ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 2月

2015.2/28(土)


6:00起床。9:00までゴロゴロする。
疲れ癒えず。
松屋で焼き魚定食。
家の郵便受けを見に帰る。
京都土地買取センターからの封書なし。
東京地裁提出の被告としての言い分を補強するのに、必要なのに、どうも協力してもらえそうもない。
ちょっと邪推したくなる。
八文字屋には、草間さんより明日からの「染・清流館」での招待状あり。元ほんやら洞バイトの秋山(旧姓)聡子さんと母親の昌子さんから、激励の手紙。
東京地裁へ書類送りかえす作業進まず。もう一度、件の書士に相談。とにかく、答弁書は送れ!とのこと。行けないと記して、2回目から電話会議にしてくれ!と言えとアドバイス。
5:00前後にウッチー&カオリン、洛北コンビの浮田哲&菓子差し入れの河内厚は本を運び込みに来てくれ、助かる。各紙、予告を出してくれると言っていたが、どこも見送った。永澄さんは参加。毎日の、柳生邦子さんも来て、日高六郎夫妻の消息を聴かれる。2年ぶりに会ったケビンさんは、やはり、若々しかった。
今日のイヴェント、神?の視点でなく、お客仲間の様々な蠢きの観点から書いたらオモロかろう。僕も30分位で立体的に書けたら面白いと思う。が、冷静で居れないだろう、と思って望んだが、観察はおろか全然来客としゃべれず。ワインを8杯も飲んでしまった。
7:00位まで来場者が少なく、どうしたものか、横ちゃん、Kei-Kが姿を見せず。「ほんやら洞の甲斐さん」二度上映。「こりゃ、100人行かない!?」と焦ったが、結局、82人入り、丁度良い感じでUrBANDGUILDにも迷惑を掛けず済んで、よかった。僕は、最初の挨拶で、思わず、感極まり、涙が滲み、喋れず、引き下がったが、やはり、一度、深呼吸をしてやり遂げるべきだった。まだまだ、ウブ、揉まれ方が足りない。これからの課題?(笑)閉会の挨拶を最後にやっている時に突然、K_Keiが出現!!「美味しいとこ、もっていくな~」とRyotaroも後で感嘆、唸らせる。K_Keiらしかった。
ケビンさんは、“On Reading”からインスピレーションを得た曲を演奏。
冨樫は、ケビンさんとシアトル時代は近くだったらしい。
坪川桂子さんは、「恩師、山極寿一さんを誘ったが、ウィリアム王子を取るか甲斐を取るか(笑)」で悩んだ?が、当然、ウィリアム王子を取ったと言う。ハイデッカーの中川さんは本も沢山買ってくれる。芳礼さんはマークと一緒なので、ヨッシー接近出来ず。胡さんは、サッちゃんの知人の女の子二人連れ。元バイトは、咲希ちゃん、小沢明子さん、千佳ちゃん、モッチーと来る。小沢さんが早く来て居れば、ポエトリーリーディングを、横ちゃん、井上章一さんの穴埋めとしてやってもらえたのだが、と探し、少し焦る局面もあった。現役の温ちゃんも来て、8:00八文字屋へ。黒子沙菜恵さんも顔を出してくれる。トップの演者は、草壁カゲロヲで、「ほんやら洞のベンさん」が面白かったが、少し、冗長になった。25分でなく、15分位が良かったかな?「音楽はないの!?」と言って帰る客も2,3人いた。酒差し入れのユキちゃんもいたのでカゲロヲに「ベンさんは、ピョンさんよ」というの、それ、ユキさんに聴いたという。サッちゃんの京大勤務時代の仲間も3人いた。オイタさん、樽家さん、長谷川真子さん、城阪さん、河内、久保、浮田等の洛北仲間とデカ・ジェロームの奥さん(渡辺菜穂子さん)が喋っていて、自分も洛北出身と告げ、盛りあがる。菜穂子さんは、来月は、三田に引っ越すという。ジェローム、大丈夫かな~?竹村洋介さん夫妻、ムービーの大西正夫さんもいた。岩澤侑生子さんの写っている写真集はないか?というが、生憎、丁度、売り切れ中だった。
奈良井さん、梶田さん、ヨッシーが結構撮影してくれたようだ。久美さんを巡っての鍔競り合いで、カゲロヲの出番の最中に雑音として聴こえないでもないオッちゃんの声も有ったが、後でカゲロヲは「僕の語りがそれを誘発したのなら、嬉しい」と、さすが。村田真一、マサイさん(大分のモモンガ)&長崎の友人、一升壜差し入れの酒谷宗男さん、初めて亀岡から来たという女性もいた。「再建を願う会」の臼杵さんは、東京から?百枝さん、梶田さんが、きっちり撮影してくれた。カゲロヲは、終幕のKei-K登場をムービーで捉えた。来ると言っていた鹿さん、浅利ちゃん、先斗町「ひろ作」のせっちゃん&杉本さんは、姿を見せず。未知の客はほとんどいず、ろくでなし客もあり。
Max&Ryotaroのtrace elementsのユニット結成20年という。Maxの最後の歌は、ほぼ、「The time They are changing」だった。Maxは、「甲斐さんとは、ほぼ、20年の付き合いだけど、ほとんど喋ったことがない」という。
受付はダンサーの大蔵芽里さんがやってくれる。Sが本の販売。レオに頼んでいたが、早く女の子と消える。
二次会は、八文字屋、入り切れず。
レオのグループが陣取り、琢ちゃん、段ちゃんグループも居て、段ちゃんが浅川マキを唄うのに合わせて、琢ちゃんはイダキを演奏し、カンパを集めてくれる。中村勝さんの知人を嫁に持つ男も来る。
久美さんは、良い男がいっぱいいるので、飛び回る。モッチーは、全然、そんなのは呼びでないのに「私が、ほんやら洞の件で証人として役にたつのなら、証人になるよ」なんてことをイヴェント会場でいい、八文字屋では「私の噂を流さないで!」というものの、嬉しそう。琢ちゃんのことらしいのだけど。迦陵頻の片山さんは、入れず。
ケビンさんは、なんども「独身?」と聞かれ、モテモテ。特に、久美さん。ま、段ちゃん、琢ちゃんにも粉掛け?「あなた、京大?」って聞き方にも参りました。
一皮も二皮も剥けてきた琢ちゃんは、いつでも、女性と喋りますよ的顔でオモロかった。オイタさんは、二次会では、息切れ?でも、また、元気復活の兆しあって、嬉しい。セレンさんも友人3人連れて来てくれる。
Ryotaroは、二次会の深夜、残留組が少なく、寂しがる。
4:40に答弁書を明日、発行する必要があるので、閉店します、と言って閉める。東京地裁の話をすると、坪川さんは、「兄が静岡で弁護士をやっているので、いつでもタダでやらせるよ」と言ってくれる。竹村洋介さんも東京には、弁護士の友達がいっぱいいるので、紹介すると。Kevinさんのお父さんも弁護士だという。Kevinさん、竹中洋介さんご夫妻、坪川さんもいた。Ryotaroが「甲斐さんが、閉店だから帰ってくれ!」と言うのは、めずらしいね」という。閉店直前、上倉先生の元学生二人も来て、一時間いる。ユーミンを掛けてくれ!とリクエスト。
雨で、八文字屋泊。

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2015.2/27(金)


7:30起床。山崎哲さんがマイケル・チミノの映画「天国の門」を紹介している。観たい!と思うのみ。
怠いので、昼まで、ゴロゴロする。
3:00前にウッチーが、明日の「火だるまライブ」で販売用に家で日干ししてくれた焼け跡から救出した燻製写真集を届けてくれる。
S、「日乗」本の扉を風媒社に送る。
井上章一さんは、隣人が倒れ、女房と二人で面倒見に行かねばならず、明日、ゴメン!と。
今日、台下冷蔵庫がはいるのは、29年11ヶ月ぶりの事。つまり、オープン以来初めて撤去、新規搬入。20年前から壊れていたが面倒臭いので、家庭用を追加してゴマかしてきていた。
次は、お金が出来たら、八文字屋ファイヤー!?をブロックするためにもガスコンロ買い替えかな。僕は大丈夫と思っているが、中には、炎の行方を心配するムキもある。もちろん、これも中古。そのまえに、4月17日からのパプアニューギニアの写真家の写真展のために、壁を工夫する必要がある。
読売の森さん経由で梶さんより電話。3月9日に関西フォークについて話を聞かせろ、と。台下冷蔵庫到着遅れる。7:00台下冷蔵庫入る。フロアーの冷蔵庫は処分。二つの冷蔵庫の処分代、結構なもの。
9:00過ぎから作動させる。
トップ客は、増田さん「ほんとうになくなっているじゃん」、次は「谷中の「町人」の客の女性。
鹿さんは、直ぐには気づかず。次は、高林さんの同僚の元サッカー選手のお坊さんが、同僚二人同伴。
鹿さんが、その中の女性の声、「あさひちゃんに似ているな」というので、見ると後ろ姿が似ている。
鹿さんが、帰ろうとしてその彼女に声を掛けられる。三年前の「トンボ」の客だった。この三人は、「ジュネーブ経由ガーナ風ジンジャージュース」を飲む。
次は、久しぶりのミディレコードの大蔵博さん。
大蔵さんに東京地裁への喚問の件を告げると、彼も2,3回、経験があるが、「それは、蹴らずに行った方が良い。警察の場合は、放った方が良い場合があるが、裁判所の権力は違って、心証を悪くするとろくなことにならない」と言う。なかなか説得性があった。
因みに、先日相談した知人の司法書士さんは、「東京に行く旅費もない、と言って、当日、電話で対応出来ますと言えばいい、どうせ、カイさんには差し押さえられるものは何もないのだから」とアドバイス。
前の前の前の、その前の大家への借金あるということで、その債券が債券会社に売られて、そこが東京地裁に訴えたのだ。その会社から2,3回封書が来て、放っていたら、去年の11月に電話があり、再来週会おうと言うことだったが、電話が「お客さんの都合」になって、今回の事態。1月14日に持ち込まれたようだ。そんなに潔く行って、泣きをみる不安はないのか?
勿論、当方にも言い分があり、3年前の契約時に、気になり、新大家に残った金はどうなるの?と言うと、新大家は、ウチにしかるべき金を入れれば、問題ないと言い、入金したのだが、それは手渡し2回で、領収書を貰ったが、それは、火事で焼失。その経緯を書いた日記も焼失。この日乗に書けば良かったのだが、ブログにそぐわないと判断したのが、アザとなった。その不動産買取センター(と言う名の不動産屋)に領収のコピーをくれ、お願いしたが、反応なし。
立件した「ゆとり債券」さんとやらは、「甲斐は、そう言って来るだろうが、それは、事実でない」と東京地裁へ弁護士を立てて、提出文に先回りしたことを書いている。まだ、訴状は熟読せず、問題を、例によって、先伸ばししている。
まさか、仕組まれているのではないだろうな。それはないか?
確かに、僕は、貧乏だ。だけど、その時は、パリのギャラリーで作品が水没した事件の保険金がちょうど2年遅れでユーロだてで400数十万(1ユーロ、99円位でつらかった)円分入り、それを充当したのだった。
東工大の青ちゃんに念ために、3月8日、泊めてくれるか、とメール。読売の取材変更の必要があり、森さんにメール。
さて、今日、決める必要があるのだが……。
次は、野村総研の佐々木俊(上級コンサルタルト)さんが久しぶり。できたら、明日、イヴェントに出たいと。K社のM記者、「投票率が50%を切るような統一地方選、新聞の見出しは、どういう論調を打ち出せば良いのか?知恵があれば、教えて欲しい」という。
東京地裁行きの迷いを吐露すると、奈良井さんは、東京地裁へ行き、友人とも会い、楽しみ、写真を撮り、裁判所のことも書けばいいじゃないか、前向きで行こうと励ましてくれる。
12:00前に誰も居なくなり、2:00前に、高松樹ちゃん、大阪芸大の後輩(東寺西門辺生まれ)の「アンビシャス」の影山大介さんと彼の上司同伴。父は、小説家兼東映の俳優だったと言う。樹ちゃんは、ほんやら洞の火事については、祖父(伸さんの父)から「ほんやら洞が燃えているぞ!」とTVの前に呼ばれて、知った。
3:00閉店。八文字屋泊。

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2015.2/26(木)


8:00起床。
9:30松屋。シャケ定食くいながら、Ryotaroの投稿を見る。思わず、涙が滲む。感謝。
出町までチャリ押し、修理、それから、左京郵便局のつもりが、パンク修理(2800円)1時間以上かかるのでボール&チェーンで時間潰しに珈琲。よっぽど、歩いて行こうかと思った。寝不足、エネルギー不足。うつらうつらする。
ひと雨毎に春は近づく。
今日、星野高志郎さん、八田さん見舞い。梶田さんが八田&浅利の写真UP。3:00過ぎに、Shun Nakasekoさんが手伝いにくる。燻製写真集も少し取りに帰る。吉田の家賃を入れる。
ボチボチ、ニュージャージーのデビッド・ハインラインにメールせねば。バーバラ・バイまで登場するとは、思ってなかった。
タウンタウンに明日持って来てもらう。
3時間みっちり片付けたら、1991年前後の行方不明の傑作ネガも出現。Shun Notubo君も洗い物、箱、ダンボール壊し等をやってくれて助かる。1975年前後のほんやら洞のネガも数千点出現。漫才コンビのような容さん&古川豪さんネガも。1983年前後の経済局での仕事、梁民基に付き添っていた頃の男寺党研究の人形劇の沈雨晟の楽友会館での発表を撮影したカラーリバーサルのポジも発掘。つい嬉しくなり、梁さんのお嬢さん、Solさんにメール。一昨日、沈雨晟に会ったばかりで、3月ソウルから戻ったら、見せてくれ、という。
毎日、かつてあったほんやら洞周辺の意外なものや出来事を想起させる写真等が出現するので、それについてあれこれ、思いを巡らせ、今、現在起きている事と交錯させて、来月後半から書き綴りたい。
今日は、何故僕の荷物の中に中山容さんの本が紛れ込んでいたのか分からないが、秋山基夫著「パイナップル通信・その他の詩」(思潮社1967年600円)があった。
これに次の献辞があった。

「地球のうた
でっかい望遠鏡でのぞく
月を土星を
そんなひまがあったら
天文家よ
僕をのぞけ
土星から
月から
僕の地表は荒らされ

病気のうた
健康ほど残酷なものもない
病気がいい
病気こそ我が心のより処

中山容様
秋山基夫」

八文字屋のトップのお客さんは、段ちゃん。次は、一週間ぶりの鹿さん、牧野真平君。牧野は、段ちゃんを掴まえて、人工知能について熱っぽく語るが要領をえず。そして、「ラバンデリア」の佐藤由美子さんと一緒の永澄さんが、杉村さん、加藤さん連れ。杉村さん、平井玄と尊敬し合っているので、佐藤さんの店で二人のトークショーを企画してくれとか、永澄さんの「青木正児」の本と合同出版記念パーティをやろうという。ガタリの「エコゾフィー」(青土社)を訳したらしい。例によって宣伝に余念なし。佐藤さんは、八尾に住む八十歳すぎの母の手作りの和菓子をプレゼントしてくれる。
僕のパーティ会場を巡って、在野真麻さんが調べてFBで提示してくれる。
S、28日の井上さんの来場を心配して、確認しろという。
11:00に誰も居なくなり、1:45まで昼歩き過ぎでかダウン。3人の留学生に起こされ、2:40まで営業。3:00前に星野さんから、入院見舞いの八田レポートあり。
3:30帰宅。明日、冷蔵庫をかったら、スッカラカン。金を借らねば、冷蔵庫を引き取って貰えないかも。

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2015.2/25(水)


天神さんの梅花祭か。
5:30起床。気がついたら、セーターがない。冨樫以降誰か来たのだろうか?
4時間ダラダラする。イタリアのバッタリーニ夫人からのメッセージ、パリのラファエロさんよりの仕事「京都ガイド」の補足事項メール。
松屋で焼魚定食。保健所、ついでに天神さんを覗こうとしたら、保健所移転で、天神さん先行。天気も良いし、暖かいので、人で溢れていた。
チャリを漕ぎながら、東京地裁に出す書類の文面を考える。丁寧、かつ素直をもって旨としよう。
ボール&チェーン。家で30分くつろぐ?郵貯から不在通知あり。明日にする。
燻製写真集を持って、八文字屋、そして、タキモト、ラファエロさんのご所望の写真撮りに徳正寺正面正面行き、そして、八文字屋。途中、チャリ、パンク。
Sと山之家さんで食事。中川五郎さんから「こないだの可愛い女の子は誰?3月6日のわからん屋のライブにも来てくれるように言ってくれ」とのわざわざのメールあり。
橋本猛さんの不整脈、清水哲男さんの肉離れと友人の突発事故を聴くにつけ、用心を心がけようと思う。いつ我が身に降りかかるや知れず、いや、違う病気が併合して一気に襲いかかって来る予感すらある。かつて九州まで歩いて帰った健脚自慢が、この15年でボロボロになったのだ。時間さえあれば、カメラを持ち、子ども連れで、いつか、チャリで九州へ行く野心もいまや行方不明。55歳で柵を越えているつもりが、ひっかかり、筋肉が音を立てて崩れるのを自覚。いまや、心肺、前立腺、糖尿、血圧に難あり。いつ倒れても良いように心の準備、身の回りの片付けは少しはやりたいが、ままならぬ。
数日前に打診していた市議の鈴木マサホから、こんなホテルに当たろうかとメール。東華菜館が候補に上がっているので、ストップ。「東華菜館も友達」と言ってくる。
浅利ちゃんのバイトだったが、田村精太郎さん、尾崎真人さん、奈良井さん、冨樫のみで終わる。3:00まで開けることは開ける。田村、尾崎は、八文字屋クリアランス話。冨樫は、酒の輸出会社作り、中国行きの夢を語る。
自転車がパンクなので、八文字屋泊。
明日、明後日のどちらか、1時間程度の助っ人有り次第で、八文字屋入口冷蔵庫を撤去して、カウンター内掃除後、台下冷蔵庫を入れる予定。東京への文書を今日、明日中に認めねばならない。落ち着いて書く時間はありやなしや。

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2015.2/24(火)


FBで津村喬のニューヨークでの治療報告、原毅さんICU入りの投稿?読む。当方も、ボチボチ心の準備が必要。
8:00起床。朝から、プリント探し数時間でバテる。
上京保健所から、ほんやら洞の許可書更新申請か廃業届けを出せとの電話ある。
「ほんやら洞日乗」(風媒社)出版にむけて、僕のやるべきことは、全て終わる。こんな日には、山崎哲さんが昨日、紹介していた1990年のアメリカ映画「わが心のボルチモア」(バリー・レヴィンソン監督127分)でもみたいが、我が家には、TVもなければ、CDを聴く装置もない。ましてDVDをや。子どもたちと別れて10数年、それらの装置の恩恵に預かってない。「レインマン」の監督のようだ。1914年の東欧からの移民3代の一代記らしい。ダイアン・アーバスのファミリーより、ひとサイクル後という感じかな。来年くらいPCを入手して、見てみよう。思えば、1990年前後、ネガを捨てるべきか迷ったことがあった。日向太が生まれる前か。手狭な我が家に子ども、、、。結局、ネガを捨て切れず、写真に埋没する道を選んだ。その代わり、ネガ・チェック全てが終わるまで、劇場映画を見るのを止める決心をした。そういう思いにかられたら、強迫的にネガに向かおう、と。結果、「非情城市」を最後に15年全く映画を観に出掛けなかったという前歴があったな。
徐々に写真生活にもどらねば。月曜社、澪標もすすめねば。
Micheal Lambeさん、2・28集会の告知を英文で出してくれる。「貧困の文化」というべきか。
今日も珉珉。
八文字屋の客は、渡辺琢ちゃん、山田拓宏さん、ハイデルベルクの元京大人文研の日本近代史学者のヤン・シュミットさんのみ?果たして、後続ありやと思いきや、日経新聞の古賀重樹編集委員、鵜塚健毎日新聞京都支局次長も来店。ヤンさんが写真集を3冊買ってくれたので、94年版美女写真集を一冊プレゼント。去年、八文字屋のバイトのヤスミンさんは、4月に出産との報告。ヌイン・リさんとほぼ同時期か。ヤンさん、また、ハイデルベルクで甲斐写真展できるように動くという。カロリーヌ・へリングさんの事をいう。古賀さんは、牧野省三についての薀蓄、面白いエピソードを披瀝。ちょっと僕と似た面があったらしい。似ていると言ったら、甲斐さんに失礼になるかもしれないと言葉を濁らす。牧野にはインテリジェンスが欠けているのだそうで、おかしかった。
深夜ヘロヘロになって居るところ、冨樫がオーストラリアンらを連れてくる。
八文字屋で沈没。

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2015.2/23(月)


サッちゃんが逃げだす夢を見る。逃げるなら、もっと早く逃げろよ!という。
疲労困憊。プリント探し3時間。岡西さんファミリーの写真出てくる。鈴木マサホに4月18日に「出版記念、誕生日記念、八文字屋30周年記念パーティー用の200人規模の会場を紹介しろ」メール。反応なし。
ルネに自著「京都の子どもたち」二冊、「京都猫町ブルース」五冊買いに行く。山下さんのお母さんが、2月7日に亡くなったという。「甲斐さんにも、僕にも時間が出来たら一緒に飲みたいな」という。もう15年くらい一緒に飲んでない。彼はずっと看病していたんだ。一人っ子だから。
朝日歌壇(永田和宏選)にほんやら洞登場。
「反戦歌声喫茶火事にあい昭和は遠く炎に消え」(京都市)『吉田一夫』
それに対して「十首目吉田氏は、先ごろ全焼した『ほんやら洞』を詠う。京都の名物喫茶だった」と記す。姉にも伝える。
FBに少し河野裕子さん、永田紅さんについても書き込む。河野さんの拙著「遠い視線」の解説として「写真にキャプションはいらないのでは……」と記しているのを見て、折角、中村勝さんが彼女に書いて貰ったにもかかわらず、当時、一晩で写真集を作っていたので、酔って、熟考もせず、没にしたのだった。なんと勿体無いと周囲に言われたものだ。その後、多分、一度も会わず、でも、結構、頻繁に電話をくれ、喋ったりもした。三月書房の宍戸恭一さんの写真を自分の歌集に用いたいリクエストもあったけど、ついに探し出せずに終わった。お嬢さんの永田紅さんは、名作「日輪」(2001年)で「ほんやら洞のソファに沈む」なんて詠ってくれたのを収録してくれた。「北部キャンパスから」でも、取り上げてくれたのではなかったかな。週刊文春のご自身が取材されているのに、引っ張り出してくれもした。後にも先にもこっちが頼んで、ぼつにしたのは、河野裕子さんだけだった。もう一つ「地図のない京都」に「鶴見俊輔君、北沢恒彦君が書いているのなら、僕にも書かせろ」いってくれて原稿を頂いたのに、出版社の編集者が、失礼にも面白くないと言って、飯沼二郎さんの寄稿を勝手に没にしたことがあったかな。
風媒社用の写真、四条鴨川でSに撮ってもらう。
京都不動産買取センターの経理に3年前の帳面の写しをくれ、と手紙投函。
「山之家」さんに初めて行く。2・28のビラを貼ってもらう。
八文字屋7:30にオープンするも、9:00まで客なし。武市さんが来て10:00すぎに帰り、入れ替わりに咲希ちゃんが来て、段ちゃんがきて、1:00すぎに3人で石丸商店、大豊ラーメンに行く。
帰宅、3:40。

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2015.2/22(日)


8:00起床。
11:00出発。
松屋カレー。
劉永昇さん、午前中は、ベトナムを撮影している立命館の方と会い、ほんやら洞の焼け跡を見て、2:00に八文字屋。Sと会い、2時間打ち合わせ。
5:00過ぎには、デモ帰りの武市さん、イザベル・シャリエさんと同じフライトで来日したというジャンさんが来る。川口真由美さんは、遅れてくる。中川五郎さんがはやめに来る。ネズミ騒動あり。
LIVEが始まっても、不調のため、十分には撮影できず。ハイライトを撮り損なう。川口さんは、役者だ。五郎さんの寝屋川高校の同級生のコダマさん(じつは、中学まで、大分市顕徳住まい)がLIVEの途中、気絶するという一幕があり、1時間30分中断。佐々木米市さんが第一日赤に同行。八田さんの幼稚園からの同級生のテルちゃんが騒ぎ、追い出す。Yosshy3ヶ月ぶり来〈八〉。見知らぬ女性、梶田さん、金子さん、遊部さん同伴。2・28にも来てくれそう。
3月3日に武市さんは、大阪の森ノ宮に引っ越すという。
深夜、新海みどりさんがお見舞い(早川紀美さん分も)に来る。
尾崎真人さん、訂正原稿持参。
村屋で、4:30まで飲む。ギャラリー・ヒルゲートで何時もムービーを回している元読売TVの大西さんと遭遇。海外からのメッセージを見せる。

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2015.2/21(土)


知人のメッセージを訳す。
あとがきも一応、書く。サンディ(ハインライン氏)のメール3本あったが、情緒過多で訳を諦める。
朝から八文字屋の大掃除。おでん、チャイ等を作り、プロレス研究会一同の到着を待つ。
岡村正史著「力道山」(ミネルヴァ)焼失分3冊の代金8100円支払う。例によってお土産あり、お見舞いも。研究会は「プロレス150年史」。会の間、幸運にも、連日うるさかった隣のビル解体の削岩機作動せず。閉会時に、井上さん「八文字屋さんなら、5:00キッカリで終わらなくともいいんじゃない!?一番、次の場を探しにくい時間だし」といい、「延々やるの!?」と言う声も上がる。
夕べ来た顔の覚えなしの女性、友人連れでトップ客。琢ちゃんは最後まで居て、「こなから」帰りのモッチーと飲み、更に、二人で何処かへのみに行く。モッチー「マイさんに会いたい」とか。ティル、奈良井さんは静かに帰る。荻野晃也さんは八田さんはいつまで入院か知りたくてくる。3月いっぱい入院なら、見舞いに行くらしく、「2・28は、前日、小出裕章君の最終講義に出て、喋れ!言われて、かなわんな~と思っている。TVも入るらしい。そして、28日は孫を迎えに行くので、参加出来ない」というのを隣で明日の八文字屋LIVEの企画者、佐々木米市さんが聴く。温ちゃん、夜行バスで八田さん見舞いに行く。夜も顔を出した井上章一さん、「温ちゃん、チカちゃんに似ているね、昔だったら、それだけで胸キュンだったのに、そうでなくなった。歳食ったのかな~」と呟く。「わからん屋」LIVEのウッチー、カオリン、友人と来てくれる。
八文字屋泊。

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2015.2/20(金)


ベトナムのヌイン・リさんのメール届く。朝方、ハンコが届くので、吉田に帰り、洗濯。「ほんやら洞日乗」用の翻訳、出町買い物、阿部宅のガラス代16200円支払いに堀代さんに行く。「路地裏の京都」届く。タウンタウンから椅子5脚届く。37000円。
阿部宅帰りの稲山さんが、6:00前に来店。阿部さんの様子報告。書道前のSと四条眠眠。
八文字屋不調。松本章さんらの知人、ほぼ30年ぶりの来店というが全然分からず。偶然、永澄さんが、来合わせ彼の妹と知人だった。京都新聞の漫画スタッフ、東京河合塾の中西光雄(古文科)も同伴。
深夜、尾崎真人さん、顔を出す。原稿をメールで送ったと言うが、届かず。

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2015.2/19(木)


8:00起床。
いよいよ色んなことが大詰めになった。
頑張らねば。松屋でシャケ定食490円。上島でコーヒー。途中、元ほんやら洞バイトの和田彩子さんに会う。平賀マキちゃんから、2月22日の八文字屋LIVEのことを聴いたというので、2.28の事も喋る。足腰が弱ったので、錦小路経由で玉屋コーヒー行き。午後は、チャリで出町。八文字屋泊は、背中の痛みを増長させる。尾崎真人さんに電話せねば、とヒルゲートに電話番号を聞きに行く。5:40に真以ちゃんからTel。直ぐに来て、荷物を置いて、食事に行って、8:30に戻る。
90年代の八文字屋は、真以ちゃんを筆頭とする美女連によって持っていたのだ、とつくづく思い知らされる今晩の後半の盛りあがりだった。オモチャ楽団の葛城さん、楽器を置きに来て、釣をカンパしてくれる。奈良井さん、アドちゃん、山形さんは一緒に来店。
ユキちゃんの旦那の浦川さん(アグミちゃんと皇子山中学の同級生)、鹿さん、ブルースハープを披露する星野高志郎さん、四国今治の浄土寺(真言宗醍醐寺派)のお坊さんたち。あぐみちゃん、お坊さんたち、写真集を買ってくれる。

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2015.2/18(水)


エマニュエルからドローイング&テキスト届く。
左京郵便局まで、中信のキャッシュカード取りに行く。
松屋でチゲ鍋。タキモトにダバダ火振り、歴史者・大江志乃夫ゆかりの「どっとん」を買いに行く。
Wu Haoは今日から北京。吉と出るか凶と出るか?名古屋では、劉さんと高山さんの打ち合わせ。
北海道の松館ミツオさんより電話。昭和30年代の札幌仲間。兄が祥子さんといた頃の知人。彼女は、イスラエルに行ったという。
八文字屋には、八田さんに会ってきた浅利ちゃんが、ケータイで星野高志郎さんと駄弁りながら、やや遅れて入る。直ぐに奈良井さん、一見さん、鹿さん、新妻夫妻、岡西さん、遅く段ちゃんと続く。
奈良井さんは、岡西さんにカメラの修理をお願いしたらしく、ボトル入れで謝礼。新妻さんは、忘れ物確保に来たのに、肝心のそれが昨日まであったのに、見つからず。浅利ちゃんには、2月28日のチャリティーには、横ちゃんも来るので、一緒にやってよ、と電話を入れて貰う。川井遊木さんも来店。
皆さんに伊藤さんのやし酒を振舞う。
皆が帰り、閉めている3:00過ぎに藤喬さんが、中国に5年住んでいるという長男同伴。

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2015.2/17(火)


8:00起床。
不調。
風媒社の劉さんとは、2月22日打ち合わせ。
未知のウィリアム・ゴッギングスさんから「4月6日~10日の間、連日8名のダイニングの予約」くるが、対処できない。
火災から一ヶ月経過。どれほど進展したか?
苦難は消えず。
D・ハインラインさんから、この一ヶ月に3回目のメールあり。
2:00に保健所。家に持ち帰る重い荷物を持ったままウロウロする。
12:00に吉田の家に宅急便来るも留守。4:00に約束したのに、諸事情が敏速な動きを許さず、イラつく。郵貯、勝手にストップされたのが、さらに手間どる。元中央公論事業部の平林敏男さんより火事見舞いのハガキ、新名刺(宅急便)届く。
玉岩信義さんがボール&チェーンにお見舞いをことづけているらしく、取りに行く。
アバンギルドを初めて覗く。Ryotaro留守。四条珉珉。
八文字屋は、昨日同様、出足悪い。
トップは、鹿さん。今の会社の草創期の話を聴く。
山田さんが10:30頃に伊藤徹さんが、フィリピンから来ると先触れに来て、鹿さん去る。
伊藤さんが顔出しするまで、山田さんの月末からの海外スケジュールを聴く。後ろの席には、河田孝郎と仲間ふたり。経ケ岬で頑張っている堀内さんが「おもちゃ楽団」のマキさんと来る。僕もマキちゃんと当たり障りない話をすれば良いのに、彼女の話を聴いていると、ついつい変化球を投げてしまう。それが今晩の紛糾の発端!?になったのやも知れない、とやや反省。連れ合いが病気で大変なようで同情する。
伊藤さんから土産のやし酒を貰う。
これまでは面と向かって伊藤さんは吐露しなかったが、5年前に一ヶ月ほんやら洞の留守番をやって貰い、僕がちゃんとお礼と労いの言葉を発しなかったことに対する批判、不信感が鬱積していたのだろう。少し噴出させた。今日は「クリエイティブでないと言われただけ。そのことはここでは言わないが、フィリピンの大学の学生たちには言い続けているのだ。ジェス・サンチアゴにも言わないが、だから、僕はほんやら洞全焼と聴いても、特別な感慨はないのだ。ただ、甲斐さんが無事なのは、よかった。ほんやら洞全焼と聴いても、」思えば、僕は酷い男だ。言うに事欠いて、クリエティビリティの有無だって!?そら、腹が立たない方が可笑しい。彼らに留守番をして貰わなければ、ほんやら洞は潰れていたのに、邪見な視線を向けていたとしか思えない言動の一端(古証文)を突きつけられ、ゾッとする。伊藤さんが野上弥生子を文学者として尊敬するというので、ついでに孫の極右の長谷川三千子のことを喋ろうとしたが、名を思い出さず。
当時も、その後もほんやら洞は荒れ放題だったのだ。伊藤さんはまさか「燃えて当然」とは思ってないだろう。「でも、その一ヶ月は勉強になった」と言われると喜んで良いのやら、悪いのやら。
途中、マキさんと伊藤さんとで一悶着。
3:35閉店。家でプリント探しをしながら寝ていた。暖房がないので、風邪をひいたかも。

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2015.2/16(月)


10:00起床。小山鉄郎さんにメール。「ほんやら洞通信」論要請。
パプアニューギニアの写真家の画像届くか、やきもきしたが、セーフ。
4月17日~5月10日の、KG+サテライト八文字屋の写真展“Papua New Guinea Nowadays”が正式に決定。写真家Rocky Roe氏はパプアニューギニアの首都ポートモレスビーに事務所を置き、国内各地の祭りを撮り歩く写真家。北口さんの善意を封じ込め気味だったので、詫びメール。
郵貯トラブルで忙殺、掃除時間なし。「ひろ作」さん用にシャケ買い。
S、風媒社に1月20日までの日乗を送り、カメラのストラップ等の買い物。
風媒社用のメッセージ探索中、1月16、17日の段階で、火災見舞いのメールが数多くあるのに、気づく。軍事評論家の小川和久さん、東工大の「粘菌コンピュータ」の青野真士さん、ハイデッガーのHoko Nakagawaさん、ボストンの図書出版の渡辺ゆかりさん、パークスの母の山森公美子さん、「ハリヨの夏」の俳優で鈴木忠志主宰・利賀山房のKameron Steeleさん等。ハイデルベルクの叔母が心理学者のユンクの著作の版権を持っていると言っていた元バイトのカロリーナは、ペータース・マリコから聴いたとある。山梨博さんと関谷慈さんの見舞い確認。ニュージャージーに居るハインラインさんから二度も身を案じるメールあり。
八文字屋は、8:00前から初来店客2人。Sの知人のチサエさんが水上さんのファンでもあった西陣の胡さんと来店。
月曜日だから、暇。ひろ作さん&杉本先生、段ちゃんが来て、12:00に誰もいなくなり、「ろくでなし」にフライヤー持参。調さんがいた。1978年に洛北高校出身(卒業式の日にほんやら洞で初ビールと告白の)大須賀さんと会う。浮田哲ちゃんより一級下。
八文字屋に戻ると、大須賀さんが追っかけてきて、さらにろくでなしの横ちゃんが来て、美弥子さんを呼びだし、4:30まで飲む。横ちゃん、2.28のイベントにドラムセットがあれば、叩きたい、と言う。
八文字屋沈没。

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2015.2/15(日)


午後、ずっと、八文字屋の掃除。「無能の人」「ブレヒト作業日誌」「市民の暦」「南方熊楠日記」ウンベルト・エーコーの「フーコーの振り子」(英文、なんとまあ、こんなのまで買っていたのか!)等出てくる。80年代後半も本を読む時間なんてないのに、よく買ったもんだ。三条大橋のたもとでラジカセを目の前に「故郷だよ、おっ母さん」を熱唱するおっさんに遭遇。
お見舞いの丹治史彦さんは、井上迅さんとが早々と落ち合う。
迅君、平塚らいてうと奥村博史の孫で(秋野不矩さんとも親しかった)5年前に66歳で亡くなった築添正生金工作品集「銀の造形」をくれる。
迅君、もう一度不矩さんの火災時エピソード開陳。学生が大挙して助っ人で押しかけ、焼け跡のデッサンも綺麗に拭いて後生大事にするも、不矩さんは、それらを彼らの前で、バリバリと破り、びっくりさせたる。一回目の火事は岡崎、2回目は八瀬らしい。
丹治、井上両氏が手伝ってくれている最中に、デモ帰りの飛鳥井けいこさん、シンガーの楠木しんいちさんら4人来店。芳礼さんは、Ryoちゃん、Kamaraちゃんを連れて知人のマジシャンの店からの帰りに寄ってくれる。あとは、奈良井さん、徳之島に32年いた奥田さん、カゲロヲ、オイタさん、段ちゃん、琢ちゃんで暫く鎮静化。布野さんの滋賀県立大学の教え子(院生)と沖縄から戻った建築生来店。百ちゃんと沖縄県政を巡って丁々発止。前知事が一種のトリックスターとの説も飛び出す。布野さんは日大に就職するようだ。ルパンも顔を出し、八文字屋のトラブルを心配してくれる。深夜、百枝さんの後、見舞いのデカジェローム。ジェロームが女好きと告白するのには、おもわず、笑う。ジェロームの日本暮らし辛そう。閉店は3:30。
石丸商店にフライヤー持参するも、いっぱいで預けて帰宅。
家で、5:30までプリントチェック。

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2015.2/14(土)


5:00帰宅。
10:00起床。
京都ジャーナルのコラムをMayumi Satoさんに英訳を頼む。
午後、八文字屋掃除。オイタさん、助っ人。
英文AMPOが、ごそっと出て来る。
お客さんは、オイタさん、紀井さん、今日が4回目の広島出身の久美さん、イギリス人のベンさんと友人、奈良井さん。岩倉のお坊さんでアクティブなカメラマン、岸野亮哉さん顔出し。
12:00前に皆消え、ダウンしていると、2:15に「ひろ作」&杉本先生。「初絞り?」話。
4:00閉店。
7:00まで、家でプリント整理。

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2015.2/13(金)


8:00起床。午前中いっぱいこの4週間の外国からのメールをチェック。
八文字屋の郵便返送の訳を郵便局に訊きにいく。
原稿に掛からねば、まだ、降りかかって来る火の粉払い続く。
吉田の家で午後フライヤー、ネガ整理。
ほとんど何も出来ず。PNGの写真家の書類来るのを待つ。Kyoto Journalの原稿にも、八文字屋の掃除を早くせねばと気がはやるもいっかな取り掛かれず。
富山一郎同志社大学教授は「火だるまほんやら洞チャリティイヴェント」をシェア。「前を通るたび、胸が潰れる思いです。再見!」とFBに記す。
夕方、iPad3時間調子悪し。大黒屋でニシンソバ。佐藤真由美さんよりのPNGの写真情報、ギリギリのセーフ。
八文字屋の客は、琢ちゃん、温ちゃん、増田さん、鹿さん、高林由美子&元サッカー選手、奈良井さん、塔下守&市職員、ウッチー&カオリン&二人の友人、真打ちは尾崎真人。
琢ちゃんは「風邪を引きそうなので、途中下車で引っ掛けにきた」
温ちゃんは「明日から四国、八田さん見舞いはいつにしょう!?2.28まで甲斐写真使用のTシャツ作り間に合うか?」
だいぶ前から土地を取得し、週末毎に通い続けている百姓志願の朝日現役記者の増田さんは「一昨日、久多の農地使用の件で農業委員会に喚問され、50人くらいのおっさんに50分間次々と質問され、挙げ句の果て、昨日、NOの返事だった」
鹿さん「FBの2.28チャリティイヴェントの二次会は、ほんやら洞になっているよ!?」
見舞いに来た元「あまから手帖」の高林由美子さん(現西本願寺勤務)は「もう、八文字屋一本で行こう!私は、向こうは遠いし、馴染みない。30周年記念パーティは、実費5000円で、会費10000円取ったらええねん、やろう、やろう!」
奈良井さんは「明日も阿部さんの家に行くつもりだったけど、阿部さんの都合で取りやめ。もう一回くらいあるかな~」
相変わらずの塔下守さんは相棒に「ここは、ほんやら洞の成れの果てなんや、知らんかも知れんが、ほんやら洞は、御上に盾つける良いとこやったんや、燃えてもうたけどな」
カオリンはカミカワ小学校以来の友人二人と飲む。ウッチーは一歩ひく。
最後の最後に来店の尾崎真人さんは、この10日間で3回来ていた。何かあるのやろうな、と邪推していたが、ピンポン!だった。3ヶ月前に、「八文字屋30周年記念本に何か書いてくれ」と言い、その約束を履行していたのだ。「甲斐さん、もう気張らんでも良いよ。もう十分やった。後は、後進がアーカイブがどうのこうの言い出すやろ。ゆっくりマイペースで仕事をして下さいよ。ぼくは、美女や街角写真も良いと思うけど、やはり、子どもだよ!甲斐さんは。ほかの誰もやが撮れないのは、子どもですよ。あの、子どもは甲斐さんそのものです。どうしょうかと迷ったが、これです」と言ってPCを開いて、甲斐論を朗読した。「戴きます!」
風媒社の編集長、劉永昇さんのFBに気にいったアフォリズムが幾つかある。
二つメモる。
「群衆の中で自覚的であることはできるが、先導者が先覚者であるわけないし、改革者が統治者となるわけでもない。群衆は常に略奪の根拠を求めているばかり」
「怒りを叫ぶ人びとから安全でいるためには、彼らの中に入り込んで息をひそめることだ。それは捕まらないための唯一の方法であるし、その先の己の末路をありありと見ることができる。」
閉店は、4:15。
ラストは、トノヤン。

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2015.2/12(木)


9:00、吉田で起床。
12:00ボール&チェーン。
出町で買い物。2:00八文字屋入り。
イタリア(元?現?)総領事の奥さん(旧姓、矢田。現マリオ?奥さんでヴァッタリーニ)よりメール。
「Numero」というファッション誌(扶桑社刊行)に八文字屋を取り上げたい、ついては、来週から私は、イタリアに行くが、それまでに店が盛り上がっている日はあるか?というので画像は送ると言う。
名刺、ハンコも焼失したので、作り直し。
何も出来ずに日中終わる。
夜も鹿さんの八田さん見舞いの様子を聴く。
12:00冨樫来店。一杯飲むだけで帰ると言っていると、Ryotaroが台湾のお土産話と「『火だるまほんやら洞支援チャリティイヴェントーSave Kai & the Spirit of Honyaradoー』のチラシ持参。
4:00閉店。

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2015.2/11(水)


昼過ぎまでダウン。昼飯は、ボール&チェーン。
鴨川の水も温み、川辺で遊ぶ子どもたち、親子が目立つ。
ヨドバシカメラへ。PCに目星を付けに行く。
帰りに滝本で、歴史家・大江志乃夫が愛飲した臼杵の焼酎「どっとん」と栗焼酎「ダバダ火振」を買う。
夕飯は、四条珉珉。
拙写真集「Beautiful Women in Kyoto」にも解説を書いて下さった美学の谷川渥さんから、ほんやら洞全焼を愛惜するメッセージを頂いた。

「同志社大学の授業のあとにいつも学生たちとほっこりする場所。また拙著『書物のエロティックス』刊行を記念して甲斐さんがパーティーを開いてくれた場所。ほんやら洞は私のそんなかけがえのない思い出のうちに永遠の観念の城となった。」

八文字屋は、浅利ちゃん。
川㟢さんは、メニエル病で片耳聴こえなくなり、当分、酒を控えねばならず、来〈八〉できず。明日、八田さんを見舞いに行く鹿さん来店。一瞬、奥さんへの渡し物があると言って出る。
奈良井さん、段ちゃん、二人は、ほんやら洞の隣の阿部さんに対する奈良井さんの意見具申の是非を巡って一瞬、険悪になる。火事のせいでお二人に喧嘩させたのでは、申し訳ない。田中直紀さん、グリーン商店街の西村さん、十和田美術館の藤浩志館長の一行、さらに、松隈洋先生の一行来店。
松隈洋さんには、布野修司さんが3月で滋賀を引き上げて、東京へ戻ると伝える。
最後のお客は、3ヶ月ぶりのKei-K。2月28日の「火だるまほんやら洞支援チャリティLIVE」はKei-Kの承諾なくフライヤーが先行して、また、翌週take-bowとパーカーロールハウスでのLiveがあることもあり、渋る。浅利ちゃんが幾らいっても、「ラッパ持って、ステージに立つだけでいい」とか「ろくでなしの横ちゃんとコンビでもええよ」との提案にも頑是得ない感じだった。飲みながら「これは、ほんやら洞支援でもなく、そもそもKevinMがそうだが、写真家甲斐支援なんだ」というと、次第に折れてきて「ま、ええか!?」と言うようになり、気持ちは靡いた。OKだろう。Kei-Kは、焼酎8杯飲んだ。
閉店は、3:00過ぎ。
由布院の兄の家の家の犬が死んだらしく、取り込んだ模様。
海人彦は、だんのう保育園での成人式のパーティに出席して楽しんだようだ。

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2015.2/10(火)


8:00起床。
先斗町を闊歩する綺麗どころ、2人撮る。
焼き魚定食450円が朝食。
吉田から、ポスター250枚救出。
大分の高校の同級生の相原一義より手紙

「弟からの連絡で、新聞にほんやら洞が焼失したという記事(略)漏電か何かですか?
さぞ気落ちしたと存じますがぐっと耐えて下さい。
心ばかりですがお見舞いとして(略)を送ります。
少しづつながらも立ち直っていって下さいね。
扶佐義様へ」

山香から杵築までの列車の中で、彼が何時も持っていた野坂昭如・野末陳平共著のカッパブックスに笑わせてもらったのは、1965年。感謝。ポリさんの息子だったな。
左京郵便局を出たところでアイジに遭遇。
恵文社で4月写真展を計画してくれていた元ほんやら洞バイト。彼女の企画に鼓舞され、ほんやら洞ブックフェアを12月に開始。それらの本も全焼。アイジ、目を潤ませて何度も火事の現場に通った、何か役に立つことがあったら、言って!という。
ボール&チェーンで定食。
シルヴァンさんから野崎さん訳が送られてきた。

「甲斐扶佐義のことは20世紀の終わりから知っている。つまりは古い知りあいということだ。バー八文字屋で過ごした夜の思い出なら山ほどある。私はあのバーのことを――だれもがそう呼んでいるのだと思うが――〈写真家のバー〉と呼んでいる。ずいぶん昔、私が京都に住んでいたころ、そして雑誌や酒瓶やカメラが雑然と置かれたあのバーの薄暗がりで夜、長い時間を過ごしたころから、私たちのつきあいは途切れたことがない。私は甲斐の出した本の序文として、彼の写真に関する文章を書いたし、ほんやら洞で自分の写真の展覧会を開いてもらったこともある。数日前、友人であるシルヴァン・カルドネルがメールで、ほんやら洞の火災という悲しい出来事を知らせてくれた。私はそこにつけられたURLを辿って、事件を伝えるNHKのニュース映像を、ブリュッセルの自宅のパソコンモニター上で、悲しみに打ちひしがれる思いで見つめた。とりわけ感じたのは、過去の時間が目の前で炎に包まれて燃え上がるのを見るかのようなメランコリーだった。火災を知ったとき、甲斐扶佐義はまさにそんな悲痛な気持ちを味わったにちがいない。彼にとっては比喩などではなしに、自分の過去そのものが煙と消えてしまい、これまでの生涯の仕事が灰燼に帰したのである。私としても、彼の悲しみを自分なりにわかちあいたい。しかし私は、とりわけ幸福な日々のこと、甲斐が示してくれた歓待の精神、彼の寛大さ、情熱のことを忘れずにいたいのである。2000年代始めに私の写真の展覧会場となったほんやら洞の二階の部屋がいまでもありありと目に浮かぶ。あの部屋は私の思い出の中では焼失してなどいない。あのままの姿で保たれているのだ。
ジャン=フィリップ・トゥーサン 
(翻訳:野崎歓)」

ほんやら洞には、台湾からのお客さんが多いので、ほんやら洞全焼について僕が書いたのを漫画専門誌「キッチュ」の編集発行人で漫画家の呉ジンカンさんに、訳して頂いた。
「Honyara洞」咖啡廳,是京都在"70年代"當下象徵日本青年反體制文化:反戰運動,南越及韓國政治犯的救援活動,以及反對民歌雜誌猥褻審訊時的秘書處,和詩歌朗頌會據點... 等.應可為京都全民重要歷史資源。 嘆「Honyara洞」咖啡廳於2015年1月16日慘遭祝融之災回想當年,我甲斐扶佐義身為「Honyara洞」創始者的一員,於泡沫經濟的1990年代末期,為了將其精神傳承,將經營權轉讓給了新一代的旗手。但得知年輕一代的經營者以及當初創始者的同志們不但無意將其精神傳承,甚至還打算關門大吉時我十分憤慨,選擇獨自接下了經營「Honyara洞」重責。之後,在身兼數職的情況下,為維持該店所象徵的深遠意義以及回應多年來各界的聲援,我獨力背負重擔,舉步維艱,一路走下來一轉眼15年過去了。這幾年我致力於找尋繼承「Honyara洞」的經營者,好以攝影家以及「Honyara洞」的見證人的身分專注於將其歷史紀錄留傳後世。不料該店的土地所有人去世後,其繼承人有意將具有歷史意義的「Honyara洞」拆除以興建大樓。對於此案我表示強力反對,全力翻新店裡設施,將各界人士的支持以及署名作成陳情書,準備和土地所有人交涉以保存「Honyara洞」。就在此時,2015年1月16日凌晨,「Honyara洞」疑似遭到縱火發生火災。除了店裡設備,我40年來的所保存的約兩百萬張黑白相片作品的底片,數萬張的相片,我超過40本的著作數千冊,具有歷史價值的海報以及明信片,我所珍愛的相機,43年來一百多冊的日記以及我即將問世的著作「Honyara洞的青春」的大量草稿,多年來來訪店裡的人們所留下的足跡,我所收藏的數千本貴重的文學著作等,都在一夜之間幾乎全部燒毀。面對鄰接「Honyara洞」遭火災波及屋主的賠償責任以及失去的一切,現在的我,無所適從。甲斐扶佐義, 1949年出身,攝影家,於2009年獲得「京都美術文化賞」表揚,於2014年參展法國美術家協會(SNBA)的國家沙龍展並獲得「Jean Larivière獎」。翻訳:呉 塵罡(ご じんかん)翻訳協力:Mangasick黃尖、呉狄」

これをパリに居るWu Haoに送る。大体、いい、冒頭を少し変えたいくらい。それよりも、北京展にむけて、履歴書をくれと言われる。奴さん、論文の追い込み中だ。
徳島に住む土地と自然に根ざした建築を追求する建築家、内野輝明さんを介して、高知に住むオランダから来た未知の大学の先生、ドルフさんのカメラ、ニコンF(50,35,135ミリレンズ付き)を頂いた。
八文字屋には、ウッチーが就職の決まった長男(京大理学部4回生)をつれてくる。
人生の楽しみ方の達人、司法書士ドライバーの朴靖浩さんが坪野さんを連れて来店。一杯引っ掛けて大急ぎで5階へ向かう。立派なギターリストの下で、歌手?デビュー。大阪では、週に1,2回やっているらしい。
坪野さんには、東京地裁から、特送の書類を読み解いて貰う。
関係資料が焼けてしまったのが痛いが、何とかなるやろう。為すべきは何かを確認。富士谷さんは、「ほとぼりが冷めるまで」と思っていたが……と来る。
真実さん、小栗栖さん、在田さんが菓子箱を持って来てくれる。
この3人の取り合わせの妙は、ほんやら洞、八文字屋の存立基盤、在り方に関わり、変でも何でもない。
荻野晃也さん来店。大阪のすかんぽでの藤田一良弁護士を偲ぶ会の写真焼失のためにプリントを持って来てくれる。
朝日の増田さん、「むすぶ」の紀井さんは、朴ちゃんが上から、千代子さん、奈良井さん、坪野さんを連れて戻った頃に来る。
最後の客は京都市美術館の学芸課長の尾崎真人さん。
3:00閉店。

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2015.2/9(月)


8:00起床。
昼まで寝付けないが、そうも言っておれない。一矢を報いるというか、日記、領収書さえあれば、「ゆとり債権」を覆せるのだが。ま、考えよう。
どんなに苦しくても、ここは、踏ん張らねばならない。
12:00まで身体を休める。
郵便局、中信持参の書類を、リュック中に発見するのに、吉田まで帰ったりで1時間無駄にする。
左京郵便局には、やはり、来るべきものが来ていた。神妙に、冷静にじっくりと同時にここというとこでは、精力的に対応せねば。読むのは、後まわし。
今は、新事態が呼び起こしたショックをゆったり受け止め、頭のなかで転がしながら、その意味を咀嚼する。活路は奈辺にありやなしや?ネガ・プリント喪失に比べれば、金の話だから、頑張れば何とかなる。もちろん、ちょっとやそっとの金ではない。長期的に対処できるのなら、OK。それとは、別に、去年の10,11,12月は八文字屋の危機があった。だから、現実を直視すれば、三重四重の内的困難なのだ。
いまは、その困難も幾分和らぎ縮まった。一つの難題の出現を別にすれば。「再建を願う会」のメンツはこんな僕の苦しみを知らないだろう。それはそれでよし。知って、どうかなるものではない。1975年,76年の危機は牧歌的だった。
島井佐枝ちゃん(シルヴァン・カルドネルの連れあい)が初来〈八〉当時のプリント発見。24年前?
いまは、本3冊に集中する。
銀行、郵便局の通帳は入手した。郵貯カードまでもう2週間。八文字屋に久しぶりの家賃。
雪の中、Sは宮津から戻る。
この程度の苦境の下で、心穏やかに原稿に向かえないようでは話にならん。
八田さんのことをメールで、星野高志郎さん、荻野晃也さんに知らせる。星野さんは、2月26日に見舞いに行くと返信あり。
荻野晃也さんからのメールは、以下の通り。

「ほんやら洞が全焼したことは、新聞で知りました。
甲斐さんを「激励にいかなくっちゃ」と思っているのですが、今年になって「白内障の手術」「与那国島への講演」「甥の急死」と色々なことが続いてナカナカ暇がありません。
藤田(一良)さんを偲ぶ会(大阪スカンポで)の写真を持って、今週中にでも「八文字屋」を覗いてみます。
八田君が食道がん……とのこと驚いています。
第4ステージということは、相当な危機状態ですね。
その話もお聞きしたいです。ではまた。
荻野晃也」

Sが戻ってきたが、腸炎未治癒。
明日、ガッチャンが内野君のこと付けのカメラ持参とのこと。
6:00に八文字屋オープン。
8:30まで客なし。
坊主を危ぶんでいたが、元労金の藤喬さんが3人の仲間を同伴。
一人の女性は、「火事のニュースを見て、ひたすら涙を流した」と言って涙を流した。
一人は、日写にいた由里悦子さんの知人、もう一人は頻りに写真に見入っていた。
永澄さんは、共同の矢代到さん同伴。共同京都の緒方部長に電話で呼ぶも空し。
矢代さんは、一応、カイ写真を撮る。風媒社の本が出て配信するとのこと。
「ろくでなし」「石丸商店」に行く。ろくでなしには、おぼこい外国人が5人いて談義中。 一度、高取英さんと来〈八〉した今西恵子さんという女性も来る。石丸には、由布院に行ったという無邪気なヤンキー野郎がいた。
2:30閉店。八文字屋泊。

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2015.2/8(日)


8:00起床。
原稿書き。
10:30松屋に焼き魚定食450円食い。
3:30まで原稿。
ルパンの店で辞書買い。KG+で、へリングで写真展をやるナッちゃんに出くわす。雨に打たれて、吉田で一休み。
ボール&チェーンで飯と珈琲。
何度も、故針生一郎さんから、写真、ネガを東京写真美術館に寄贈せよ!と言われたのを思い出す。ネガ管理は子ども二人の意志に任せるつもりでいた。一方、大分の山香町か由布市あるいは、京都市に寄贈したいという思いもあった。どうすれば良いか思案していた。教育委員会の在田さんにも相談したかった。島井佐枝さんは、日仏学院を発展的に国際センターに昇格させ、空いている小学校の活用を図り、合わせ技でそこに甲斐写真のアーカイブを作る可能性はないか?という議論を1年以上前からしていた。
かつて、親しかった写真家・東松照明さんは、亡くなる10年以上前から、撮った写真は、撮った都道府県に返そうよ!と唱導しており、大旨、彼の意見に僕も賛同しもしていた。30数年前、彼は「俺はレーニン主義だから」と前置きして「甲斐さんも出町を撮り逃げすれば、良いんだ!」というアドバイスをしてくれたが、返す刀で、という訳でもあるまいが、写真は、町に返すという考えを持っていたのだ。
そんなことを記するのは繰り言になるか。
残ったネガ、汚れたネガを見つつ、茫然としては、気持ちを奮い立たせる今日であった。
奈良井さんは、岡西さんを呼び出し、お隣さんの部屋に、今日も行ったようだ。
岡西さんは、作動の可能性を信じて回収出来るカメラは、回収したようだ。
八文字屋には、冨樫、奈良井さん、谷川さん&ナッちゃん、「艸居」の中山ひらかさん(1月17日生)&松村昌美さん(10月24日生)、見舞いに来た飯田朔君、謎の女性「久美子さん」ら皆早く来て早く引いた。谷川さんはペテに呼び出されて、ナッちゃん連れて、深泥池へ。
何時も目立ちたがり屋の桑原さんは、例によって気の利いた風な解説(ノスタルジーのほんやら洞ファンはいても、今の学生は見向きもしない、てなことを鹿さん相手に自説開陳)しては、コッチを向いて「甲斐さんは、八文字屋の日陰に居たら良いんだ」なんて宣うので、少し毒つく。
ほんやら洞が、それなりに、この間の努力の結果、盛り返しつつ、若者に浸透しつつあったという事実を知らないだろう。物事を支配的見地から、スタティックに捉え過ぎの弊がある。ま、「偏見は楽し」の立場を取るので、それも良し。
10:00過ぎにお茶の水の東京医科歯科大病院に入院している八田さんより電話あり。
母は、一昨日、手術をした。おれの食道がんはステージ4だ、と。それを聴いて言葉を失う。「軽美術協会」なるものを標榜し、ヒエラルキーを笑い飛ばすことを根っこに据えた美術活動をした。偉そぶらない万年好男子だった。例年、年末には、浅草で、秋山祐徳太子らと「ヘッポコ人間集合!」なるイベントをやっていた。彼は「美術手帳」に一年批評を連載したことがあるのだ。
4:00帰宅。寝苦しくなる郵便物を発見。早急に対処する必要あり。

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2015.2/7(土)


9:00起床。
息子がMOMAに居て、HUB KYOTOを活用もしているKYOTO JOURNALのジョン・アイナーセンさんより、次号用に「ほんやら洞で会ったケネス・レクスロスさん等との交流のエピソード、追想」のテキスト依頼メール。
小特集かな?この件、UPすると神田さんが「それ、ユズルさんに任せたら!?」とコメント。で、「そんな、大層な事ではありません」と記す。
12:00まで、八文字屋。松屋カレーを食す。
家で2時間熟睡。風呂。オランダ以来無休の疲れ、噴出?
焼け跡では、ウッチー&カオリン、ツインズが作業。餅搗きに参加したツインズにもショックだった模様。阿部宅では、段ちゃん、奈良井さんが動いてくれる。皆さんに感謝。
昼ダウン。ボール&チェーンにも寄れず。夕食は、エビス屋の半額おにぎりと豚肉の生姜焼き。
食べていると、阿部宅手伝い帰りの奈良井さんが阿部さんからの伝言。皿洗いをしてくれているところに温ちゃん登場。
伝言内容は、本人が僕に言った内容と同じで「扉を取っ払って、ウチまで無用心になっている。トユに詰まっている燃え殻共々善処せよ」というのに、更に、「甲斐さんが来ると言って、来ないものだから自分でダンボールを運んでいたら骨折した。甲斐さんが名古屋に遊びに行っている間に」という恨み節も加わった。
8:00に萩原健次郎が「何と言って良いやら……」と入ってくる。
「ほんやら洞は、詩の家だった。それがなくなったのだ。青鬼、富士についで、ほんやら洞までが、ほんやら洞は、ケネス・レクスロス、白石かずこ、有馬敲、田中国男と……再建出来るものなら再建して欲しい。『再建を願う会』というものがあるがあれは違うと思う。あれは、過去形じゃないか。いまを生きるという観点がぬけている。店を維持するというのは、衝突も、喧嘩もあるもんだ。それを背負うのは大変で、生易しいもんじゃない。ドロドロしたものを抱え込んだ詩の家……コルヴォ、ガルシアなんかが生きる家、黒村通、僕、河津聖江、細見和之とか、あとに続いたが、細見は大阪文学学校。釜ヶ崎で上田暇奈代とかが、東渕修の後をついでいるけど。京都はね、藤原安紀子……とか、男から逃げている詩人も、いるけど、そんなもんよね。平居謙の、教授就任という訳の分からんパーティに出たけど……坪内稔典も、教授、昔は、もっと荒々しかった。店と言えば、蛸入道も大変らしい」
等、自説を開陳して、早々に退散。
今日も火事が呼び寄せた客あり。
稲葉真以ちゃんの従姉妹・浦川(旧姓稲葉)ユキちゃん(12月21日生)、比叡平美人3人娘?として登場。17年ぶり?こと。ユキちゃんは、現役の歌手。
アンチクさん(木ノ戸さん、陶芸、7月12日生)は、ほんやら洞で1973年に瀬戸の鬼才・鯉江良治がかつてほんやら洞で個展をしたときき感激したと言う。西村卓嗣さんの亡くなった甥・石田さんを尊敬。川澄一司も知人。いささかぶっ飛び感、愉快。
もう一人は、植木屋さんのマサコさん(4月28日生)。
エチオピアの田中利和君も登場。チャンマキにイギリスでお世話になったという。温ちゃんと喋り込みたい様子だったが、盛況が許さず、一旦、外出の奈良井さんを待てず。温ちゃんは、奈良井さんにも言っていたが、「何をしているの?」と聞かれ、シルクスクリーンとかパラソフィアがどうのこうの言う。
珍しく電話が鳴るので、「八文字屋の大家代理人『レッツクリエーション』か!?」と思いきや、違った。コッチも係争中なのだ。
90年代の写真集「八文字屋の美女たち」「美女365日」「京都の子どもたち」「ほんやら洞と歩く京都いきあたりばったり」「猫町さがし」の装丁デザインをやってくれていた畏友・濱崎実幸さんから久しぶりの電話。火事見舞い代わりに、これから出す本、どれでも2冊ロハで引き受けるよ、とのこと。嬉しい限り。去年、一月、パリに行った翌日も来たし、京都美術文化賞受賞の日も来たんやぜ!とも言われる。明日から濱崎実幸さんにやって貰う事も考えねば。チャンスだ。
段ちゃんの友人3人、外国人3人、かつて、パプアニューギニアの芸術大学の講師を務めた十和田美術館館長の藤浩志さんが秋田の芸術大学の講師ら7人で来てくれる。「ほんやら洞なくして、今日の自分はなかった」と若者へのアジテーション?を籠めて言うが、僕は単に第一回出町ふれあい広場で事務局長だったので、出町三角州での藤さんらの野外展開催を積極的導入し、ほんやら洞で会議等をやって貰っただけ。十分に打ち合わせなく、独断で先行した事が、シゲらの不評をかい、それに乗じた北沢恒らが反旗を翻し、山内さん問題と絡めて面倒臭くなり、また、十分な準備もないのに、潮時と踏んで、ほんやら洞離脱の道を選んだ。その後、北沢恒彦さんがいうところの受難生活を強いられたが八文字屋オープンへと繋いだ。この辺は、元気があれば、いずれ、書くつもりだ。藤さんに、佐藤真由美さんの話をすることを忘れた。佐藤さんは、青森出身だし、面白い。
藤浩志さん一行が消えて、元「情熱大陸」ディレクター、浮田哲ちゃん(大阪羽衣大学教授)が、上智大学の院生仲間の竹村朋子さんという4月から立命館大でコンテンツ・プロダクトとやらの学科の先生を同伴。
「僕の焼け跡から救出した日記を是非、活用して下さい」
てなことを言う。が、思い起こせば、哲ちゃんも彼女も映像のコンテンツ作りが本業。ま、ゼミ生を連れて、ここでゼミをやります、と愛想を言ってくれただけでも感謝。
哲ちゃんは、永田浩三さんとは僕経由FBで繋がったことをたじろいだ話、また、火事についての朝日新聞の記事を読むまでに「知っていると思っていたほんやら洞の違う側面を知ってびっくりした」などと言う。1975年高校1年生からの常連。当時、洛北高校生は、文化祭の打ち上げでほんやら洞に来て、教師もいたが、皆、ビールを飲んだものだ。
10年前に一日だけほんやら洞でバイトをしたと言う同志社の渡辺優子さんが3人友人を連れて来る。
そこに阪大の今日、退官記念パーティだったという上倉先生と谷川渥さん&川井遊木さん&未知の女性来店で、少しシャッフル。「4月から精華大学に行くことになった」と谷川さんも嬉しそう。遊木さん、「こないだは、遅くまで、ごめん!でも、FBみて、びっくりした。あんなことを喋っていたんだ!?私、何も覚えてない」とあながち、不満でもなさげ。
段ちゃんは、今日は、2時間だけ阿部宅の掃除をし、バレンタインのチョコレートを貰ったという。段ちゃんに濱崎実幸さん(かつてうちの子らは『濱崎パパ』と呼んだ)の説明をしていて、本を見せたら「ほんやら洞と歩く 京都いきあたりばったり」を知らないというので、世話になりっ放しの彼に上げる。
最後は、「ひろ作」のせっちゃん&建築家の杉本先生で3:30まで。
デヴィッド・ハインラインからのメールが入っていた。

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2015.2/6(金)


7:00八文字屋で目を覚ます。
8:00まで1時間静かなので、少し作業をする。
松屋に朝の焼き魚定食450円を食べに行く。焼き鮭、生卵、のり、漬物、味噌汁、ライス。
先斗町でミシマ、松竹、ひろ作の位置を確認。せっちゃんは、ひろ作から八文字屋まで、240歩と言っていたが、それを確認。「いろは」の隣だ。
一日の仕事を、2月いっぱいは、昼は、風媒社、澪標、月曜社の原稿、そして焼け跡から救出したネガ、ノート、微々たる本の整理に振り分けてあとは、カメラを持って町歩き……そんな仕事を一月続けることになる。
家で、少しネガ探し。時間がない!今日確認したネガとプリントは次のもの。

中川五郎&秦政明さんに判決が出た日のほんやら洞にニコラが有光健さんといる写真(隣に、モーガン・ギブスンの朗読会のポスター)、北沢恒彦さんが初めて伏見からチャリ出来た日、1974年の大分での両親&兄&兄の息子の集合写真のネガ、10年前の畠中光享(今年、京都美術文化賞受賞)&僕とのツーショットとティルの彼女そして茶木みやこ&玉屋珈琲の社長さんらに京都芸大院生でトロンボーン奏者のプリンクルさん&GF、わいせつ裁判の証人に立った上野博正さん(思想の科学社長)を裁判所の庭で囲んでいるシーン&慈子さんに抱かれるさむ君、ほんやら洞初来店の日のケネス・レクスロスさん、1975年のウドム(タイから来た元ゲイ・プロスティテュート)&さむ、1976年12月4日の自費出版本「責任時代」の街宣中のおやじ、AKPにプリンストン大から来たクリス・ティペロ&慈子&陽子&カイ、1974年8月中旬電停で蹲る老人、遊び人風情を醸す福原吉久おっちゃん&ニラちゃん、1974年10月18日を北沢恒彦&カイ&井上美奈子(茅返かのう)で伏見一帯を歩く日、路上に佇む粋な女将、1974年6月下旬の北沢恒彦・ボケット・中尾ハジメそしてロン・フジヨシ、北野商店街で風呂敷を背負った小柄な老女、「出町界隈あなたも写っていませんか?写っている方には、最終日にタダであげます」展会場、「ハリーナ」の夫妻&木村汀子さん@ほんやら洞。

以上は、ネガ。
プリントとしては以下の通り。

餅搗く日高六郎、とん平、ネコを抱く同女中学の田中早苗さん、定着の抜けが悪いレンガ磨きの博正のシルエットネコ、ほんやら洞のダグラス・ラミス&森田みどりさん中沢孝司さんら白石かずこポエトリー・リーディング@八文字屋、慈子陽子歩結子団子&シゲポスター、中尾ハジメ&マナちゃん&駒枝さん(中尾の母)、身分の青空写真展、ほんやら洞二階での「遊びをせんとや生まれけむ」出版パーティの日の鶴見俊輔さん&上羽さん&海人彦等々。

こんなのは、まだ、まだ無数にあり、少し安堵。
百万遍ボール&チェーンで一服。出町で買い物。
井上久でミカン、干柿を買うとラフランスを大量に詰め込まれる。
「マスター、ええ財産、二人もええ大学に行って、卒業したら、月給30万円やぜ、安泰やん!」
大将の何時もの口癖。
郵便局入り、15分遅れ、通帳取得は来週へ持ち越し。
大分の佐用南美ちゃんとFB友達になる。
先日、何かの賞を取っていた四国の「歌って、走って、建築する」内野輝明さんから貰ったままで無傷のカメラを来週、プレゼントするというメール頂く。牧紀男京大防災研教授と会い、話を聴き、決心か?
八文字屋オープンは7:30。即客あり。昔、「ウンコのミーさん」こと、宮田恭伸さんと来店のシゲさん(写真家)。次は、元KBSの記者兼ディレクターのオイタさん。「むすぶ」(ロシナンテ社)の女性記者の話題。あとは、しばらく空いて、飲み屋のお姉さん話と持論「原発は活用してもはいろにしても危険度は同じ」という持論展開の草葉裕さん、アサヒちゃんが社長&社長友人引っ張ってきて直ぐに「石丸商店」行き。奈良井さんもいたが、それを追尾。「ウッチーから、明日、阿部宅掃除の指示があった」という。鹿さんグループ(純二含め)4人。一人は美奈子ちゃんを片思い。生憎、休み。そして、噂の「むすぶ」美女同伴の永澄氏、5月退職と言う。
11:45には誰も居なくなる。
2:15に「ひろ作」さんが、「今日は、寒むおしたなぁ、何処もガラガラおすえ、二月は逃げるとか、ニッパチ言うて、ねえー、私は、休肝日ですけどね」と言いながら来店。奈良からの京大工学部出身のスノッブと言うべきか、国粋主義的で保守本流のお客さん同伴。さすが聴き上手。僕なんかだったら、カリカリ来て、喧嘩したかも。
4:30まで。八文字屋にて沈没。

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2015.2/5(木)


8:00起床。旅券事務所へ。
途中、読売新聞を買う。
「記者ノート」「『ほんやら洞』全焼」「写真家店主のネガ焼失」の見出しを真っ先に見た(全国版の文化面)。ほんやら洞の二階の写真もある。それにはほんやら洞で開かれた詩集の合評会に参加する鶴見俊輔さん(中央奥)ら(2003年、甲斐さん)とある。この合評会は、小笠原信夫さんの『遊びをせんとや 生まれけむ』(編集工房ノア刊行)だった。
この記事の上では、夕べ、八文字屋でヘベレケながら、学生に飲ませていたジャーマンこと林晶とティルが共訳したハンス・プリンツホルン著「精神病者はなにを創造したのか」(ミネルヴァ書房)が紹介されていた。その見出しには「アート界 福祉と連携を」とあり、保坂謙二朗が書いている。
木須井麻子さんの記事は、以下の通り。

「京都市上京区の学生街にあり、若者のカウンターカルチャー(対抗文化)の象徴として知られた喫茶店「ほんやら洞」が、1月16日、火災で全焼した。1972年、フォーク歌手の岡林信康さん(68)らが開店したことで有名だが、店の顔は、写真家の甲斐扶佐義さん(65)だった。
大分県出身の甲斐さんは同志社大に進学直後、都会的雰囲気になじめず、ドロップアウト。学生運動の余韻の中で、岡林さんらと「自分たちの居場所を作ろう」と同大近くに店舗を借りた。店名は、つげ義春さんの短編漫画「ほんやら洞のべんさん」から取り、看板は哲学者の鶴見俊輔さんが書いた。詩の朗読会やフォークソングのライブが開かれ、市民運動、反戦運動の拠点として活気づいた。
若者や文化人がでいりし、「自由で猥雑な空気に満ちていた」と甲斐さん。しかし、周りからは怪しげな店と見られるようになったため、地域に溶け込む手段として、空き時間に近所の商店街の人らを撮影して回った。80年前後には、鴨川ベリで青空写真展を約20回開き、写っている人に無料で提供した。77年、初の写真集『京都出町』を出版。「ほんやら洞の甲斐さん」は地元の名物男になる。
以降も京都の街を自転車で走り回った。モノクロ写真の被写体の多くは、様々な店を営む人々、子ども、老人、女性、そしてネコ。桑原武夫、秋野不矩、水上勉ら京都ゆかりの文化人の日常もとらえてきた。刊行した写真集は42冊。ノスタルジーを感じさせる作品群は近年、海外での評判が高く、欧米で写真展が頻繁に開催されている。
店とともに約200万のネガも焼失した。火災から2日後、焼け跡を訪ねると、後片づけをする甲斐さんの首にカメラがぶら下がっていた。70年代以降の貴重な記録が失われたのは残念だが、これからも、きらびやかな観光地の裏側の、素顔の京都を撮り続けて欲しいと心から願っている。
(大阪文化・生活部 木須井麻子)」

これ、末尾に記者の願望を盛り込むとは、異例ではなかろうか?
ほんやら洞炎上の報に接して、ヨーロッパでも、日本でも人気作家であるジャン・フィリップ・トゥーサンさんが、慈愛のこもったメッセージを送ってくれた。
少し長いので、ほんやら洞炎上に関わる箇所のみを沼正三の「家畜人ヤプー」、高橋源一郎の「恋する原発」、村上龍の「ライン」等の仏訳者としても著名なシルヴァン・カルドネルさんに訳出してもらった。

「僕はブリュッセルで、炎の中で過去が燃えたかのように、NHKの火災のルポを見た。悲しみと仰天、そしてメランコリーな気持ちで。甲斐さんの悲しみを痛いほど感じる。彼のもてなし、寛大さ、熱意を思い起こす。ほんやら洞の2階で僕の写真が展示された時のことを よく憶えている。この部屋は、ぼくの記憶の中では無傷のままだ。」

今日の読売新聞の記事の中で、J・P・トゥーサンの言葉を入れるべく苦心したらしいが間尺に合わなかったのだろう。
今日の記事を巡っての由布院の兄姉のやり取りを聴き兄の「家長ぶり」に考えさせられる。
J・P・トゥーサンのメッセージの全文は、次の風媒社の本か澪標からの本に、野崎歓さん訳で掲載する予定だ。
午後2:00に桐生さんの弁護士、中田良成弁護士に呼ばれて事務所に行く。
「まだ、警察、消防から細かい報告をもらってないので、今日は、甲斐さんのお隣に対する保証の意志があるか否かだけ確認したい。後で現場に行くので、出火元も図示して下さい」と言う。
「先日、会ったが、阿部さんには、気の毒な火事だった。同志社の名誉教授で、蔵書や親御さんの嫁入道具等一式も無惨な有様になっており、簡易保険にしか入ってないらしい」という。
僕も桐生も保険には入ってない。
中田弁護士は、「あなたは、前にもボヤを起こしているのでは?9月のTwitterに、それらしき事を書きこんでますよ」という。
中田さんも阿部さんから「甲斐さんは金持ちだ」と聴いたらしく、僕が「そういう噂ばかりが一人歩きして……」と言うと、微苦笑を浮かべた。僕がツイッターで「金がない!来月まで、100万円なければ、潰れる」と呟いているのも先刻承知。
同伴した斎藤弁護士は、「カイさんの代理人?受任してない」と明言し、次の動きからが仕事と言ってくれる。
が、これから用意すべき事をメモってくれる。
それは、大家がやるべき仕事を代わりにやった事項を時期、金額と共に箇条書きせよとのこと。
Sが急性腸炎で宮津に帰って、兄のいる病院に入院中とメールあり。
今日のZestは静か。「よしや」で菓子を買う。
ムサシで回転寿司。
新潟の好青年のカップルが、富山の「十割煎餅 甘えび」を土産にくれる。A社の増田さんは、「どうして同志社はイスラム関係の良い学者ばかり集めているのだろう」と呟く。
木戸衛一先生グループ4人来て、ベルギービールを飲んでくれる。
その後、「ひろ作」のせっちゃん&杉本先生(建築家)がくる。京大の恩師の増田先生の生誕100年歳の事をしゃべる。「フランスに6年住んだので、仏訳が必要なら引き受ける」と言ってくれる。

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2015.2/4(水)


8:00に起きて、何やかや書き、吉田の家に中信の通帳、カード(先週金曜日申請済み)の二次申請用の書類が週初めに届き、それを返送したら、この次こそカード等が届く段取りなのに、全然何も来ない。
出町で買物を済ませ、旅券事務所にパスポート取りに行ったのちに、書類を忘れていた。
それこそ、吉田の家に置き忘れ。(一昨日、持ち回して、落としたらアカンのでリュックから出した書類に混じっていたのだ)
また、出直し。こういう事ばかりが増える。
帰りに、銘酒館タキモトに、副社長の洋一さんにお見舞いのお礼を言いに行き、「口説き上手」「ダバダ火振」を買って戻る。
「100人か、200人集めて、京大会館か、楽友会館みたいなところで励ます会をやりましょうよ。今日では、自分で動かないとだれも動きませんよ」
と元気が失せている滝本さんに尻を叩かれる。「来月、風媒社の本の刊行を睨んできめますわ」と返事する。
読売の麻ちゃんから、二度確認電話。詰めが大変そう。
「『京都出町』は、何年刊行?京都のあと、中黒ありやなしや?」
「明日出る訳ですが、ネット上でカイサンの撮った鶴見俊輔さんの写真を使って良いでしょうか?」
伏見大手筋の佐原バッグ店の佐原明子さんとFB友だちになる。
阿部さんから電話とSから連絡。
阿部さんに電話を入れるが、留守番電話。
八文字屋、トップは、日経新聞の二人(名乗らず、領収書請求で判明)。若手の一人は、父親が同志社出身で懐かしく語っていたので、燃える前に一度行けて良かったという。後ろでダウンしていたので、ビックリ。
段ちゃんが、8:40に来店。昨日、阿部宅に行ってくれたらしく、土曜日も行ってくれる由。感謝。僕が何も出来ない分、助かる。夜中のウッチーのメールでは、「ほんやら洞の本の、燃え殻が阿部さんの家のトユに詰まって難儀してるとかで、何とかして欲しい。扉を外したのは誰でも入れて無用心だ、何とかしてくれ、とクレームがあった」と連絡。確かに老人二人だから、とても気の毒だ。資力があれば、何とかしたいが、自分の立脚点がグラグラだ。八文字屋のお客さんに救われている。奈良井さん、鹿さん&片山君、お別れに(1年間入国不能の)オリヴィエが来たので、お土産に「On reading」「ツー ショット」「Kids」をあげる。段ちゃんの知人(ミスター・金がないぞ~!氏)も来る。ジャーマンは、龍谷大学の2回生の女の子数人同伴。ティルも呼び出す。
日経の二人、他の客と絡んで遊びたい、特に、ジャーマンと喋りたい模様で合の手を入れるが、ことごとく無視され、哀れだった。若い独身の国分寺出身氏は、女の子らと溶け込む。徳久さんも、寄ってくれるが、ジャーマンの傍若無人ぶりに、少し呆れ顔で帰る。
ジャーマンは、専ら「浅利、俺と付き合ってくれ!なんでアカンのや!?」の一点ばり。
最後に、フラフラのジャーマンが祇園の北さんとこに飲みに行くというのに、ティルとともに付き合う。
2:00過ぎ、K社のMさんが、新人二人連れてお見舞い代わりに、ボトルを入れてくれる。
2:30にキャバクラ行きの前に時間潰しの不気味な40代の男二人、来店。
3:30閉店。
4:00帰宅。

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2015.2/3(火)


8:30起床。
名古屋行き。
1:00風媒社。その前に、地下街で、きしめん。
「ほんやら洞日乗2014~2015年1月20日」(風媒社・3月中旬刊)が一冊の本に。
写真約20点?、内外の友人からの火事へのメッセージ(8ページ)。
1年分で、メッセージ、写真を勘案せず、600ページ、2000円(税込み)?と思って、面談に臨んだが、650ページ、2000円+税金となりそう。
メッセージには、J・P・トゥーサン、W・ジョンストン(網野善彦著作の英訳者、今月号の「現代思想』網野善彦特集にも寄稿。『阿部定』の著者、甲斐写真集『1992年版八文字屋の美女たち』の解説者、2001年甲斐アメリカ写真展のプロデューサー)、エマニュエル・ギベール(バンド・デシネの巨匠)、詩人ジョン・ソルト(詩人、北園克衛の英訳者)、コリーヌ・アトラン(伊坂幸太郎、村上春樹、山本周五郎、村上龍の仏訳者、作家)、ナディア・ポルキャール(ソルボンヌ大学文学部教授、映画監督、シンガー)等々。
という大枠が決まり、紹介者の鹿児島在住の作家・清水哲男さんに感謝。
それを待ち受けていた高山富士子さんと会い、富士子さんは、親しい友人、父上が病床に臥せ、心身ともに疲労困憊しているのにもかかわらず、早速、出版の暁には、正文館千種店で個展(4月20日頃~?)+トークショー、サイン会に向けて段取りよろしく仕掛けてくれているのを知り、感激。
しかも、その記念に祝杯をあげるべく新栄の大変素晴らしい老舗(開店100年以上)「大甚」へと案内して頂けた。

「高山富士子さんは、1972年当時、高校一年生ながら、名古屋からほんやら洞に毎月のように通って頂いた大フォークファン。高校生時代から、一貫して大阪の「春一番」の裏方をつとめてきた。
高い見識を持つ彼女の個人史を語ることは、巧まずして日本のフォークソング史を語ることになるという、精力的で稀有かつ魅力的な交遊関係を保持する痛快美女。
僕は調子漕いで、いや、本気だが、取らぬ狸の皮算用に、「ほんやら洞日乗が、5刷になったら、『高山富士子とは誰だ!?』という本を出すように、風媒社さんにお願いするわ」と口走った。
彼女が動くだけで、本はそうとう動くなと話を?伺いながら、そう思った。
また、日本にも血の通った関係(地下水脈)を描く本が待望されているのだ。
彼女が語り、シンガーたちが彼女を語る本だ!!なんと愉快な!想像するだに楽しい。日本中津々浦々の、シンガーを愛して来た店、ライブハウスも登場することになろう。秘められた愛が噴出する文化史を早く残さないと、シンガーたちが死んで行く」
旨をFBに書いた。傍迷惑な本かもしれない。
関係各位に感謝しつつ、帰洛したのであった。
富士子さんに会う前に大須神社、名古屋城、チョイ見。
後は、家に帰り、写真もチェックしたい。

9:15にオープンすると、「手元供養」の山崎譲二さんと何度か来店してた北海道滝川市の墓石デザインプロデューサーの社長(1992年、日本最初のモーグルスキーのオリンピック出場者)の山崎修さんが、やはり、北海道は、江別市の石材工業の渡辺孝治さん同伴。生まれたばかりのお嬢さんの画像を見せて、「美女写真集に使ってくれ!」という。二人とも「ほんやら洞日乗」の予約金を払って行った。
山崎さんの初来店時には、北園沙世ちゃんがいて、「いきなり唄い出してびっくりした」が自分も「酒と泪と男と女」を歌ったのだと回想。
喋っていたら、小野修さんと了代さんの長女、晶子さんと知人と知り、びっくり。
僕は、了代さんから、駐車場を子ども部屋に改装しに行っていた1973年の話だが「ウチと御宅は親戚よ!」言われてびっくりしたことを思い出し、そのはなしもする。小野哲・修兄弟の叔父か大叔父に元トルコ大使の甲斐静馬がいて、僕らはその著書「中近東入門」(岩波新書)を読んだものだが、その甲斐静馬は、大分は、竹田辺りの出身の筈。ウチも近接。丁度、中尾ハジメと僕がほんやら洞を離れて、大工仕事をしにお邪魔している時の話。ここでも「秘めた愛」が話題になる。
丁度、UCLAの文化人類学卒の三浦久が、仏教フォークなるものを引っ下げて、精華短大の講師に着任した年だった。三浦さんも小野さんの家に呼ばれ、一緒に酒を交わした。
僕は、同志社で小野修さんの兄、小野哲さんに政治学なるものを習っていたのだ。「ペーパー封鎖」の小野哲と呼ばれていた。
ケンブリッジ大卒の小野修さんは、同志社を退職した頃、八文字屋に来て「甲斐さん、一緒にアイルランドに行きませんか」と誘われたのが、会ったのが、最後。了代さんは、1981年頃、森本喜久雄さんなんかと「カンボジア難民救援運動」をやっていて、彼女は、その代表だった。寺町通今出川の角に有った「空」にたむろしていたのが、このグレープ。お嬢さんは、外務省あたりに勤務らしい。
太貫まひろさん(風の駅)がいらしたのにもびっくり。
一昨年から預かっていた「気になる京都 あの店・この店」の売り上げ代、残品を持って行こう、いや、行かないとヤバイ!と思い続けていた。
行こう!と思ったら、残本が隠れていたりして、延び延びになったまま、燃やしたので、早く、返品と思っていたのに、先を越された形だ。一章は、出町桝形商店街とその周辺、出町柳で珈琲めぐりがあり、その中でほんやら洞を紹介してくれている。
「夏の終わり、甲斐さんのカレーがふと食べたくなって、ほんやら洞へ向かった。……。」
おまけに1000円のカンパを頂いた。
Mさんからびっくりするような内容のメールあり。
彼女、今日、初めて知ったご両親の結婚、離婚の秘話だった。
父親は、三島由紀夫の「盾の会」に入り、1970年11月25日市ヶ谷の自衛隊で三島が檄を飛ばし、割腹した際に介錯を務めた古賀某(森田必勝ではなかったか?)の介錯を務めたのが彼女の父親で、母の母、祖母は、その思想そのものも嫌悪し、母とともにドイツへ飛び、彼女は、そういうこともあって、ドイツ生まれなのだと。
いま、僕は、彼女にいろんな事を相談したりして親しくしている。

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2015.2/2(月)


朝、6時に先斗町の「ひろ作」のせっちゃんが来たので、当方も2杯飲む。
それから、昼まで、何かと八文字屋で作業。
シルヴァン訳を麻ちゃんに送る。

木須井様
「僕は、大層なことをいったつもりはありませんので、誤解なきよう。
切り刻んで使うしかないと思います。
シルヴァンにもう一ぺん、全文を訳して!と言いにくかっただけです。
全文をJPT専門の野崎歓さんに訳して貰い、近日中に僕が出す本には、いい訳を使って欲しいと云うのが、シルヴァンの希望なので、忙しい彼にもう一回と言い辛かっただけです。」

木須井さんは、出勤後、自動翻訳機を使い、大意把握とメール。
佐藤真由美さんにも、PNGの写真展の件でメール。

「先日は、寒いさなか、貴重な時間を火事場後片付けに引っ張り込み、申し訳ないありませんでした。
また、僕の支離滅裂、不用意な作文を訳して頂き、感謝にたえません。
またぞろ、忙しいさなか、野暮なお願いと相談です。
先日仰言っていただいたパプアニューギニアの方の写真展の件、進行しそうですか?
可能ならば、期日を4月17日~5月10日に設定して頂ければ、Kyoto Graphy(KG+)の期間でもあり、
その中に放り込み可能です。それだけで大宣伝で、PNGの方にも歓迎されるかも。
KG+の事務局のほうとしても国際写真展が多彩になり、喜んで貰えると確信しています。
例年は僕が出展してますが、今年は、時期も時期であり、休んで、貴女の推薦のパプアニューギニアなり、フィージーの写真家を僕が何かするわけでもないが、プロデューサーの形が、KG+事務局的には、好意的に受け入れると思います。勿論、元来、佐藤さんのプロデュースというのは、メディアには伝えるし、メディアには、KG+枠から離れてもさらに宣伝をお願いします。
その期間なら、八文字屋での中川五郎ライブもKG+の綜合プログラムの中ででも宣伝できます。
まだ、北口先生には伝えてないが、先生の企画の「崇仁の走り」「毱の行方」や寺山修司の映画上映@八文字屋も、一緒に、何万枚というパンフレットで流せます。
そのあたりを、ご一考下さい。
勝手な事ばかり申し上げて、お許しを!
2月10日の夜には、ほんやら洞全焼見舞いに、次期市長候補?のZさんも崇仁で活動していた二人とともに来店予定なので、様々な提案を彼にしたいとも思っています。」

今日も焼け跡片付けが気になり、腹心?のウッチーにメール。
「ウッチー、あの扉、八文字屋で何か活用できると思う?
使えそうなら、八文字屋へお願いします。
活用出来そうもないのなら、3:00に来る川口さんに名古屋迄運んで貰い、キープして置こうと思います。
他に一計ありますか?」
これに対してウッチーからのメールは、以下の通り。
「いったん預かっていただいて、綺麗にブラッシュアップしてからのほうがイイかもですねw
表側は大丈夫ですが、裏側はかなり炭化してるので、出来るだけ削って貰ったほうがイイですね。
綺麗になったら、八文字屋の壁に横向けに吊って窓に写真を入れてもいい感じじゃないですかw
昼過ぎに行って、外しておきますわ!
で、梁の彫刻は切ったら屋根ヤバそうですね…ほ」
と直ぐに返信。
午後1時に家に戻り、焼け残りのネガ整理を少し。
パリ写真は、ネガは半分くらい生きていそう。
書きおろしを終わったら、写真集「赤ゲット外遊記・フランス篇」か「美女と野獣」に取り掛かろう。
片桐さむ君の可愛いネガ、少しは、生き延びたようだ。
来年は、元気ならば生き残りのネガで写真集「さようなら出町・さようならほんやら洞」に取り掛かろう。
家で久しぶりの洗濯。そのうち、銭湯にも行きたい。銭湯は10年以上行ってない。
「ひろ作」のせっちゃんの事を書くと、元RCVの藤本廣志さん、元々千中の酒場「神馬」の大家でもあった酒谷義郎さん(大昔のお客さん)の反応あり。
せっちゃんは、僕のTVインタビューを見て、「渦中にもかかわらず、理路整然と喋っているのに涙が出るほど感動して、来る気になった」そうだ。
八文字屋は、四条河原町上ル東入にいまもある喫茶店「築地」のような造りのBAR「はる坊」の跡地で、僕がこの「はる坊」、水上勉さんが語る「川端康成の子どもご落胤?説」と関わりがありと知り、なおびっくりされた。「はる坊」の弟で、階下で「シロー」をやっていた大西四郎さんは元大西ビルのオーナーで、岡中、鴨沂高校を通じて猟銃で非業の死を遂げたあの俳優、田宮二郎と仲良しだった。田宮二郎と秋野イサムは、岡中時代に野球部のバッテリーを組んでいたという秘話も披露。四郎さんの娘は、鮎川いずみの個人秘書もしていた。せっちゃんは「ひろ作」の前には、「楡」「ミルクホール」にいた。その頃、僕は、山内陽子、藤井宗美さんを通じて、せっちゃんの名だけは知っていた。
チャーリーこと、三橋さんが東京芸大出身の内田邦太郎さんのパート・ド・ヴェール作品買物話追認にも、びっくり。それで朴ちゃんと齟齬が生じていたのも思い出す。内田邦太郎さんは、兄と関わる方で、戦後のGHQや進駐軍問題では、邦太郎さんは「幼心にもGI連中が日本の女性をナンパし、また、日本人が靡き三十三間堂の物陰で睦み合うシーンを目撃しては投石していた」と語ってくれたものだ。彼は、小林古径の孫だが、70年代は、70歳を越えているのに、東名をバイクで来ていた片桐大一さん(ユズル、ハジメの父親)は、この小林、富岡鉄斎にGHQが国宝級の絵の贋作を描かせていた時、通訳をやっていた、で、僕がインタビューして「思想の科学」にちょろっとだしたのを思い出し、喋った。「山種の親父」が仲介だった、と。孫が石を投げている頃、ジィサンは、GHQのためにせっせと働かされたわけだ。鉄斎はどうかすると実物よりよく、古径は下手だったと証言。
ウッチーが外し、川口さんが、自宅へと搬出。
川口さんは、喉が弱いので、長時間焼け跡にいると苦しいと言っていた。お隣の阿部さんから「燃えかすがトユに入り、水が溢れ、二次災害に見舞われている、何とかしてくれ!と抗議される。
井上久青果店の奥さんは、果物をずっと安くするという形でカンパしたいとのこと。
Bestと分類されてない罹災を免れたネガから、十分に優れたネガを、今日は、ちょっと見ただけで発見して少し安堵。
八文字屋トップ客は、ボロフェスタの帰りとかにほんやら洞客という不動美里(元金沢21世紀美術館学芸課長)似の若い女性、ソフトドリンクご所望。
次のカップル(チサエさん)も1杯ずつ飲んで、30分で消える。
つぎは、ライトノベル作家の瀧津孝さん「I・W・ハーパーが俺の方をむいている」と洒落を言いつつキープ。
11:00には、「ひろ作」のせっちゃん&建築の杉本先生。
せっちゃん「極楽の余り風とはどういうものか」を教えてくれた「ミシマ」(屋形は、松竹)のオカアサンの話をする。
せっちゃんは「ほんやら洞の火事のインタビューで冷静に喋っているのに感動した」ので、名前は、知って八文字屋に来たか、ついて語る。
深夜、カゲロヲ、西村玄考も来る。
4:30閉店。

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2015.2/1(日)


8:00起床。大きな海人彦を賀茂川ベリで抱えて走ろうとして、足下から崩れ堕ちる夢をみていた。
二時半までずっと先月後半の日乗チェック。一昨日、先斗町の「ひろ作」のせっちゃんと杉本さんとやらが二度目の来店、昨日、草葉裕、かなおかだいこん氏来店、尾崎真人さんの絵描き同伴も記述漏れ。だいこんさんは、ほんやら洞が燃えた後の正面写真をプレゼントしてくれる。武市さんがサルディニアのいま三条珉珉で働いている美女をバイトに入れられないかと打診。
3:45まで、八文字屋。
慌ただしい15日間だった。ほとんど家に帰れず、風呂も入れず。
いろんな方々から、激励を受けたが、対応出来ず。
1月16、17日のメールだけで無数にあり、まだ読み切れてなく、礼もまだ。ほんやら洞の地所の大家さんと新代士にも会ってない。
先方が何を言い出すか、皆目検討がつかない。常識的に考えれば、先方の被害額を算定する基礎資料の収集に当たるだろう。ビルにする費用があるのか?駐車場にするのが、オチではないのか。隣との境界線が曖昧なのが判明したらしい。
警察の判断では、出火原因不明。
漏電でも、火の不始末でない。では?
前々からこの4月からは、前向きでなく、後ろ向きに歩く(老後に向けて過去のネガに向き合い、適宜写真集つくり、デジタル化に邁進する)つもりだったが、根底から覆された。
前向き(ネガ焼失で、新たに撮影、プリント等に力点を置きつつ、素早い写真発表)態勢で行くしかない。
でも、カザフスタン、北京個展は諦めてない。カザフスタンも受け入れ態勢を作ると言ってくれている。北京展に向けて、Wu Haoも「頑張ります」と言ってくれる。2月18日に北京に帰るとのこと。
1月19日から、数日、誰と会ったのか覚えてない。「ひろ作」さんの初来店は、1月29日。
2月5日からが、ほんまの戦い。そして、日常営業態勢構築も急務。僕の生活がちゃらんぽらんなのは、致し方なし。八文字屋の借金は幾らか確認の必要あり。11月の不合理な主張をする芳徳の債権者からの電話が繋がらずペンディングになっているが、このままでは終わらないだろう。万一、先方の主張に理があったとしても、どうするというのだ。でも、煩雑な世界からの切り込みがあり得る事も肝に銘じておかねば。先方の論理で行けば、僕は、いわば、土地買取センターに騙されたことになるの?それとも、僕が熟慮せず、契約をしたということ?ここに法的なメスが入ればどうなるか、この動きは不気味。タイトロープだ。それにしても、僕は取られるものは、何一つない。
それは、さて置き、背伸び、上げ底、希釈人生から脱却して、もう腹を括らねば。
1月11日~1月31日のブログ(ほんやら洞・八文字屋往還カイ日乗)は、2,3日うちにUPとなる。
年末の餅撞き用の杵の手配で迷惑を掛けたなおちゃんに焼失の詫びをだす。
「なおちゃん
ごめんなさい!
餅に少し黴が生えたばっかりに、家で冷凍キープしてた餅と阿闍梨餅を杵の礼として添えて、返却するつもりが、家になかなか帰れない内に火事に会ってしまった。古い、重い杵が、焼け跡から出てきました。
いま、借りた物と同じ軽いの探しているのですが、万一、軽いのがなければ、重いのでも良いか、聴いていただけませんか?こんなに、悠長だから、他人をも被害に巻き込むのですね。
借りたやつの2倍の重さのが2本あります。
二本借りたのです。
申し訳ないと、呉々も、謝っていると伝えて下さい。
5月中旬には、去年1年分の日記が本になり次第送らせてもらいます。
遅くなって、消失させた上に、勝手言って申し訳ありません。」
岡崎の古本屋「へリング」に行く。
ルパンは今日、4日間入院が明けて、帰って来たばかりだった。
J・P・トゥーサンから原稿くる。
8:30にチャーリー&「ひろ作」のせっちゃん、2月22日の「中川五郎とオモチャ楽団ライブ@ほんやら洞」のフライヤー持参の佐々木さん来る。睡眠不足なので、後ろで寝ておこうという心算もふい。
奈良井さん、アドちゃん&山形拓史(偶然、会い)一緒に来た。鹿さん、段ちゃん、琢ちゃん、佐枝ちゃん、NHKで前に番組を作ってくれた「クレイジー」という渾名の男&元地球屋でバイトの角さんと続く。
佐枝ちゃんは、パプアニューギニアの写真展@八文字屋をKG+の枠組に組み込んで欲しいと言う。
1:00過ぎに誰も居なくなったので、やっと横になる。
扉も開けっ放し、BGMも明かりもつきっぱなし。
突然、声がして、入って来たのは、ひろ作のマダム。河道屋の上のバーのマスター同伴。
時間を訊けば、6:00。
また、飲みはじめた。
小一時間でお仕舞い。
トゥーサンの「ほんやら洞全焼」に寄せてで、新聞に使えるのは、次の部分か?
「僕はブリュッセルで、炎の中で過去が燃えたかのようにNHKの火災のルポを見た。
悲しみと仰天、そしてメランコリーな気持ちで。甲斐さんの悲しみを痛いほど感じる。
彼のもてなし、寛大さ、熱意を思い起こす。ほんやら洞の2階で僕の写真が展示された時のことをよく憶えている。この部屋は僕の記憶の中では無傷のままだ。」

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