて、安倍福美ちゃん、娘の瑞生ちゃん(30歳)同伴。伏見→先斗町ひろ作→八文字屋→ろくでなしのコース案内とか。国際ホテル泊。明日も、弟と合流とか。
段ちゃんと3:45まで飲む。お喋りが過ぎたか?家に着くと鍵なし。

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2014.9/4(木)


8:30起床。洗濯。
10:30ほんやら洞。
同志社の工事のお兄さん二人、ランチ。
A社の鳥取から大阪に単身赴任して来てほんやら洞の前に住むYさん、今日は休暇だからと来店。勇ましい名前。「ほんやら洞と歩く行きあたりばったり」を買う。
前々からほんやら洞でライブをやりたいという神戸の小林隆二郎も顔を出すが、何も決まっていない。
松ちゃんくる。前からチョロチョロ覗いている柳風呂町の円覚寺の篠原さん?(昭和10年生)が来て、機会があったら、写真展を上海に呼びたいと言う。元三井物産で繊維を扱っていたという。姪の篠原さんが20年前にほんやら洞で働いていたという。多分、母親は(北沢さんの記憶では)鴨沂高校の書道の先生。彼は、京大を落ちて、物産に途中から、入ったので、アフリカ等の僻地に派遣されたという。多分、鴨沂では、秋野亥左牟さんと同期。数年前に、中国のでなく、北朝鮮から帰って来た孫を「ほんやら洞で使ってくれないか?」と気遣っていたはず。
今日、来週と京大マリーンは休み。
8:30に八文字屋に入る。着いたら、K絡みの妙齢の女性が待っていた。諸般の事情を考えて、ちょっと憐れみ、雇った方がいいかなと思ったが、喋れば喋るほど、安易な同情心は禁物と判明。
直ぐに葉山勉さんが、京大職員のNさん同伴。やがて西田大智さん来店、伏見の土地柄等を巡り歓談。最初にオイタさんを八文字屋に招致した縁もあり、オイタさんが居たらいいのに、と言い合う。
2:30ほんやら洞に戻る。

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2014.9/3(水)


8:30起床。
11:00に松ちゃんが来て、暫く客なし。
午後、宇治出身で高校時代からほんやら洞に出入りしているフォーク・ファンの三枝博音の孫、嫁が四国中央市に帰っているかで寄る。ひょっとしたら、9月10日前後、ほんやら洞の留守番ができるかもと。彼、このブログに登場する奈良井さんとやらに関心があると言う。
体調悪し。ヒルゲートを覗く。トランジスター・プレスの佐藤由美子さん一乗寺恵文社での北口幸太著「新約ビート・ジェネレーション」のサイン会のまえに寄ってくれ、同書をくれる。
ディックさんに、レセプションは盛装すべき?とメールしたら「甲斐さんは、甲斐さんで良い」と返信。ニューインさんが「何時、Nantesに来るの?」と言って来る。大分合同のS記者は、水上勉先生没後10年展でなく、「しみてつ祭り」に来るとのこと。
今、警備員をやっている妙見の紫野高校の同級生4人3:00前に来店、8:30までいる。クリーニング屋の息子、今井君の事も話題になる。西賀茂でイマックスという土地家屋調査士の会社をやっていると言う。
中に、福岡の朝倉市で「アイ・エム・ビー」というというきのこ工房を経営している岩田眞人(まこと)というまっすぐな男もいた。30年近く前のほんやら洞の常連。薄々昔の面影を湛えている男もいた。
夜、八文字屋には、9:20に入る。
松ちゃんは、帰った後だった。
川㟢さん、八田さん、奈良井さん、鹿さん、片山さん、漆芸での人間国宝の男がいた(20年以上前にジュンク堂の南浦店長と、また、10年程前に、小島房江さんと来店)。後で、段ちゃん、琢ちゃん、「今、ニートだから」というチーちゃんが昨日、宮古島から帰って来たと言ってお土産のマンゴー持参でふるまう。龍門より美味しい餃子やを発見と、はしゃぐ。鹿さんが帰った直後だった。1:20に終わり、元気のない姉からTel。
4:00前に帰宅。

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2014.9/2(火)


9:40ほんやら洞入り。午前中は、ぐったり。午後も調子上がらず。
八文字屋に、下痢で疲れたルパンを残して下に降りると、目の前には、いつものピンサロ朝割行列があった。
短パンにランニング姿のお兄ちゃん、ズタ袋を抱え込んだ頭はげ上がったおっさん等々それなりに多士済々の色男が、オープンを待ち侘びている。
高瀬川沿いには、草臥れたおっちゃんたちが、点々に、朝から強い陽射しを避けた涼しげな場に何人もへたり込む。
朝の強い直射日光が織りなすシルエットのコントラストは心地よく、強烈で、絵になる光景だ。写真家ならば、どっかで一発ものにすべく構えるはず。写真家にとって、光が全てだ。僕は通り過ぎる。
僕も陽射しを避けて、ほんやら洞まで、チャリを飛ばす。
9:40には、オープンしたが、毎年、9月の初めのほんやら洞は信じられないほど暇なのを思いだす。午前中の客は、ゼロ。
iPadのKitを買いに行けばよかった。いや、iPadと距離をおかねば、等スッキリしない。
仕込みをする活力が湧かない。そんな事を言う場合でなし。マイペースでタコライス作り。
午後、ギャラリー・ヒルゲートでの水上勉先生没後10年展が始まる。
昼、少し客があり、ホッとする。
2:00~4:00は、坊主。
6:00前に元読売の林千章さん来店。30年前はお世話になった。6:15には、不調気なS現れ、洗い物を片付けてくれる。
10:30には、河田孝郎さん、川勝英十津さん、徳正寺の演劇仲間の祖父が怖い人だったという西陣シネマ辺り生れの井上さんの登場。川勝さんは、徳正寺での芝居に一度も観に行ってなく、お山の写真を全く見せてない僕をやや詰るも河田さんが飽くまで僕に対して好意的なのに、川勝さんは当惑気味。河田さんは、20年程前に来〈八〉し「何じゃ、この店!?」という思いを抱いていたらしいが、花背で一緒し、見直したらしく、以後親しみを抱いてくれたようだ。こっちは、当地では、初対面と勘違いしていたが、その地味な異貌が奏でる旋律に驚き、酩酊した。今晩も二人の議論、掛け合いを楽しんだ。京都芸大の18歳からの二人の関係の蓄積のコクが滲む。二人に励まされる。ふた方は、共に、1941年生まれ。河田さんは、ラテンナンバーをギターで奏でるだけでなく、唄も堂に入ったもの。今日も、チリワインのケースの発見に発して、美声を披露。共に、「しみてつ祭り」のフライヤーを大事に仕舞って持って帰ってくれる。
11:40には、帰途に着いたが、河田さんは、下鴨桜木町に越す前は、わら天神(僕もわら天神の近く衣笠西開キ町に、1年3ヶ月住み、2年連続、わら天神の神輿を担いだ)に住んでいて、千中に出没したといい、おでん屋・神馬のエピソード、とりわけ、七本松の豆腐店「竹内」との絡みで豆腐が如何に皆に供されていたかと言う話とセットで、東映映画全盛期の役者、裏方(美術監督)らの破天荒な生き様について語る。「リラ亭」の前の「とり一」の二人娘の一人の亭主、東映映画の美術監督の森田さん周辺噺は、また、聞こう。亭主の方の「沢田ふじ子」もここら辺に出没していたか、絡んでいたのだろう。
「熊鷹」には、ヤクザが勢揃いしていたとか。河田さんの写真を撮る。河田さんも川勝さんも若々しい。映画の全盛期の京都の活力に思いを馳せさせてくれる。
2:50帰宅。

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2014.9/1(月)


7:15帰宅。
午前中は、雨だし、ノンビリしよう、と家に居る。
昼客は、山嶺健二さんの教え子さんのみ。
搬入に、3:30にオイタさんをよびつける。(留守中に、まっちゃんがトイレに)
ヒルゲートは、各作家の作品で立錐の余地がない、と言えば、オーバーだが、取り込んでいたので、その場は人見さんにお任せした。オイタさんは少し遅れ、ほんやら洞に戻るべきかと思わないでもないが、わざわざ来てもらっているオイタさんを待たぬわけはいかず、大の大人に、「仕事はなし、ほな、サイナラ」と言うわけもいかず、気の毒なので、来るのを待って、オイタさんを誘ってスタンドで一杯引っ掛けた。後は、iPadに画像UP用の紛失したKitを売っている店を捜すも空しく、ルパンの古本屋「へリング」に寄るにも、時間が中途半端でジュンク堂での立ち読みして、5:00ジャストに帰店。
立ち読みの「丸山真男生誕100年」(現代思想)の最首悟のエッセイ、やはり、読ませた。これがなければ、ルパンに会いに行っていた。
ほんやら洞の前で富山一郎さんに久しぶりに遭遇。
今月から、この日乗は、ボケ日乗と改名した方が良いかもと思うくらい9月早々ボケを連発。
夕べは、リュックもiPadも忘れて、八文字屋に行っていた。Kit紛失といい、結構ひどいことになっている。
今日もヒルゲートに行くのに、チャリが見つからず、しまった!?と思って、キョロキョロすると、目の中に、郵便局前の黄色い物体が、目に入り、安堵した。家賃振込に行き、帰りは、歩いて戻っていたのだ。
もうiPadを嬲っている場合ではない。
1年半、それなりに頑張った。所期の目的も達した。
ここらで、体調を整えて、原稿に向い、実質的なほんやら洞、八文字屋の改造に向かう決意。
夕べの八巻真哉さんはダダカンを目玉にしたイベント、アート・プロジェクトをを企画・申請中と通知に来店。僕も組み込まれている。僕が11月か、12月に沖縄へ行き、そこで撮影したものを、来春のイベントで発表出来るという有難い話。
久保田琴美さん同伴で、彼女とFb友達になる。彼女には、9月7日のパーティに来てよという。
八田さんの2日間宇治のお母さんが居る施設での宿泊は、お母さんの励み。9月7日は、荻野晃也さんがくるのなら彼も出席。浅利ちゃんに作曲家からのプレゼントも持参。
月曜社の原稿を7,8月で進行させる思い空振りを重々反省。1字も書けなかった。そもそも、原稿の束が、物の下に隠れて見えない状態になっており、今こそ発掘を。
8:00八文字屋オープン。三条先の先斗町の入口で会った朴ちゃんは、銭湯行きを止めて来〈八〉。朴ちゃんは、体質的に差別的な友人とマジな話をする。お母さんのアドバイスについても喋る。後は、何時もの朴ちゃん噺。多分、先週バイトに入った片岡さんを知っていると思う、次に来たら、Telして!という。オイタさんも多分、坊主を案じてだと思うが直ぐに来への対処について悩んでいた。オイタさん、昼から飲んでいるからシンドイと口にする。しんどそう。これで坊主でなくなり、僕としてはホッとする。後は、段ちゃん、ひょっとしたら、ルパンが来て、今日はお終いと想像したが、さにあらず。ついで、松ちゃん、奈良井さん、そしてやはり、ルパンの登場。松ちゃんと朴ちゃんは「10年ぶり」とお互い言い、懐かしむが、高々、2,3年ぶりのはず。8月には顔を出さなかった、女性連れの谷川さんまで来てくれる。女性「今日は(写真を)出さないでね」と。
月曜日にしては、まずまず。
ルパンは片岡さん目当てだったが、気分を切り替えて、その代わり?に谷川さん連れの彼女を口説きっぱなし。鹿さん、段ちゃんも来店。段ちゃん、今日もキビシイ1日だったようだ。ブログを読んで、古関さん来店の日の記述を笑う。谷川さんには、出来たら、数奇な運命にある女性を紹介すると言う。
ヒルゲートの人見さんよりTel。展示作品の価格は、人見さん任せ。
マラーノの葬儀の写真も展示したと言う。疲れた様子の姉よりTel。Telナンバーを聴く。
八文字屋にて沈没。5:00ルパンも「ろくでなし」帰りか?来て同様に沈没。何度もトイレに駆け込んでいた。

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