ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 1月

2015.1/31(土)


7:30、八文字屋で起床。
34年前の今日、ほんやら洞でロベルト・ユンクの講演会があった。
11:00まで、八文字屋でウダウダ。外は、雪。
松屋で久しぶりにカレー。
京都新聞(凡語)は永澄さんの無署名記事。

「カレーのルーやコーヒーの香りに混ざってラディカリズムやアナーキズムのにおいが漂っていて、一つの教育の場でした」。京出身の作家、黒川創さんは中学、高校時代の喫茶店「ほんやら洞」でのアルバイト体験をこう振り返る。▶︎1972年5月、複数の大学に近い京都市上京区今出川通寺町西入ルにオープン。今月16日早朝の火災でこつぜんと姿を消した。▶︎開店時、若者らのカウンターカルチャー(対抗文化)が注目を集めた。「既製でなく」と現店長の甲斐扶佐義さんらが素人の大工で出会いと語らいの場をしつらえた。▶︎フォークのライブや詩の朗読会が連日のように催された。ベトナム戦争の米軍脱走兵の支援活動や反原発の取り組みの拠点にもなった。▶︎米国の市民派ジャーナリスト、故スタッズ・ターケルさんの大作「仕事」の日本語版刊行も「ほんやら洞」がなければ実現しなかった。多様な職種の133人へのインタビューを、店に集う49人が訳した。▶︎喫茶店文化の衰退傾向に追い打ちをかける今回の出来事だが、再建への動きは始まっている。東京ではきょう「緊急応援イベント」と銘打って、劇作家の宮沢章夫さんらが「ほんやら洞」の魅力を語り、カンパを募る。雑然さが味わいでもあった自由で居心地のいい空間の復活を期待したい。

嬉しい、ありがたい記事だ。
インタビュー集翻訳の背景については「ほんやら洞の青春」(月曜社)でも書く。
この記事で思い出したのは、翻訳だけでなく、日本版を作りたいと言って来たカッパブックスの編集者がいて、僕と中山容さんが組んで1984年のことだが、かなり、精力的にインタビューして回り、500枚出来たところで、編集者が太郎次郎社に移り、そこでやるということだったが、何時の間にか有耶無耶になった。ミミズの学校の高橋幸子さん、衛管の木村正孝さん、飛鳥井けいこさんの旦那のドライバー、精華大学広報部の方等々、完成稿があり、容さんと僕が二人ながら持っていて、容さんが亡くなり、僕が持っていたのは、今回の火事で焼失した。
黒川創の父、北沢恒彦さんも、これに触発され、1985年時点では、「俺は、あとは、丸山真男論、ミシュレ論、それともう一つ、朝鮮戦争論を書きたい、その三つだ。朝鮮戦争論に関しては、インタビューの集積も必要だ。君の協力なくしては、出来ない。よろしく頼むよ」と言っていた。
それが、精華大学の講師を始めた頃から「もうできない。もう君に会う必要はない」とまでいい始めた。北沢恒彦さんには、にべも無いところがあった。丸山真男に関しては「丸山真男の事を徐勝はどう言っているか?」とよく聴かれ、堤清二(辻井喬)に関しては、会うたび、彼は何か最近書いてないか?と探索機扱い?されてもいた。その意味で用なしなのだ。それから、数年後に、自死の道をえらんだ。
ウッチー&カオリンで臼を車に載せてくれた。
阿部さんの妹さんからの話を聴く。
ボール&チェーンで飯。
八文字屋には、早くから客あり。
ウッチー&カオリン、アサヒちゃん&尺八男、劇団維新派の松本雄吉さんに連れられて来て、寝て行って未払いで、今日払うと言ってお母さん連れで来てまた払い忘れた幡司君(最近は、パントマイムを勉強)、武市さん、15~6年前のバイトの高柳(旧姓、石川、精華大)苗香さん、ほんやら洞元バイト、大分から佐用南美ちゃん&モモンガ(マサイさん)、鹿さん、奈良井さん、片山健さん、布野さんの教え子の建築家が仕事仲間を10人引っ張ってくる。1人ゲロには、参った。
3:00閉店。雪なので、ベンチ寝。
この二週間は、慌しく、1月19日~24日は記憶もおぼろだった。

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2015.1/30(金)


起き抜けに、やはり、焼失を免れたネガ、ノートに向き合う。
いきなり、岡林信康が、ほんやら洞の2階で、半日ビールを飲み続けた日のネガが現れた。一本まるごと岡林信康だ。中尾ハジメさん、松本章も写っている。
この日、店の自由ノートに「東京のカラスは可哀想、煤に汚れて真っ黒け」てな詩ばかりをガンガン書きまくっているとやや自嘲的に語ってくれた日のネガだ。
1974年6月終わりだったかな?
「申し訳ないが、気分がいい」の次を出したいのに、糞みたいな詩を書き連ねている反省があった。
それが肥やしになって「26歳の秋」「ミノリ」「月の夜汽車」等が生まれた。この頃、人智学の本も読み漁っていると言ってた。「ミツル、いるか?」とやってきていた。「月の夜汽車」を我々の前で披露すると、室謙二が「鶴見俊輔に聴かせたい。何と評するかな?」と叫んだものだ。
僕は、グッドマンを訳してるてなことも喋ったものだ。
1974年6月終わりだったかな?
外は雨。
疲れ、癒えず。
回収出来た1975,6年の日記を風呂敷に包んで、リュックに入れる。
読む時間がありやなしや?1976年のフェアヘブンに中尾ハジメがほんやら洞周辺の若者を引き連れて行く際の参加者募集のフライヤーも挟んでいた。
梨の木旅館のパークスの祖母、そしてアトランタ在住のパークスの母が見舞い金を渡したいので、旅館に来てくれ!というので、行く。代わりに写真集を貰いたいという。
「経歴、みたけど、何も知らんかったけど、凄いのやね」とか、「火災保険に入ってなかったの?」と言われる。
中信に行き、通帳、カード再発行の手続きをする。2月5日くらいに手元に来る段取り。パスポートより後か?
ボール&チェーンに行き、定食にコーヒー二杯。
ルネで「路地裏の京都」二冊、「現代思想」の網野善彦特集を買う。
無縁・悪党・「日本」への問い、がサブタイトル。ウィリアム・ジョンストンだけでなく、司修も書く。
圧巻は、五木寛之と中沢新一との対談。桜井英治・保立道久・山本幸司・成田龍一の座談会もゆっくり読みたいが月曜社が終わってからかな?
慣れない小包を作り、カフェ・ラバンデリアへ送る。純ちゃんが表紙の「'91八文字屋の美女」も送りたいのに、手元になし。ほんやら洞の二階に大量に残したままだ。汚れたのを。
中京郵便局にいると、木須井記者から電話。
「何故、甲斐さんは、外国で有名なんでしょう!?外国の物書きの反応を、一、二、下さい。週明け入稿なので」と言われ、ナディア、コリーヌ・アトラン、ウィリアム・ジョンストン、ジョン・ソルト、エマニュエル・ギベールの名を出す。「ジャン・フリップ・トゥーサンは?」と言われる。
酒屋への買出し後、原稿に向かうと、稲山さんからメール。お隣の阿部さんの帰り。
「八文字屋は、何時オープン?返事下さい」
原稿も大切だが、日々のお客さんの堆積は必要。
大根を炊く。あら炊き、イカ焼き。他、ほとんどなし。
松尾智晶さん、村田製作所の葵ちゃん(と稲山さんの連れ合いが知り合いと判明)らも来る。葵ちゃんは、2年前のプリペイドカードを使おうとするので、またに、して!という。稲山さんは「生前遺作集」を買う。
8:00に精神分析医の高木俊介さんも来店。なし崩しの開店、やむなし。
高木俊介さんは、出町でビールを飲める店を作りたいという考え。障害者も働ける店づくり。
「ヤスモトは、どうだろう?」
僕も狙い目だが、家賃はどうなんだろうか?と思っていると言う。
高木さんは、ほんやら洞は、僕の、家と勘違いしていた。
「ほんやら洞の跡地に高木さんの店というのは、良いアイデアだと思う。その芽が出たら、紹介する。ついでにほんやら洞の名を使っていいよ!」
という。彼氏、「ほんやら洞Secondも良いかな」と応じ、「ヤスモトも探ってみましょう」と賛意を示す。
都築響一さんも見舞いに来て、これからの作戦に知恵を貸してくれる。Sと主に喋って貰う。
共同通信の西出勇志さんも見舞いにくる。大阪の矢代部長に代わり、「近々、全焼記事とジャン・ラリヴィエール賞の合わせ技で行く。それには、写真を撮り行く」とのこと。
坪野さん&斎藤弁護士来店。村田マナちゃん来店。信州大は、今年3月で仕事終わり。もう一度京都で勉強をやり直したいとのこと。「レオに上げたダバダ火振、早く開けて、もう一本入れるから」とご機嫌。「依田高典先生から、甲斐さんの様子を報告しろ、言われたの。シネ研で、今度来るけど、募金をしたい」と言っていたと。オイタさん、段ちゃん、琢ちゃん、増田さんと続く。最後は、冨樫。琢ちゃんは、段ちゃんを誘って他所に飲みに行く。
帰るべきか?帰らざるべきか?一瞬、横になり、終わる。

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2015.1/29(木)


6:00起床。
八文字屋で、10:00までウダウダ。
ナニワにパスポート写真撮り。
ヨドバシカメラにチャリ置く。
10:50に旅券事務所入り。一式書類揃えているのに、よくチェックせず、もう一つ保険証がいると、3分くらい言われる。12:30の段階で、あと18人待ち。なんとか、2:30に終わる。
2:00前には、川口正貴さん、ひとりで焼け跡片付けしようとして難儀した模様。
その間、コッチには、警察から「近隣からほこりが敵わん、何とかして欲しい、今は、どちらの管理か」と電話あり。お隣さんだろう。
左京区役所に印鑑証明を取りに行く。4度目にしてクリア。
恵文社で「網野善彦特集」(現代思想)のウィリアム・ジョンストンの「封建漁民から列島の人々へ」という重厚は論文を立ち読み。
ボール&チェーンに寄り、出町の買物を済ませ、八文字屋。5:45から6分間の「ほんやら洞全焼から明日で2週間」という番組あり、申芳礼さん、レオ、佐藤守弘さんにメール。放映後、直ぐに、神田さんがデジカメ動画で撮ったのでFBに!UP。でも、スマホで見れず。川口さん大根、芋を放り込んでくれる。感謝。Sと四条珉珉で待ち合わせ。
バイトなし。マリオネットの海井さん同伴でウッチー登場。海井さんには、箱としても喜んでもらえる。オイタさん、鹿さん&友人、段ちゃん、オーストラリアの若いカップル(ドラマー、物書きの!卵)がロンリープラネットを見てやってくる。段ちゃんと意気投合。「路地裏の京都」を買う。段ちゃんには、お隣さんが来るのを心待ちにしていると、告げる。心得ていて、行ってくれるという。
オイタさんと入れ違いに、チーちゃん&浅利ちゃんくる。たこ焼き、唐揚げをお土産。チーちゃんは、鹿さんを誘って、マルシンに行く。東山三条の「林」も気に行っているという。
だれも居なくなって川井遊木さん来店。Ryotaroも来て、「火だるまほんやら洞支援チャリティライブ」(仮題)の打ち合わせをする。
あらまし、以下のようにやる。

2月28日(土)17:00開場、18時開演、21時閉会
@アバンギルド
入場料:1000円 (ワンドリンク付き)
ムービー、燻製写真集 格安販売もあり。
21時より、八文字屋にて、二次会。当日のボランティアスタッフ募集!

Ryotaroに『ほんやら洞の甲斐さん』を見せねば。
Ryotaroが帰ったあとも、川井遊木さんと、志村ふくみ、上倉先生について喋ったり、きかせられたりして、3:30まで。「東京物語を映像なしに語る上倉先生は格好いい」と。上加茂民芸協会のことも、志村ふくみさんのカタログで見る。(3月15日は、見に行こう)井上美奈子さんが父(井上永悠)について語る際ににこの上加茂民芸協会に関係あったというのを思い出す。
久しぶりに家に戻ると、やはり、焼け跡から持ち帰ったネガ、家に残留していたネガが気にかかる。小田実&ニコラ@ほんやら洞、高史明さんら、山内陽子さん&福山慈子、ダグラス・ラミス&志真子、ユズルさん&佳代さん、レンズ男、ヤクザの葬式、あまり発表してない鋳掛屋さんなどあり、ホッとする。
この分では、意外と早く新写真集が出来るかも。直ぐにでも出来る段取りをしていた「パリ」「美女と野獣」は少し遠退いたか。
「権太呂」の東理子さんより、友達リクエスト。

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2015.1/28(水)


8:00起床。
松屋でトロタマうどん。410円。上京警察署で調書2時間あまり。
上京警察署では、今回の火事の出火原因不明、なお、捜査を継続という打ち切り。押収物品3点持ち帰らず「処分してくれ」と言った件でSは「何か手掛りがあったかも知れないじゃないのォ!!」と批判する。
ウッチー&カオリン、3:00から火事現場でオニギリまで用意してくれて4:00到着をスタンバイ。隣の阿部さんから二次災害を何とかしてくれ!と泣きつかれる。大家の桐生さんの弁護士も来たが「甲斐さんはどう言ってますか?」と言うのみだと。吉田の家に15袋、遺留品を運ぶ。
家を整理中に、罹災証明を取りに来いとあり、出町で買物をして、急行。
6:00上京消防署に罹災証明を取りに行く。
新海みどりさんより「佟さんとは、松の木団地で一緒だった」と驚きの連絡ある。
TVは、今日と思っていたが、明日とオイタさんが連絡をくれる。
風媒社の劉さんより、出版の方向へ踏み出すという嬉しい連絡入り、お礼の電話を紹介してくれた清水哲男さんに入れる。
八文字屋に戻るとぐっと疲れが出る。
浅利ちゃんバイトで、川㟢さん、鹿さん、奈良井さんが来る。
9:45に永澄さん、杉村さん、高橋幸子さん、里中悦子さん、村澤真保呂さん、増田靖彦さん、一人未知の講師も来る。
杉村さん、少し受難話。N氏も、もうパリでやれないのではなかろうか、と心配する。
朝日の増田さん、同僚を同伴。直ぐに中島みゆきバーに行く。

1980年1月31日ほんやら洞で講演した「原子力帝国」のロベルト・ユンクの息子、ペーター・ステファン・ユンクの友人JAZZピアニストのKevinMさん(昨年、一度お会いして、カイ写真集にえらく感動を受けたという)が甲斐個人の写真家生活を慮って、チャリティコンサートをやるためにアバンギルドが空いているという日、2月28日上洛決定。チャリティコンサート「ほんやら洞全焼後始末、写真家甲斐支援」みたいなものをやる事が決定。出演者は、Ryotaroに一任。
Kei-K、Take-bow、千馬木なんかはどうだろう?ラシムもいたらいいのだけど。
1月31日には、焼失したほんやら洞応援イベントが新宿で作家の宮沢章夫さん、ヤリタミサコさんのトークショーがある。関係者の皆さんに感謝せねば。

まだ、ほんやら洞の片付けに幾ら金が掛かるか分からない。僕は、保険にも何も入ってないし、「ほんやら洞復興のために」とは、微塵も思っていない。ほんやら洞を作りたい人がほんやら洞と名乗って、ほんやら洞を作ってもいいし、これまでも、その方式で幾つかのほんやら洞が全国で作られてきた。
ほんやら洞を名乗っても名乗らなくともよい。
宮沢さんもヤリタさんも佐藤由美子さんも店が復興なんて、そんなに生やさしいものではないと先刻、承知だと思う。
そして、僕も復興出来るとは、決して思ってない。「ほんやら洞の復興を願う会」の方々に冷や水を掛けるために言っているわけではないが、「復興を願う会」の方々は、僕が如何にこの15年間、悪戦苦闘して来たかご存知ないのだと思う。また、ぼくの写真に対する思いについても同様だ。八文字屋一つやるのでも、四苦八苦していることについても同様だ。
中尾ハジメさんなんて、昨日、日高暢子さん(明後日まで、ギャラリー・ヒルゲートで個展を開催中)、六郎さんの会で、15年前に、僕がカムバックしたこと自体が間違いだったと宣う。
その発言の正否は、ともかく、おそらく、ほんやら洞の大家がこれから、あそこで、ほんやら洞を再生させるのに協力するなんて考えられない。(まだ、一度も会ってなく、来月の5日に、初めて、代理人の弁護士さんが会う。火事の現場にいたらしく、大家だのに、店子のぼくに、その場で、一言も声を掛けて来なかった。)あの近辺で超低家賃で古い家を貸すところが有ったら、「ほんやら洞の志」があれば、若い人がやればいい。僕に出来る協力があれば、協力する。ついでに言えば、あのとてつもなく偉い日高夫妻ですら生活はとても大変で、チャリティ精神のある方々は、日高夫妻の応援をお願いします。
だから、僕は成算なくして、「ほんやら洞の復興に協力を!」なんて口が裂けても言わない。そう言って動いている方々、同調している方には、感謝はしますが、僕は、その旗は振っていません。
僕のこれからの生活の目処を付けて行かなくてはなりません。
それはともかく、今晩、5:45から、KBSテレビで、ほんやら洞炎上と現時点での僕の写真に対する思いと友人のほんやら洞に対する思いが交錯して紹介されます。
「ニュースフェイス」だそうです。
東京の宮沢章夫さんらのイベントには、焼け残った写真集「八文字屋の美女たち」を少し送ります。
そして、この僕を取り巻く状況をドキュメントタッチでレポートする本が、4月の八文字屋30周年に間に合うあうように、大阪の出版社、澪標さんから出ますので、よろしく。
また、「ほんやら洞・八文字屋往還カイ日乗」が、出版社からか(今晩決まる)自費出版かで、2月28日の集会に間に合うようにでます。
また、焼け焦げた写真集のうちでまだマシなのが欲しい方がいらしたら、申し出て下さい。

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2015.1/27(火)


桐生さんの弁護士、中田良成さんが、至急、協議の場を持ちたいとメール。
30日の午後、訪問することにした。(2月5日に変更)
ルネで写真集を一式買う。
吉岡で300円のジーニアス英和辞典を買う。
ボール&チェーンでランチ&コーヒー。
2:00、火事現場で浮田哲さん、加納厚さんが来る。5:00ヒルゲート。
ヒルゲートでは、久しぶり(28年ぶり)に日高六郎さんの青島小学校の同級生の女性(苦難の歴史を背負って、日高六郎さん頼りに来日)の息子さん(佟立傑さん、芦屋で環境貿易有限公司経営)ご夫妻に会った。「当時、貧しくて、日高先生の紹介で、松ノ木団地に入れて貰い、貧しかったので、妻が八文字屋で水餃子作りのバイトをさせて貰った」と感謝された。数ヶ月間、昼間、八文字屋に来て、カウンターを俎板代わりに餃子を作ってくれ、今でも、包丁の痕跡がカウンターに残っている。日高さんは、彼が書いた名前の字面を見て「何処かで見覚えがある」と咄嗟に言っていたが、彼にとっては、日高さんは大恩人。徐々に思い出す様子を見て、僕も一安心。
佟さんの母と日高六郎さんの出会いそして別離、佟さんの両親の、中国解放時での生き別れ(満州と台湾、そして、日高さんらの努力で数十年後に台湾で)再会、と同時に別の運命を歩いているのを確認。佟さんの母は、日高六郎さんを頼って、来日。暫くして満州の元貴族として文化革命時に苦難の生活を母は子供と共に強いられて居たが、母は、来日の機会に、息子夫婦を呼びせたという話は、約30年前に、日高さんによく聴かせていただいた。
7:00、八文字屋で、KBSのスタッフ来て、録画。
スイスのインスタレーションのアーチスト、Andreas Kressingからメール。焼け焦げたパネルは捨てて終わないでくれ、近々、買い付けに行くから、と。
下鴨の徳さんは、久しぶり。

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2015.1/26(月)


6:00、目を覚ます。
昼までダラダラ。風邪再発。鬱陶しい雨の中、東山区役所に行くのに、七条まで行く。
左京区役所、今日も、杓子定規なことをいい、後日、出直す必要あり。
Ryotaroから2月28日がアバンギルド、あくよ!とメール。早速、KevinMさんに連絡。この日は、塞がっているが、出来たら、キャンセルしてお前のとこでやりたい。1~2日時間をくれという。彼がどういう形でやりたいのか、意向を聴かねば前に進めない。Ryotaroのイメージも尊重したい。「復興会」とは僕は別なので、僕がやる分に関しては、あまり、声高に復興、復興に言わないでおきたい、今の段階では。KevinMさんも写真家支援に力点を置いている。
道出版より電子本の進捗状況報告。これは、任せっきりにする他なし。
ナディアのブログ見る。あとでシルヴァン・佐枝ちゃんの訳付きのが、送られてくる。
モリモリ、FB開始したようだ。
6:30に八文字屋オープンと出すと、間髪をいれず電話。
作家の東義久さんだ。見舞い行くとのこと。大学同期入学。澪標の社長の十年以上前に濱崎実幸さんに紹介されたことのある松村信人さんを同伴。ほんやら洞復興の緊急ルポの本を出そうということで一致。
2月28日のほんやら洞支援・甲斐???コンサート@UrBANGUILDへ向かって、全てが旨く収斂しますように!!
また、「ほんやら洞・八文字屋往還カイ日乗 2014」は、自費出版の予定だったが、ある出版社が、出版の可能性を2~3日検討してくれるとのこと。自費出版の可能性も、あり。(約900ページ)
十数年越しの月曜社からの書下ろし「ほんやら洞の青春」も鋭意校正中(一部焼失)。どんなに掛かっても、3月末に完全脱稿予定。
ルポのPRは以下の!感じかな?
「ほんやら洞炎上・あとさき」(澪標)は、長年、ほんやら洞を愛して来たお客、仲間のこの2ヶ月間の動きを半ば曇った目とレンズで捉えた異色内部レポート。
ほんやら洞復興なるか否か、写真家甲斐扶佐義に次のステージはあるのか?
両者の胎動をビビッドに、面白可笑しく伝えるでしょう。
9:00すぎに、ダバダ火振の森重さんがお見舞いに来店。
森重さんのあとは、数年前にハンバート・ハンバート、福岡風太と来〈ほ〉の加納厚さんが、「さっきまで、風太さん、磔磔の水嶋さんと一緒だったんや、五郎さんは、見舞いにかけつけた?」と来る。洛北高校出身で浮田潤と同期という。ハンバート・ハンバートも写真に出していると言い忘れる。
関東の大学の図書館勤務のDさんをこの店に最初に連れてきたのは、俺だ!という男が、「30年前に四畳半に通っていたが、まだありますか?」という北海道の本間浩昭さんという「知床・北方四島」(岩波新書)のカメラマン同伴。1985年同志社文学部出身。しきりに美女写真集を見て帰る。
次は、年に二回上洛という岩波書店のSさんが見舞いに。次は、話題になっていたDさんを連れてルパン参上。3:40まで。3:00すぎには、4:00までの三人組。一人は久しぶりとか。

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2015.1/25(日)


真実さんから、近日中に、在田さん、小栗栖さんとで一緒に来〈八〉するとのメール。
三条大橋のたもとでちょっと面白い体操集団図。
だん王さんでは、理事長が、当日、檀家周りの帰りに、火事現場遭遇した話に始まり、離婚についての質問から理事長は、海人彦、日向太の優秀さ、血筋の事について感動していると断定的に語り、孫もだん王によろしく等、熱をこめて説いたりする。
近美の隣の疎水の中の白川砂の山を撮る。これは、土砂崩れによるもの。
古本屋へリングは閉まったまま。
吉田でぐったりなる。2時間熟睡。洗濯。片付けの元気なし。
ボール&チェーンで飯。
6:30、八文字屋。
8:00に長谷川進さんの息子、ヨゼフが御室の華道仲間を二人連れてくる。
そこに浮田哲ちゃんが「俺、今回のテレビ、新聞の報道見るまで、ほんやら洞のことを知っているつもりが、何も知らんかったんや」と言いながら、久保まりさん、同志社の谷口先生の元で町作りのことを教えている元JTBの辣腕職員の片山先生、今日の「モダンタイム」での主役のマンドリンのナベさん、日向太と高校同級生の城阪君の母親(英語の通訳業)を連れて来る。旭化成の佐々木君は、インフルエンザで来ず、電話。
浮田哲ちゃんは、1975年の元旦の「梨の木神社爆破」(実は、線香花火如きもの)時に、家まで私服刑事が来たエピソードも披瀝。火事で燻し出された訳でもあるまいに、火事がいろんなお客さんを掘り起こして、寄越している。ずっと来なかった日沖桜皮さんまで派遣?した。それこそ、筑波大学の数学の先生(懲戒免職)に追っかけられていたナナちゃん(観音寺出身)同伴。ナナちゃんは、ジュネーブのマヌ訪問以来人生が変わったとか。
カウンターには、妙に慣れ慣れしい謎の女、お見舞いの鈴木さん、琢ちゃん、坪川桂子さん、そこへ梶田さん、そして都雅都雅ライブ帰りのウッチー&カオリン、中村イルソン。
Kyoto Journalのジョン・アイナーセンさんから“If you decide direction we will help”のメールあり。

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2015.1/24(土)


7:30起床。
この一週間、この日乗を書くエネルギー、時間なく、諸々未整理。
風邪で鼻水、咳、痰、高熱で不調。大分のドタバタを聴くにつけ、笑えてくる。ブラックジョークではない。
Sも引っ張りまわしたので、不調。
セレンの文章、夜中にUPして、朝には、いいね、50。
昨日の外国人記者クラブでのイスラム国で拘束されている後藤健二さんら釈放を求めて記者会見があった。これを歴史学者の保立道久が「アカデミーと教育者として考えること」と題して記者会見の中田考氏を賞賛していた。「黄金国家」以来の保立氏のファンだが立派な歴史学者は、見るべき人を見ていると、改めて、保立氏を見直す。
風邪酷く、痰、鼻水、咳、三拍子揃う?つらい。iPadに向かう気力なし。
スタンドで揚げそばに冷奴食す。
増山さんの「空の走者」探しに行くが、探せず、この分では読めないと踏んで、書店員に聴かず、戻る。
Sと共に、Zest、チャリ保管所に行く。そこから、Sは、バッテリー等ヨドバシカメラまで、JRで、僕は、出町、吉田(郵送された請求書取り)。Zestの賑わいぶり、初遭遇。「よしや」まであった。不景気期に対応できている。やや陳腐も盛り沢山。地域キャラの名を耳にし、笑う。蕎麦食い。Zestの会社として、初めて成功したのでは、なかろうか。
吉田の家に居て、ネガ掃除を少し、ヒルゲート用に日高六郎夫妻のプリント探しをするが、出てこない。そこに信ケ原雅文さんより連絡。海人彦に聴いたと言う。見舞いを渡すので、明日、10:00に来いと。
ルパンの家に寄ろうとしたが、遅くなるので、止す。
6:00、八文字屋。川上力三さんは顔だけ出す。画像UP、疲労で不能。Sも来たが、10:00に来るレオに会いにまた来ると出る。
トップは、ハリーナの佐藤さん(夫)が、染色の人3人同伴。中には、元京都芸大の講師のねぶた顔美女の葛西さんもいる。
バイト、温ちゃん。奈良井さん、オリヴィエ、レオ、チャーリーが先斗町の「ひろ作」のせっちゃん、と常連さん同伴。ウッチーは友人と。段ちゃん、サカイ君。夜中に星野さんが来て、熱のせいで寝てしまい、金を払うまで帰れず、また、八文字屋泊。その間、彼は、払わず、帰ってしまう。

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2015.1/23(金)


6:00から外国の友人へのFire Report。忙殺。
ビル、ソルトさん、アリステア、KevinMさんからの激励メッセージ、セレンさんから次のような嬉しいオマージュ詩届く。

〈”なぜほんやら洞が好きなの"と聞かれたことがある。
"変わってるから”だと思っていた。
京都は確かにきれい。ちゃんと整理されてる。ゴミがない、汚れがない。だから住みやすい。だが、人の跡がない、そして過去もないような気がする。記憶がない。だから皆のもの。もしかしたら誰のものでもないのかもしれない。

ほんやら洞なら、皆のものでありながら、それぞれの人のものだと感じていた。私がそこでしたことが、そして自分の体か心に付いていたからそこにも連れて行ったことが、全部そこに残るような気がした。たぶん、カイさんだけが完全に知ってるけど彼自身でさえ全ては思い出せない多くの他のお客さんが感じていたように。

だから、ほんやら洞は特別だったと思う。しかし、そんな雰囲気をどうやって得たのかと考えると、ただ物理的な存在としてのほんやら洞は消えてしまう。その代わりに、行き来した人たちに形付けられたものに変化する。行動とか経験とか気分とかそしてもちろんお金も重なって、これ全部の混合が壁とかテーブルとかに(すなわち場所を飾りながら組み立てる全てのものに)吸収される場所。 あるいは、否が応でも、本でさえ新しい情報を無意識に受けてしまう場所。。。

しかし、私にとって、これ全部、ほんやら洞のしつこい存在の周りに起こった偶然のことではない。それより、新しさなどに拘らずに, ピカピカにきれいにする必要性も感じない、そもそも物自体や客と店員との関係も全く中心に入れないカイさんの存在に基づくだろう。カイさん自身が行なった、他の人たちと一緒に行なった、そして他の人たちに行なってもらったこと全部の結果。。。 時々カイさんから独立する、カイさんの中から生まれつつもカイさん自身にも影響を与える具体的・抽象的・微妙な要素: 数え切れない作品、物体、身体、考え、イデオロギー、感情、会話、行為、食べ物、飲み物、イメージ、写真、音楽など。カイさんが望んで集めたものと人、そして時間とともに集まってきたものと人、それにどうやら捨てられたもの。。。様々な人から生まれ、その全ては一人に集められ、一番多くその人に目撃されて、記憶にされた、変化されたエネルギー。。。 ほんやら洞で始まった、終わった、発達したが、必ずほんやら洞を超える物事。。。 場所に限られない、人と、人生と、経験と、共有と個々人とつながっている物事。。。

だからほんやら洞が好きだった。今でも好き。
でもカイさんなしのほんやら洞なんてとても想像できない。だから、ほんやら洞がカイさんなしの未来を歩まないことになって嬉しいし、カイさんがご無事で何よりも嬉しい。

また八文字屋で。〉

朝から、八文字屋の隣の解体工事では、ドーン!ドーン!と3~4度地響き。こっちのビルが壊れるのか?と不安になる程。
3:30に少し遅れて、消防署に書類訂正に行く。西暦でなく、平成と書くように、と。そして、火もと周辺の物の配置の数度目になる確認。サッちゃんも、火事の時間、何処にいたか?等も聴かれる。
洛陽法律事務所内の斎藤弁護士との打ち合わせも、20分近く遅れて到着。
先方の動きはまだなく、阿部さんが、先方の弁護士と間違えて、中川弁護士に、ほんやら洞の大家からまだ、全然挨拶がないが、どうした?とのTelあったという。
ほんやら洞の大家の身内周辺及び大家の交友関係について知っているだけ喋る。これまでの金の払い方も。
三月書房で「夢の抜け口」残部9冊引き取る。
ついでに、鶴見俊輔の「もうろく帖」(1)、焼失した「全詩集」加藤典洋vs中尾ハジメの「なぜ『原子力時代』に終止符を打てないか」も。
真実さんもお見舞いに来てくれる。坪川桂子さん、不明の女性二人。
同志社政治学科の野溝君、立命館のタマちゃん、共に、日経新聞に今春、入社の二人、眠たげなイルソン、朝日の増田さん。野溝君、浅野健一に手伝ってくれ、言われ、戸惑っているらしく、イルソンに相談する。

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2015.1/22(木)


エナ・リリィ・山口さんを焼け跡で撮影するという約束をブッチしてしまった。
セレンさんより、ほんやらという賛歌を送られる。
アメリカ、フランス、ニュージーランド、オーストラリア等にメールを送り続けた。
送り続けているのは、以下アピール。

Café Honyarado, known as the base for civic movements and anti-war campaigns in Kyoto since 1970s, was burned down. The café of gross 120 sqm, also used as the office of the rescue efforts for political prisoners in South Vietnam and South Korea, or of the court cases against indecency charges, became the hub of activities such as poetry-reading by oral poets. It was the symbol of youth counterculture. I have been centrally involved with this café since its earliest stage. Although I handed over the operation to younger generations sitting back and watching over for a while from “the bubble economy” period until the end of 1990s, I decided to come back with some emotion like indignation as other founders or younger generation started to give it up. Since then, for 15 years, I single-handedly ran this café, wearing poor three hats and bearing the symbol, facing with trilemma and suffering from recession, but worked hard to live up to the expectation of the customers and supporters to “carry a torch” and not to bring the curtain down on its history since the glorious 70s. Recently, I’ve been looking for a way to pass this café over to my successor, considering it is time to shift to the closing years of my life working as a photographer and a recorder of the history of Honyarado. Incidentally the owner of this land and property had died and I then knew that new landowner was planning to scrap Honyarado and integrate it into the new building. I strongly opposed the plan and was insisting on doing maintenance work of this premise though it is almost falling apart. I gathered the petition signatures of the supporters from various quarters and was planning to hand them to the new owner.
However, unfortunately, the café caught fire in an unknown cause before dawn of 16th January and over 2million frames of black-and-white photographic negative film I’ve saved for more than 40 years, along with tens of thousands of prints, thousands of copies of more than 40 books I wrote, posters, postcards, my favorite cameras, a hundred and several tens of diaries I’ve kept for 43 years, manuscript of “Youth of Honyarado”, my new book on the pleasant early days that was about to be published, valuable guest books conveying the atmosphere of early days vividly, and thousands of books from my library, were mostly burned down and lost.
I am now at a total loss. I don’t know where to begin with, like compensations to my neighbors who also caught fire and so on.

Kai Fusayoshi was awarded with the Kyoto Fine Arts Cultural Award in 2009, as well as Jean Larivière prize at Salon des Beaux Arts supported by the president of France and hosted by Société Nationale des Beaux Arts(SNBA) in 2014.

渡辺浩平から安否の問い合わせ。
毎日テレビの亀井さんより、復興に向けて、募金等をやっているグループを紹介しろとくる。
趙博さんより直ぐにでも街頭に立つよ!との心強い声援ある。NZのウェリントンから覚えはないが、明らかに客とわかるDeczor Grobotさんからなんなっとするカメラが欲しければ、ニコンを何台か持っているので上げる、とにかく、5月に行くとのメール。
八文字屋には、読売新聞の京都総局の今岡竜也さんら4人くる。
深夜、イルソン。
風邪ひどくなる一方。

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2015.1/21(水)


読売取材(木須井さん)KBS取材(深田さん)。
その後、ウッチーがまた、回収物運びを手伝ってくれる。
伏見の寺田屋でもライブをやり、そこでも、カンパを募ってくれる。
八文字屋開店早々、カウンターは、浅利ちゃんに任せていると、初来店の60過ぎの男女が聴けよがしに、ほんやら開店当時のことを喋り始めた。火事が寄越した客。二人ともややブントの息が掛かっていたような口吻。
「福山さんという、それは、それは、綺麗なお嬢様が中高校同級生でいたのよ、雲のうえの女性、聖歌隊で、ソプラノでおほほほほ、と歌っている、私達とは全く違う人種、私達は、同女でも、暴れていたでしょ。
それが、ほんやら洞が出来て見て、びっくり。私たちの方へきているじゃないの、つまり、ほんやら洞で働いているじゃないの!みんなして言ったわ、彼女に一体、何があったのだ!!?スキャンダルよね」
わざわざ初来店で、語り掛けたくて仕方ないという素ぶりなので、熱があり、しんどかったが、カウンターに入った。
そして、「やっぱりね」と言うがずっと会話をしたくて来たわけではなかった。
「もう一人、同級生の医者店で、超美人がいましたよね、前川さん?真光さんに完全に洗脳されていた……」と少しだけ口をきいた。
浅利デーというのに、超暇。
パリの呂さんより、「イスタンブールから戻り、ニュースを聴き驚いている」とのメール。
都築響一さんより、メール。ご自身のメーンマガジンで、ほんやら洞、八文字屋屋を取り上げたと。
臼杵稔さんより「ほんや洞復興を願う会」結成の通知あり。
高木俊介さんのシェアで虫明憲史さんという方が募金活動をしているのを知る。たどって行くと、海人彦の先生。
木須井さんに、現状認識をおくる。
チャンマキの母、日経の古賀重樹さん、アメリカの土屋美佐子より、FB友達リクエスト。

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2015.1/20(火)


消防署、上京、左京区役所行き。
介護保険証明書もらう。
月曜社の神林さんから、本を出すという応援しか出来ませんと言うメールあり。
毎日記者3人、森重さん来店。朝日の増田さんも。ジャーマンも久しぶり。京楽にも顔を出す。
星野高志郎さん、寝ていると思ったら、金を払わずに帰る。
今日から左京区民。
あっちこっちに罹災通知を出す。
次のような事とともに火事の報告を思いつくままに出す。

70年代からの京都の市民運動、反戦活動、南ベトナム・韓国の政治犯救援運動や、わいせつ裁判事務局としても知られ、オーラル派の詩人たちのポエトリー・リーディング等の中心的拠点、若者の対抗文化の象徴的な喫茶店「ほんやら洞」(延べ120平方メートル)が全焼した。
私は、この店の最初期から中心的メンバーとして関わり、バブル経済期から1990年代末まで後進に運営権を譲り、一時身を引き見守ってきたが、若手、他の創立メンバーが、この店を見放すのに義憤に近い感情に囚われ、カムバックして15年、二足の草鞋ならぬ、中途半端な三足の草鞋と象徴の上で、トリレンマに苦しみ、不景気に喘ぎつつ、ほんやら洞の70年代の栄光の日々を閉ざすな、「灯火を守れ!」というお客、支持者の期待に応えてひとり支えて来た。
私は、写真家として、また、ほんやら洞の歴史を記述する記録者として、晩年の仕事に移行する時期だと考え、後継者にこの店をバトンタッチする道を模索してきた。
おりしも、この店の土地、家屋の地権者が亡くなり、新たな相続者が、ほんやら洞をスクラップにして、ビルの中に入れる腹案があると知らされ、これに強く反対し、ボロボロながら、メンテナンスの手を加えることを新地権者に主張していた矢先のことだった。各界からの支持の署名を取り付けて、新地権者にお願いする文書を渡す予定だった。
不幸なことにこの1月16日(金)午前4:48頃、原因不明の出火による火災に見舞われ、店の備品はもとより、私が40数年精魂掛けて保存してきたモノクロ写真のネガ200万コマ、数万点のプリント、40冊を越える自著の数千点の在庫、ポスターやポストカード、愛着のある数台のカメラ、43年間書き続けた百数十冊の日記、出版間近だった草創期の楽しかりし日々を綴った「ほんやら洞の青春」の草稿、開店当時の雰囲気をビビッドに伝えるお客の記した貴重な落書き帳等を数千点の蔵書と共にほぼ全焼し、喪失してしまった。
類焼した近隣への補償等、何から手につけていいか、今、途方にくれている。
甲斐扶佐義は、2009年「京都美術文化賞」、昨年はパリ・ボザール展(フランス大統領後援/2014年フランス国民美術協会(SNBA))にて「ジャン・ラリヴィエール賞」受賞。

こう書いても書いても、言葉がずり落ちる感覚。
そして、また、書く。
ほんやら洞は、1968年をピークとする思想が切り拓いた爛熟した思想の落とし子、いや、国際的な解放思想の落とし子との自覚に基づき、懸命に活動を続けてきた。世情での人気、好悪のレベルでも話題になり続けてきた。風通しの良い時代風土の産物であり、それを享受した老若男女を問わず、広範な人々の記憶と関わり、ほんやら洞の魅力が浮きし沈みも激しかった。にもかかわらず、一方で、管理社会の中で、文明病が日々進行した。管理主義病が蔓延り、市民的自由が目減りして行くのが実感できる人々の心の拠り所でもあった。統制的な動きに対して無頼といわれようとも、個人、グループが反抗する歴史の末端に連なろうとしてきた。アングリーヤングメン、ビート、ヒッピー、パンクの歴史を見れば明瞭。そこで、鵺的集団であるほんやら洞が輝く、という構造ではないだろうか?
ほんやら洞は、繰り返すが、世界大戦後の解放思想の落とし子として世界各地の同世代人と感覚を共有してきた。ほんやら洞人気は、最近の衰退を鑑み、戦後民主主義思想(教育)勃興と衰退の軌跡と軌を一にしている。ならば、反撃の手はある。
楽しかりし日々へのノスタルジーが増幅するなかで、鵺的なほんやら洞への期待が高まり、ほんやら洞は、ほんやら洞なりに、一定の役割を果たしたうるとここ、半年、痛感してきた。個人や集団の中に、自由、好悪、善悪等がアマルガムとしてほんやらという、社会の隅っこに沈殿し、反転して願望へと投影され、噴出せんとしていた。ほんやら洞も現代病と表裏一体で、病気が深化する社会にあって、病気に巻き込まれながら、逆行的状況に竿差す機会を窺う個人、グループとして、ほんやら洞の人気が博した?
夜、西田大智さんと歓談。海人彦、エナちゃん、立命の友だち同伴。
ナディア・ポルキャールのブログが素晴らしいと聴く。

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2015.1/19(月)


雨。
昼から片付け。
永澄さん、鈴木英生毎日記者、伊藤公雄(京大、文学部)を連れて来る。
鈴木マサホくる。山本恵見舞いにくる。
佐々木米市さんは、旧友を連れてくる。
最後にモリモリが、泣きじゃくりながら、「ほんやら洞なんて、どうでもいいんだ!甲斐さんさえ生きて居れば良いんだ」と言いに、来る。
荒川ゆりこさんが来て、冨樫と後輩が来る。
パリのペーター・ステファン・ユンク(ロベルト・ユンクの息子)より、安否を気遣うメール。
風邪最悪。
八文字屋泊。

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2015.1/18(日)


12:00から、ネガ救出作戦。黒子沙菜恵さんも覗きに。
熟睡で出火に気づかなかったご近所さんである「こなから」のみなちゃん、「Zen Cafe」の冨樫、荒川悠里子さん、見舞い方々、おにぎり持参。アニメーターの伊藤さんは、お見舞いに来て、精力的にネガ発掘作業に取り組んでくれる。
横浜から時事通信の渡辺修さんがわざわざ駆けつけてくれる。ウッチー&カオリン、「吉田の森」の学芸員だったモウさん、段ちゃん、ナッちゃん、建築家、大阪芸大の北口学先生、佐藤真由美さんも駆けつけてくれる。
みっちり5時間作業。
段ちゃん、冨樫、坪野さんが阿部さんの家の手伝いをしてくれる。段ちゃんは阿部さんにえらく気に入られる。申芳礼さんも子ども二人を連れて来たが引き返す。
少しネガ救出。ウッチーの車、随分久しぶりの堀田薫君の車で吉田の家に運んでもらう。岩本氏は、来れず。
皆、焼け跡をよく画像にも収めてくれる。神田さんは奈良で半壊したパネルを保管してくれるとのこと。
八文字屋は、浅利ちゃん。
読売の楢崎さんが一昨日の続きの取材。
そこへ谷川渥さんが、チャンマキと。グリーン商店街の西村さんもお見舞いに来てくれる。井上章一さんはプロレス研究会を八文字屋でOK?と確認にくる。段ちゃん、大層なお見舞いぶり、感謝。そしてすぐに帰る。朴ちゃんは、奈良井さんの相続の話を外で済ませ、一緒に来る。
東京からのモリモリは、河合塾の新井憲昭さんを引き連れてお見舞いに。新井さんは、1月24日の生野のKCC会館での「『言論弾圧をゆるさない!歴史修正主義、そしてファシズムへの道と闘う大阪集会』実行委員会」のフライヤー持参。中村イルソンも。
清水さんも、一度、お母さんのもとに顔を出してから出直す。芳礼さんは、八文字屋にも。
カザフスタンの、今用さんより「未来に向けてカザフスタンで活躍の舞台を準備すべく日々頑張っています」との激励のメッセージあり。エマニュエル・ギベール、コリーヌ・アトランら無数の安否を気遣ったり、激励のメール。

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2015.1/17(土)


近いうちに、「火事の夜」を書こう。この混乱、この風邪の中では、無理。
今回の火事で秘蔵?のポール・グッドマンの著作の大半(『Making do』『Parent Day』『Creator Spirit Come』『Adam and his works』『Geshtalt therapy』『On Revolution』『Speaking and Language』『Communitus』『People and Perssonel』他の『Collective Essay』という著作集等)を焼失した今、グッドマンの次の言葉を思い出す。
「若い作家にとっては、書き上げるという事が、一番、肝要であり、美徳なのだ」
若くもなく、作家でもない僕だが、グッドマンの、いちいちの言葉をいつしか噛みしめるようになって行っていた。中尾ハジメ譲りから発して、コレクションするまでになったが、ついぞ、読み込む時間がつくれず、今回のこの事態だ。
度肝を抜かれた火事から一日経ち、徐々に、焼失したものの多さ、大きさの個々が思い上がってくる。膨大な(約200万コマのモノクロの)ネガ、思い出の詰まっている蔵書、預かっていた書籍類、20代を掛けて訳出したポール・グッドマンの「People or Personnel」もほぼ完成していた未定稿600枚。それは僕を鍛え生きた知の何たるかを教えてくれた記念碑的論考だった。(もちろん、北沢恒彦、中尾ハジメも教えてくれた)この本とともに何百時間を費やしたか。千時間以上だ。グッドマンの、アナーキズムの世界にとって独自世界を開いた古典中の古典的な理論書。この建設的アナーキズムに時間があれば、とっくんでいた。僕が多少なりとも英語に馴染めているとしたら、この本と通じてでしかない。イヴァン・イリッチ、勿論、訳者の片桐ユズル、中尾ハジメにも影響を与えた。(兄との共著の都市計画論『コミュニタス』は1950年代に建築家の槇文彦が翻訳し、黒川紀章のメタボリズムにも影響を与えた推測するが)僕としてこれを訳出することで精神的に中尾・片桐らと伍して行くための高級なイニシエーションだった?ともかく、馬鹿の一つおぼえよろしく、これを自分に課していた数年間の格闘があったからだ。最初の訳を津野海太郎さんに見せて、バラバラな文体をケチョンケチョンに批判された日をありありと思い出す。その批判は正当だったが、雌伏35年密かにリベンジを企んでいた。懐かしい。1982年ほんやら洞離脱劇と共に、津野さんとの関係は、ほぼ途絶えた。1979年~1981年は、ほんやら洞の図書販売コーナーでは、毎月、何十冊もの晶文社の本が売れていたのに、僕が現場から手を引くと鬼のクビでも取ったような気分になったらしく郷田らは、甲斐絡みで続いている関係を切りたくて、僕にも、津野さんに断りなしにいきなり晶文社へ在庫を返品したのも思い出す。それで、営業部と僕との仲介者としての津野さんが社内で信用を失うという一コマもあった。そして、津野さんの信用を失った。北沢さんでさえ、そのことに気づいていず、僕が、彼の本(『五条坂陶工物語』『自分の町で生きるには』)が晶文社から出るように働きかけていたのを知らず、編集担当の村上鏡子さんとの次の打ち合わせに来た時にのっぴきならぬ急用で僕が、遅れたことを、裏事情「プロデューサーは、僕と)も知らず、彼女の前でボロクソに!言う始末だった。だから「仕事!」の出版記念パーティには僕は出なかった。だから、晶文社と僕との関係は突然絶たれ、僕は、中山容さんを通じてしか付き合わなくなった。ちょっとした落魄の落武者の気分(北沢さんは『甲斐さんの受難期』と命名し、ガールフレンドのYと切れたのを問題にし、出町の商売人に毒された面ありと呼ぶ。池田浩士さんは、『甲斐が出町ふれあい広場に事務局長として、自衛隊を呼んだ事で、ほんやら洞の若手の反乱にあった』と吹聴した時期もあった)で、近くにいた。「ほんやら洞の詩人たち」の出版に際して、津野さんとユズルさんの関係が捻じれたのを、僕が、津野さんと親密に付き合うことで修復していたのを台無しにし、僕自身が津野さんの信用を失うことになったのだった。津野さんと僕との関係が切れたのを知らない北沢さんは津野さんに黒川創・渡辺潤・甲斐共著「新京極物語」を持ちかけたが、相手にされなかったのだった。ここにも、甲斐受難期の一つドラマがあったのは、僕と津野さんしか知らなかったのだった。
ついでに記せば、僕が星野高志郎さんに最初にあったのは、「新京極物語」取材時の成安大の「サバサバフェスティバル」でのこと。
「ほんやら洞の青春」を完全脱稿したら、真っ先に月曜社にお願いしようと、たえず、身近に置き、グッドマンの初期の小説と共に時間があれば、読み返していた。
が、20年近く、どうしようもなく身動きの取れない生活を送り続けていたのだ。
大分の田舎に関する、僕しか持っていないであろう地誌類(僕の大分論のタネ本類、これを使って150枚も書いた京大総人の科研費での紀要内の「16世紀、豊後エルドラード伝説」も焼失)、35年前に出町芝居を黒テント指導で作る構想もあり、数万円をはたいて買った『彷徨う弁天さん』という出町形成物語を脚本化の予定の種本にしていた(未完)限定300部の宮内庁書陵部刊行巻物「文机談」(37年前に38000円)等々、超稀覯本、山上憶良は山部赤人だったとか記した本等、老後に再読したいと思っていた。
俺は、欲深すぎたのか。
FBに、あれこれ、垂れ流し式に書くのは如何なものか、得しないかもと、二十歳の海人彦に窘められる。
今日は、現場に行かないことにした。
Sは、12:00から八文字屋でスタンバイしていたが、僕は遅れて2:20に到着。風邪。
清水さんは、昼前から来て、焼け堕ちた後のほんやら洞を覗いて撮った画像を見せてくれる。ウッチー同伴。
Sとマルイに食事。八文字屋で、4人で暫く、駄弁り、「静」に行く。火事にあった当人が来たというので、奥さんは、びっくりする。カオリンも遅れてくる。
八文字屋に戻る。八文字屋には、トンデモナイ?美女連が揃う。2~3年前に姿を消した山窩小説の三角寛の兄の孫の三浦優子さん、申芳礼さん、宮越一家、ナッちゃん、咲希ちゃん、名を思い出せない着物美人等。岩本俊朗さんは、去年、火事にあった佐藤さんの話をする。明日、片付けに行くと言ってくれる。ダバダ火振の森重さん、朴ちゃん、奈良井さん、アドちゃん。
次々と見舞い客あり。冨樫、入江君、修平さん等々。千佳ちゃん。ナッちゃんは建築家同伴だったかも。山上君、ナッちゃん泊。
4時まで。

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2015.1/16(金)


「大変、大変!」と言って、階段を上がって来る声で起こされる。
「ほんやら洞が燃えている」
さっちゃんの声だ。夢でない。レオが送ってきたと言う画像を見せられる。
ここから、ほんやら洞なしの新しい?生活が始まる、混乱の初日。
なんか胸騒ぎはしたが、ほんやら洞に向かってチャリを漕ぐが、夢の中を行っている気分。
消防、警察の人たちが、鎮火後の検証のために忙しく立ち回っていた。
ウッチー&カオリン、鈴木マサホも駆け付けてくれていた。車椅子の在野真麻さんもじっと見つめていてくれた。
何故か異常な報道陣の数だった。新聞は、日経、時事がいないくらいで、テレビ局は、ほぼ全局が押しかけ、何度も「最初に火事と聴いて何を思いましたか?」というような似たような質問をうけた。井上章一さん、岡林のインタビューは出来るか?というので、中川五郎、中山ラビにしてくれという。中尾ハジメにも行ったらしいが、喋らなかったのだろう。森崎寛子さんにも20年ぶりに会う。
トップでお見舞いに来てくれたのは、徳正寺の井上迅和尚だ。千四百何十年前から、蓮如の弟子として、戦乱も掻い潜ってお寺の法嗣だ。沈着そのもの。祖母、日本画家の秋野不矩さんは、64歳で火災にあい、さらに、その3、4年後にもあい、絵を焼失しながら、そこからまた見事な、豊穣な秋野不矩ワールドを展開して行ったのだった。チーちゃんが「カイさん、カイさん、」と泣き崩れてきた。ずっと泣いていたのよ、と。集酉楽サカタニのおっさんは、相変わらずで他人の火事現場に来てまでも、自分の店の宣伝をしようとするから可笑しい、笑ってしまった。「TVのインタビュー受けても良い?甲斐さんの友達で、古い常連と言うよ」と。近くのおばちゃんたちが何人もやって来て、普段全く来ない60~70歳くらいの彼女たちが何人も早く再建してまた、頑張って下さいと言って帰っていくのには、感動した。客ではないが、地域にこんなにも信頼されてきていたのだ、と。
電通の和泉さんの奥さんも娘のアパートに来ているといってチャリに大根を積んで通り掛かる。朴豊子の元彼も、角先生だったか?山嶺健二先生の教え子?か不明方も安否を案じて駆けつけてくれる。元京大シネ研(IBM)の牧野真平も「屯風」の頓平も顔をだしたので、インタビューの途中「おお、頓平!」と言うが、マサホといるのに気づかなかったのか?無視。天春さんの奥さんらしき女性が、トレーナーにヤンキー風いでたちの小母さんとして、コッチに向かってでなくうちうちに「甲斐さんがきた」というのがきこえる。聴き覚えのある声。
写真のカナオカダイコンさん他、八文字屋客も多く詰めかけて居た。後で、訊けば、Yahoo!ニュースのトップで、報じられていたそうだ。各社、決まって、岡林の事をききたがったが、極力その話題は避けたのだが。京都新聞ですら、「京都美術文化賞」「ジャン・ラリヴィエール賞」受賞写真家のネガ200万コマ焼失と一言も触れなかったらしい。検証(消防、警察)に付き合うこと日暮れまで3、4回。結局、今日の段階では、出火原因不明。お隣さんがどうしてくれるのか?というので、この火事の責任は、大家との話で決め、御宅に費用で迷惑をかけませんと明言。早速、ガラスの修理等は、堀代さんにお願いする。今年の5月に父の50回忌を予定していた大広間は、この有様だ、もう50回忌も出来ない、どう弁償してくれるのか?母の嫁入り衣裳、布団等がこんな惨状になっている。
ちゃんと見て、写真を撮っておいてくれと何度も言われる。
朝のニュースを見て、色んな人が、詰めかけてきた。火事の現場から烏丸法律事務所の小野誠之さんに電話相談。朝からテレビニュースで見たよ、と言われる。「物事を整理して考えて!借家人が火を出したら、もう、それは終わり……」云々。テレビには井上章一さんも出た模様。
毎日の鈴木琢磨さん、共同の小山さんから、何度も電話があったらしいが、ゆっくり対応した。臼倉さんも駆けつけてくれた。スッピンの申芳礼さん、黒島千佳ちゃん、海人彦、日向太も駆けつけたが、日向太はマスクして顔面蒼白で一言も発しようとは、しなかった。坪野優太郎さんも来る。
現場からは早く離れた。ウッチー&カオリンは出ずっぱりだったので、一緒に食べず、帰る。ウッチーは、僕が隣の阿部さんに「脱国者ジョーの作曲家、内村さんです」とウッチー紹介した意図が読めず、僕が動転していると思ったらしい。
実に、何百人もの人から、激励のメール、フェイスブックでのメッセージ。英仏韓。
まだ、十分にチェックしていない。
消防に提出する書類は、一括して、Sにたくす。
7:00に八文字屋に入ると、朝日の若い記者が先ほどは、名刺がなかったけど、再度、「カイ日乗本」「ほんやら洞の青春」についても併せて取材したいと来店。切通里香さんはFBで「近い内に行く。あっちゃんは、朝、現場に行ったみたいよ。家を探しも」と。青野真士さんからは「これだけのテレビ、ネット、ラジオに出たんだから、チャンス!本を早くださねば」とくる。篤ちゃんからは「大変でしょう、カンパします」と。トランジスタープレスの佐藤由美子さんからは、早速、1月31日に新宿のカフェ・ラバンデリアで宮沢章夫さんをゲストスピーカーにほんやら洞支援の義援金募集のイベントをやると連絡。梅棹マヤオさんのグループも、また、「月刊むすぶ」も義援金を募ると紀井早苗さんが言ってくれる。火事現場での映像の中の僕は場違いの観のあるニヤケぶりだったようだ。
鹿児島の清水哲男さんからは「居ても立ってもおれず、急行する」とのメールあり。明日、ご母堂の清水千鶴さんは、92歳の誕生日。中川五郎さんも心配して駆け付けたい気持ちでいるので、彼にもメールを入れてくれとの配慮も忘れない。有難い友だ。ネット環境悪し?iPadの問題?身動き、とれず。
今回は自分が火事の罹災者だが、何か妙な因縁を感じる。
写真を20歳すぎて再開したきっかけに思いを巡らす。これまであれこれ、言ってきたけど、二度の火事現場との遭遇、興奮ーー日頃馴染みの風景が一変する経験による覚醒ーーが写真を再開する発端だった。引いては現実を捉える武器としてのカメラに対する認識獲得。カメラこそ自分に相応しいとの認識の獲得。火事を目の前にした人民の海?に僕も興奮したのだ!日常と非日常の交錯、ここに極まれり、と感じたのが、スタートだった。
八文字屋のトップ客は、今度の国会議員選挙では、落選した平智之さんが、元秘書と来店。鹿さんグループもたこ焼き持参。温ちゃん、バイトの代わりに手伝ってくれる。ワンズコーディネートの加藤学さん&藤田雅司さん、坪野優太郎さんも駆けつけてくれる。
1969年の「三条橋の下大学」の言い出しっぺの「錦水館」の田村精太郎さんがお見舞いに来る。永澄さんは、10:30すぎ。読売テレビの桑原さんも上目遣いに皮肉な口調は、相変わらずだが、大学一回生からの客。
HATAOも、珍しいことだが、さすがに、顔を出す。一ヶ月前に「ほんやら洞潰れたと思い込み、逆に、ああ、これで甲斐は写真に専念出来ると思った」と言っていたが、火事にはびっくり。申芳礼さんは、夜も。谷川渥さんは、武田好史さんと。谷川さんとは関わりなく、明日からの「志村ふくみ展」の搬入を終えた川井遊木さんは、炎上のことを全く知らずに来た。チーちゃん&浅利ちゃん、奈良井さん、川㟢さん、数ヶ月ぶりの山根さん、この事態についての報告をフランス語に訳して貰うために、レオにも来てもらう。山のやさんも。朴ちゃん。モッチー&琢ちゃんは遅くまで。火事が二人に「ふぁいあー!」と。モッチーは、午前中、ずっと泣いていたという。ティルは、事態を飲み込めず、キョトンとする。
吉田へ。
内外から無数のメール。100どころではない。

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2015.1/15(木)


6:30に八文字屋で目を覚まし、拡げたベンチにちゃんと寝直す。
9:00起床。
外は雨。今日も隣のピンサロ、9:00前からオープン待ちの立ちんボあり。
鴨川は、少し増水。雪解け水。鴨川べりの頼山陽の「山紫水明」の脇の雪だるまは、今日中にも溶けそう。今年の金柑(果物)高し。昼前から、鶏朝の注文あるも、次の客は、6:40という不甲斐なさ。中村勝さんからTelあるも、Telストップで喋れず。ロンドンから二人。同志社大生二人、マリーン。
不調。風邪?ジュネーブ経由ガーナ風ジンジャージュースを飲む。
ぜんざい、シチューを食す。
不調でゴロゴロする。Tel、ストップのまま。
iPad、相変わらず、不調。多分、普通の3、4倍時間を食っているのだろう。
原稿に掛かれず。
レオに国民健康保険の書類、届く。
今回の海人彦が、しばしば、画像を活用してくれる。まめに、日向太が海人彦に関しては「いいね」を押している。ウッチー、「死をポケットに入れて」等をゲットとFBにUP。
京都新聞の「現代のことば」評者陣の一人として、伏原納知子さんに採用しているが、永澄さん、納知子さんと親しくないらしく「ほんやら洞の存続に関する緊急アピール」の発起人代表に、山極寿一さんについて貰うのに、内諾を得るようにと要請したが、山極寿一さんとのホットラインを聞き出すので、自身でやって欲しいとの事。
ま、無理をする事はない。大家側との話し合いの成り行きを見ながらでも、遅くないか。裁判になれば、コッチには、大家の言質を捉えたノート(日記)が無限にある。これが、笑える、傑作ものだが、それをこの日乗に折にふれて紹介したいと思い続けてきたが、側近が、反対し続けてきた歴史がある。芥川賞には、同郷の小野正嗣「9年前の祈り」。小野さんのは、数年前から、折に触れて読もうとするが、引っかかって読み進めないできた。今度のはどうか?出身の蒲江には、一度しか行ってないが、気になる漁師町だった。
「日乗」本の校正、6月まで終わる。京大マリーン「10分だけですので、注文しなくてもいいですか?」とカッコウ悪いことをいつも言って、ズルズルと最後まで居る客、約2名。
9:00には皆さんには、上がってもらう。
八文字屋には、楠木しんいちさん、トイレを使用して帰ったとあり、?フライヤーを放り込んで行く。
直ぐに祇園の片山家取材で疲れた様子(片山家に関しては、毎日がつよいのだ)の西田大智さんが来店。相変わらず、精力的。社で、麻ちゃん&ダバダ火振間のほんやら洞を巡る立ち話を小耳に挟んだようなので、「火振さん」に渡したのと同じフライヤーを渡す。ほんやら洞の大家には2月8日までに山極寿一さんにもお願いをして、このままのほんやら洞がいいのだ!素晴らしいのだ!とのアピールに目ぼしい賛同者を得て当日渡す予定だといったら、文化部の中では自分が年長者なので、この件はフライヤーができたら、自分に連絡をくれと名刺くれる。さすが出来る記者、記者としてはこの方は相当良い線行っているなと思わせたのは、それだけでなく、さりげなく八文字屋の冷蔵庫を開けて、僕の、そして経営状況をチェックした辺りは、当方としては辛いが、憎い!自分より出世したという神戸芸短大教授の奥さん、ばんばまさえさんは、今「恵風」個展開催中。明日、起きたら、真っ先に見に行き、ついでにルパンの店にも入院の前の彼を訪ねて行こう。一つ値のはる本でも手土産としよう。
よく考えたら、ほんやら洞、八文字屋客の読売さんには、仕事が出来る記者多い。西田さんには、大家との交渉での奥の手「世間文化遺産・ほんやら洞を守れ!」的なアピールを。木須井さんには月曜社の本を。ビラが出来たら、ともかく、真っ先に西田さんに連絡する約束をする。
西田さんは、オイタさんに木曜日なので、ついでに会えるかなと思って来たようだが、今日も空振り。オイタさんが最初に彼を連れて来たのだった。
誰も居なくなってから、去年の今ごろ、来たという40歳過ぎのお坊さん二人、なんとか藤知道さん&山下さん(京大総人、96~2000年、ヨリッセンの教え子)も偶然来る。龍大卒の方が、挑発的物言いをしていたが、95年版八文字屋の美女(3300円)を買う。山下を名乗る男は、色白の美男子(両方)で、母は、越前大野市出身。
1:20閉店。
3時間横になる。ほんやら洞へ行き、FBを弄ろうかと思うが、止す。
4:20、若い女性一人がまだやってます?と来るが、断る。寄る辺なさそうな、ハリネズミみたいな小柄な女の子。1時間原稿を書き、帰ろうとすると、ドンドンとドアを叩くアベックがいた。アメリカ人風の20代後半の男は眦を決した風もあり、美女は40代後半の柔和な笑みを浮かべていた。入ったら、2~3時間長っ尻になりそう。もちろん、断ったが、20年前だったら、入れている。売り上げが無いだけに。
5:30に出て、5:50帰宅。
2月15日のマラソンの回覧板があったので、隣へ。

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2015.1/14(水)


ほんやら洞の大家が亡くなってから、一年以上、亡くなった事実を知らされず、他人に振り込んでいた訳だ。して遣られた訳だ。
新相続人は、店子に対して前大家の遣り残したメンテナンス上での義務を果たさずに、放置したまま、長期(15年)に渡る前大家の責任逃れのための契約書未作成を逆用、盾としてこの土地からの増収を画策せんと、負の遺産隠蔽工作も兼ねて、ほんやら洞の敷地を高層ビル化するんじゃないのか?高額家賃支払いに喘ぎ、いまや、観光資源として辛うじて延命するほんやら洞を文字通り解体して「追いたて」作戦を展開画策中なんだろう。生き馬の目を抜かんとする族(いや、凡庸で僕のみたいな杜撰な連中?)が相手なのだという自覚が必要。大家自身は考えて無くとも、K家の財産を巡っては、遠い親戚しかいないはずだが、諍いの元が燻っているのだろう。そうでなければ、KKさんの死を知らせるのにここまで引っ張る訳がない。
族の意向に対して、もう一つの観光資源、大上段に振りかぶって「創造的文化資源、国際的文化交流の拠点」のほんやら洞を守れ!くらいのことを言わんとアカンのかな。署名運動に京大総長の山極寿一さん等を引っ張り出して、対抗する必要があるかも知れない。ほんやら洞なんて大した空間ではないし、家賃10万だったら、年金、保健書のない老人が一人食って行くには、丁度良いくらいか。早急に手を打つべし!ほんやら洞も戦後思想の鞍部をヨロヨロと越えているようでは、ダメだ。メリハリつけよう。
世界ナンバーワンの観光地・京都と言われながら、格差社会の現実の中で、グローバル化と軌を一にする街の平準化勢力が、地の人間、貧乏人の昔からの親密空間のブルドーザーで押しつぶして行くも事実だ。ほんやら洞は、それに抗いつつ、バリアフリー等にして、我々、魑魅魍魎を結集して、我々の街、店を守れ!の声を上げる、大風呂敷を広げるべき時かも知れない。行政の中にも賛同者が居るはずだ。
京都市は、今のところ、ぼくには、好意的と読む。仕掛け次第だ。
新相続人にオットリ刀で立ち向かっていたのでは、放り出される。
相談に乗ってくれと永澄憲史文化部長に上記の走り書きを送る。が、忙しげ。誰を事務長にすべきか。
「ほんやら洞の現状保存をお願いします」の賛同者つきのアピール文は、次回、2月8日に会う時に新大家に渡せるようにしよう。
仕事が手につかず、ヤバヤバ。保健所から数年越しの講習に来いとの案内。まだ、1972年の早川正洋の名で申請したままだ。
野菜たっぷりのシチュー(香辛料なしで充分美味しい)を堪能。開店以来、最高の味だ!
古川豪の仕事報告&ボヤキをFBで見る。森恭彦さんのFBにもチャチャをいれるが、無視される。
チャンマキ来店。夜、八文字屋にも来るというので、UPしたが、来ず。やはり、相変わらずの女の子。稲山聖修さんのFBでは今回の「フランスの官製デモ」についてのロシアでの報道の仕方に不服表明。
9:00前、やや精彩を欠く川㟢さんのみ。只管、カボチャの種と向き合う。町内の片山家の訃報知らず。
浅利デーは、フルメンバー欲しい所だが、Kei-Kは欠けて久しいし、カゲロヲには新事態発生で来店望み薄、段ちゃんは、恋愛?に邁進に越した事はない(段ちゃん、頑張れ!)、さて、誰が来る?と期待したが、十全な展開なし。奈良井さんは、商談の朴ちゃん(十三チャリ留め)同伴、髪が妙に黒々として可笑しい鹿さん「喪中返しは寒中見舞いで良いんだ」と納得顔でお務め(浅利デー出勤)、R大のSさんは開口一番「八文字屋、生き延びて良かったな」と久々の来店。後は、金閣、銀閣の元旦雪化粧の画像を披露。並の店の光景。朴ちゃんがカラオケで十八番は、“Over the Rainbow ”だと宣えば、Sさんは、すかさず、年長者らしくジュディガーランドのそれをiPadで披瀝。ちょっとお洒落なチョッキ?が冴えていた。
朴ちゃん「ジャーマン元気なし、咲ちゃん、男出来た話、それ、話したら、ダメ!ダメ!」と手をノーノー振り。「ダバダ火振の森重」さんは、片山家で二日忙殺話。アドちゃんの八文字屋での去就ネタ読み以降、カイ日乗から興味失せたが、再続の要あり!?と言う。麻ちゃんへのビラ預ける。大阪勤務も後半年かな?京都では、突破死は別にして、伝統芸能畑の大物死は、これにて終息!的な話。仕事ネタが、転がってないかと関係Twitterも絶えずチェックの仕事人。やはり、今回も毎日が一等地抜いたようだ。
後の席には、鵜塚次長&伊藤共同記者(水腰さんと京大仲間)が来て、共同の京都支局長は大分出身なのに、八文字屋デビューなし!?とは「今度引っ張って来る」と確言。鵜塚次長、初任地、大津では、水腰記者と一緒だった由。カザフスタン写真展に伴い、八文字屋の後継者は浅利ちゃん話で受ける。毎日の若手記者のタメ口話も隔世の感あり。歳行く訳だ。鵜塚さん、ほんやら洞での甲斐さん写真展なら、全面的にバックアップする記事を!書くからね、とはげましてくれる。
12:00前に誰も居なくなり、浅利ちゃんにも、12:20に上がって貰い、2:30まで冨樫待ちも虚しい。
今日も、〈ほ〉〈八〉ともにイマイチ、イマニくらいかな?努力不足。
ベンチに崩れおちる。

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2015.1/13(火)


9:00起床。
今日こそは、杵を返却をと思いつつ、餅が少し黴びたので、家の冷凍庫の良いのを取りに帰ってからと思いつつ、果たせない。菅谷なおちゃんの信用に関わる。
区役所が元の場所に戻っているのに、不案内者に指図され、あっち行きこっち行きしていた。
固定資産税公課証書を家賃交渉の資料として取得したくて、上京区役所の市民課、固定資産課に赴いたがあっち行け!こっち行け!領収書を持参しろ!とたらい回しされただけで、領収書取り帰店も功を奏さず、契約書なしでは意味なし、と言われ、スゴスゴと引き返すのみ。イラつく。
ローザ薬局が無くなっているのを発見。
発熱。
Aさん&Aさんの孫&宅建業者は、当方まっとうなお願いをするとは、思いもよらないことだったのだろうか?遅い。
待つ間に、なんと、1年前の2013年12月28日に亡くなっていたKKさんの財産を相続したAさんの孫(実はAさんしか来ないことがあるのだろうか?)はどういう顔をして来るのか興味深々。彼らの立場?状況や如何に?
発するであろう主張について以下のように、忖度する。

1、ほんやら洞の地権者としてのメリットとデメリットをどう考えているのか?
相続するなら、もっと前に養子になって、5年かけて、3回に分けて生前譲渡の道を選ぶべきだった。そうすれば、相続税が軽減できたのに。それどころでなかったか。
実際は、どうしたのか?KKさんの遺産が多く、はした金はどうでも良いのか?固定資産税も楽勝?

2、故 KKさんは、1999年11月の時点で、契約書を作るのを逃げながらも、「家賃は、取り敢えず、30万円にしてくれ、ワシが、毎月10万円分飲みに来るから、実質、家賃は20万円だ、何?水道の配管の破裂?湯沸器?雨漏れ?天井の穴塞ぎ?空調設備?トユの付け替え?屋根の塗装のやり直し?景気が悪くなったら、家賃を下げろだと?そんなのわかっていることじゃないか」と言明し、その場を押し切った。が、契約書を作るのを避けて来た。

現実は?言葉とは裏腹、モッチーに一瞬釣られ、数ヶ月、数万円を使いに飲みに来ただけ。必要でないベンチの皮張替えして、やはり、必要でない便器を自分用に大きくしろ!と言って勝手に替えただけ。オーナー気取りで「ディナーの小鉢、もう一品ふやせ、学生さんのためだ!」とええ格好したが、ほかの急を用する設備の取り替え、修理には無関心、契約書もつくり避け、入院生活を繰り返すことになった。そして、修理及び値下げ要求する当方を「生意気いうと、叩きだしたる!!」と恫喝する一方、何ヶ月間も、一日に何時間も「出ていけ!」と嫌がらせ電話を掛けっぱなしし始めた。その間、親戚に暴力を振るい、しばらく、警察の世話になる。出てきて竹刀で僕に殴り掛かる一幕もあり、僕が、警察に告訴していたら、実刑を食らっていたはず。その数年後に亡くなったわけだ。
相続人は、新規契約に際して、KKさんの残した負の遺産も平気で受け継ぐのか?15年(180ヶ月)×10万円=1800万円、僕にそれを相殺する契約書を結ぶのが道理だが、そんな胆力はあるのか?これをハメに陥ると思うのだろうか?もっと新機軸があるのか?ぼくをハメようはないだろう。
おそらく、他にも、相続した財産はあるのだろう。国庫に取られるのが嫌で、相続させたと言っていたくらいだから、余裕のヨッチャンかも。こと、ほんやら洞の件に関しては、相続は失敗だったのではなかろうか。いや、遺産は多く?もっと素っ頓狂な事を言ってくるか?
約束の2:00になっても来ない。土曜日に出した封書が効いた(事も無くスイスイと契約更新出来るとふんでいたのが、単純でないと分かった)かな?と思っていたが、2:30に宅建業者のみベンツでくる。AさんもAさんの孫(今では、K姓を名乗る)も来ず。
上記のメモと重複するが、当方の意向を記した違う冷静な以下のメモをわたす。数度、KKさんとのやり取りを克明に日記に記しているので、裁判になれば、それを引っ張り出せばいいが、その前に代理人にも見せたいが、写真パネルの下に隠れていて、そのコピーを今日渡せないのが、残念。

KKさんの財産を相続された方へのお願い
新たに契約されるに当たって、二つのお願いがあります。
一つは、ほんやら洞の現状を具によく見て欲しいことです。ボロボロです。何故ボロボロなのか?
もう一つは、僕との約束、付き合いの歴史を深く勘案して欲しいということです。
もちろん、前者と後者は密接に絡み、不当に高い家賃を支払わされ続けて来たのを直視して、世間一般、また、法律にかなった契約を、今回こそ結んで欲しいのです。悲鳴しか上がりません。
確認事項を列挙します。

1、僕とKさんとは、1972年3月からの付き合いです。
僕は、それ以来、ほんやら洞の二階に住み、現在もずっと住民票をここ、大原口町229に置いてます。80年代半ばから10年あまり、若い元バイトに任せ、木屋町で店を出しました。抜けた後も1984年まで契約に立ち合いました。大家と相性が合うのは、ほんやら洞の仲間では、僕しかしなかったからです。その間、家賃はほとんど上がりませんでした。弟のTKさんが、ほんやら洞で暴れる事件を起こしたことも、Kさんの親友(長年、代理人)Nさんが、寸借詐欺で僕を騙して逃げたこともあったが、Kさんに報告はしたが、それをKKさんに請求することも、警察に告発する事もなしで来ました。その間、家賃改定額を高く要求され、法務局に数ヶ月供託した事もありました。

2、1987年の契約から、1999年まで、KKさんとも、逃亡していたNさんとも一度も会っていません。ほんやら洞の契約も若手に任せきりでした。家賃をなんと38万も言われるがママ、払って来ていたと聴き、仰天しました。70~85年頃まで、ほんやら洞神話は生きていて、お客も多く、1985年、バブル元年以降ほんやら洞の若いメンツも浮かれ、稼ぎ、利益も店を中心的に担ったものが山分けしていたのでしょう。そして、バブルが弾け、ほんやら洞に賞味期限を自ら、宣告したのでしょう。心ある客も離れ始めた時期です。ネオリベの台頭期です。
1999年10月にNさんが、僕に会いにきました。
ほんやら洞の若手から家賃を38万円(!!)取っているが、彼らに辞められたら、困る。車2~3台止めるのが、やっとの駐車場しか出来ない。「家賃を半分にするので、甲斐さん、戻ってくれ、住民票もあるというてるではないか」と、文字通り、懇願しにきました。
それでも、木屋町の店があるし、写真の仕事があると固辞し続けのですが、「店には、空調もない、ガス湯沸器もなければ、水道も一本しか使えないのを知っている。それは、1年内にわしが何とかする。冷蔵庫、椅子、テーブル等を準備するのに、金がいるだろ、ある時払いの催促なしで良いから、100万円貸す」というので、重い身体を起こして、契約する事になりました。

3、契約の段になり、Nさんが、「家賃は、20万円にしてくれ!金を持ち逃げして悪かった」とういうので、渋々契約する事にしました。
すると、「固定資産税もある、30万だ!」と言い出したので、もうやめようかと思ったのですが、Nさんが、「22~3万に説得するさかいに、開店祝いに3万出すし、店内の傷んでるところ、全て直すと言っているし、毎月、10万円くらい使いにくる。こんなに可愛い女の子ばかりいるんだから、と言っているし、不景気になったら、家賃も下げる」とKKさんは、言っていると言うので、やる事にしました。「じゃあ、今まで、言って来たことを契約書に書いて下さい」といったら、「ちょっと待て!」と言い続けて、15年経過しました。

4、そして、何処も修理せず、100万貸してくれた金も、2ヶ月後に返してくれ!というので返しました。そして、「毎月10万円、落とす」約束も数ヶ月間、数万円落とすことに留まりました。
その間、下水詰まり数回、天井からの雨漏り、トユの着け替え等全てほんやら洞が自腹を切ってやりました。数年間、エアコンも付けてくれるものと待ちましたが、ダメで計96万円で自前で設置しました。
だから、今回の契約に際して、それら損傷部分の修理等全てを負担して貰うなり、それを当方にやらせるのならば、家賃を引く計算でよろしくお願いします。
単純に計算して、15年間、月10万円×12ヶ月、ほんやら洞が、最初の話(契約書を交わすはずだった金額)より、1800万円払いすぎていることになります。この数年は、病気ということで、同情して、何も言わずにきました。
その間、Nさん、新町寺の内のもう一人のNさん、従姉妹の旦那さんであるというAさんが代理人で来ました。
両Nさんは、「悪いなあ~、ちょっと被害妄想気味で、誰が間でピンハネしてのと違うか、と勘ぐったりして、甲斐さんにまで、迷惑をかけているんや。アイツ、言い出したら他人の話をきかんしなあ、悪い奴ではないのやけど」と言っていたが、Aさんは、従兄妹の旦那だけあって、身贔屓?で入金が、2~3日遅れると飛んできては「甲斐さん、好い加減にしてくれ!俺は、間に入っているだけで、何も得することがないんだ。仕事をはよう切り上げて、ガソリン代を使ってきてるんや、俺の身にもなってくれよ」と叱責、時には、凄む有様でした。「何時になったら、最初の約束を守ってくれるの?それは、そちらの都合でしょ。僕が雇っているわけでもないし、こっちの都合も伝えてよ」と言いたいけど、角が立つので言わないで、苦しみぬいてきたのだ。
そして、ちゃんと確認していないが、新相続人は、Aさんの孫というでは、ありませんか。

5、KKさんが儲けるつもりはないと言ったことは、当時の僕の日記にもしつこいほど出ており、また、京都新聞にも、淡交社(裏千家筋)の本にもKKさんの言葉も次のように紹介されている。「出町のほんやら洞がなくなるのは寂しい。なんとかならないかという人がたくさん出てきましてね。家主さんも、あんたがやるんなら応援すると言ってくれている」と。

KKさんの遺志に基づく契約をお願いします。僕も66歳で年金も国民健康保険もありません。
2015年1月13日
京都市上京区今出川通り寺町西入ル大原口町229
ほんやら洞 甲斐扶佐義

宮川町の宅建業者には、1999年にほんやら洞をにカムバックする時のやり取りの克明な日記(裁判に耐え得るドキュメント)を大量に持っているし、半ば公衆の面前でやったので、証人は幾らでもいるので、裁判になる方が望ましいと思っているからと言って、供託の方針を告げ、2月8日に新債権者と合う約束をする。先方は、AさんもKさんも日曜日しかダメらしく、「じゃあ、じっくりよろしく!一応、大家さんは今の家屋を解体して、ビルにする腹案もある」と言って、柔かな表情で出る。業者としては、複雑で、長引いた方が、クライアントから金を引き出せるのだろうか?ましてや、相続した金の多寡を知り、ビル建設可能な資金ありと判断しているのなら。そうなれば、僕が、ほんやら洞を休んでいる間の代替地紹介も、彼の仕事だ。悪くはないだろう。
Aさんは、ほんやら洞の建物は老朽化したので、ビルにするかも知れない、休んでいる期間の喫茶代替地を用意するので、移動してくれと言うかも知れないと匂わすのだが、僕としては、外観は現状維持、大家としての義務であるメンテナンスを家賃を下げることを要求した。「ほんやら洞はこの現状の姿にこそ、値打ちがあり、これこそが国際的にも人気の源泉で、世間文化遺産で京都の観光資源になりうるのだ」と言うところまでは、振りかざさなかった。でも、ここは、ポイントと確信している争点だ。市当局も直ぐに、外国からの観光客が、こういうのを求めているのだ、とすぐに気づくだろう。そういう意味では、先駆的カフェとして、脚光を浴びるに違いない。ほんやら洞のもう一踏ん張り処なのだ。契約を家賃を下げて無事更新して軌道に乗ったところで、店は後進に譲ればいい。ちょっと遅いが、そこから、写真の再スタートだ。ここで、布石を打てずして、凡百の政治家を笑えないかも。芸術的というか、粋な形で行きたい。僕でしか闘えないポイントだけは、クリアしよう。
宅建のK氏出て、表に駐車していた車に乗り込み、Telしていた。Aさんに報告だろう。どう、報告していたか、興味深い所だ。どう踏んだか?
まあ、ともかく、今日は、終わりだ。
中村勝さん、明日、退院して、介護施設に入ると、そば切り蕎岳さんのFBで知る。
S、来る。妹の不調もあり、家に留まること多し、と。「そんなにコピーして、どうするの?」と宅建業者に渡したプリントの残り9コピーを見て、嘲笑気味。ピンチは、チャンスの観念ないやろうな。反転のエネルギー、その反射的勢いのみで生きて来た感のある僕は思う。デザイン料の一部前払いを要求される。
月曜社本、カイ日乗一年合本の出版、ブックフェア、契約更新(ピンチはチャンス)への対応とほんやら洞の存在意義の連続的アピールの流れに加速度をつけ、重層多岐の動き作り、一気に跳躍するチャンスを捉えずして、どうするのだ!?まともなプロデューサーなら、その布石を打つ。本気で、僕のドキュメントを作ろうと思っている人がいたら、ここが勘所なんだけどな~。
四条眠眠に久し振りに行く。Sの体重計の話、トマトジュースの話??リカマン行き。
「我々が、我々のなかにあるほんの一部分を生きることしかできないのならーー残りはどうなるのだろう?」
読みかけのパスカル・メルシエ著「リスボンへの夜行列車」(観た映画では『リスボンに誘われて』)の中で、主人公のグレゴリウスが、影の主役?プラドの本を読み込んで行き、ストーリー展開の駆動力とする、この本の影のテーマのひとつとも言える?未読了ゆえ、不明だが、魅力的一説、いや、上記のテーゼがいま、ここで、僕の状況のなかで、甦る。無論、こんなテーマでほんやら洞を書く筆力はない。
書下ろし終了へ向けてのルーティンワークと並行して、署名活動「世間文化遺産こそ貴重だ!」のアピール書き(賛同者集めのプライヤー)の雛形作成に取り掛かる。取り壊しを阻止するには、内外に訴える必要性を痛感。山極寿一、井上章一さん、杉本秀太郎さんも協力するだろう、と永澄さんにアイデア開陳。鷲田清一さんはどうかな?荒巻禎一さんは、僕の写真に関してOKなので、発起人のメンツ次第だろう。例によって、永澄さんは、数時間遅れの反応あり。
八文字屋は、7:50オープン。
滋賀県のイギリス人の男二人くる。
その後、琢ちゃん「八太君、凄いだろ、どうだ!」「カッチャン、女できたかな~」「スマフォでモノクロにするのはオモロイぞ、哲学的に見える!どうじゃい、このちょっとイカレタお兄さんも崇高に見えるだろ」とかいいながら、15分飲んで、直ぐ帰る。段ちゃんには、GFくらい出来ているだろう。
10:00には誰も居なくなる。
正月明けとはいえ、両店とも暇な日が、3~4ヶ日も続くのは、ヤバイ!
誰も来ず、1:30に閉める。2:00帰宅。

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2015.1/12(月)


6:30起床。
10:00まで、ゴロゴロする。
11:00、夕べ送った大家らに渡す覚書をSに打ち出して貰ったので、長岡天神へ行き、受け取り、明日のほんやら洞新相続人&不動産屋への万端の準備。今年一番の大勝負。家賃が、10万以下になれば、何でもできる。
駅前の「希望軒」でラーメン定食。
今日も仕事が山積み。
夜には、Pさん、Tさんに次のようなメールを送る。

T様
明けましておめでとうございます。
新年早々、知恵を拝借させて下さい。
ほんやら洞の大家さんが、昨年(実は一昨年)死んで、身寄りはなかったはずなのに、大家の従兄妹(40数歳)が20数歳の孫が相続人になって、契約しようと言い出して明日、宅建業者は相続人(実際は、多分、祖父)を連れてきます。
これまでの大家は、契約書を交わすことを拒否して、15年前に店親・店子としてスタートする際に「ちゃんとする」と言っていた借家の欠損部分(相当非道い水道、ガス、天井破損、雨漏れ)を放置したまま、長年の入院生活の末に亡くなるまで、家賃も、欠損部分を修復しなければ、30万円から20万円に下げると言っていたのに、下げないまま死にました。
要は、大家周辺のそのような約束した事実を知っていた人も亡くなってしまっています。
僕は、当初、廃屋同然(備品もなし、設備超不良)だったので、15万円を主張していたが、病気だったり、警察に捕まったりの大家にやや同情し、不当要求をダラダラと受けいれて来ました。
さあ、新契約には、何に注意したらいいでしょう。
僕は、15万円を主張して、供託も辞さないつもりです。
また、ほんやら洞のボロボロの現場とこれまでの経緯を鑑み、家賃は幾らが妥当か?T先生に、見たてて頂くことはできるのでしょうか?
明日、午後2:00に大家方に会う前に相談に乗って頂けないでしょうか。
薄謝しかできませんが。
2015年1月12日
ほんやら洞 甲斐扶佐義

昼は、ブックフェアを覗く客のみだ。
PさんにTさんにメールした名案と同じものを打診するも色良い返答なし。「相続は、継承するよ」のみ。FBに大家との事UPするとパリのN氏「弁護士に相談を!」と来る。ウーハオ絡みと返信すると、トレビアンと来る。
八文字屋8:20入り。
中川五郎ライブの流れあるか?と思ってオープン。直ぐに、夕べ段階では、今日は来ないと言っていた奈良井さんが、ちょっと寄る。上記のメール文でなく、明日、相続人に見せる文書を彼にも見せる。
誰も居なくなって、頭がガンガンする。風邪?
11:30にウッチー&カオリンが、五郎さんを連れて来る。ライブ、狭い所、良く入ったらしい。
12:00すぎ、海人彦がエナちゃんと中学の同級生、中山君を連れて来て、一瞬、五郎さん、ウッチー&カオリン等と合流。エナちゃん「カイが司会で、よくやってくれた。20歳を祝われたのは、初めて。嬉しい」を連発。
1:00に誰も居なくなる。
八女の嫂がもうひとりの姉に対する傍若無人ぶりを発揮と聴く。可笑しな関係。
打てば響く感のある坪野さん(ウーハオの友人)より、懇切なアドバイスあり。感謝。Pさんには悪気ないけど、月並み、いや、意欲なしの反応。彼自身、大変なんだろうな。
風邪なので、4:00に寝る。

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2015.1/11(日)


ほんやら洞の大家の養女さんの戸籍謄本を1月13日に持参して貰う必要あり。桐生さんには、1999年12月より1800万円の貸しがある旨を記した手紙を送る。機先を制する走り書きメモ、代理人?の宅建業者の金谷さんに届いたはず。これでビル計画が多少とも揺らげばいいが、たじろぎを見せないだろうか?最初の見所になろう。桐生さんには、何度も、修理かさもなくば家賃値下げを!と電話で迫り、そのたびに、激昂させ(怒りたいのは、コッチなのに)、何日も何日も、一時間、二時間と、嫌がらせの電話をかけられ、警察に何度も言おうと思ったが、大家と険悪化したら消耗すると思い耐えてきた。老人で病人というので、同情もし、コッチは身を切り、我慢してきた10数年だった。
朝、荒神口で可愛いユリカモメを撮る。
疲れて、家で少しゆっくりする。出町桝形を行く寂しげな老人、ほんやら洞で松ちゃんを撮る。
レオ、セレン来る。窓際の妖精風のセレンも撮り、UPすると、誰かが、絵に描きたいとFBに記す。
8:40、八文字屋入り。鹿さん、島原付近住まいのモリモリの紹介の二度目の谷中「町人」客来る。町人は、パンリアルの日本、大沼憲昭の行きつけ。息子はスケートのインストラクター。中、高校を同志社にやったのに、大学は、大阪の私学に行ったとボヤキ半分の自慢話。
誰もいなくなって、奈良井さん、来店。その後、同志社「ワン・パーパス」グループを率いてウッチー&カオリンが来る。
帰る段に冨樫、そしてチュン君来る。聴いておれないウーハオについての論議、戯言アピールを聴き流し立ち寝していた。寒くなければ、ほんやら洞で原稿といきたいが、八文字屋にて沈没。

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2015.1/10(土)


寒くて、6:00に目を覚ます。
今晩はネズミ取りを仕掛けねばと思いつつ、ほんやら洞へ直行。
不調続く。原稿進まず。小林隆二郎さんが死んだと連絡あり。
北口先生来店。古川豪さんと相談して「毱の行方」上映しようと言っていたが、ひとり相撲のようだ。
ほんやら洞の契約に立ちあうという宮川町の宅建業者の金谷佳一さんに、少し汚い手書きで、契約時の確認事項を書いて送る。
デジカメの発掘、杵送りせねばならないのに、出来ず。
ほんやら洞も八文字屋も超暇。
レオは、顔を出して直ぐに帰る。フーさん、鹿さん、奈良井さんのみ。温ちゃんは、2時間入り。
海人彦は、3人率いてきたが、誰もいず、直ぐに帰る。S、作業で疲れ切ったようだ。タイトルは、「カイ日乗」でいいじゃない!?と、いう。
1:00ベンチに沈没。4:00客覗くもいれず。

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2015.1/9(金)


10:00起床。
日乗一年分の本のタイトルを、寝ながら、あれこれ考える。
漢詩から取れないか?とおもうが、手元にない。各月の最後の1頁が白紙らしく、如何にすべきか?月初めに写真が来て、最後も写真でサンドウィッチすべきか?カイ写真初心者向けに写真集の宣伝をすべきか?広告取り可能なら、そうすべき?
タイトルは、手に取りたくなるようキャッチーに?とくちゃくちゃ考える。
「Sieze the day」「この日をつかめ」「ほんやら洞・八文字屋の詩人たち」「わが友酔人」「京都を騒がせた詩人たち」「Bar Cafeを騒がせた美男美女たち2014」「美男美女交遊録」「酔生夢死的日乗」「撮った!愛した!枯れ尾花」「酒と美女と酔没の日々」「一年有半2014」「頓狂酔眼日乗」「KAI徒然草」「サヨナラ!ポンパチ」「抱き枕KAI日乗」?英語、フランス語では、「カフェと写真と愛の日々」とか「撮った、飲んだ、書いた!」等、羊頭狗肉も辞さず。
矢部宏治の「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止めれないのか」(集英社インターナショナル)をやっと入手。
12:20オープン。
日ばかり過ぎて、新年のエンジンかからず。
姉より、好物の干し柿届く。学生時分、ほんやら洞のバイトだった北大のW教授の幼友達のI君来店。
ゆうべ、9:00に八文字屋に来てくれたと言う。
癌で死に掛かっていたらしいが、友人のカンパで、腹が腫れていたので、入院して手術。今は、生活保護生活。息子は、中1から暴力事件で施設に二年半いたが、出所後、猛烈に勉強し、その施設始まって以来初の都立高校入学を果たして、今度は、アメリカ留学もきまったと言う。
西荻窪のほんやら洞が潰れた後に出来た「満腹食堂」にいた。その後経営していた会社も倒産しての入院だった。武蔵野市で生活保護を貰っているのだが、何時も約100人が列を作っているのだが、年寄りは、貰って直ぐに飲みに行く相談を列のなかでしているが、若者は暗く、半分は鬱病みたいな顔をしているのだそうだ。
西荻窪の行きつけの「呑み亭」も常連が、次々に死んで行って、今は寂しい限りという。
こっちも同様だと言う。今晩、飲む約束。
八文字屋のバイトが休みというメールあり。八文字屋でだ。彼は、神社仏閣に行っても、仕方ないので、昨日、今日は、水族館に行ったりしている。
70過ぎて糖尿にも関わらず呑み続けている「呑み亭」での呑み仲間でほんやら洞客のドキュメンタリー映画監督の孝寿さんよりTelが入り、「カイさんによろしく」と言っていたとか。「金がないのは、本当に辛いね~」とお互い、そんな点ばかり共感。子どもが4人いて、孫もひとりらしい。ひとりで住んでいるが。
「マリオネット」のほんやら洞Live決める。
マリオネットは、今秋から、大分方面の計画あり、大分の知人を紹介して欲しい、とマネージャー氏、営業方の鑑的メッセージ寄越す。
数年、帰省していず、大分の様子を見て、紹介したいと伝える。
日向太が冬休み、勉強もせなアカンのに、旅にも出たい旨をFBにUP。南米?アフリカ?
何一つまともな事ができず、昼の部終了、客少なし。バイト休みのメールのみぞ多かりけり。寂しい。
今年二度目のS、顔を出し、デジカメとKindleを連動させ、画像をUPするカード挿入、設定してくれる。直ぐに活用せず。原稿だ。
もうほんやら洞に留まるべきではないのかも。契約時にもう数年だ、今度は、こっちにお返ししてくれ!と主張するぞ。杵を返さねばならないのに、寒いので、お湯を沸かしてばかりで、餅に黴が生えてくる。餅をお礼に送る心づもりだったのに。
八文字屋、8:30にオープン。
カンパ気分の石川君が来て、団体が来る。珍しく団体の中にひとりも親しい人物なし。3月17日からメディアショップでブックフェアをやる14人。ボトル1本のみ。
石川君、まさに福の神か。彼も日頃のボヤキを知っているだけに「早く、ほんやら洞の青春、書き終えよ」と励ましてくれる。彼のDJも良かった。オイタさん、結婚志願女性、増田さんと続く。
12時に誰も居なくなったと思ったら、その後、川口さんが、青年同伴。川口さん「本が出たら、講演旅行しよう」なんて言う。川口さんは財布みつからず。
彼が帰り、さあ、帰ろうとしている所、冨樫が若い男と来る。
3:00過ぎ、閉店。帰ろうとするが、撤去逃れにチャリを上にあげていたので、降ろすのが、億劫で、店に沈没。

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2015.1/8(木)


6:30起床。
9:00まで寝たり、起きたり。
いつリクエストしたか忘れていたが、土田ヒロミさんから、友達承認あり。
去年、4月に友人に「是非、お前の口から言え」と頼まれて、お節介にも平野啓一郎さん「貴方は次に、いや、直ぐにフランス芸術文化賞シュバリエを貰えるらしいです」とメールし、一瞬、怪訝に思われた経緯があったが、とにかく、実際、貰えて、ホッとした。パリに確認すると、6月くらいに貰ったはずだ、という。
一日何も出来ず。
京大マリーンも少し。
9:30に開けると直ぐに、依田高典先生が、イリノイ大学で一緒だった工学部の越後先生を同伴。今度は、父親が野球選手だった経済学部長の岩本先生を連れてくると言う。クリケット、野球、アメフト等々の話をする。高山先生は、今や、闘士です、という。日経新聞の連載「私の履歴書」の王貞治の連載は真面目でおもろいとのこと。萩本欽一もオモロかったという。
3:00まで客待ちも空し。
3:30帰宅。

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2015.1/7(水)


6:00起きるが、ネット、不調。
8:30までダラダラ、八文字屋。
夕べの片付けが困難?ススだらけを失くすのに難儀。
家で久しぶりに風呂。明日、大分合同新聞に出すと佐々木稔記者よりメール。
1:40ウッチー、そして、マリオネットの海井マネージャー。成人式絡みで檀王から海人彦のアドレスの問い合わせTelあり。一応、教えるが、対応は、彼次第。
二人の後は、大阪芸大の人権論の北口学さんが1930年佐藤紅緑原作の映画「毬の行方」、崇仁小学校の校長の「崇仁の走り」の試写会をほんやら洞でやろうと持ちかけてくれた。「崇仁の走り」は、黒川の小説「京都」の中の「旧柳原町ドンツキ前」にも登場。
山崎哲さんのFBで、Gee・Fujita監督の“Lost Rumbler”(赫尖たる逆光)(1990年)を知る。興味深い。山崎哲さんにブログ本のネーミングに関して、小倉一郎さんからの陳腐なコメントがあり「オモロウナイ、読んでないだろ」と記したのを見られて「独り笑い」される。生きたコメント。まだ、FBに時間食い過ぎ。「少年の夢 老人の夢」?の1月分校正。デザイン料クレームあり。
浅利デーも、超暇。西安帰りの川㟢さんが栗、カボチャの種等の土産持参。奈良井さん、鹿さん、佐藤寛子さん、迦陵頻の片山さんでおわり。マリオネットの資料を見せるが、興味示すものなし。「今年はどうなりそう?」と浅利ちゃんに訊ねる。
宮尾登美子死去。フランスでイスラム絡みのテロ。パリの日本文化会館辺りで西川氏デマで苦しめられているそうだ。
九州の細民噺は度し難し。
6:00まで、寝て待つも虚しい。

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2015.1/6(火)


3:00に帰れると楽。
この10日間、ほぼ一人で店を開いたり、閉めたりで、書下ろし一気に書かねばならぬのに捗らず、つらい。疲れ過ぎだ。歳のせい?数日後には、大家亡き後、新地権者とのバトルが暫く続くかもしれない。もっと余裕を持って臨みたい。
ルネで、「猫町ブルース」「Beautiful Women in Kyoto」買う。やまやでワイン。
レオに来て貰い、臼を外に出す。新宿ゴールデン街の「ラ・ジュテ」の河合智代さんは仲良しの大阪産大のフランス語の内村先生と来店。洗い物が溜まっているので、8:00からセレンに2時間入ってもらう。
京都新聞文化部の新年会、20人集まる。人見さんは1月27~29日の日高暢子さんの個展に来いという。暢子さんが何度もTelしてくること、池澤夏樹が褒めた云々。徐勝さんが、美女ばかり撮っていいな~とか、真以ちゃんへのことづけ、おみやげはないか?という。木戸衛一&セレンさん写真撮る。セレンさんは、1月31日、シンポジウムでコメンテーターで出るのに、日本語を不安がる。毎日TVの西村さんもいる。一昨年、お世話になった大橋記者も、くる。
11:00から八文字屋で、同志社社会学科の板垣竜太准教授、人文書院の編集者赤瀬智彦さん、矢代到共同大阪文化部長。
そこへ谷川さん&M人形。矢代さん、ジャン・ラリヴィエール賞の記事、大分合同新聞配信の心積りあり。少し齟齬?
2:00谷川さん&M人形が帰り、そのままダウン。

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2015.1/5(月)


原稿手直しの他、何も出来ず。
大分合同新聞1月21日号の1面コラムに、J・ラリヴィエール賞件出すと、メール。
道出版の松尾圭吾さんより、JTBと組んで、電子本出せそうだが、社内的には、まだ、詰めてないとメール。
S、「少年の夢 老人の夢」のゲラ、縦組の見本、上島まで持参。800頁になりそう。
レオ、餅を食いに来る。松浦里絵ちゃん、糸島より来る。福島からの避難者等と農業をやったり、保育所を経営したりしているという。子供も自宅で産んで、臍の緒も自然に切れるのに任せているし、胎盤も食べているという話や両親を引き取る予定等話していく。今の私、あまり、元気ではないけど、甲斐さんも食いっぱぐれたら、糸島へおいでよ、糸島でコーヒーを出してもいいし、カレーを作ってもいいよ、と言ってくれる。彼女は、もう一人、子どもを産みたいてな、話もする。
原稿進まず。明日、永澄氏ら18~25人来るとのこと。
家賃、二つ入れたら、文なしになる。酒屋に払えず。明日の仕込み、熟慮必要。
梶田さん、人間国宝の村山明さん、安芸和美さんが来て、助かる。若い頃はとても綺麗だった志村ふくみさんのこと、黒田辰秋さんについてきく。
2:30まで待つも、虚しい。安芸さんは、僕の工芸会での4年前の講演を聴いてくれ、かねてから八文字屋に来たいと思っていた人。二人とも、「少年の夢 老人の夢」の出版パーティによんでくれという。
3:10帰宅。

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2015.1/4(日)


昼までダウン。
原稿は進まず。ヌーインさんの妊婦姿をFBで見たのに、メッセージを送り損なった。
八文字屋、トップは、Bar「人妻」から聴いたと伊豆からの不明客そして、彼にも親切な奈良井さん。
岩澤さん、来れないと連絡あり。
11:00で客なし。1:00すぎ、オーストラリアからの21歳のベニー&冨樫、純米酒持参。4:00過ぎまで、3:00東京客3人4:00まで。ベニー「路地裏の京都」気にいって、2時間じっくり見て買っていく。
4:20閉店。
5:00帰宅。

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2015.1/3(土)


iPad壊れた。
3時間弄り効果なし。61年ぶりの雪とのこと。
温ちゃん八文字バイト知らず、8:40に行く。3人の京楽客経由の東京人あり。
レオすぐ来る。東京でレコード作りをやる友人、福岡から誕生プレゼント持参。
S、宮津土産持参。月曜社ゲラ見せると、「はじめに」はもっとキャッチーな「カイ節」の方がいいと言う。朝日の農業者、増田さんは、今日、山から降りてきたところ。
アベーロード、来る客ごとに、みせる、聴かせる、魅せる。
温ちゃんが、今晩は、奈良井家で、ミルトン&アドちゃんパーティと。トップに岩澤侑生子さんが、来たが、タッチの差で会えず。
12時過ぎ、横になっているところに、亮太郎&山口タカコさん(劇団維新派女優兼松本雄吉アシスト)、美女&野獣写真。山口さんと岩澤侑生子さんは知人で、よろしくと言われる。ベルギービール3本飲んでくれる。「12月にラビさんを八文字屋に連れていた時に、カイさんとラビさんが意外と意気投合し、しかも、ラビちゃんが喜んでいたのには、ビックリした」と言う。フライングダッチマンと、来月から、台湾等外国演奏旅行に出るのだが、政治的にデリケートな面もある、と。山本太郎と小沢一郎が合流したのをどう思います?と何時もの質問スタイル。もち、亮太郎の気持ち判るし、同感!!と言う。9月に梨の木旅館の孫、パークスの件、お願いする。カイ紹介と告げて、申し込めと山森さんにに言ってくれ、30人引っ張ってくれたら、嬉しいとも。
亮太郎、山口さんも帰った後、ワッキー、夕べは、河合家に行っていたと言う。亮太郎に会いたかったという。伏見まで帰るのに必要ならチャリを貸すよと言ったが、電車に間に合わず、ワッキーは、海人彦を呼び出していると言って、一旦、外出。1時間後に、海人彦を連れて来る。京楽に行っていたらしく、まだ3人働いていたが、バイトの美波ちゃんに、八文字屋で待っていると言ったらしい。そして、1時間後に京都芸大で陶芸をやっているバイトの美波ちゃん。海人彦はそれなりに営業をやってくれる。
場合によっては、経済学への転進も視野に入れていると言うので、経済学の依田高典教授が、海人彦、日向太に会いたがっていたので、転進の相談には、行けと言う。彼の理学部の担任は、山極寿一学長と言うので、彼のことも知っているし、娘は、八文字屋バイトだったという。
そんな事を喋っていると「何処吹く風」みたいな顔をしながら、「生まれてこの方、二十歳迄、お父さんと喋った分の倍、今日は、お父さんと喋った」と笑かす。ワッキー相手に、将来は、場合によっては、日向太、海人彦、母とで、塾をやっても良いと考えているとか、6年後に、京都芸大が、崇仁に来るのなら、この学生を下宿生として取ることも、もくろめるかも、とも。
海人彦は、徹夜で、明日、センター試験模試の試験監督に行くと言う。

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2015.1/2(金)


11:30起床。
八文字屋、ほんやら洞に居るよりも、布団の中で原稿を書くのが、一番エネルギーロスが、少ないので、2、3時間そうする。
ほんやら洞には、4H居る。
日中は、雪なく、夜10:00から2時間降り、積雪。セーター着ずに出てしまう。
ウッチー&カオリン、友人と米菓7種詰合せ土産に来店。11:30に帰り、2時間眠る。その間、外国人、一人覗いて帰る。2時前に「やまのや」さんが来店。バブルの頃は、年越しソバ、百貨店から、一度に、40~50注文あったが、オカモチには、4つしか入らないのに、どうやっていたんだろ、と述懐。石丸商店でアサヒちゃん(元八文字屋バイト)に初めて会ったという。同志社生の息子が、やまのやを二部制の営業にして、夜、BARをしたいと言うが、場所柄、そんなに甘くないよ~、と言っているのだとか。
2:45誰も居なくなる。
京都の正月の雪、58年ぶりの大雪らしい。
4:50にお客さんが来たが、さすがに、断る。
新井純さんがシェアした桑田佳祐の「アベーロードA」シェア。
5:35に出て帰宅は、6:25。雪の鴨川、チャリ車輪固まり、難儀。

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2015.1/1(木)


篤太郎、ワッキーの居ない八文字屋の大晦日は何年ぶり?
60%が外国人。
八文字屋泊。階上のオタクBARでは「宇宙戦艦ヤマト」を繰り返し歌いつつ、昼過ぎまで営業。
1:00過ぎから雪。よくも元旦から、無情の大雪が降ってくれたものだ。
ほんやら洞、客なし。三角州、今出川、少し画像に収める。
徳永恂さんの賀状では、「ペンもラケットも盃もまだ捨てる気はないですが、そろそろ身辺の整理も必要になりそう。でもまだ目を開かれることも多いので、自分なりに、『見るべきほどの事は見つ』とおもえるまで元気でいたい」とあった。手書きで「とにかく、『元気にさえなるものならば靴も磨け歯も磨け』《中野重治》」とあった。
木須井麻子さん、高校同期の阿部清一等から賀状。
今年こそ、三兎を追うのをやめ、一兎に絞りたい。
何ほどのこともできずに終わる。
8:40に八文字屋入りするのに、今出川から丸太町の間、チャリの車輪が滑って時間食う。
客なしと諦めていると、奈良井さん&ミルトン来店。仕事帰りの段ちゃん、山芋くれる。奈良井さんらは、京楽へ。段ちゃんが帰り、店仕舞いとおもいきや、冨樫&入江君、登場。アベーロード見せる。4:00前まで。凍てついた河原町経由で吉田へ。
4:30帰宅。

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