ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site

 
カイ日乗 3月

2015.3/31(火)


10:00起床。兄が、今日、刺身をご馳走してくれると言うが、篠原さんか、中谷健太郎さん、あるいは山香の誰かに会いに出掛けるので、今日は断る。
朝は、蕎麦。
出る段にパスポート等が入ったポーチがないのに気づき、「こつこつ庵」に電話。案の定、有った。
次は、今度は、眼鏡がないと大騒ぎ。
歳だ。
今さらながらの自覚だが、八文字屋もほんやら洞も10年以上前に止めるべきだった。10年のタイムラグ。出口のない「借金地獄」からの脱出の方途は、日々の両店の中にしか見出せなかった。それが変な話、駆動力になる側面もあった。正負のスプライル上昇と下降の鬩ぎ合い。その間に、子供二人は育つ。
果てない地獄への螺旋降下の間に何れ這い上がるべく隙を探し、縋れるものを見出すために窺い、引っ掛かりの手掛かりを矯めつ眇めつひたすら凝視の末、針小棒大的隙間をこれまた一つの小世界であるが如き錯覚、安住しつつ錯視に基づき、盲進・猛進のトライ・エンド・エラーを繰り返し、挙句の果ては窃視の上で小悪党的略取を妄想実行或いは反省・浄化?の日々ののちの「あっという間」の20年だった。
20年を10年と思うこと勿れ。
2:19の列車で由布院への途上ののたうち回る想念。
写真に向かいあうべきなのに如何なるブロックが邪魔したかを透視すれば、こんな風に身も蓋もなし。遅ればせながら、その辺をシミジミ思う。
インターネットが繋がらないので、列車で「もうろく帳」を開け、今更ながらの鶴見もうろく世界を心地よく捲る。
「出逢うひとりひとりが自分の師という学風をつくることが理想だ。それが理想とすれば、その学風には弟子はあらわれない。
そういう逆説を生きたい。」
鶴見さんはその様に生きたのだろう。
1993年の5月7日のページに高橋睦郎が登場。前から健太郎さんとは、仲が良かった、未知の詩人。
「まつしきよちかつくおとにそはたつと
あかみみたふや すてにあかるむ」
僕には、及びも付かない詩人。
由布院は、大きく変貌を遂げた。映画の書割り世界へ迷い込んだ。
コトコトヤも変わっていた。
「天井桟敷」も満員。待っていたら、程なく中谷健太郎さんが、姿を現わし、庄屋で飲もうと言う。誘われるままに従う。立松和平、森まゆみさん、風倉匠、石松建男の話から自ずと火事話。
高橋睦郎さんが投宿して、締め切り原稿を書いていると聴いている矢先に風呂入り前の高橋さんが登場。詩人を呼び止め、暫し飲む。「日乗」を「逆回し蹴りやなあ~」といたく感心。睦郎さんとは、バルト三国への旅の経験あると言う。
睦郎さんとは、正津勉、ジョン・ソルト、北園克衛、白石かずこ、天野忠、饗庭孝男等巡り、歓談。「正津は、直ぐに女の家に転がり込むからなあ~、最近はその元気が無くなったようだが」と。北園は、大変な素封家の出で、ジョンさんは激情の人。有馬敲の点数は低く、杉本秀太郎さんに関しては、井上章一の杉本論がいきなり出たのには当方も微苦笑。源氏物語、芭蕉の俳句、芭蕉の学力(漢学の素養ほとんどなし)、弟子達の力、谷崎、川端康成のリビドー、三島由紀夫の話から今晩の9:00からの三島とノーベル賞落選秘話からNHK登場話、シーザーとブルータス及びシーザーの組織論、バイセクシャル論、ソクラテスとプラトンの話、概ねオモロし。
立派な本を何十冊も出している。特装本「遊行」なんて限定88部。健太郎さんのは、NO63とある。「王女メデイア」は蜷川幸雄演出でつとに有名だが、僕が避けて来た世界、及びもつかない関心事、それが 高橋睦郎世界では?と思い浮かんだりもする。
雨が降り出し、テラスでなく、内で飲もう!という段に、高橋さんは湯を浴びに行く。僕も湯に浸かりたかったが、そうすると、身動きが取れなくなるので、止す。囲炉裏でドンコ、鰻の燻製を炙り、西の関を飲む。
高橋さんはあと30年生きると言う。僕の受難から建畠晢の不幸を聴く。作品に「遠い帆 オペラ支倉常長」があるのを知る。あとで、アルメイダ話をすれば面白がったかな、と思うが、時間がなかった。
健太郎さんはバタバタし、4,50分ひとり手酌。
1時間しても、睦郎さんは戻らず、6:15には、健太郎さんは会議が始まるが、湯に浸かり、ゆっくりして行け、と言ってくれたか、そうもいかない。
戻った高橋さんも7:00に「食事はどうします?」と言ってくれたが、僕は大分に忘れ物を取りに行くと言い、それで、別れる。
7:30まで、庄屋に居る。タクシーで駅。
「由布の森」号で大分。タクシーで往復して忘れ物を取り、20:54の列車で向の原へ。
夜中に兄に刺身をご馳走される。兄、兄と中国にも一緒に行った麻生さんとともに「女酒場放浪記」を一頻り観せられる。刺身、山菜を堪能。イチオシのインスタントラーメン、好物のニンジンの漬物、トランクス、シャツも土産。兄には、父親像がますます肥大化しているようだ。親父は、そんなにオモロイ男ではなかったのに、兄は、敢えて言えば、捏造している。オモロウないのをオモロイと見据えることの方が良い。
高橋睦郎さんの「遠い帆」のあとがき「オペラ、支倉、そして私」は、素晴らしい。物書きのあとがきの鑑とでも言うべきか。こういうチャレンジ精神こそ、今の僕に必要だ。だが、高橋睦郎さんのスタンスは、氏の実力があって初めて信用を得ることであるのは、言うまでもなく、余人には真似できない。兄にそういう姿勢を要求はしないが、少しは取り入れて欲しいと願いつつ、その点でも我が意を得た。物書きは如何にあるべきかについて後書きとは言い条、赤裸々に記した示唆に富む論考であった。絵でも一緒のはずだ。
また、描く対象といかに向き合うべきか、という点に於いても、駆け出し(?厚かましい?)の物書きとしてこれから数年生きるつもりの僕にも、如何に生きて行くべきかについても示唆に富み、初対面かつ初読書の睦郎さんとの出会いにふさわしい、僭越ながら、思うのだった。兄貴よ、共に晩年、もっと研鑽を積もうぜ!!

鶴見さんの「もうろく帳」より(1996年2月9日)
40の半ばをこえたとき、自分が意識したり、思想化したりしたことがついに自分の人生の中身に及ばない、ということに気がついた。自分の人生が、自分の表現能力をこえて、無限の出来事としての奥行をもっているのに気づいたのである。

この言葉も、高橋睦郎さんの「支倉六右衛門」(遠い帆《オペラ支倉常長》)彫琢に向けての心掛けと重ねて読んだ。
ちょっと酒が回ったかな?

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2015.3/30(月)


2:30~10:00まで熟睡。
朝から、兄が心配して、騒ぐ。
嫂は「今度、大分に帰るのが最期になるとFBに書いてあるらしいけど、どういう意味?」と何度も姉に問い質した模様。午前中は、姉に散髪をして貰う。
昼、菱東肥料化学大分の篠原雅一さん、3月31日に会おうと言っていたが、連絡取れず。洋玄Tel。渡辺のりお、福田と6:00頃、大分合同付近で待つと。
今日の血圧は姉の薬で166まで下がる。
兄のバビロンでコーヒーを呼ばれる。
3:30に嫂の運転で大分へ。
5:00大分合同の佐々木さんと待ち合わせ。30分で、取材は終わり。
6:00から、「こつこつ庵」。20何年ぶり?小野陽一郎も来る。四人の割勘でご馳走してくれる。正木は町内の用事で来れず。
2次会のカラオケつらし。
最終電車で戻る。血圧、まだ170ある。八文字屋は、レオが入る。

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2015.3/29(日)


6:00起床。外は、快晴。
調子、パッとせず。早朝出発で、由布院ぶらつき計画取り止め。
9:30、外は雨に変わる。
仕方なく、マツヤで、焼き魚定食。
リュック内のゴミを出し、本に詰め替える。誰に見せたり、あげたりとの明確な意識なしに。随分な荷物だ。今回は、兄姉の様子見がてらに、大分合同新聞の取材受けが、主目的。
阪急、地下鉄で京都駅。
11:29ののぞみ。大分到着は、3:30。列車内で小谷野敦を読了。何ヶ所もメモリたい記述、ゴシップの解説がある。僕は、本来無一物で生まれて、上げ底、背伸び、コンプレックス人生を送ったが、そんな僕とも北沢恒彦さんはよく付き合ってくれたし、70~80年代の各種論争等については、彼としか語れなかったことも思い出させてくれる。この本のおかげで大江健三郎という作家の人となりは(自分の小説を大江に読んでもらい作家としてやれないと断定され、納得した)の室謙二の眼鏡を通して(それも1975年の東京での座り込みの最中の会話)しか知らなかったが、人間が如何なるものか少し分かり、未読の大江健三郎作品を読む気が湧いてきた。
狭間町を列車内から見渡せば、良い所。ふとここで暮らす親戚の暮らしぶりと、この風景の受けとめ方についての想念が脳裏を過ぎった。きつい坂を登っていると「タケちゃん」とやらに声を掛けられる。人の良さそうな人だった。
缶ビール20本と焼酎「黒霧島」を今晩、兄と飲むつもりで、持って行ったが、早とちり。前から聴いていた通り、兄等は出掛けて、一緒には飲まず。アテ?外れ?いや、拍子抜け。兄姉となら飲んでも良かったが、血圧が高かったせいもあるが、不案内な兄の客仲間に気を配る余力がなく、夜中に戻って来ては「飲もう」と誘われても、辛く、止す。疲れも一入。
FBにUPしたつもりの「江藤淳と大江健三郎」の感想が、狭間では、ルーターが機能せず、UP出来ない原因が不明で数時間イライラ。
飯食いついでに血圧を計ったら、上220・下138。これにもびっくり。
僕の体質は、母似なので、母が亡くなった歳に近づき、この血圧と来たら、ちとヤバイ。この3週間の肩の凝りよう、しんどさは、尋常ではなかった。血管のせいと了解。
これからコンを詰めて、作業をして、カザフスタン、北京での個展の準備をすることになるが、用心に越したことはない。
鶴見俊輔の「もうろく帳」に1994年の出来事(氏、72歳)にはこうある。

9月3日 南病院に入院
9月5日 ファイバー検査、癌発見。
9月7日 南病院退院。
ーーーー
9月13日 国立京都病院に入院。
9月29日 大腸癌手術。
胆石摘出。

久しぶりに血圧の薬、風邪薬、初めての睡眠薬を飲む。僕は、72歳まで医者の世話にならないで済むかなあ~。
同じ「もうろく帳」の1995年もメモ。

5月6日
I have overstayed your hospitality.
『思想の科学』を支えた人びとに対する私の感慨。
幕引きの時が来た。

5月22日
私はここに自分の失敗の歴史を閉じる。
ーーーーー
久坂葉子の言葉を借りるなら、「何度かの最期」。

2月26日
正しいものだけが
正しいのではない。
(まちがいでしきつめられた人間の思想史を導く糸)

今回の帰省では、画像を多くUPするつもりでいたが、Netが繋がらないのなら、やむを得ない。爪を切り、風呂も入る。
血圧の数値を姉が兄に言ったら、兄が「ヤバイぞ!病院に連れて行け!」と騒ぐ。

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2015.3/28(土)


7:00起床。
焼き魚定食。
やや虚しいパーティーの案内状送りに数時間費やす。
朝日の京都、東京、神田稔さんに本を送る。
390円ショップでジーンズ、100円ショップでベルト、桝形マツヤで大分へのお土産の「阿闍梨餅」を取り敢えず、3軒分買う。金券ショップでJRチケット。
亀の井別荘の中谷太郎君、健太郎さん、高校の同級生の森永洋玄に電話。洋玄しか掴まらない。
それ以外の事が出来ない。体調に変調を来している?
あとは、パーティーに知人が集まらない原因をあれこれ考える。写真家は固より、ほんやら洞の歴代関係者も。ほんやら洞関係者の気持ちは透けて見える。次田は、嫁の選挙が理由。
「ほんやら洞の青春」ならば、出席事情が変わって来るだろう。
某K社の文化部長がいみじくも言ったように
「誰が読むんや、他人の日記なんか、売れんやろ」
これが、一般的な印象なんだろう。
これが、僕の本領の写真集だったら、某文化部長もこんなぞんざいなもの言いはしなかったに違いない。そして、ちゃんと紹介記事を作るべきだと考えたかも知れない。
二の句は、
「ま、火事で同情を買って出して貰ったんやろ」
はなから、そういう思い込み。氏も紙上連載した中国文学者の評伝がなかなか陽の目を見ず、忸怩たる思いでいて、そうやすやすと出るもんやないと知悉している。だから、逆に、
「火事で店を失った、カメラマンでもある喫茶店主の、66歳にして初の日記集成」
とか銘打って、彼の地元の新聞が背を押してくれたら、嬉しいのだが、そうもいかないようだ。
飲み屋のゴシップを寄せ集めた、胡散臭い店の宣伝臭プンプンとした安もんの本扱いの域を脱し得ない。
それどころか「大丈夫!?個人情報を撒き散らして、告訴されたら、どうするの」と余計な他人の心配までしてくれる。
ほんやら洞や八文字屋の客の名が、有象無象千何百人もそれぞれが繋がりを持って登場するのを面白いと思わないか。
この「ほんやら洞日乗」は、売れるか、どうか知らない。
少なくとも大学者、郡司ペギオ幸夫さんは面白がり?数ヶ月後に出る同工異曲?の本(澪標さん、ご免なさい!)に跋文を寄せてくれると言う。また、北海道の哲学者・花崎皋平さんは「祝しに参じたいが、老齢のためにママまらないのが残念」とのメッセージをくれる。それって、オモロウないの?
焼け跡から持ち帰ったゴミの山に埋もれた、当分、何年も続くであろうゴミネガ、ゴミノートの中から、マシなネガの救出する作業を日夜続ける、その生活そのものを楽しく組み合わせた粋な印刷物(読み物)を作るって、いいじゃない?その生活の中になぜか北京、カザフスタン行きが交差し、交互折り重なって、果てしなく続くなんて、夢かも知れないが、いいじゃないか。まず、八文字屋を任せられる女性を探すことから始めよう。
という愚痴をNETで吐露したら、菅谷なおちゃん等何人にも心配してメールをくれる。
八文字屋のバイトは、温ちゃん。
トップ客は、オタクバー客で「日乗」買う。アキちゃんの詩、俳句仲間も77歳のおっちゃん同伴で「日乗」を買う。磯村久美さん、奈良井さん、琢ちゃん、段ちゃんも来る。
深夜、マリオン?(徳島の日仏学館の長身で綺麗な館長)をつれて、シルヴァン等10人来る。これで、辛うじて、九州から帰りの切符代金が出来る。
2:30閉店。

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2015.3/27(金)


暖房なしで寝ていた。風邪に用心。既にアウト?
「日乗」配本、4月6日になる。
アマゾンは、今日から取り扱い。
風呂に入るために帰ったのに、元気出ず。入らず。
ジョン・ソルトさん、芳礼さんよりメール。
有本忠浩さんの名を思い出し、メールするも通じず。
7:30大上さん来る。(試し入り。実家は、梅農家)
トップ客は、呑海龍哉さん(日乗1冊)。次は、永澄さん、杉村さん、白井聡さん。
呑海龍哉さん旅のスケッチ展「ホテルという小宇宙」(5月30日~6月21日)決定。白井聡さんは4月から精華に来るのだという。まだ読んでないが、内田樹との対談が話題になっている。
明日のイベントに来いと言う段ちゃん、最後は、冨樫で終わる。
八文字屋にてダウン。

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2015.3/26(木)


疲れたまま、7:40起床。体調、変?首の血管に違和感あり。背骨に連なる首骨、ひょっとしたら、ヘルニアか?とやや不安。
朝食炊く。
夕べ、来店の朝日の女性記者の名も、東大の松原教授の名も忘れていた。永江君、百枝さん来店も。
なかなか原稿を書く生活のリズムを作れない。
撮影生活のペースも壊れたままだが、こっちには、いい兆しはある。体調さえ整えば。
玉屋珈琲に豆買いに行く。
後は、帰省用?ベルト、夜の仕込みに豆腐、ジャコ天、鳥ミンチ、カボチャ、きんつば、電球、ポテチ買い。
不調続く。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」をめくる。
「バージニアウルフなんか怖くない」が出てきて、「卒業」と比較していた。
僕は1962年に「バージニアウルフなんか怖くない」を「アマゾネス」「素晴らしき風船旅行」の3本だてで姉と別府て観ているので、気になってチェック。僕の勘違いでないのが分かり、ホッとする。
八文字屋には、トップ客の、臼倉さんからはお見舞いを貰う。次は郡司ペギオ幸夫さんが、ワッキー、青ちゃんの後輩の西山ユウタ君同伴。二人ともパーティー参加。郡司さんには、原稿依頼もする。
琢ちゃん、シルヴァン、佐枝ちゃんらヴィラ九条山の連中8人同伴。コリーヌ・アトラン入洛と言う。瀧津孝来店「日乗」1冊買う。シルヴァンに野崎歓さんに送って貰うために1冊。
最後にマケドニアの美男子、前歯1本欠かせて来店。何処でどうなったか不明とのこと。(後に、差し歯と判明)
レオが、ガサ子?(ご免!)一人含め、3人で来て、LPを弄るので、ヴィラ九条山のレジデントもやや色めき立ち、レコード散乱。

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2015.3/25(水)


6:40起床。
案内漏れチェック。
ジュテ、大西若人、中村美奈子、中村政温、山崎譲二、葉山勉、鵜飼、森下光泰?
もっとあるはずなので、手がかりを求めて家へ。少し発掘、書き出す。
シルヴァンの家に「ほんやら洞日乗」持参。トゥーサンさんは、KG+として「艸居」個展。和紙プリント。
天神さんへ行くつもりだったが、寒いし、レオも早く来るというので、2:00に八文字屋に戻る。
疲れ、癒えず。
夕方、阿闍梨餅をS持参。
3人で、姉からの大分?蕎麦。
八文字屋トップは草葉裕さん、久しぶりの真以ちゃんの従姉妹の真希ちゃん、ユキちゃんの旦那ら来る。鹿さん(日乗1冊)、奈良井さん、川㟢さん(日乗2冊)、磯村久美さん、やがて、坪野優太郎さん&法テラスの弁護士さんと職員、皆と入れ替わりで、仏教タイムス?の二人とKBSの深田実希さん連れのオイタさん。更に、元毎日新聞の書評委員の東大教授&近藤和見(日乗1冊)。
川上力三さんが、80歳になって娘が大学を卒業し、有望そうな男を掴まえていることを素直に喜び、「ほんやら洞日乗」も買ってくれる。海人彦も寄り、「日乗」を持たす。深夜、久しぶりの朝日の女性記者来店。「ほんやら洞日乗」を買ってくれ、5月に転勤と報告。1月16日朝3:00頃、タクシーでほんやら洞前を通過したと言う。「フィリップのBar」のフィリップも来店。
何やら、疲れ切って、ダウン。

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2015.3/24(火)


レオから、白土三平への手紙の添削を求められ、手伝う。
ほんやら洞の隣の阿部さんに手紙。「首がおかしかったり、金欠だったり」と正直に。
マロニエに本を置いて貰いに行ったが、「500部までコッチも印税ないので、8掛けで」と言ったが「本は、8掛けはキツイ」といわれ、引き返す。
だん王保育園に、一冊寄贈。
D2でネズミの餌、ウーロン茶。
恵文社で永井愛ちゃんに日販への注文を依頼。
井上章一・三橋順子編「性欲・東京のエロと地理」を捲る。アラーキーの「道」決定版とやらを見る。
田中神社の孔雀が一羽居なくなっていた。
久しぶりにボール&チェーン。18日のパーティのフライヤーを貼って貰う。坪川さんもチョイチョイ顔を出すとこと。
寝不足でシンドイ。
レオが来ると言うので待ったが来ず。
Sと讃岐うどん食いに。「もっと掃除をしないと!」と小言を言われる。僕もそうしたいが、時間がない。
8:00過ぎに松ちゃん、ラガーの帰りに来る。田端義夫の「帰り船」等を掛ける。
4月17日からのロッキー・ローエさんの写真展の写真を選択し、佐藤真由美さんに連絡。PNGの正式対応を待つ。
10:00過ぎに、渡辺琢ちゃん来店。
「マサホに会った。危機感あり。ロクローよりも京都党が不気味と言っていた。共産党以外で、福祉で動いてくれるのは、彼しか居ないもんな。幾ら、反原発と口で言っても一人では何も出来ないもんな。自民の上京の市議で、京都の日本酒の件で活躍した立命の土木出身の人も熱心で、夜12:00でも来るのがいる」
「カイちゃん、石切神社に行ったことはある?気に入ると思うよ。日本の庶民が何によって動かされているか、考えさせられる。丸山が、歴史の通奏低音《勢いなり行く》に付いて書いたが、丸山、藤田省三、橋川文三の問題意識が判る気がする。ロゴスで動いてないもんな。自民の存立基盤もね」
杉本秀太郎、高橋和巳らが、よく生駒山系にある曖昧宿に若い頃に通ったというエピソードを喋る。
琢ちゃんは、八太君がイダキを吹く姿、ガールフレンドとのツーショット写真も見せてくれる。
斎藤晴彦のLPレコード「音楽の冗談」山崎ハコの「流れ酔い唄」を聴かせる。
風媒社もよく頑張ってこんな分厚いのを出したねえと言い、「ほんやら洞日乗」を買い、日本酒の小瓶?をぶら下げて帰る。
彼が居なくなり、30分微睡んでいると、理子さんが「また、来ます。ハガキ投函しました」と言い、上から降りてきた外国人が「イクスキューズミー」と顔を突っ込み、二人ともそそくさと帰った。
その3分後に牧野真平が来た。先の二人は、牧野が居れば、入っていただろう。
一人だけだと、如何にも怪しい雰囲気が漂っているのだろう。理子さんは、その後は、散らかったままなのを、さぞかし呆れて見たのでは?
僕は後ろのベンチに寝そべっているもんなぁ。
牧野は「カイさん、これ、小説と言って提示したら、オモロイのに」と言い、僕も「これの注だけの本も可能かも」と言って笑う。
彼も買ってくれる。
両子寺の寺田豪淳さんより「心配してました。3月29~31日は、大祭なので、また、会いましょう」とメール。
1:30にそのまま沈没。

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2015.3/23(月)


11:00、起床するもノンビリする。
今日から一ヶ月は、焼け跡からの回収品で埋まった吉田の家の大掃除、暗室機能回復へ向けての作業及び名古屋展、北京展に向けて息の長い仕事に着手。
北京展は、二ヶ所の大仕事。褌を締め直して遣らないと酷いことになる。
ルネの山下さんに「ほんやら洞日乗」を見せに行く。朝日の臼倉さんより落手メールあり。杉本秀太郎さんより人前に出ないようにしているとの返信。
出町では、グラス、シャケカマ、ゴミ袋、便箋、漬物買い物。
段ちゃんのアスタ写真八文字屋に運ぶ。
京大は、卒業式かな?日向太は出席してないだろう。
四月からは研修医?火事の時、ちらっと顔を見たが、10月くらいから喋ってない。本もあげたいが、ほんやら洞には顔を出していたが、「八文字屋には、八文字屋を閉めるという段にしか来ない」と言っていたので、来ないだろう。どうせ、ルネで、捲るに違いない。
電子工学2年で止め、僕の年金無関係、無国民保険生活を慮ってか?医学部に行き直した息子だ、プラグマティックに生活をしているに違いない。
いつか、チャンスがあれば海外展にでも来るだろう。
まず、僕が、二度の北京展を成功させ、フィリピン、ソウル、カザフスタン行きの体力を維持するのが先決。
まずは、家の掃除、4月18日のパーティーへ多くの知人に来て貰い、風媒社さんをガッカリさせず、澪標、月曜社の両者の書下ろしにベストを尽くしたい。
そのため、今日からは、FB書き込み、チェックを少し控える。
出版記念パーティーに、伊藤公雄さん、茂山あきらさん出席。
6:30にK'sCafeの紹介で、グルノーブル出身のフランス人の兄弟が京大理学部の院生の釜山の男と大阪の男と来て、散々写真集、ポストカードを2時間見て帰る。8:15~9:30、また、客ゼロ。
松ちゃんが、10分顔を出す。
10:20冨樫か、21歳ヤンチャ盛りのオーストラリア人のベニー、マケドニア系オーストラリア人のタラを連れて来て、ほぼ20杯のビール飲む。
段ちゃんがTwitterメッセージに応じて来店。「ほんやら洞日乗」買う。「冒頭の写真だけでも凄いね」と言ってくれる。
5週間ぶりにひろ作のセッちゃん&杉本さん。
3:30閉店即沈没。

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2015.3/22(日)


8:30起床。
早く動きたいが、ままならず、3:00まで時間を潰す。
その間、姉に本の感想を聴く。
これでは、親戚には売れないな、との結論。家長?が肯んずる内容でない、自慢して売れない、とのこと。
「そうか、そう見えるのか!」
と鷹揚に笑いとばすようだったら、いいのだが。
「山之家」に行ったが、休み。
回転寿司に行く。メディアショップに顔を出す。
夕方、ハガキを受け取り、発送。八条池付近の梅林見物。Wu Haoの北京計画、理解、頑張らねば。
雨上がりに出町買い物。清水哲男さんの手許に「日乗」届く。昨日は、去年の1月1日~1月20日の「日乗」に登場人名をUPしたが、今日は今年の1月1日~1月20日までUP。
さて、どの程度の販促効果があるか?
6:30には、柳小路の「松本」という蕎麦屋の紹介で栃木などから店舗工事に来ている40がらみの男3人、河原町松原のゲストハウスで働くスウェーデン人ら2人も来るが、浅利ちゃん到着前に帰る。
レオの友だちが来て金曜日バイト志願するも、困難は必至と言うが、理解して貰えない。
浅利ちゃんが「試しに、一度タダ働きをして貰ったら、いいんだ」と言い、その線で落ち着くが、なかなか認識を改めようとはしない頑固な27歳。浅利ちゃん、「日乗」買う。ロジェー紹介の同志社からBenesseに就職する男&女装癖のある小倉出身の理学部植物D2になる男、じっくり美女写真集を見て行く。松ちゃんも顔を出す。
ルパン、来店。ヘリング周辺情勢を聴く。件の一件についてのカワモッちゃんの感想も伝え聴く。
皆が帰った後に冨樫来店。
更に、その後、一旦、顔を出して友だちを連れて来ると言ったチャンマキが10人と来て、5:45まで。最後は、一人便器に座り、長時間寝続ける者あり、起こすのに手間取る。客が溢れる松屋で焼き魚定食。
6:30帰宅。

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2015.3/21(土)


evernoteのブログ競合を修正に2時間無駄をする。
2:30まで吉田。
夕方、松ちゃんが、また、二度来る。
温ちゃん、休み。
申芳礼さん、京大地域研のアンドレア(ブラジル国籍?)と来る。何必館の梶川芳明さんも。芳礼さん、パーティー出席。木戸衛一さん、知人と来店。4月18日、教文センターイベント競合。
カオリン&ウッチー、LIVE帰りに来る。お祝いにワインをくれる。パーティーまで本は楽しみにすると言う。パーティーでも歌いたい中川五郎の持ち歌、Liscence to kill を歌う。
メディアショップのイベント帰りの18人。
写真集2冊売れる。
12:00前に誰も居なくなる。
やがて、冨樫来店。日乗を拾い読み。
深夜、浜ちゃん、ワカちゃん同伴。「日乗」買う。パーティー出席。
皆、3:40に消えたところ、ロイら4人。5:45まで。
八文字屋で沈没。

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2015.3/20(金)


10:35、待望の「ほんやら洞日乗」到着。(全国書店配本は4月10日)
「ほんやら洞日乗」の帯文は、ジャン=フィリップ・トゥーサン(作家、映画監督)
「ほんやら洞の二階の部屋がいまでも
ありありと目に浮かぶ。あの部屋は
私の思い出の中では焼失してなどいない。
あのままの姿で保たれているのだ。」
(訳:野崎歓)
表紙写真も自画自賛だが、いい。
中の写真には、伊藤公男、松隈洋、レオ、中川五郎、井上義雄カオリン、佐々木米市の頭、ノンちゃん、松ちゃん、秋野亥左牟、沖至、白石かずこ、フィード時代のマヤちゃん(ダグラス・ラミスの長女)、シゲ(青木茂幸)、豊島啓、南光、武市常雄、山内陽子、花巻のケンちゃん(福本俊夫)、テリー・ホイットモア、鶴見俊輔、大木晴子、遠藤洋一、中山容、ケネス・レクスロス、ニコラ・ガイガー、ジェームス・シノット神父、岡林信康、小出裕章、人見じゅん子、ミッシェル・ピルツ、古川豪、近藤誠、藤田よしこ、荻野晃也、屯平、ジャージ・川口、郷田瑞昌、浜田佐智子、一澤信三郎、ディック、葦津なおと、中野暁子、達が写っている。(敬称略)
文章としては、ほんやら洞炎上を案じて、メール等を寄越した以下の方々(ジャン・フィリップ・トゥーサン、エマニュエル・ギベール(訳:島井佐枝、シルヴァン・カルドネル)、アリステア・スウェール、アンドレアス・クレシグ、コリーヌ・アトラン、ウィリアム・ジョンストン、ジョン・ソルト、ヌイン・リ、マリコ・ペータース、カロリーヌ・へリング、小山鉄郎、谷川渥、稲葉真以、尾崎眞人、ナディア・ポルキャールのメッセージも併録。
エマニュエルの絵が素晴らしい。
先斗町に立つ僕の背後には、「ひろ作」「いろは肉」の看板も写る。
写真としては、大文字山、インクライン、長岡天神、祇園の八朔のシーン等も登場。
九州の姉に先ず、二冊送る。
松屋でカレー、ギャラリー・ヒルゲートに1冊預け、毎日新聞に1冊持参。
家でハガキをピックアップして、左京郵便局へ。恵文社に行くも、アイちゃん、堀部君居ず。ルパンのへリングで、自分の写真集「Beautiful Women in Kyoto」と小田実の「ベ平連・回顧録でない回顧」を貰う。
帰り、白川の彫刻展を撮る。星野さんを追い越したが、声を掛けず。戻ったら、ルーターがなく、吉田まで取りに帰る。
八文字屋に戻ると、レオが水木しげるの事務所にブロックされたので、再挑戦の文を書くと意気込んでいる。少し手伝い。
再度、メールで案内。

僕自身は、ほんやら洞炎上だけでなく、様々難題を抱えつつも春を迎えることになりました。そして、65歳になって、初の単独著書「ほんやら洞日乗」を出版です。
これを契機に第二の人生へときりこんで行く所存です。
どうか、腐すもよし、罵倒するもよし、褒めちぎる(笑)もよし、です。
折しも、八文字屋の開店満30年です。今後、八文字屋も如何なるやも知れません。このパーティに出席者に執筆依頼をして、「八文字屋記念誌」出版予定です。どうか、様々な知恵を拝借させて下さい。
ここらで70歳を展望出来るようなパーティを開催したいと思います。
この後も、澪標、月曜社からも本を出し、また、北京展、ソウル展、カザフスタン展も視野に入れたい所ですが、ここで、皆様の支持がなければ、無限の尻すぼみの末は奈落に沈む(笑)のは必定です。
本書は、常連、千人以上が日記の中で躍動しています。「どうせ、俺は出てない」と諦めないで下さい。今回出てなければ、次の澪標からの本で登場です。
パーティの場を借りて、新人バイト探しもするつもりです。
一番忙しい時期で恐縮ですが、何卒、出席の程を宜しくお願いします。
2015年4月18日 PM2:00~4:00 平安ホテル 東山の間 会費 1万円(本、5点のポストカード付き)
なお、二次会は、八文字屋で、ゆっくり開催したいと思います。
4月25日~4月29日は、名古屋の正文館千種店で、個展、トークショー、サイン会を含む個展を予定しています。
また、八文字屋では、4月17日~5月10日は、パプアニューギニアの写真家ロッキー・ローエさんの「パプアニューギニアは、今」展(KG+京都国際写真フェスティバルの一環、パプアニューギニア大使館協力)も開催中。
また、京都では、都踊り、遅咲きの桜も満開の時候ですので、その見物ついでに、宜しく。

Sも夕方、来て3人で蕎麦。
祝杯をあげに来てくれる客を待つも、10:00の永澄氏一行まで、0。うち、永澄グループの1人が「日乗」を買う。
レオの友達が来て、買う。レオも。坪野優太郎司法書士も測量士の知人と駆けつけてくれる。建築家の吉原健一さんは、母の介護と明日の東京の建築家とのお寺めぐりを兼ねて帰洛で、1冊。
大学を卒業する教え子同伴の教師もなくなった。世知辛いのだろう。寂しい夜。
「ろくでなし」の横ちゃんに1冊、買って貰う。タケボウの仲間の肥後ちゃんが居た。
戻ると直ぐに尾崎さん。青江三奈を聴きつつ、口遊ぶこと、1時間。
村屋で、赤牛、激辛キムチに焼酎。シャコジロウ「日乗」を買う。
4:50帰宅。

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2015.3/19(木)


7:30八文字屋にて起床。
もう「ほんやら洞日乗」が出ている夢を見る。今はなき出町の本屋「ヤスモト」に平積みにしていて、パギやんもこれを買って帰る所だと言う夢。能天気。
9:30から削岩機作動の隣、煩し。
9:40風媒社の劉さんより、明日、本届くと電話。
長岡天神に宛名書きのチェックに行く。
読売(大阪)が、4月に関西の文化のDNAを探る?みたいな企画をやるそうだ。
4月8日と4月15日は、関西フォーク特集でバッチリの写真を求められたのだが、生憎、記録的な写真は、火事でほぼ全焼。ビートの父祖、ケネス・レクスロスと白石かずこのポエトリー・リーディング@ほんやら洞を提供した。どちらかの日に、僕の写真も出るでしょう。高石友也、フォークルのメンバー、中津川のフォークジャンボリーの関係者も取材したそうだ。「関西フォーク」と誰が言い出したのかは、謎のままらしい。
辛い一日。雨は上がったが、6:30にオープンしても、10:00の鹿さん、12:30の草壁カゲロヲ&劇団維新派の大道具のカーさん?1:30の冨樫のみ。3:40に冨樫に閉店という。
鹿さんは、パーティに元奈良のカリスマ?ヒップホップダンサーの同僚・ジュンジを誘ってくれたと言う。カゲロヲは、やはり、会費10000円がないので、二次会の八文字屋で「ほんやら洞のベンさん」を披露したいと言う。Mr.大道具は、「美女365日」を買う。

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2015.3/18(水)


8:00起床。
首の調子悪し。
焼き魚定食。
家で、ぐったりする。「江藤淳と大江健三郎」を少し読む。夕食は、姉からの送り物で済ます。
6:30松ちゃんが来て、40分。さらに、1時間後に松ちゃん。
かなりの雨の中を川㟢さん、鹿さん、奈良井さんと水曜日の定番。中村一成、パーティ欠席と言いに来る。浦ちゃんは「今年から研究室を持てるようになった。パーティの前後の週は何れも忙しいが、奥さんにパーティ参加の件も相談して、一緒に参加」と報告もありの三連チャン。「ウラメシヤ」さんも。森重さんは「黒川創、森まゆみさんに会えるなら出席しようかな」と言ってくれる。有名人に会えるのも楽しみで、パーティに来る層もかなり居るのを忘れていた。時既に遅し?やはり、呼びかけ人は必要だったか。深夜、レオの友達2人と以前、日向太を知っていると来た植田元気君寄る。
3:00にSより電話。明日、ハガキを取りに来て欲しい、と。

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2015.3/17(火)


日米地位協定と憲法鬩ぎあいのややこしい夢。時代は、1973年の秋、オイルショックの只中。
10:30起床。
Sに阿部家から電話があり、そこで食い止めて欲しかったが、そうもいかず、僕の番号を教えたのには困った。
大家からの長電話。
ほんやら洞の大家は、火災から2ヶ月経っても、まだ全く動かない。
こっちに対して何も表明しないだけでなく、隣にも働き掛けない。お隣さんも困って、弁護士を雇ったというが、それならば、ほんやら洞の大家、桐生さん(乃至は弁護士)に阿部家の弁護士から働きかけたらいいのだが、そうしないで、阿部家から、僕の方に「何とかして欲しい」と鉾先が向いて来る。それでは、自分で弁護士を雇った意味がないと思うが、僕からそう言うわけにはいかない。
「甲斐さん、若い人を2、3人寄越して、布団を捨てに行って下さいよ」
僕としては、阿部家は可哀想と思うが、こっちの立場が不安定な上、係争も抱えている。そんな事は、阿部家の知った事ではなかろうが、こちらに対する顧慮が阿部家には微塵もないのは、困ったものだ。
僕が動くのが当然の如く思っている。しかも、僕が金持ちと思いこんでいるからお話にならない。どこをどう見たら、金持ちに見えるのだ。
Sと珉珉で飯を食い、八文字屋に戻ると、ドンピシャに段ちゃんが来て、梶田さんもくる。
さらに、ほぼ一見の2人、京大の先生らしき3人が来て、各一杯ずつ飲んで帰る。やがて、星野さん、夕べも来た、日大の浦上さんも神戸大で、やはり、ワッキーと同じ郡司研だったおとなしい知人を同伴。そこへ、佐藤寛子さんが来る。昨日は、浦ちゃんは、「ナッちゃんとワッキーはどうやろう!?」と言っていたのに、今日は、寛子さんにワッキーはどう?と言う。心配しているのだろう。寛子さんは、求職中と言う。で、パーティに来て、司会を半分して、良い男を掴まえたらどう?と司会役を頼む。
そんな話題が飛び交っている中に、ジャーマンと食事帰りの浅利ちゃんが共に来店。
11:45には、誰も居なくなった。
ひっくり返っているところに理子さんが、一杯飲みに来て、僕がしんどそうにしているのに、気を使ってか、直ぐに帰る。
また、ひっくり返っていると、1:20に尾崎さん来店。小一時間居る。
3:00には、ばたんきゅう。

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2015.3/16(月)


朝からアドレス帳整理。
パーティ招待の往復はがきを出す準備に手間取る。50人メールを出す。
4:00まで家。出町買物。
玉屋珈琲で(祇園ミキハウス、4月いっぱいで、店を閉じて、ゴールイン情報取得)豆買い、ジュンク堂(4Fで「ニューミュージックマガジン」?最新号探し。週刊ポスト立ち読みに行ったのに、それは忘れる。
八文字屋に戻ると直ぐに飯田玲子(故いいだもも夫人)さんが友人の、やはり玲子さんと娘、香織さんと来店。八文字屋のロケーションに喜んでくれる。
4月18日のパーティにも誘う。これから、ほんやら洞に行くつもりだったと言う。
偶然、焼け跡から回収したももさん講演@ほんやら洞写真とエノラゲイを描いた名著「アメリカの英雄」があったので、お見せする。
それを香織さんが複写して、飯田さんにあげると言う。
次は、Sがチェック済み名簿取りに来る。オイタさんが来て、暫く客は途絶える。
新聞社希望の同大、立大を引き連れた永澄、八代コンビ、次いで、尾崎真人さん、阪大出身の読売さん&同級生が来て、しばし賑わう。
皆が帰った後に冨樫、智恵光院通下長者町西入るの酒屋、森田さんが入院していたらしく5年ぶりに来店、2人が意気投合して、3:40になり、しんどいので、終わりますと言って終わる。
お茶漬けを食って帰宅したのは、4:20。暫くネガチェック。5:20就寝。

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2015.3/15(日)


ほんやら洞全焼から、58日。
あの場の処理を巡っては、何の進展もない。
大家の主導だから、あの場壊して、駐車場にするのか、何か建てるのか、皆目分からない。
大家も、ひょっとしたら、どうしたら良いのか、途方に暮れているのかも知れない。
実は、今年の4月19日は、八文字屋の開店満30周年記念日で、ほんやら洞炎上がなければ、八文字屋の記念誌を出す予定だった。
というわけで、4月18日の「ほんやら洞日乗」出版パーティに来場者の中から「八文字屋の周年記念誌」の執筆者を探し、その場で原稿依頼するつもりなので、皆さん、心して待っていて下さい!夜の二次会は、そんな客ばかりになるのかな?
八文字屋のトップ客は、マッちゃん、そして、依田先生そして楠木しんいちさん&瓶子さん、野球談義華が咲く。そして、奈良井さんらとたわむれる。ウッチー&カオリンも雄琴LIVEの後来店。
1:00閉店。

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2015.3/14(土)


8:00起床。
厳しい毎日が続いている。
10:00焼き魚定食。
11:00帰宅。郵便物を待つもむなしと思っていたら、2:35に宅配便届く。配達の70がらみのおっちゃんは、僕のことを知っていて、励ましてくれる。僕の写真は、この世代に人気がある。
ふとウトウトしている最中に東京地裁との電話での裁判の夢をみていた。気掛かりなのだ。
読売の梶さんと、今日、5:00に約束だと思い、野見山暁治さんの顔を見に行くチャンスを見送っていた。後で木須井さん一行が来て、確認してくれたところでは、約束は、3月19日だった。僕のチョンボ。でも、この約束で、半日虚しく費やした。
トップ客は、谷川さん&久しぶりのハマちゃん(濱田信義)で、衣さん、ペテを呼び出す。最後は、ルパンまで。京大シネ研の長江君が島根の加藤幸博の甥と来て、奈良井さん、呉ジンカンさんと続いた。先に居た読売さんの四人に呉ジンカンさんを紹介する。呉さんは「キッチュ」(7号)では、ほんやら洞を深く理解しているライターを探してから、甲斐インタビューをと考えているというので、そんなに堅苦しくしないで、という意味からもレオ、セレンさんを紹介する。
3月31日~4月5日にギャラリー「虹」でインスターレーション/ペインティング展「抱擁《EMBRACE》」を開催する申芳礼さんも久しぶりに来店。案内状には、読みづらいが「裏と表の間をくぐり続けるために聴覚と触覚と視覚をナイフで削り整形する。その形を干してから、噛み、あじわう。」とある。オープニングパーティには、大分行きとかぶり、出れないかも。
梶川芳明さん(何必館)と続く。梶川さんは、10月末以来。梶川さんに、最後に会った時にネガを300万円分買ってくれ!といい、OKと言った話を思い出し、苦笑する。何れ、応援したいとのこと。彼に「梶川芳友とは誰か」という本を出して、父親の仕事を称揚する仕事をまず、やったら、どうだろう、と提案。しかる後に継ぐ、と。そんな話をしている間に、一見さん二人があったが、対応が不充分で出て行く。ヒルゲート帰りの大西さんら3人も。1人抜け、2人抜けして、終わろうとしたところに、レオが友人2人を連れてきて、久々のLPレコードのローリング・ストーンズを掛けてひとしきり堪能してから帰る。火事を心配してくれての花背の陶芸家(元ATHA客)が来て、ルパン、ハマちゃんが残り、最後、ハマちゃんと陶芸家の女性が2:30に他所の店に行き、閉店。久々に少し賑わう。
4:45にTel。「まだ、やっていますか?」と女陶芸家。ハマちゃんと何処かの店を放り出された模様。訊けば、ハマちゃんは、財布を何処かに落としたという。八文字屋で探すもなし。
5:00八文字屋泊。

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2015.3/13(金)


7:30起床。
D2にネズミ対策洋品買い。
ルネで、朝飯、418円。
新聞のために写真探しに明け暮れる。
郵便局に行く途中、未知の50代半ばの女性から声を掛けられる。
「大変でしたね~、甲斐さん、甲斐さんは知らんと思うけど、ほんやら洞の裏の下御輿町に住んでいた広瀬いいます。撮っているのをずっと遠くからみていたのです。写真が一番勿体無いですよね。わたしも辛いことがあって、大阪の生活を切り上げて京都に戻ったのです。娘が、下鴨に住みたいというので、すんでます。これからも大丈夫ですよ!甲斐さんだから」
そう言ってチャリのハンドルを握る手をポイ!と叩いて行った。料理の先生だとか、言っていた。そういえば、裏ん町で広瀬という表札、見覚えがあった。
僕は、京都新聞に10年以上連載していたお陰で、こういった方々に励まされることが多い。
東京地裁から封書。未開封。
こんなことばかりしたくないと思いつつ、探し物の連続。ついでに片付けをするとういう余裕が欲しいが出来ない。また、銀行カードまた紛失。
シャルリ・エブドについて書いた本を1、2読む。野崎歓さんの文は、それに接しての日本人研究者の戸惑いを描いていた。ウエルベックの「服従」の不吉な予言的小説についても触れる。
読売新聞用に岡林信康の写真を探すが、出てこない。ほとんど焼けたので仕方ない。
Sより、ホームページの作り直し用に、八文字屋、甲斐略歴を送れ、というので、以下のように書く。

八文字屋
1985年開店のBAR。当初は、ヤポネシアン・カフェ・バーと称し、昼から営業。
開店当時は、リベラシオン、ル・モンド、Times、東亜日報、沖縄タイムス、90年代等を常備。
「八文字屋通信」発行を経て、「八文字屋の美女たち」等の写真集発行。「日替わり美女」バイトで一世を風靡する。客は、ジャーナリスト、作家、アーチスト、大学教師、フリーター(スーパーニート)と幅が広く、店が醸し出す「創造的無秩序」を求める在留の外国人アーチスト、海外からの旅行者で賑わう。営業時間はPM6:00~深夜。

甲斐略歴
1949年 大分市生。
4歳まで、歩けず、喋れず。鶏、山羊とともに畑、野原で育つ。
1960年 11歳でカメラに目覚める。と同時にスポーツに明け暮れる。(杵築市山香町に育つ)
1968年 同志社大学政治学科入学即除籍。
1972年 当時日本最大の米軍海兵隊基地、岩国市に「反戦喫茶店ほびっと」作りに参加。
同年 セラピスト、シンガー等と共に2015年全焼の伝説的な喫茶店「ほんやら洞」開店。
1973年 URC社長・秦政明&シンガー・中川五郎のわいせつ(小説)裁判の裏方開始。
1977年 写真集「京都出町」(ほんやら洞)出版
1978年 米国ワシントン州立エバグリーン大学ライブラリーギャラリーで招待展
同年 賀茂川ベリで「写っている人にあげる」大規模青空写真展開催(以後、4年間で20回)
1979年 中川五郎らのわいせつ裁判の全記録(珍巻・満巻)編集(大阪プレイガイドジャーナル社)
同年 地縁・選択縁に基づく祭り「出町ふれあい広場」提唱
同年 中山容、ニコラ・ガイガー、中尾ハジメと共に「出町国際交流センター」設立(2年で失敗)
1980年 「出町ふれあい広場」事務局長
1981年 ほんやら洞離脱。京都市経済局中小企業指導所での民間コンサルタント業務開始(その功績で 92年に 表彰。
1985年 八文字屋開店。
1991年 壬生商店街および中新道JR高架下で青空写真展。京都新聞紙上での10年あまりの連載開始。
1992年 写真集「KIDS」「狸橋の子どもたち」「八文字屋の美女たち」等の連続的写真集出版開始。
1993年 高台寺岡林院外壁での青空写真展開始。秋野亥左牟とも。
由布院の「空想の森美術館」「MUNE工房」「由布院駅ギャラリー」で同時個展開催。
ギャラリー・マロニエ展(開始)
1999年 ほんやら洞帰還。
主な写真集
主な海外個展

八文字屋、今日も暇。トップ客は谷川さん&人形作家の衣さん。谷川さんは、4月18日は、朝日カルチャーセンターで講義で無理。明日また来ると言い、「ほんやら洞での出版記念パーティの僕の紹介文、今度の本に入っている?気に入っているんだ。それにしてもクリミア行きで鳩山由紀夫は余計なことをやってくれるな、息子がロシアに留学しているらしいよ」と呟く。一般的見解か。尾崎真人さんのことを言うと、板橋美術館では、お世話になったとか、美術出版社倒産で昨夏一月費やして書いた仕事の原稿料もらい損なった等。衣さんは、今、東京のパラポリカ・ビスにてシュヴァンクマイエル・トリビュート展に出展中。
「うらめしや」(氷屋さんの丸京ビルの3F、『変質者』の隣)のシゲさん来店。最初は、ミーさん(宮田恭伸)に連れられ来た。丸京の奥さんは、人物で、随分、世話になっていると。Kei-Kのお蔭とも言えると。
鹿さん、永澄さん&紀井さんと続く。
長野県上伊那郡中川町の村長さん、曽我逸郎さん(親子)来店。3、4回目。
1975年京大生時分のほんやら洞の客。最初は、僕が八文字屋にいるというのを中島食堂のオバちゃんに聞いて、数年前に初来店。梨木神社爆破(チャチな炎が上がっただけの)事件の頃、ほんやら洞客で、警察にバイクを調べられたエピソードを語る。当時、犯人は、ほんやら洞かパチンコ屋か吉田教会に逃げ込んだに違いないとの憶測で、ウチの客は虱潰しに調べられ、浮田哲ちゃんもその口でチャリをチェックされ、皆、辟易していた。曽我さんは、バイクで元旦からほんやら洞にいたのだ。結局、加藤三郎が犯人で捕まり、加藤を匿っていた市職員の高野さんは、職場で追い詰められ、辛い配転を強要され、それが如何に困難な通勤かを証明するルポ写真撮りを依頼され、通勤に随行したことがあり、それから、1~2年後、高野さんは、年度末に自殺し、毎年命日には、飯沼二郎さんなんか、集まっていた。Sも寄り、1:30永澄氏らが帰り、終わる。八文字屋沈没。

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2015.3/12(木)


8:00起床。
10:30八文字屋発。
焼き魚定食。
ルネ、恵文社による。山下さん、パーティに出たいと。ガケ書房発見できず。ニューミュージックマガジンを見るつもりが、他の本ばかり立ち読み。小野正嗣の芥川賞授賞スピーチ「与え、与え、与える」はおもしろかった。ミミズ、ベケット、兄。いつも、彼の小説に馴染めてないが、ベケットから兄に繋ぐあたり、愉快。柄谷行人の「宇沢弘文と柳田国男」も。あとで「群像」の浅田彰・中沢新一・東浩紀の「現代思想の使命」も。
3.11から4年というので、5紙買うが、見るべきものなし。一乗寺の古道具屋で椅子540円で買う。
東京地裁から、また、直ぐに何か来て、心穏やかならず。
明日、郵便局に取りに行く。もう2~3週間ノンビリさせて欲しかった。
神田さんより、キレイにして保管してくれていた燻製パネル届く。感謝。
4月18日の出版記念パーティの案内が遅れていると、叱られているので、仮案内をUP。

皆様
ひと雨ごとにきびしい冬から春の気配を感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。正月早々、火災に見舞われた私は、これを天佑と受け止め、第二の人生を切り開く所存です。
折しも、皆々様に支えられながら「ほんやら洞日乗」という著書を刊行することになりました。
本書は、私の火災前後の385日間の恥しらずのどん底日記で、はた迷惑は重々承知の上です。焼失した約200冊の40数年の日記帳の敵討ち(笑)に免じてご寛恕下さい。
当パーティに参集の皆様が何らかの形で登場しているはずです。

甲斐扶佐義著「ほんやら洞日乗」(風媒社)出版パーティ
2015年4月18日(土曜日) 午後2:00~4:00
京都平安ホテル 2階 東山の間
会費 10000円 (著書、甲斐ポストカード5枚付)
連絡先 八文字屋
〒 604-8015 京都市中京区木屋町通四条上ル鍋屋町209-3 木屋町岡本ビル3階
電話 075-256-1731
なお、4月10日までに、八文字屋に会費支払いの来店の方には、スペシャルプレゼント付き
プレゼントは、甲斐燻製(ほんのりと火災の香りが漂う)写真集1点
(狸橋の子どもたち、Kids、八文字の美女たち、の中から一冊を選択)

山上徹二郎さん&日高夫妻の画像をやっと発見。日高夫妻を囲む集合写真をFB上にUP。
マルイにSと飯食い。
鹿さん、琢ちゃん、段ちゃんのみ。
10:00に誰も居なくなり、ダウン。

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2015.3/11(水)


ニュージャージーのサンディから、メール。
即、返信。パーティも知らせる。
FBの河内厚さんが、ウッドストック出演者のギャラ一覧表をUP、オモロイ。
ルネの2Fの食堂初利用。さくらうどん+野菜タップリ冷奴+コーヒー=431円。
2:30烏丸今出川でSと待ち合わせて、平安ホテルの下見へ。Sに「ほんやら洞日乗」を親に上げないの?ときいたら「私のこと、あまり良く書かれてないので、上げない」と言われる。そういう風に読者を減らしているのか。
ホテルの会場には200人入れる「東山」という部屋を予約。4月18日2:00~4:00。
歩いて戻る途中、往復ハガキを279枚買う。市役所横の「ホットライン」の隣の蕎麦屋でニシン蕎麦を食す。
原一男のトークイベントを見ていて、ふとほんやら洞の虚構化について思いをいたす。
岡林信康が言葉を濁している時期、70年前後を描くの念頭に置く。彼の山岸会、黒テント、山谷、山中住まいへと転々と精神的彷徨を繰り返している頃に、鶴見俊輔、中尾ハジメ、ダグラス・ラミスらと出会い、交流を通じて、己の信念を固めて行った。その頃にほんやら洞が誕生。当時の日本社会には、まだ、あっちこっちにアジールが有った。社会は均質化してなかった。その10年前は、五木寛之の「青年は荒野をめざす」ではないが、アジールどころか、至るところに荒野があった。70年前後のことを岡林はうまく語れてない。世間では、謎と受け止められている。解同の突き上げ等々、思い出したくない、忌まわしい事もあったはずだ。「ほんやら洞物語」を描くとしたら、岡林に限らず、社会のターニング・ポイントに接し、身近にいる生身の人物の人生の交錯地点(坩堝)としてほんやら洞を時代の流れに放り込んで捉えねばならない。
そんな事を思いつつ、FBについうがったことを記した。
トップの客は「北野天満宮での鎌田東二のLIVEを見てきた」という電通の和泉豊さん。何年ぶりか?火事見舞いの余波はまだある。彼の弟が亡くなった後の志賀さん来店の記憶を喋る。彼は「ニューミュージックマガジンの最新号に、ほんやら洞が燃えたとあったね、辛いけど、京都は、鷲田清一さんと山極寿一さんが学長になっていいね~、こないだ、五木寛之さんと山極寿一の対談を設定して東京に行って来た」と言う。奥さんは、1月16日の火事の現場に顔を出してくれた。パーティ参加。志賀玲子さんにも送ってくれる由。
次は、梶田さんが来て、パーティの宣伝の手遅れ等々心配してくれる。川㟢さん、鹿さん、オイタさん、奈良井さん、百枝さんと来る。鹿さんは、この一週間で3回も福井のお父さん見舞いに帰ったという。心筋梗塞が持ち直したようで良かった。ロクロー君はチンドン屋くらいやってくれたら、という。アバンギルドでは、最後に素晴らしいピアニストの演奏があったと言う。青ちゃんは、遅く千葉大の関屋大雄さん連れで来る。店の事、パーティのこと、あさりちゃんの行く末を心配してくれる。関屋大雄さんも学生に5部くらい買わせると言ってくれる。夜中に造形大学のアニメーションの先生ら5人来店。オイタさんと入れ替わりで、理子さん来店。交信の末?
青ちゃんの5:30までのダウンに付き合う。
劉さんより、初版2000部との連絡あり。
原一男の「井上光晴トークイベント」のYouTubeを面白く見る。

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2015.3/10(火)


8:00起床。ある男の最近の行状を「日乗に書かないでね、刺されるかもしれんし」と。職場で?家庭で?意味不明。デリケートなところで息抜きしているのが、角度を変えたら、誤解されるかもしれないので、その難は避けたいのだろう。
風呂、郵便局、税務署、申告、ヒルゲート、ムサシを回って、八文字屋。
人見さんは、4月18日は無理、永澄さんOK。舟橋英次さん(ほんやら洞開店当時の客)、常住良保さん、8:00来店。舟橋さんは、70年前後の京都ベ平連周辺の空気を保存して居る絵描きさん。一つ下で、京都芸大での秋野不矩さんの教え子だが、落ちこぼれと称する。「門前小僧」「山岸会」ともかかわり、60歳すぎから南米放浪の旅2年半に出かけた。岡林信康も、彼の一年前に山岸会に顔を出していたようだ。小堀恵美子さんの友達。ケイちゃんに一乗寺の元青木ヨシオの事務所の上の絵画教室で教えていたというので、彼女は、八文字屋で結婚パーティをやったし、「タネ源」付近に居ると教える。その前は、障害者介護の仕事をしていたらしい。奥さんは、官能小説を書いていたらしいが、15年前に亡くなったという。絵を見せて貰ったが、オモロかった。八田さんはの絵の手法について喋ると会いたがった。彼によると、去年「ヘルプ《の会》」も燃えたらしい。彼は、“SURE“近辺に住んでいるらしいが、だいぶ前に隣が燃えた話もする。ほんやら洞の前を心穏やかには通れない、とも語る。琢ちゃんが「介護者たちは、いま」を出していると言うと、暫し、その話に華を咲かせる。良い客だ。こんなお客さんが増えたら、いいのだが。5Fでのカラオケ、コードを合わせるのが難しかったと不機嫌な朴ちゃんも顔を出したが、咲希ちゃんが来る直前の最終電車で十三へ。12:20閉店。朴ちゃん、誰か紹介してよ!45Sでも良いかも、と言う。「CKはひどい」とまだ言っている。FB上でパーティを、パンティと書き損じる。
3:00までいる。S、疲れが癒えず、息抜きに何処かに行きたいとのTel。
松屋で「甲斐さん、大変でしたね、新聞で知りました」と知らない従業員のお兄さんに言われる。

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2015.3/9(月)


今日は、神妙な日。
東京での裁判日。行く費用なし。
読売新聞の梶さんの取材。関西フォーク。
パリのN氏の活躍ぶりの朗報。
裁判所に行かないのは、背徳行為のような気がして、気分、優れない。
八文字屋泊、背中痛し。
焼き魚定食。
家で洗濯。寒くて布団入り。
夢。
中尾ハジメが、「カイさんとこの集会は、女性でないと行けないの?良い《儲け》話があるのやけど」と来る。
「そんな事ないよ!いくらでも、男が活躍しているよ、どうぞ!」と言って、YouTubeを見せるが、iPadの調子が悪くて変な画像がUPされる。
「いや、おかしいな。さっきも、小林正和が、また演奏したいと画像がきたのだけど」と探す。
画面では、ほんやら洞の正面で小林が赤ん坊を抱いて頬ずりするのが登場。
それを尻目に、中尾を内に招じ入れると中ではライブが始まったいる。これは現実?YouTubeの世界?錯覚?ほんやら洞で演奏が始まる。小さな火炉祭(今年はほんやら炎上が代わりにあったので〈笑〉?、吉田神社の火炉祭中止との、巷の妄言)ゆえに、ちょっとしたホイロ(天然酵母を発酵させる)みたいな所で火が焚かれており、シゲの顔を思い浮かべる。その隣で、演奏が始まる。
「こういうホイロを使って、シゲはパンを焼いていたな」と思う。小林は、三味線で、もう一人は、徹リンでバイオリンでなく、ポン菓子作りの長い筒の様な楽器だ(タケボウの楽器みたいにも見える)。これは、中尾に見せている現実?YouTube?さあ、始まるど、という段に姉からのケータイがなり、目が覚める、そんな夢。
あの中尾ハジメの儲け話はどうなったのかのかな~、と深夜、段ちゃんと、お互いの夢の話、鶴見俊輔の「もうろく帖」、暴力の記憶を巡って語り合いながら、ふたりで、どんなんやったんやろ?と喋りあう。
小林正和って、草間さんの仲間のショウリン!??
午後は、失敗の連続。「裁判所のことが気がかりな一日だったんやな」と段ちゃん。
1.郵便局に不在配達通知表不持参
2.中京税務署に行くも、場所変更
3.電話代支払いにバーコード付きの振込み用紙でない紙持参
4.カメラを落として蓋が空き、一本のフィルムをパーにする
八文字屋には、レオが来ていた。水木しげるの誕生日に、水木さんをインタビューしたいとの手紙をしたためている。飄々とした作業の中でも「辰巳ヨシヒロさんも死んだ。急がなければ」と焦っている。シンクの洗い物を済ませ、レコードの針も注文したと言う。何時ものドーナッツも用意していた。コーヒーを淹れたが、うっかり電子辞書にコーヒーを掛けて、ドライバーがなく、慌てて、帰る。芳礼さんちに家庭教師の日だ。
現像上がりのネガに日高六郎さん&佟さんの写真があって、ホッとする。
6:00八文字屋オープンも空しい。12:00までの客は段ちゃん一人。
客を誘導するアクションも必要。本のことで、京都、朝日、読売、毎日にメール。
もう少し片付けて、ガスレンジも入れ替え、BARが好きで、メンテナンス意欲のあるスタッフをもう2~3人、八文字屋も確保しなければ。個展、ライブ、映画会等を随時企画も必要。下手をすると、この店も生き残れない。
また、4月17日からのパプアニューギニアのロッキー・ローエさんの写真展「パプア・ニューギニアは、今」展までに壁を塗り替えたり、もっと整理整頓に心がけねば。
今日は、段ちゃんと、ずっと二人きり。こういう夜もわるくはない。段ちゃんは、今日一日、僕の心底の蟠りを見抜いている数少ないお客さんだ。
「ほんやら洞日乗」に登場人物は、何人いるだろう?世界の小説で登場人物が一番多いのは、デビッド・カッパーフィールドでなく、白井喬二の「富士に立つ影」だと1969年の鶴見俊輔は言っていた。小説ではないが、僕のに、登場人物は、多い。「ほんやら洞日乗」に登場する人物に自分のプロフィールを書いて貰い、付録の索引をつけるのも、一興かな?
山上君から、父親の(徹二郎さん)誕生日プレゼントに父親と日高六郎さんのツーショットをプレゼントしたいので、1月28日にヒルゲートで撮ったのをくれとのメールあり。
ろくでなしに行っている間に、理子さんが来て、戻るのが遅いので、押しかけてくる。
で、直ぐ戻る。彼女らもろくでなしで、一杯飲んでから、また、来てくれる。
3:00閉店。すき焼き鍋を食って、4:00帰宅。

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2015.3/8(日)


10:00自宅掃除に帰る。
2時間片付けて、八文字屋。
ウッチー&カオリン、2:00前に天井、床修理に来店。
感謝。
さらに、家の大家さんのお下がりの本棚運びを、二時間も潰して待ってくれ敢行。
劉永昇さんのFBの校了作業中を見て、FBに次の書き込みをする。

「ささやかな出会いから「ほんやら洞日乗」(風媒社)は、今、単行本として、生まれようとしている。
永井荷風から鶴見俊輔へ、さらに故中川六平、清水哲男さん、劉永昇さんという一本のラインの付き合いの延長線上に。もちろん、曖昧であれ、強い意思で貫かれている。感傷で言っているわけではない。
鶴見さんが、1970年5月の岩国での集会の後、岩国に常駐したい方はいませんか?永井荷風の「断腸亭日乗」のようなものをつけるだけでいいのです、と言った。僕は、よっぽど志願しようと思ったが、当時は、シャイで、皆の前で名乗りをあげることが出来なかった。それから、数ヶ月後、六平が岩国にいつき、メモを残した。それをもとに、六平は「戦争を止めた喫茶店」(講談社)をのこし、しばらくして、甲状腺?をやられてなくなった。
このラインには、様々な思い出が詰まっている。」

平安ホテルに電話を入れて、押さえて、これもUP。

「甲斐扶佐義著「ほんやら洞日乗」(風媒社)出版記念パーティ
2015年4月18日(土曜日)
午後 2:00~4:00
会費 10,000円(本+甲斐ポストカード5点付き)
出版記念パーティ 会場(平安ホテル 烏丸今出川下がる)仮押さえ
(シンガーの中川五郎さん、趙博さん出席)
出欠の往復ハガキ不用(メールで確認)の方は、ご連絡下さい!」

本棚は大きくて、家の2階にはいらず。
6:30に八文字屋に居ると、アーモンドシロップ持参のレオが冨樫、Cを連れて来て、なし崩し的にオープン。やや肥った松ちゃん来店。
アーモンドシロップと共に、鹿さんを待つも空しい。森重さん来店。木須井麻ちゃんが亭主のサバティカル?で4月よりイギリス行きとふと言う。めでたし!めでたし!
森重さんは、カウンター正面の真上の本のラインアップを見て、「如何にも京都の学生の本という感じですね」とおちょくられる?
また、「丸々さんは、イジメキャラですね」と辛口。いや、本音を優しく言っただけでしょうが。参ったのは、「カイさんが掃除をするなんて、全く信じられてない」と言うのには参った。ま、いい、仕方ないけど。僕の点数は、やはり、低いのだろう。
後は、川井遊木さん、尾崎真人さん、草壁カゲロヲさんが来ただけ。カゲロヲは、出版記念パーティで「ほんやら洞のベンさん」をやりたいというが、15分は取れないな~。
帰ろうか、ろくでなしの横ちゃん所へ行こうか、迷いつつ、八文字屋に沈没。

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2015.3/7(土)


7:30起床。
家の片付けは大仕事。
11:00前に焼き魚定食。
部屋が寒過ぎて、布団に緊急避難(エアコンのリモコンの電池切れ?)で、眠ってしまう。ヤバイ。
腹も減ったが米しかない。漬物を買いに行くにも風邪ひきそう。既にひいているかも。
歩けなくなった姉、薮医者にしか行けず、憐れ。
僕も去年9月にオランダ行きに際してアップシューズを新調したが、靴底の下のつま先部分に勾配があり、歩き易くなっているのが、逆にそれが負担になり、歩くとこけそうで、難儀した。スピーディに歩くための勾配なのに、脚が出ず、よろける一方だった。ついこないだまで同じだった。が、10日前位から、この勾配が生むスピードに付いて行けるようになったのだ。
それは、火事のお蔭だった。昼夜と店に閉じ込められ、運動不足で脚力が衰えていたのが、晴れて?動き回れるようになり筋力が付いて来たのだった。
火事がなければ、早晩、老いぼれジジイになっていただろう。天佑というべきか。
この2、3日の林海象さんのFBで、氏の生活が垣間見れてオモロイ。
「僕のiPad(第一世代)が調子わるく、時間もすごくかかる。iPad第4世代以降(WiFi)を探してます。安く譲ってくれる方はないでしょうか」とFBに書くが応答なし。
八文字屋、超暇。温ちゃんバイト、10:00に上がって貰う。
客は、神戸に仕事に来たという同郷の賀川真さん。やはり、同郷で彼より中高が1年下の大谷大学の哲学の先生を同伴、そして、奈良井さん、久美さん、百枝さんが来ただけ。
気が付いたら、八文字屋のベンチに沈んでいた。

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2015.3/6(金)


7:00起床。うだうだする。
日高六郎&暢子夫妻がほんやら洞に遊びにきたので、二階に、ラミスさんとハジメさんがいるよ、と言うと覚束ない足取りで、六郎さんは二階にむかった。ほんやら洞の一階は広く、床は八文字屋みたいフローリングに穴があり、蹴躓かないか心配する。階段逆(西側)についていた。そんな夢を見ていた。
10:00まで八文字屋。
夕べは、佐々木米市さんも来〈八〉で、明日は、わからん屋の女性歌手陣の付き添いで来れないと思うと言う。温ちゃん、レイミちゃんもいて、温ちゃん、シルクの写真、何れにしよう?Tシャツ?バッグ?と言って帰る。
例の焼き魚定食。
家で洗濯、掃除、風呂そして澪標用のプリント探しをして、銀行、郵便局、桝形通り商店街での買物、ヒルゲート、三条のスケッチ大会、清流館、玉屋珈琲と順にまわってから八文字屋かな、と踏んでいたが、洗濯は、前回、詰め込み過ぎたせいで故障したのか、作動せず、仕方なしに、湯船で洗う。
これで、若干疲れる。体力不足。プリント探しがややお座なりになる。夜は、清水さん、五郎さんらに会う楽しみがある。
50歳位の父が酒を飲んでは、日中からよく寝ていたのを思い出す。あんなに若い時から連日、浴びるほど飲んでいたのには、無念を秘めていたかもと忖度しないでもない。僕は仕事で、結構飲んでいるが、あれ程ではないと、分かる。でも、年齢を考えると、僕の方が飲んでいる期間は長いかな。
昨日、今日と風邪気味。
KBSの深田未来さんに貰った「若甦」なるものを昨日に続いて今日も飲んでから、街を流した。
清流館で草間てつ雄さん、河田孝郎さんの作品、三条の「西村吉象堂」でのスケッチ展では、山本新太郎、星野高志郎、貴志カスケ、川上力三さんらの周辺界隈の屋並等の形象化したものを見た。カスケさんのは、ちょっとゴッホを連想させた。
河田孝郎さんは、同展示の諸氏と違って、泥の形象化(?)作品で好もしく思った。
中国のドキュメンタリー映像柴静監督の「碧空の下」は、ど迫力。一億回クリックされているらしいが、中国の政治を動かさないのだろうか。
鈴木マサホ市議から東華菜館は100人までで、一人8000円とメールが入る。
7:30オープン。9:00まであさひちゃんのみ。ついで奈良井さん、サッちゃん、その後がずっとなくて、わからん屋帰りのウッチー&カオリン、その後はさらに空いて、大西正夫さん&柳生邦子さん、オイタさん、河合塾の新井勝憲さん&連れ、五郎さん、真実さん、ウッチー、カオリンと入れ替わりに段ちゃん、永澄さん&大橋晶子さん、百枝さん。これだけ。後は、真実さんと大西さんの振る舞い酒もあり、盛り上がる。オイタさんとさざんか亭、リッチホテル、平安会館、久邇荘等を検討。平安会館が最有力候補。
深夜来る予定の清水さんは、お父さんの余命半年との診察があったで心痛む。当然、家で家族と過ごすとの事。翻って、わが父母の晩年への自分のすげ無い向き合い方を反省。

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2015.3/5(木)


8:00起床。
松屋で焼き魚定食。
10:00になっても、夕べ階段で寝ていた階上の客は、今度は、エレベーターの入口で寝ており、突ついても起きず。
2:00にRさん、3:00にNさんが来て掃除をしてくれる。5:00まで。
昨日、一昨日と暖房のない吉田の家で、澪標から出す本用に、15万枚以上あるミスプリントの山に分け入り、寒い思いをしながらも何とか活用にたえるものはないかと探した。もう3,4日この作業をする必要があるが、なんぼなんでも10数年来の約束「ほんやら洞の青春」(仮題、月曜社)を放って置くわけはいかず、今日から、やっと再着手。
「はしがき」は、火事で店がなくなったので、リライト。
毎日、2,3時間はこれに取り組みはやく終らせたい。資料や膨大な日記から、少し引用を予定している時期もあったが、ほとんど焼失したので、引用なしなので、書き終える時期は、早まるだろう。
「ほんやら洞日乗」、今日から、印刷に入る。
ひとつ、オランダ人名で、Froukje Bettenさんの日本語表記、本人、インゲ・ハンセンさんとも連絡とれず、見切り発車したが、今日、確認を本人からインゲさんがとってくれて、フラウキャ・ベッテンとわかったが、フルーキェ・ベッテンとしたのかな?
坊主臭く、原稿に向かっているところ、清水さんが亀岡の女性と来てくれる。お父さんは、肺がんで明日、入院。「日乗」の表紙を見て我がごとのように喜んでくれる。細々とした動きをして売ろうな、と言ってくれる。名古屋のトークショーのメンツの心配をしてくれる。やがて、段ちゃん、龍大のSさん、もと埋文研の加納(ピョン吉)が友人と来る。ピョン吉は、嵯峨大念仏狂言保存会の事務方らしく、3月15日お松明公演と4月5,11,12日の春季公演のフライヤーを置いていく。3月15日の演目は、羅生門、釈迦如来、土蜘蛛だ。15:30から無料とある。行く余裕あるかな~。お松明式というのは、釈迦入滅の陰暦の2月15日にちなんで、涅槃会と合わせて開催。
最後に琢ちゃんも来る。
閉店1:30。八文字屋泊。

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2015.3/4(水)


5:30帰宅。
11:00起床。
昨日、寒い思いをしてプリントを探したので、全身冷えて、疲れているので、のんびりする。
横になりながら、北京展、裁判のことを考える。
僕が今、東京地裁に告発されている一件の全容(構造)、察しがつく。
僕が2年半前の大家に、火事で書類及び契約の模様を記した日記を全焼したので、僕が支払ったお金が分かる帳面の写しをくださいと要望書を書いても梨の礫なのも。
つまり、2012年6月に、二年前のパリのギャラリーで作品が水没して、その保険金が支払われるのが伸び伸びになっている間、八文字屋の大家の芳徳に保険金確保まで待って下さいと言い続けて来たが、さすがに、大家も待ち切れず、その債券を関連会社に売り、八文字屋の物件を安く京都土地買取センターに売ったのだ(芳徳自身も、大西の破産管財人から、おそらく安く買ったのであろう)。そして関連会社は、存在するとされている債券(あるとされている僕の債務)を「ゆとり債券」に安く売却したのであろう。この「ゆとり債券」が、弁護士を使って(その弁護士代は、僕から取れると踏んで)僕を東京地裁に告発したのだ。
一方、京都土地買取センターは、商売だから、「ウチにしかるべき金を払えば済む、貴方の債務はチャラになる」と言って、一旦、ロックアウトした八文字屋を金を取得して、僕との契約を結んだ。繰り返せば、銀行を介さず(帳簿に残さず)現金を取得して、数ヶ月後に、八文字屋の現在の大家に高く売ったのであろう。高いのに、クレームが付かないないようにと、八文字屋に約100万円はすると思えるエアコンを設置し、売り払ったというわけだ。
僕の方は、どうかというと、少し甘ちゃんだった。
芳徳に残った債務と土地買取センターに支払った金の差額は幾らあるのやないのやら、チェックせず土地買取センターの「これでチャラだ」と言うのを素直に聞いていたのだった。土地買取センターとすれば、僕が「毎月芳徳に少しでも払えば、問題はないよ」とまで言う親切心は、なかったのだ。万一、芳徳から、僕に請求書がくれば、チェックして、僕は差額有無をチェックして、払わねばならないのなら、毎月少し払うことで終わり、センターとしては、与り知らぬことだったのだ。
僕としは、プリペイドカードを発行して、凌ぎ、三ヶ月後には、実際、パリの保険金470万円入り、その半分以上は、八文字屋の家賃と消えたのだった。
その支払いが終わった後に、土地買取センターは、転売したのだ。僕は、ほんやら洞のこと、次のフランス、オランダでの個展に感けて「ゆとり債券」から請求書が内容証明付きで来ても、無視し、終わったことを何を言っているのだ、と開封すらしなかった。
甘ちゃんでした。商売って、そんなもんさ。
京大キャンパスで富山一郎さんと少し立ち話。
「ほんやら洞の前を通ると胸が締め付けられる」とFBに記すに氏に遭遇して、またもや涙腺が緩んでしまった。
ボール&チェーン。出町買い物。
風媒社より、帯文届く。清水哲男さんのお父さんが、明後日入院らしく、明日、上洛と連絡あり。
7:00八文字屋オープン。
早速、梶田さん来店。ついで、火事見舞いの依田高典先生。しばし映画はなしで二人は盛りあがる。オイタさんも、珍しく早々と来る。
3週間ぶりの川㟢さん。まだ不調は隠しようもない。黒澤さんも久しぶり。
永澄さんが、矢代到大阪支局長同伴。「日本都々逸普及推進会顧問」の北波誠さんも来る。ほんやら洞火災の時に取材に来た共同の久保記者も呼び出される。奈良井さんが来て、Rさん来る。オイタさん久しぶり?にハッスル。奈良井さんも朗顔。海人彦も友達4人連れて来る。皆に、4月18日パーティと言うが、鈴木マサホからの返信なし。劉さんに新聞社の感触を書く。
深夜、「女子美大の同級生が“Beautiful Women in Kyoto”に出ていいる」と言っていた元玉屋珈琲勤務の安藤美恵さん来て、帰るべき友達の家が判らなくなったので、朝まで居らせよと。階段には、一人ひっくり返っている青年もいた。
鹿さん、珍しく水曜日なのに、顔を出さず。

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2015.3/3(火)


夢を見てた。
退屈しているという元バイトの人妻のOさんと散歩して、吉田の家(実は、田中の白雲荘)へ行く。家の片付けの手伝いをして貰えばええかと思いつつ歩く。「最近、セックスにも関心がなくて……」と言い始める。そこらじゅうにキューポラが、林立町を歩く。
階段を上がるが、焼け跡から撤収したガラクタが何処にもなく、原稿用紙、ネガが散乱しているだけの部屋には、何故か、何本も一升瓶が並んでいる。酒でも飲もうといい、飲み始めると、隣の部屋の女の子が「お帰りなさい」と入ってくる。長い廊下があり、隣との仕切りは襖しかない。八文字屋のバイト生のようだ。その女の子も飲み始めると、男の子も来て、あれれれ!?あの酒、ぼくのじゃないの?と言い出す。
何かオカシイと階下に降りると、帰る家を間違ったとわかる。27年前に書庫として借りていた部屋らしく(それにしては広いし、様子も違う)、ヤバイ、間違った。見つからないように出ようとして、管理人の奥村さんと目が合う。「あっ!カイさん今度の個展のDMを下さい」と言われる。「今度のは、不本意なので……」と言って逃げる。
今度は、すごい峻険というか、急勾配の坂道で、ロープに頼らねば、上に行けない経路の向こうに僕の家があるようだ。どうも鋸山(大分、山香)のようで、眼下は谷底。
Oさん、バイト嬢も付いてきたので、先に登ってもらった。遅々とし進まない。本当に険しい山登りのようだ。
周りを見渡すと町は、遥か彼方……。
そこで目を覚ます。
7:00前の八文字屋だ。
今日、武市さんが大阪の森ノ宮に引っ越す。43年の付き合いだった。
彼の家は、生後間もなく、大阪空襲にあい、以来ずっと京都だった。両親は亡くなったが、70年ぶりの帰還。
John Ainarsenさんからメール。articleに追加する事はないか?で、新刊予定、4/18パーティのことを記す。
山崎哲さんの韓国映画評を読む事から、今日も一日が始まる。
宅急便と入れ違う。不在通知を変な所に置かれて、手間どる。
岩澤侑生子さんは、鼻の手術らしい。
「ほんやら洞日乗」用の写真選択。2,3点のキャプション。

1:1976年10月ほんやら洞の仲間たち。
ほんやら洞の思想的な重石とも言うべき高史明さんの一粒種、岡正史君(12歳)が自死し、高さんご夫妻は悲しみの淵に沈んだ。その後、何度もほんやら洞へいらっしゃった。1976年になって、ようやく私たちの前で話をしてくれた。その後も何かとほんやら洞のことを、私のことも面倒をみて頂いた。
これは、1976年10月末、皆で御所に行き、大いに唄い、踊った。高史明さん撮影。

2:「ほんやら洞の詩人たち」(オーラル派)の名裏方、中山容さん1976・11月
スタッフの相談役。ほんやら洞を境目に、アメリカ女性文学研究者からアジア系アメリカ文学研究者へと転進。ボブ・ディラン「全詩集」ジョン・オカダ「ノー・ノー・ボーイ」スタッズ・ターケル「仕事!」の訳者としても著名。ダイアン・デ・プリマ、ローレンス・ファーリンゲッティの著作の海賊版訳者としても人気がある。

3:秋野亥左牟(イサム)
秋野不矩さんは、50歳代からインドに魅せられ、晩年はインド、アフリカと描いた。60歳代に2度火事にあったが、それからの仕事が凄いのだという。亥左牟さんは母、不矩さんついてインドに渡り、以後、10数年世界各地を放浪しながら、絵を描いた。90年代から我が家によく泊まり、ほんやら洞でも何度か個展(弟の子弦さんも)を開き、不矩さんも観にきた。亥左牟さんには数十メートルの絵巻物もある。お子さん、姪の方々も我が店を支えてくれた。本書の稲葉真以さんは、姪。

1は、京都御所写真で没。次の澪標の本で敗者復活させたい。
風媒社から、表紙カバーのラフ届く。気に入った。
尾崎さんは、上着を忘れ、貴司カスケさんは、財布を失くしたと電話ある。
トップ客は、河田孝郎さんと落ち着いた品のある40代半ばの女性同伴。「俺の作った物を見て、本当に思う所を語って欲しい」と言って、河田さんはすぐ帰る。
尾崎真人さんは、忘れ物を取りに来ただけなのに、そこに松本さん、三木千種さん、星野高志郎さん、川上力三さんと来る。松本さんは「火だるまほんやら洞イベントは、今度の土曜日だったっけ?」てなことを言う。海坊主は久しぶり。
11:30には誰も居なくなる。
1:00、誰も来なかったら、「ろくでなし」に行こうと思った矢先に二人の来客。
一人は、ほんやら洞付近の公認会計士、中村政温さん。
彼は、3,4年前に、ほんやら洞の経営が大変なら、ほんやら洞は学校法人同志社に身売りしたらどうだ!?こんなにネガ・プリントがあるのなら、時期を見て「甲斐写真記念館」としても良いと思うが、学生たちをほとんどただみたいに(実習だから)働かせ、名目は、甲斐さんが店長でしかるべき給料をもらったらいいじゃないの!?当時彼は理事会の会計士だったので、この話を通せるよと言っていた。「今度、副理事長にあわないか」とまで提案していた。
地元の消防団に入っており、2,3日前に消防団の会合に出て(今年の上京区の火災は、ボヤ一件と全焼一件やな~」と言っているので「全焼は何処?」と訊くと「ほんやら洞」と言うではないか、それでぶったまげて今日来たのだ!甲斐さんの精神は大丈夫か!?と。
「あの時、同志社に身売りしていれば、こんなことにならずに済んだのに」
彼の提案に対しても小山鉄郎さんも良いアイデアではないか、と当時、その案を押した。
僕はそんなことより僕よりましな若者が登場して、再生させると信じた。ほんやら洞に見向きもしない学生たちに、「ここは、対抗文化の拠点だったんですよ」と教師に語らせるのは、真っ平だと思ったし、今もその考えとさして変わらない。中村さんの家は、前は、魚屋で、若い男を雇っていたことがあり、その男が中央市場にか
もう一人は、夕べも来たらしいが、僕がカウンターにうつ伏せで寝ていたので、遠慮して帰ったという有名蕎麦屋の女将のA・Rさんだ。
僕の美女写真集の中の、「黒手組の女性」の写真を見て、感動して、演劇を始めて、大学でも演劇をやった。「ボヘミアン」等の劇団にいた。その縁で、その礼で、応援したい。今は、シーズン的にウチの店も暇なので、八文字屋さんの大掃除に、その道のプロの従業員を木曜日に派遣するので、ボランティアとして使って下さい、と。
僕は、これでも、十分にキレイになったのですよ、と言ったが、「ダメ、ダメ」という。
さあて、木曜日が楽しみだ。
3:30閉店。松屋に5:30までいた。

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2015.3/2(月)


6:30起床。
8:00まで、八文字屋でゴロゴロする。
松屋で焼き魚定食を食って、吉田へ。今日は、ノンビリする。
ルパンところで、自分の写真集を貰う。一升瓶とバーター。
まっちゃんは、家を追い出され、アパート住まいと聴く。八文字では、彼は弱音を吐かない。
松屋で麻婆カレー。
明日、本の表紙案が来るとのこと。
八文字屋、7:00オープンするも、坊主臭いと思いつつ待つ。
東京地裁、ユトリ債券の弁護士の手に渡り、供述書が、どうよまれたか?気にならないでもない。もっとメリハリをつけるべきだったか、とも。次からの対応でフォローするしかない。
8:00過ぎに尾崎真人さんから電話で「八田というのは、八田淳かいな!?」とブログでも見たのだろう。「東京の奴らは知っているんだろうか?東京からでなく、甲斐さん経由で知るとは」「飲み仲間しか知らないでしょ」「東京医科歯科大!?の、、」「行ったら、分かりますよ」というやり取り。彼も多少、ブログを読んでくれているのだ。
電話先の姉は膝の関節等悪し。
「宝籤が当たったら」という話から、ある方の超ボケ、アホ噺に!なる。
やっと、10:00前に冨樫。住民税を払わなかったら、預金を押さえられ、6万円取られ、その分を取り戻そうと、パチンコに行き、3時間粘ったが、虚しく一杯飲んで帰るという。これで、北京行きは、取りやめ。代わりに、北京の友人が来るというので、来るべき事業計画には、支障なし、てな話を聴いていると、尾崎真人さんが、貴司カスケさんと来る。琳派展、森田りえ子評を巡って、二人の意見は分かれる。
京都市美術館のあり方、工芸等の扱いを巡るあらまほしき形についての話をする。
4月18日のパーティの発起人に二人ともなって貰う。(発起人がいるかどうか?)尾崎さんは、夜、5:00東京なので、早い時間にして欲しいという。喋っていると、伊藤徹さん来る。先日の事、何も覚えてないと謝って帰る。やし酒のお返しでもないが、一杯のんでもらう。明日、フィリピン。今年か来年、フィリピンに行きたい。
冨樫が残り、何時に終わったか?

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2015.3/1(日)


山を越える前にバテたようだ。
外は雨。春を待つ雨。
比良の八荒、荒れ仕舞いを待ち詫びつつ、供述書に向かう。
15年前に自死の道を選んだ北沢恒彦の弁証法的?二分法による自己像、「埋くまるイメージと突撃するイメージ」という彼の表現をふと思い出す。ほぼ、彼の歳になりつつある。
今日の林海象さんのFB上の「いいね」には感じるものあり。さらに「近々、少額だけど、カンパに行く」とメールあり。「少し綺麗に店はなったよ」応答すると「じゃ、手渡しに行く」という。BAR探偵には美味しいカクテルを創れるバーテンダーが居る、とFBにある。8:00に投函して、闘いはこれからだけど、一人祝い?回転寿司5皿食う。
7:00前に先日のライブで五月蝿くしていた輝ちゃんが謝りに来たが、郵便局行き前で、断る。Numéroには、Sより画像を送って貰う。
八文字屋には、松ちゃん、カゲロヲ、奈良井さん以外は、深夜までこず。酔っ払う前のカゲロヲは「カイさん、メガネをかけたり、オシャレをしたらいいのに!?『ほんやら洞のカイさん』の中のカイさんはカッコウよかったので、また、若くなったら良いのに」というので「芝居でホームレスか、樽の中のディオゲネス役ででもつかってくれるの?」というと、浅利ちゃんも「私もホームレスで出たい!」という。
松ちゃん、奈良井さん、ともにお疲れ。カゲロヲも早くに船を漕ぎ始める。
一人、アウトループウェイが休みだったので、きたという堀川中立売のおとなしい植木屋さん来る。
12:00過ぎにKei-Kも来る。ろくでなしに横ちゃんに会いに行くというので、後を追うと言ったが、潰れてしまう。
八文字屋に沈没。

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